3つのお願い
「それを世間ではストーカーと言うんです」
グレーのストライプ柄のスーツ、ワックスで丁寧にセットされた髪の毛に黒ぶち眼鏡の青年が呆れ100%含有の溜息を吐き出した。何処にでもいるようなビジネスマンだけど、ただ他の男とは違うのは――人間の掌にぴったり収まる、ミニチュアサイズだということ。
「うるさいよカラー。今いいとこなんだから黙ってて」
一方あたしはいい感じに伸びきった草むらの陰から、いい感じで青空の下に広がるフェンスの向こうを双眼鏡にて絶賛観察中だったりする。
メイキッシュ。
虹色の流れ星に3回呪文を唱えると現れる、人間の願いを叶える妖精。
ただし、叶えられるのは3つまで。
カラーは『メイキッシュ』のエリートだ。
そして、あたしは。
「誰のおかげで人間サイズになれたと思っているんですか」
「う。……カラーさまのおかげですっ」
「本当に前代未聞ですよ。『メイキッシュ』が『メイキッシュ』を召喚するだなんて、どうなるか分かっているんでしょうね。これだから落ちこぼれは」
「あーあ。この腐れ縁以外が来たらよかったのにー」
「ルーメ」
「はぁい」
しぶしぶ立ち上がり、くすねてきたセーラー服のプリーツスカートについた草を払い落とす。カラーが器用にあたしの肩まで登ってきた。
「とにかく早急に残る2つの願いを教えてください。早く通常業務に戻りたいですから」
「うーん」
フェンスの向こう側では白いユニフォームの青少年たちが小さなボールを追いかけている。彼らは高校の野球部員だ。そのなかでも一際目立っているのが、背番号5の坊主頭。特に巧い訳でもないけど、輝いているのだ。オーラってやつが。たまたまこの町の住人に召喚されたときに見かけて、それからずっと追っかけている。
「巨乳になりたい」
「却下します」
「なんでさっ。だって『まず背を人間サイズにして、それから巨乳の美少女になりたい』って最初に言ったときさっ、それだと2つだから駄目って言ったのそっちじゃん!!」
「あまりにもくだらないからです。もっと、願い事は有益なことに使いなさい」
「いいじゃん巨乳。あたしも嬉しいし、5番君もきっと嬉しいよ。男はそういう生き物だってずっと前に人間に教えてもらったんだから」
「……そんな下らない理論を自信たっぷりに述べないでください」
「えー。カラーは違うの?」
「興味ありません」
カラーの素気なさにちょっとつまらなくなってくる。ちぇ。昔からこいつは堅物なんだよな。するとタイミングのいいことに、ボールがフェンスを越えて草むらにぽとりと落ちた。
「すいませーん!」
誰かがやってくる。
5番君だ!
「すいません、それ取ってもらえませんか」
間近で見るのは初めてだった。坊主のくせに眉毛が整ってるぞ。しかも睫毛長いし!
「あ、ははは、はいっ」
心臓が。心臓が、バクバクいってるっ。落ち着けあたし。右を向いて足を一歩踏み出す。
「いや、そっちじゃなくて、反対側の」
「あ、そうです、よねっ」
もう何が何だかわからない。
「……カラー、5番君とふつーに話せるようにしてっ」
5番君に聞こえないように囁く。
「それは、2つめの願いだと考えていいんですね?」
首を縦に振る。するとその瞬間、嘘みたいに体が軽くなった。あたしはスムーズにボールを拾い、フェンスの向こうにぽとりと落とす。
「あざーすっ」
白い歯でさわやかーな笑顔を残して5番君は仲間のもとへと戻って行った。
おおきーく深呼吸。そこで気づいてしまった。
やらかした!
ぺたりと座り込む。
「お願い、あとひとつしかなくなっちゃった……」
でも、格好よかった。遠くで見てるよりも、ずっと。
「本当に短絡的ですね」
カラーの存在を無視して再びフェンスの向こうをうっとりと眺めていたら、部員たちがベンチへ駆けて行った。休憩らしい。昨日までは見なかったちっさな女の子がタオルを全員に渡している。ショートヘアーでジャージ姿。マネージャーなのかな。
「あ」
5番君が、マネージャー(推定)からタオルを受け取るとき。
顔がありえないくらい真っ赤になっていた。
ついでにマネージャー(推定)も頬がピンク色だ。
まさか……そんな!
「残念でしたね」
容赦なくツッコミが入る。ちくしょう、なんて乙女心を理解しない男なんだこいつ。
「それで、どうするんですか。貴女さえ願えば、貴女と彼が恋仲になることだってできるんですよ」
「え」
いつの間にかカラーはあたしの肩から降りていた。フェンスにもたれかかりあたしを見つめている。
そんなこと全然思いつかなかった。
「もしくは、……ただの『メイキッシュ』に戻ることだって、可能です」
あたしは草むらに両手をついてカラーを覗き込む。
いつの間にか陽は落ちかけて、きれいな夕焼けになっていた。
「ううん、やだ」
「は?」
「最後の願いはまだ使わない! 残念でした!」
「ルーメ!?」
カラーを肩に乗せて、あたしはフェンスを後にする。
しばらく一緒にいてよ、っていう願いの代わりに。