第十七章-砦の影-
砦の内部は、異様に静かだった。
外では流星のように炎が降っている。
だが石壁の内側は、凍るような沈黙。
それでも床は震えている。
天井から砂が落ちる。
遠くで爆音が反響する。
黒百合とロウドは廊下を進む。
血と煤の匂いが残っている。
巡回兵の姿はない。
――意図的に空けられている。
「……あの魔法」
黒百合が低く言う。
歩みは止めない。
「見たことはあるか」
ロウドは前を見たまま答える。
「直接はない」
短い間。
「だが知っている。帝国第三王女、セイン」
黒百合の胸がわずかに軋む。
「帝国魔法の象徴だ。広域殲滅を単独で行う」
淡々とした事実。
だがその意味は重い。
王族。
象徴。
天災。
黒百合は仮面の内側で息を整える。
安心する。
黒百合でいられる。
ツムギでは揺らぐ。
だが今は違う。
「……そうか」
それだけ返す。
だが胸の奥の違和感は消えない。
あの炎を、自分は“知っている”。
理屈ではない。
記憶でもない。
もっと深い、感覚。
⸻
角を曲がった瞬間。
金属音。
剣が抜かれる。
廊下の中央に、一人の男が立っていた。
白銀の鎧。
だが兜はない。
素顔を晒している。
整った顔立ち。
冷たい灰色の瞳。
戦場の焦りはない。
待っていた顔だ。
黒百合は即座に剣を構える。
だが。
「下がれ」
ロウドが前に出る。
黒百合の視界を遮るように。
わずかに驚く。
ロウドが前に出ることは珍しい。
「……時間を使うな」
視線は男から逸らさない。
「奥へ行け」
命令ではない。
判断。
黒百合は一拍だけ止まる。
砦の奥から感じる、あの炎。
呼ばれているような感覚。
剣を握り直す。
「任せる」
それだけ告げ、横を抜ける。
足音を殺し、奥へ駆ける。
⸻
残された二人。
白銀の男が口角を上げる。
「随分と、情が深くなったな」
声は落ち着いている。
「ロウド」
名を呼ぶ。
ロウドの瞳がわずかに細まる。
「……アルベイル」
アルベイル。
帝国騎士団の中枢。
かつてロウドと同じ戦場に立った男。
互いに背を預けた時期もある。
今は、敵。
「王女殿下のもとへ通すわけにはいかない」
アルベイルは剣を構える。
隙がない。
「お前も知っているはずだ。あの御方が何を背負っているか」
ロウドは答えない。
剣を抜く。
金属が擦れる音が廊下に響く。
「背負うものがあるのは、あいつも同じだ」
短い言葉。
それ以上は言わない。
⸻
外で爆音が響く。
炎が落ちる。
砦が揺れる。
だがこの廊下だけは、別の緊張に包まれている。
アルベイルは薄く笑う。
「変わらないな」
「お前もな」
剣が交わる。
火花が散る。
その衝突音が、砦の奥へと響いた。
⸻
黒百合はまだ知らない。
背後で始まった戦いが、
ただの足止めではないことを。
過去が、刃として向き合っていることを。
そして――
砦の最奥。
炎の主が、
彼女を待っていることを。




