Menu2:牛リブロースのグリル南イタリア風 完熟トマトとオレガノのソース
大学に行く途中にあるテナントビルの二階からは、いつも大声で発声練習をする声が聞こえる。
わりと有名な劇団のスタジオがあるらしい。
春藤 陽斗は、何となくその声が嫌いだった。
演劇など、小学校の学芸会でしかやったことはない。
しかし、そのときにじゅうぶんに嫌いになる要素を植えつけられてしまった。
小学校の演劇など、演技力ではなく声の大きさで選ばれる。
遊んでいるときの声が大きい、それだけで勝手に選んでやれ感情がこもっていないだの何で脚本を暗記してこないんだだの。
何回もやりなおしさせられて泣きそうになった。
こっちもやりたい言ってねえっての。
「あめんぼ赤いなあいうえお」とか聞こえてくるたびに、ついスタジオごとなくなってしまえばいいのにと思ってしまう。
ビルの横のせまい道を通り、バス停のある大通りに出る。
そこで、いきなり強い雨がふってきた。
にわか雨なのですぐにやむと思うが、どうだろと思いながら曇った空を見上げる。
雨ざらしのバス停のまえにはいられないので、すぐ近くの空きビルの地下入口についている庇に身をよせた。
周囲を歩いていた人たちのなかにも、早足になり建物内に入っていく人がけっこういる。
灯油のポリタンクを持った男性が、やはり足早にビルの入口のガラスドアから入っていった。
真っ赤なポリタンクと、男性が長身で容姿がいいので目立つ。
劇団の人だろうか。
もうそんなに寒くない時期なのに、ストーブか何か使うんだ。
「あの」
空きビルの地下につづく階段から、二十代後半くらいと思われる男性が昇ってくる。
ギャルソンという感じの格好だ。おしゃれなバーとかレストランにいそうな。
黒目の大きい瞳が印象的だと感じる。
スタイルよくてかっこいいというか。どこかのアニメで見た執事に似てるなと陽斗は思った。
長年からっぽになっていた空きビルだと思っていたが、地下には店か何かがあったのか。
「あ、邪魔」
そう返しながら、半歩ほど横によける。
ギャルソン姿の男性は、近づくと胸元のネームプレートに「橘」と表記されているのが読みとれた。
「いえ」
ギャルソンが感じよく笑う。
「迷惑なら場所変えますけど」
「変えなくてけっこうですよ」
ギャルソンがそう答える。
「いま、ちょうど当店で料理の試作を作っていたところでして。もしお時間が空いていましたら、食べて行かれませんか?」
ギャルソンがそう告げる。
「試作……」
陽斗は復唱した。
「だと、ちょっと割引になる感じ?」
「試作ですのでお代はけっこうです」
ギャルソンがにっこりと笑う。
タダより高いものはないという警戒心が脳裏をよぎったが、これからアパートに帰っても炊飯ジャーで保温したごはんとてきとうな惣菜の夕飯を食って、風呂に入ってユーチューブでもながめてから寝るだけだ。
とくに予定というものはない。
「ほんとに無料?」
「試作ですので」
そう告げるとギャルソンは、「もしよろしければ」とつづけて地下へとつづく階段のほうに陽斗をうながす。
陽斗は、肩にかけたリュックのなかにあるスマホの位置を手で確認した。
おかしな店だったら、これですぐ通報したらいいか。
そう考えて、ゆっくりとギャルソンについていく。
地下一階に降りると、うす暗い廊下の一角にレストランらしき店の入口があった。
通路に置かれたスタンド看板が、昭和レトロっぽい気がする。
昭和のファミレスをイメージした店なんだろうか。
ギャルソンの格好よさからして、おしゃれなヨーロッパ風バーみたいな店をイメージしていたが。
ガラスドアを押し店内に入ると、ギャルソンは陽斗に入口すぐのテーブルをすすめた。
イスに座りながら、店内を見回す。
天井の配管やダクトがむき出しのうす暗い店内。
思ったよりも広い。
向こうのほうにあるカウンター席、イスとテーブルは二十席以上あるだろうか。
やはりおしゃれなヨーロッパ風バーというほうに近い。
すこしまえまでよく見かけていた、スケルトン天井の店舗だ。
むかしのヨーロッパというより、さいきんの時代の雑なイメージのヨーロッパというか。
準備中なのだろうか、店内にはほかの客はいない。
「本日は牛リブロースのグリル南イタリア風、完熟トマトとオレガノのソースをご用意しておりましたが、好き嫌いおよびアレルギーなどはございませんでしょうか」
ギャルソンがうやうやしく礼をする。
「とくに……たぶん。オレガノってなに?」
「地中海沿岸を原産とするハーブで、スパイスとして使われたさいは少々香りにクセがありますが、肉やトマトとの相性はよろしいかと」
ギャルソンがていねいな口調で答える。
「パクチーみたいな?」
「パクチーほどには苦手なかたは多くはないかと」
「えと、じゃあだいじょうぶかな……」
陽斗は答えた。
「アルコールのほうは」
「いや苦手なんで」
陽斗は手を軽くふって断った。
「かしこまりました」
ギャルソンがそう答えて厨房のほうに消える。
銀のトレーにグラスとミネラルウォーターらしき瓶をのせて戻り、テーブルに置いて水をそそいだ。
陽斗の目のまえにナイフとフォーク、スプーンなどを配置する。
「牛リブロースのグリル南イタリア風、完熟トマトとオレガノのソースをお持ちします」
ギャルソンがうやうやしく礼をして、もういちど厨房に消える。
ややしてから焼肉のにおいがした。
格好のいいしぐさで、ギャルソンが銀のトレーを運んでくる。
少々大きめの皿のようだ。食べきれるだろうかと陽斗は思った。
「ごゆっくりどうぞ」
ギャルソンがテーブルに皿をコトリと置く。
「じゃ、あの、いただきます」
陽斗は料理に目を移した。
目を見開く。
皿に乗っていたのは、焼け焦げた体を丸めた人間のような肉塊だった。
チリチリに焦げた髪の毛、皮膚に貼りついたボロボロの服。
上半身にはドロリと血液のようなものがぶちまけられている。
「ぇ……うわ!!!」
陽斗は、イスから立ち上がり後ずさった。
ギャルソンはテーブル横で真顔で立っている。
なんだここ。
創作料理にしても趣味が悪い。
厨房のガラス窓から、異常なほど大きい人影が見える。
あかりの角度の関係で拡大されて映っているのかもしれないが、陽斗はともかく逃げようと思った。
「ちょっ……すみません! やっぱいらないです! ごめんなさい!」
脚をもつれさせて店の出入口まで走る。
ギャルソンか厨房の人間が追ってきたらどうしようかと思ったが、さいわい追われることはなく、地下の階段を登りきり地上へと抜けだした。
となりのビルの入口まで走り、壁に手をついてハアッと息を吐く。
何だあれ、気色わる。
趣味の悪い創作料理がコンセプトの店なのか。
ハロウィンだけ営業してろってんだ。そう思いながら心臓をおさえる。
焦げ臭いにおいがした。
周辺に煙がただよっていることに気づく。
付近の人々がみんな上を見ているのに気づいて、陽斗も上空を見る。
黒い煙が立ち昇っていた。
「放火だって」
「二階の劇団と揉めてた人って。さっき逃げてきた人言ってた」
そうやりとりをする人たちの声が聞こえる。
つぎの瞬間、陽斗の鼻先をかすめるように黒い大きなかたまりが落ちてきた。
ドサッと音がする。
何が落ちてきたのかと確認するまえに、周囲を歩いていた女性が二、三人悲鳴を上げた。
服が焼け焦げ、全身にやけどを負った人間だ。
消防車のサイレンが響き、あたりはますますものものしい雰囲気になる。
陽斗は動けずにビルの窓から上がる炎を凝視した。
窓から、赤い袋がバラバラと落ちてくる。
とうに破けていたのか、落ちて横たわる人物の体に真っ赤な液体がかかった。
血糊だろうか。陽斗は全身を固まらせつつそう考えた。
落ちてきた人物の体に大量の血糊がかかり、上半身が血糊まみれになる。
そのあとにパラパラと落ちてくる、小道具と思われるハーブのような葉っぱ。
さきほど地下の店で見せられた料理とそっくりの見た目になった。
終




