第三十五章-力の象徴-
玉座の間。
夕陽が高窓から差し込み、長い影を落としている。
赤い絨毯の先。
玉座に座るのは、帝国の王。
センカ・ヴェントール。
扉が開く。
第一王子ノアが入ってくる。
その背後には武装した部隊。
重い空気が張り詰める。
だがノアは、手を軽く振った。
「外で待て」
ざわめき。
だが誰も逆らわない。
部隊は一礼し、玉座の間から退いていく。
扉が閉まる。
残るのは二人だけ。
広い空間に、足音が響く。
ノアはゆっくりと歩き、玉座の前で立ち止まる。
値踏みするように、視線を上げる。
「王か」
感想のような一言。
センカは動かない。
王として座る姿勢を崩さない。
「久しぶりですね、兄上」
「兄、か」
ノアはわずかに笑う。
情はない。
懐かしさもない。
ただ観察。
「黒百合」
その呼び名が、静かに落ちる。
センカの瞳が、わずかに揺れる。
だがすぐに、真っ直ぐに見返す。
「違います」
きっぱりと。
「わたしは黒百合ではない」
沈黙。
「黒薔薇でもない」
玉座の肘掛けを、軽く握る。
「わたしは――センカです」
言い切る。
称号でも異名でもない。
ただの名。
ノアは数秒、無言で見つめる。
そして、ふっと笑う。
「なるほど」
否定も肯定もない。
ただ理解する。
「時代を変える気か」
「ええ」
「侵略を止め、血を減らし、力を抑える」
「ええ」
ノアに怒りはない。
責める色もない。
むしろ、どこか納得している。
「悪くない」
ぽつりと呟く。
「お前が作る時代は、きっと安定する」
帝国も、民も、救われるだろう。
それは分かっている。
「だが」
視線が鋭くなる。
「俺には生きづらい」
率直な言葉。
「力を振るう場が減る」
「奪う理由がなくなる」
「命を懸ける意味が薄れる」
玉座の前に立つ男は、純粋だ。
帝国などどうでもいい。
王位にも興味はない。
「俺はただ、戦いたいだけだ」
それだけ。
単純で、迷いがない。
だから強い。
センカは玉座から立ち上がる。
階段を一段ずつ降りる。
王としてではなく、一人の剣士として。
「兄上は、この力の時代を終わらせたくない」
「当然だ」
即答。
「弱い者が淘汰され、強い者が残る」
「それが自然だ」
冷酷ではない。
ただ、信じている。
センカは胸の奥を押さえる。
棘が疼く。
力の時代が生んだ死。
「……終わらせます」
静かな声。
「力だけで価値を決める時代を」
ノアは一歩、近づく。
二人の距離が縮まる。
「なら」
低く、穏やかに言う。
「証明しろ」
空気が張り詰める。
殺気ではない。
決意。
「明日の朝」
振り返る。
歩き出す。
「お前が初めて剣を握った場所で待っている」
小さな訓練所。
帝国がまだ小国だった頃の、あの場所。
扉の前で立ち止まる。
「最後の確認だ」
振り返らない。
「時代を変える王が、力を超えられるのか」
扉が開く。
光が差し込む。
「来い、センカ」
名を呼ぶ。
称号ではなく。
そして去る。
玉座の間に、静寂が戻る。
センカはゆっくりと息を吐く。
棘は、まだある。
だが揺らがない。
これは王位争いではない。
思想の決闘。
時代と時代の衝突。
センカは玉座を振り返る。
そして、静かに呟く。
「行きます」
時代を変えるために。
最後の戦いへ。




