Menu4:魚介のトマトポタージュとほうれん草のポタージュ 二色の境界のエンカウント
「いや墓参りに行く途中だったんだけどさ……」
双木 明は、カウンターテーブルに肘をついた。開店まえという様子のうす暗い店内を見まわす。
ほかに客はいない。
数人くらいはいるものだと思っていた。
墓に行く途中のコンビニでコーヒーを買って駐車場で飲んでいたところ、ギャルソン姿の若い男に「無料で料理の試食はどうか」と声をかけられた。
胸元には「橘」というネームプレート。
本人の洗練されたスタイルとしぐさにそぐわず、案内された店はせまい昭和のスナックの店舗をちょっと改造したという感じのカフェだった。
カウンターテーブルに座れるのはせいぜい三、四人というところだろう。店内のテーブルは二つほど。
カウンターテーブルのはしのほうの色が微妙に違うのは、かつてカラオケセットでも置かれていたのだろうか。
墓参りはなるべくすんなりとは行きたくなかったので、ちょうどいい。
ここでうまいもの食べて腹を決めてからにしようと思った。
会社はきょうは祝日で休み。
実家の高齢の母からきのう電話がきて、墓参りに行ってこいと強引に指示された。
正直イヤだった。
墓参りはもともとマメに行くほうでもなかったが、ここ数年は意識的に避けていた。
先祖代々の墓がある霊園には、学生時代の元カノの墓がある。
以前、墓参りに行ったときに気づいた。
同姓同名かと思ったが、実家に帰ってむかしの卒業アルバムをひっぱり出して同級生に聞きまわったところ本人の墓だと分かった。
卒業アルバムにクラス全員の住所氏名と電話番号がかつて載せられていたと聞くといまの学生はドン引くらしいが、とりあえずこういうときは便利だ。
亡くなったのは四年まえ。
死因は誰からも聞けなかった。
卒業してから二十年は経つのだ。彼女も自分も頻繁に会っていた同級生はいない。
彼女と仲がよかった人すら詳しいことは聞いていないと答えた。
学生時代の話なのであまり気にやむ必要はないと思うが、つきあっていた当時「卒業したら結婚しよう」と二人で盛り上がり婚姻届を出す日付まで決めていたものの、こちらが直前で冷静になり曖昧な言葉で延ばし延ばしにしているうちに彼女がイライラしはじめていきおいで別れた。
現実を考えているつもりでぜんぜん考えられていなかった若いころの話だ。
そこらによくある話なんだと今は思うが、墓石に刻まれた名前をみるにその後は独身だったのだろうかと思うと、さすがに堂々と墓のまえには行きたくない。
「本日の試作料理のメニューは魚介のトマトポタージュとほうれん草のポタージュ 二色の境界のエンカウントになっております。お運びしてもよろしいでしょうか」
「橘」というネームプレートをつけたギャルソンが、横に歩みよりそう問う。
明のまえにスープスプーンを置いた。
「ああ……うん」
明はそう答えた。
こんな安っぽい賃貸の店舗みたいな店なのに、ギャルソンだけ姿も動きも洗練されている。
軽い違和感を覚えるが、オーナーはどういうコンセプトでやってんだろうと思う。
「おもなアレルゲンはえび、かに、乳成分、小麦、たまご、そば、落花生、くるみといったところですが、アレルギーに該当するものはございませんでしょうか」
「ああ……だいじょうぶ」
明は答えた。
「いまはそこまで確認しなきゃならんの、大変だね」
そうつけ加える。
ドアのない入口から厨房に入ったギャルソンが、ややしてから銀色のトレーに料理を乗せてくる。
一つの皿のうえで赤色と緑色がくっきりと二色に分かれたスープを明のまえに置いた。
「なにこれ。仕切りとかないのにこんなふうに作れんの?」
明は目を丸くした。
「同じ濃度のスープを合わせるのがコツでございます」
ギャルソンが答える。
「へえ……」
厨房のほうから、かすかに食器をこすり合わせる音が聞こえる。
シェフだろうか。
店舗はそぐわないが、シェフがそもそも一流レストラン仕込みの人だったりするのだろうか。
赤色がトマトポタージュだろう。
酸味のきいた香りが食欲をそそる。
トマトポタージュのなかには煮込まれた魚が横たわっていた。
トマトで真っ赤に染まり魚の種類は見た目で分かりにくいが、下にはほかの魚介も隠れているようだ。
緑色がどう見てもほうれん草ポタージュ。
こちらは煮込まれたほうれん草が入っていて、葉の色もつやつやと緑色があざやかだ。
「凝ってんなあ……ほんと無料でいいの?」
明はスプーンを手にした。
「試作ですので無料でけっこうです。ではごゆっくりどうぞ」
ギャルソンがていねいに礼をした。
まったく気の進まないまま霊園についたのは夕方だった。
西のほうがきれいな夕焼け空になっている。
霊園の駐車場に車を停めて降りる。
山を背にした立地なので、陽が暮れたら外灯はきわめてすくない。たぶんまっくらになるだろう。
さすがにこんな時間帯に来る人はいないらしく、駐車場はがらんとしていた。
後部座席から菊の花束を取りだす。
まあ、先祖代々の墓と元カノの墓は位置的にはけっこう離れてる。
時間も時間だし、速攻で先祖の墓参りだけして駐車場に戻ればいい。
ふぅ、とため息をつきながら明は霊園のほうへと歩を進めた。
無骨な石の門をとおり、双木家代々の墓と掘られた墓石のある巻石のまえに来る。
「明」
背後から呼び止められた。
ふりむくと着物とおもわれる服装の人物が立っていたが、急激に広がった夕焼け空で赤く染まり顔が見えない。
なんとなくさきほどの料理で出されたトマトポタージュの魚を思いだした。
「えと……どちらさま」
「おじいちゃんだよ」
その人物が言う。
自身の祖父は父方母方ともに亡くなっているが、どこのおじいちゃんだと眉をひそめる。
「あー……たぶん人ちがい」
認知症の老人かなと明は苦笑した。
「ひっさしぶりに来て、なぁにが人ちがいだか。おじいちゃんに嫁も紹介せんで」
「いや人ちがいですって。俺、結婚してないし」
明は困惑して笑い声をあげた。
老人の背後から控えめなしぐさで小柄な人物が姿をあらわす。
ちょうどトマトポタージュの魚の下から見えていた魚介類のように。
「卒業したら婚姻届け出しに行こうって言ったじゃん、明」
にこやかな笑顔であらわれたのは、学生時代につきあっていた元カノだった。
「え……うわっ!」
明はその場に菊の花束を落として後ずさった。
「なに。いや何これ。幽れ……?!」
夕陽で真っ赤に染まった墓地の情景が、この世ではない異界のように感じる。
あの世に連れて行かれる。
あの世で結婚式を挙げさせられる。
直感的になぜかそんな気がした。
「ちょっ……消え」
明はさらに後ずさり、巻石のそばに植えられていた低木に靴のかかとを引っかけた。
動揺してそのまま座りこむ。
何に足を引っかけたんだと横目で見る。
アオキの木だ。つやつやとした緑色の葉を繁らせている。
緑色のポタージュのほうに入っていたほうれん草。
そのほうれん草にアオキの葉が何となく似て見えた。
このアオキがこの世とあの世の境界線に立つ木という気がして、明は連れて行かれないようほそい幹を必死で握った。
終




