第三十三章-棘を抱いて-
氷と炎が正面から噛み合う。
《ボレアス》と《アグニ》。
白と赤が衝突し、森が裂ける。
地面が凍り、次の瞬間には爆ぜる。蒸気が噴き上がり、視界が白に閉ざされる。
リュナの声だけが、冷たく届く。
「あなたはセインを殺した」
その一言で。
胸の奥に、棘が刺さる。
妹。
自分の手で斬った。
刃の感触が蘇る。
血の温度が蘇る。
「あなたの剣で」
棘が、深く押し込まれる。
センカは踏み込む。
炎を押し出す。
だが氷は鋭い。氷槍が炎を貫き、肩を裂く。冷気が血を凍らせる。
「そしてツムギ」
もう一つの棘。
崖の夜。
自分の代わりに死んだ少女。
「あなたが生き延びるために、あの子は死んだ」
心臓の裏側まで、刺さる。
痛みで視界が揺れる。
リュナは血を吐きながらも、声色を変えない。
「あなたは二人の死の上に立っている」
氷嵐が拡大する。
森が白に沈む。
「それでも迷うの?」
冷たい問い。
責めるためではない。
立たせるための言葉。
センカの胸で棘が暴れる。
逃げたい。
だが逃げれば、セインもツムギも無意味になる。
炎が、揺れる。
「……《アグニ》!」
爆ぜる熱。
氷を溶かし、蒸気を裂く。
リュナが踏み込む。
細身の剣が閃く。
鋼と鋼がぶつかる。
火花。
凍結。
咳。
血。
それでもリュナは止まらない。
「あなたは、弱いのね」
その一言が、最後の一押しになる。
棘が限界まで食い込む。
痛みが頂点に達する。
ならば。
抱えたまま、進む。
センカは炎を一点に集束させる。
踏み込む。
全身全霊。
「姉様!」
赤熱の斬撃。
氷嵐を断ち切る。
細身の剣が弾かれ、地に落ちる。
静寂。
白が溶ける。
リュナは膝をついている。
血が唇から流れ落ちる。
「……ようやく」
冷たい声は、そのまま。
「逃げなかったわね」
センカは剣を下ろす。
胸の棘は、まだある。
抜けない。
抜かない。
「わたしは」
息が震える。
「二人を抱えたまま進む」
セイン。
ツムギ。
リュナは、かすかに目を細める。
「そう」
それだけ。
急に、力が抜ける。
身体が傾く。
センカが支える。
軽い。
あまりにも軽い。
呼吸が浅い。
胸がひゅう、と鳴る。
血がこぼれる。
「……強くなったわね」
かすれた声。
「棘は、そのままでいい」
視線が、ぼやける。
「痛みを忘れた王は……同じことを繰り返す」
センカの喉が震える。
「姉様、まだ——」
「泣かないで」
冷たいまま、最後まで王族の声音。
「王は、人前で泣かないものよ」
指が、頬に触れる。
氷のように冷たい。
「……生きなさい」
息が、途切れる。
それきり、動かない。
森が完全に静まる。
センカは、しばらく理解できない。
呼吸がない。
鼓動がない。
終わり。
セイン。
ツムギ。
リュナ。
三つの死が、胸に重なる。
棘が、二本。
深く刺さったまま。
その周囲は血だらけだ。
「……っ」
涙が落ちる。
熱い。
止めようとする。
王になると決めた。
泣く資格などない。
だが止まらない。
頬を伝う。
唇を震わせる。
声にならない嗚咽が漏れる。
それでも。
センカはリュナの身体を静かに横たえる。
立ち上がる。
足は震える。
胸は痛む。
棘は刺さったまま。
血だらけの心を抱えたまま。
それでも、立つ。
涙を流したまま。
拭わない。
消さない。
忘れないために。
「……わたしは」
掠れた声。
「王になる」
炎が静かに灯る。
荒れない。
だが消えない。
泣きながら立つ少女は、もう黒百合ではない。
黒薔薇でもない。
棘を抱えた新たな王だった。




