P-123 サバは痛み易い
春が巡ってくると、薬草採取が忙しくなる。
レイナスの双子はオムツも取れて元気に駆け回り始めた。そんな2人をヒルダさんが赤ちゃんを抱いて微笑んでいる。
番屋の近くには危ないものはないから、俺達は採取した薬草を分別したり、軽く茹でたりと忙しくとも安心できる。
海辺の住まいは子育てには良いのかもしれないな。
「頑張っとるな。明日は大潮だ。地引網をするんで手伝ってくれると助かる」
「「もちろんです」」
俺達の二つ返事に顔をニンマリとしたところで、ヒルダさんの隣に座って赤ちゃんを覗き込んでるぞ。泣き出さないかこっちが心配になってしまうな。
「ところでサルマンさん。例の仕掛けは出来たんですか?」
「作ったことは作ったがまだ試しとらんのだ。地引網が片付いたら仕掛けてみるか。カゴを仕掛けるついでで十分だろう」
カゴ漁はこの村に定着したようだ。たまに他の漁村から噂を聞いてやってくる漁師もいるそうで、その都度丁寧にサルマンさんが教えているらしい。
「ワシら漁師も毎月の稼ぎが銀貨2枚は多くなった感じだな。嫁さん連中の稼ぎと合わせれば、新築の家が多くなったのも頷けるところだ。村の人口も増えた感じだな」
俺達の仕事が終わったと見たのか、俺達のところにやって来たのでベンチを持ち寄ってタバコに火を点ける。
ファーちゃんが番屋からお茶を運んでくれたのもありがたいことだ。
「でも町には発展しないでしょう。余り発展するのも考え物です。町のような村の暮らしが一番ですね」
「ワシもそう思う。余り人が増えるようでは海が汚されかねない。それが心配の種なんだが、解決策があるなら教えて欲しいところだ」
やはり汚水対策をどうにかしたいと思っているようだ。都市作りに欠かせないのが上下水道の考え方なんだよな。
「汚水を海に流すのは言語同断です。現状のように村の東西に流すのが基本でしょうが、それでも間に合わぬということですね」
「まあ、そんな話だ。とりあえず西の荒れ地に池を作ってはいるんだが、直ぐに埋まっちまうんだろうな」
「その池に、葦を植えるといいですよ。浄化作用がありますし、葦を使って日除けも作れますからね」
そんな話を聞いて喜んでいるところを見ると、直ぐに植えそうだな。
葦は、家の屋根にも使えるし日除けも作れるから無駄にはならないと思うけど、俺達の狩場だったんだよな。
「お前らの狩場が遠くなってしまうのは仕方ねえことだ。東の森は手つかずなんだからそれで我慢するしかねえだろうな」
「そうなってしまいますね。とはいえ、西の荒れ地は秋口には良い狩場ですから、少し遠くなっても出掛けると思いますよ」
俺の言葉が聞こえたかどうかは怪しい限りだ。双子がサルマンさんに抱き着いたので交互に高い高いをやってるからな。
まったく、顔に似ないで人には親切なところが子供達にも好かれる由縁なんだろう。
翌日は朝早くから網を引いて、ザルに山盛りの魚を貰う。
レイナスばかりでなくシグちゃん達にも手伝ってもらって干乾しを作ることになってしまった。
魚の内臓は畑に鋤き込んだから、今年の豆も良く実るに違いない。
初夏が近づいてくるとサンガの繭を森で採取する。1個1Lは魅力的だよな。
サンガの繭が一区切り着くと、ローエルさん達と一緒に大型の草食獣を狩る毎日だ。シグちゃん達は、絹糸作りを村の娘さん達と一緒に頑張っている。新たな織機も増えたようで、年間15反の絹織物が王都に運ばれている。
「村の教会が大きくなるって、おばさん達が話してましたよ」
狩りから帰った俺達にシグちゃんが村の噂を教えてくれた。王都での絹の取引はかなりの儲けになるらしい。それが教団に寄付されて、王都の福祉に役立っているようだが、村や町の教会についても少し恩恵があるようだ。
「あの教会は確か、老神官が1人じゃなかったか?」
「新たに若い神官が赴任してくるそうです。簡単な治療も行ってくれると言ってました」
教団の神官の多くが【サフロ】を使うことができる。ハンターの中にも使える人物が誰もいないパーティもあるらしい。当然薬草は必要になるんだろうけど、薬草の効能は2年ほどで半減するらしい。
それに、村人ならばあまり持つこともないからな。そういう意味でも神官が治癒魔法を使えると色々と助かるということなんだろう。
「攻撃魔法にばかり目が行くハンターが多いんだよな」
残念そうな表情でレイナスが呟いた。俺もそうだと頷いておく。
「使用回数に制限があるのが問題なんだ。魔法だけでガトルの群れに対処できるか怪しいものだ」
「それがいたらしいんだ。ミーメさんが嘆いたたよ。結果は大怪我が2人だと聞いたな」
「壁が2人もいれば違うんだけどな」
まったく困ったハンターもいたものだ。俺達でさえ体制を整えるのに苦労してるんだからな。軽い気持ちで狩りをしたら怪我だけでは済まないだろうに。
「私達にはシグちゃんとリューイさんがいるにゃ。私とレイナスだけじゃこんな暮らしはできなかったにゃ」
「ファーちゃんがそう思ってくれて嬉しいよ。でもね、俺達だけでもこんな暮らしはできなかったはずだ。ファーちゃんとレイナスが仲間になってくれたからこそだと思うよ」
俺の言葉にシグちゃんも頷いてる。
隣に家を建てても、食事は今までの番屋で一緒に食べる日々だ。それほど暮らしが変わったとも思えないな。
海辺には漁師さん達の新しい番屋と古い番屋だけだったけど、今ではいくつかの作業小屋や俺達の家まで建っている。夕暮れ近くはお風呂が賑わうし、風呂上がりの一杯は格別だからね。
番屋の外に置いてあるベンチに腰を下ろし、レイナスと一服しながら夕暮れの海を眺めるのが俺の至福の一時でもある。
ファーちゃん達は双子を連れてお風呂に出掛けたから帰るのはもう少し後になりそうだな。村のおばさん達と楽しく会話をしながら子供達を風呂に入れてるんだろう。
「やはりここにいたな。サルマンさんが呼んでるぞ」
若い漁師が俺達に声を掛けてくる。
どうも俺達を猟師でなく漁師だと勘違いしてる気がするんだが、サルマンさんのお呼びとなれば行かざるをえないだろう。
レイナスと一緒にベンチから立ち上がって漁師達の番屋に向かう。
「リュウイの番屋だが、古い2番目と皆が呼んでるぞ。知ってたか?」
「そうなんだよな。一番新しい番屋というのが正しい呼び方だと思うんだけどね」
レイナス夫妻が住んでる番屋が古い番屋だし、新しい番屋は漁師さん達の番屋だ。古い番屋を立て直した隣に作った家だからかな? そういう意味では屋号に近いのかもしれない。
お祖母ちゃんが住んでいた家は古い家なんだけど、近所からは新宅と呼ばれていた。その言葉に疑問を覚えた時に聞いたら、江戸時代に分家したからだと言ってたからな。
二本松と呼ばれてた家には松は一本も無かったし、二軒新田と呼んでいた集落には数軒の家があったぐらいだ。
屋号なんて初めて聞いた言葉だったけど、後で親父に聞いたら昔は名字が無かったからその代用でもあったらしい。
一つの村に権兵衛さんが二人いても、二本松の権兵衛さんと二軒新田の権兵衛さんということで分けられたんだろうな。ちょっとした生活の知恵ということかもしれない。
「お晩です!」
扉を開けながら挨拶をすると、奥からサルマンさんが手招きをしている。隣に座れってことなんだろう。
番屋の大きな囲炉裏を囲む場所はある程度確定しているらしい。サルマンさんの両隣が開いているのは、左が俺の場所で 右手が息子さんの場所だ。レイナスは左手の漁師さん達の中に割り込むように座っているが、これもいつもの事だ。
「リュウイよ。あの仕掛けだが、かなりなものだ。三本沖に流したが、型の良いガルトが掛かったからな。ガルトは隣の王国で獲れるんだが、この海にも回ってくるようだ」
サルマンさんが囲炉裏の魚をパイプで指している。よく見ると、サバじゃないか! サバが延縄に掛かったんだな。
「この魚は痛み易いんですが、大丈夫なんですか?」
「良く知ってるな。だからちょっとした工夫がいる。これは開いて煙で燻すんだ」
サバ節にはならないだろうが、スモークにはなるということなんだろう。
それなら、サバ節を教えてやろうかな? 味噌汁の文化はないけど、スープは作るんだからね。良い出汁が取れるし、そのまま齧れるんじゃないか?
「たくさん獲れたら少し分けて貰えませんか? 俺の故郷のやり方ができるかどうか試したいんです」
俺の言葉を満足そうに聞きながら囲炉裏の周りにいる漁師さん達を眺めている。
「俺が言った通りだろう。仕掛けを知っているなら、取れた魚をどうするかも知っているに違えねえんだ。だが、リュウイの言う通り、保存が難しい魚であることは俺達も良く知っている。たまに網に掛かるからな」
「その日の内に食うか、それとも炙るかだな。炙っても長くは持たん」
「基本は同じですよ。だけど、煙で徹底的に燻すんです。それが終わった時に風通しの良い場所で保管すると、表面にカビが出てきます。全体にカビが出たら綺麗に洗って再び煙で燻します。これを繰り返すと、その辺に置いておいても食べられますよ」
「そんなに固いものをどうやって食べるんだ?」
「削って食べるんです。俺が住んでいたところでは毎日のスープにこれが入ってました。良い出汁が出るんです。本当に一味変わりますよ」
「10本もあれば試せるか?」
「準備も必要です。燻製箱を作らないといけませんから数日は待ってください」
普通の燻製箱でも何とかなるんじゃないかな? 本当はカツオでやるんだけどサバでもできると聞いたことがあるし、サバの方が味が良いらしい。
今のところは近くでラビーを狩るぐらいだから、器用なレイナスならば良いものを作ってくれるだろう。
そんなことを考えていると、酒のカップが回って来た。
これさえなければ良いんだけど、いい漁師は、飲める漁師という言葉を実践してる連中だからね。
早めにシグちゃん達が、俺達を回収しに来てくれるのを待つしかなさそうだ。