第二十章-イグニ・アグニ-
炎と炎が空で噛み合う。
「アグニ」
「アグニ」
爆ぜる。
削れる。
熱波が屋上を歪ませる。
石が溶け、空気が裂ける。
セインの表情から、余裕が消えていた。
「……ありえない」
再び炎を放つ。
だが声が震えている。
「その魔法は……!」
歯を食いしばる。
「私と姉様だけのものだ!」
怒りが混ざる。
王族としてではない。
もっと私的な叫び。
「母上から継いだ、王家の炎……!」
炎が荒れる。
「血を継ぐ者だけの魔法だ!」
黒百合は答えない。
同じ名を唱える。
同じ構造。
同じ圧縮。
完全に一致する術式。
だからこそ相殺できる。
それが何よりの侮辱。
セインの瞳に剥き出しの感情が宿る。
嫌悪。
焦燥。
恐怖。
「やめて」
炎が揺らぐ。
「使うな……それは私たちのものだ!」
“私たち”。
その言葉が胸を軋ませる。
だが止まらない。
止められない。
身体が覚えている。
炎の組み方を。
⸻
やがて。
セインの魔力が変質する。
収束。
圧縮。
空気が震える。
背後に二重の魔法陣。
炎の紋様が重なり、回転する。
「……認めない」
声が沈む。
「奪わせない」
魔力が爆発的に膨れ上がる。
「焼き尽くせ」
両手を掲げる。
「イグニ・アグニ」
上位詠唱。
炎が変質する。
白熱。
蒼炎。
黒を孕んだ灼熱。
ただの破壊ではない。
王家の最終火。
発動まで、ほんの僅かな溜め。
黒百合は踏み込む。
石床を砕き、一直線に。
迷いはない。
いや――迷っている余裕がない。
「遅い!」
爆発。
屋上が崩壊する。
炎が砦最上階を吹き飛ばす。
石壁が弾け、
天井が消え、
瓦礫と業火が空へ舞う。
轟音。
白煙。
視界が消える。
⸻
静寂。
煙の中。
崩れた石の上に、セインが倒れている。
喉元に、刃。
短剣。
その柄を握るのは、黒百合。
砕けた仮面が足元に転がっている。
長い髪が煙に揺れる。
露わになった顔。
ツムギ。
セインの瞳が震える。
怒りではない。
別の感情。
「……センカ……お姉様……?」
掠れた声。
血に濡れた呼吸。
困惑と、願い。
否定してほしいという、微かな祈り。
ツムギの手が止まる。
その名。
胸が深く軋む。
知らないはずなのに。
否定できない。
なぜ。
なぜその響きが、痛い。
「どうして……生きて……」
セインの指がわずかに動く。
ツムギの外套を掴もうとする。
⸻
口が動く。
意志より先に。
「私の望む世界に」
声は静か。
「あなたの居場所はない」
それは理屈ではない。
拒絶。
自分を守るための線引き。
セインの瞳が揺れる。
理解。
そして、諦め。
短剣が沈む。
血が静かに広がる。
セインの瞳から光が消える。
炎は、もう生まれない。
⸻
風が吹く。
崩れた最上階。
ツムギは短剣を引き抜く。
その瞬間。
胸に鋭い痛み。
炎ではない。
魔力でもない。
もっと生々しい何か。
「……」
呼吸が乱れる。
――センカお姉様。
その言葉が残る。
なぜ否定できなかった。
なぜ怒れなかった。
なぜ、涙が出そうになった。
分からない。
だが確かに、
胸の奥に棘が刺さっている。
抜けない。
触れれば痛む。
血はまだ流れない。
だが深い。
ツムギは目を閉じる。
炎は消えた。
王家の炎も。
帝国の象徴も。
だが。
心の奥に芽吹いた棘は、
静かに、深く、食い込んでいた。
まだ名のない痛み。
だがいつか――
必ず裂ける。




