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十五センチメートルの差

作者: 有坂瞬
掲載日:2025/11/08

 コロナウイルスが蔓延する真っ只中。

地元の自称進学校に入学して、2カ月ほどが経った。

僕は、バドミントン部の体験入部期間を終え、程なくして正式にその一員となる。

 

 君も、そこにいた。

 

 君に初めてかけられた言葉を、今でも覚えている。

新入部員だということもあり、体育館の入口の廊下で体幹のトレーニングしか許されていない時期。

プランクを終え、水分補給をしようとすると、君と目が合う。


 「もやしみたい」


 後に聞いた話では、僕の肌があまりにも白く、その上に体が小枝のように細いと思ったとのことだった。

 

 君は、女性の平均身長よりもかなり小さく、また少しふっくらとしている。

マスク越しに覗く目は鋭く、小松菜奈をほんの少しだけプレス機で圧縮したような顔つき。

髪型は普段はボブで、部活の時だけは髪を後ろで結んでいる。

クラスは隣だったが、基本的に会話を交わすことはなかった。

もやしという一言を聞いただけで、君が毒舌で、思ったことをそのまま発してしまう性格だと察する。


 君の声を聞いたのは、その一度だけだった。

ある時、部活で最初にできた友人である松本が、


 「俺の気に入った友達だけを集めて遊びに行くから」


と言って、僕を誘った。

僕はこの男の持つ莫大なエネルギーに恐れ慄きつつ、高校に入学してから一度も外に遊びに行ったことがないことを思い出す。

せっかくの機会だし、行ってみよう。


 集合場所のお台場に行くと、皆改札前で既に合流していた。

女四人と僕と松本という構成を見て、松本の女好きの程を知る。

その中に、またあの目つきの鋭い女がいる。

女四人が先陣を切りジョイポリスに向かう中、僕は松本の隣にぴったり付き、彼と彼女らの会話を眺めるだけ。

来たことを、若干後悔した。 


 数分で到着し、早速入場する。

コロナ禍ということもあって、人も少なかった。

最初に、謎の球体の前に連れてこられる。

どうやら二人乗りのもので、それが激しく回転するのを楽しむものらしい。

若い男女の悲鳴が聞こえてくる。


僕のペアは、あの毒舌の女になった。

自身の悪運を恨む。


 アトラクションが激しく動く中で、君は僕があまりにも無反応なのが面白かったようで、ニヤつきながら、


 「君ってもしかしてつまらない人?」


と聞いてきた。

僕はそれを否定するかのように、叫んだ。

君の笑顔は確かなものになった。


 それからも沢山のアトラクションに乗ったと思うのだが、記憶には残っていない。

どんな会話を交わしたのかも。


 数ヶ月が経ち、シャトルを使った練習もできるようになった頃。

松本から連絡が来る。

また、誘われてしまった。

この男は僕をだしにして部活内の女を食い荒らそうとしているのかと一瞬疑った。

だが普段の様子を見るに、ただ人と関わるのが上手いだけのように思えた。


 数日後、浅草の雑踏の中をまた六人で歩く。

雷門の前で通行人に集合写真を撮ってもらい、仲見世通りの適当な店で軽食を取る。


 店を出てからというもの、いつも隣にいたはずの松本が、何故かあの女と入れ替わっており、しつこく話しかけてくる。

僕は質問の乱射を浴びせられ、身体中が穴ぼこだらけになった。


 そうしていると、気づけば他の四人とはぐれている。

君はそういうことも気にしない性格らしく、彼らを探すこともしようとせずただ浅草の路地裏を進んでいく。

もう、君の言いなりになるしかなかった。



 なんとか君を説得し、彼らと連絡を取り、合流する。

彼らの方も僕たちとはぐれたことを気にしていなかったらしく、勝手に楽しんでいたようだ。

まあ、こちらもそれは同じことだが。


 それから数ヶ月間は、部活に打ち込んでは課題を遅れて提出する、ということを繰り返していた。

その間、一度だけ君から連絡が来た。

どうやら、LINEのプロフィールに設定できる音楽を、僕と同じものにしたという。


「琥珀色の街、上海蟹の朝」


僕は、その音楽を今も変えていない。


 それから、例の六人グループから二人が省かれた。

残ったのは、僕、松本、椎名、そして君。

この四人で部活終わりによく、高校の目の前の商店街にある大戸屋で食事を取るようになる。


 椎名という人物は松本のようによく喋り、君のように思ったことをそのまま口にする性格だ。

ただ、その思考回路が幼稚かつ純粋なもので、君とは全く違う、優しく素直な人だった。

僕の飛ばした下らないジョークで皆が静まり返っている中でも、椎名だけはその空気に耐えられず、噴き出す事が多かった。

しかしあまりにも幼稚すぎるため、直接会話をしてみても、成立しないことの方が多かった。 

一方、松本は椎名と相性が良かったようで、二人で遊びに行ったりしていたらしい。

残された二人は、特に今までと変わらない生活を送っていた。


 夏休みに入り、皆は本格的に部活に打ち込むようになる。

高校近くの小学校の体育館を借り、午前と午後に分けた二部練習が始まる。

基本的に午前中は大会メンバー、午後はそれ以外の人たちが参加していた。

僕達四人は全員、午前中の練習に参加させられており、普段より人数が減ったこともあって、会話を交わす機会が自然と増えた。


 その間に、僕と松本はペアを組み、東京都の大会でちょっとした結果を残した。

 女性陣も奮闘し、皆、好成績を収めていた。


 夏休みも終わりかけの頃、練習終わりに四人で歩いているとき、松本が言った。


 「四人で温泉でも行かないか」


 僕は、こんな真夏に温泉に行くなどという提案を聞き、この男の脳みそは体育館の熱気で焼き切れてしまったのだろうと思った。

他の二人も同じようで、僕の反対意見は受け入れられず、その計画はどんどん進められていった。


 一週間後、お台場の駅前。

君だけが遅刻してきた。

久しぶりの私服姿を見て、君が以前より綺麗になっていることに気づく。

少しふくよかだった身体の肉は、夏休みの練習でそげ落ち、バランスが良くなっていた。

メイクも洗練されていて、最初に目を合わせた時に感じた鋭さを内包したまま、優しそうな印象を与えてくる。


 目的の大江戸温泉物語に到着し、早速入館する。

館内はお祭りをイメージした装飾が多く、そういえば夏らしいことをまだしていなかったことに気づく。


 男女二手に分かれ、温泉に入る。

 僕たち男性陣は練習の疲労がたまっていたようで、特に会話もせずに湯に浸かった。


 浴衣に着替えて女性陣と合流する。

僕を除く三人はよく似合っていたが、特に君の浴衣姿は破壊力抜群だった。

よく見ると、いつの間にか髪も伸び、後ろで結んで見事なポニーテール。

触覚なんかも作っていた。


 軽食を取り、一人でベンチで休憩していると、君が僕の前の床に座り込み、こう言う。


 「紫」


 「何の話?」


 「パンツ、見えてる」


 「そう」


 「帯、結び直せば?」


 「もっと見ておけば?」


 「見るに堪えない」


 仕方なく、帯に手を掛ける。

僕が苦戦している間に、君は隣に座り込む。

それも、かなり近くに。

浴衣越しに君の体温が伝わってくる。

君が意識してそうしているのかは、僕にはわからない。


 「手伝おうか?」


 「いや、猫の手は借りたくない」


 「そう」


 そんなことをしていると、残りの二人が僕たちを見つけたようで、こちらにカメラを向けてくる。

君は僕に密着したまま、ピース。

僕もそれを真似る。


 それからは館内にある屋台を巡り、お祭り気分を味わう。

そこで僕は自分でも思いもよらなかった射的の才能を発揮し、一等賞を取った。

ただ景品には興味がなく、三人に何か欲しいものがないか尋ねる。

君が指差した先には、ペット用の給餌皿。

三等賞だった。

そういえば、僕も君も猫を飼っている。

今思えば、君はとてもよく猫に似ている。

店主に了承を取り、その皿を受け取り、君に渡そうとする。


 「いらない」


 「どうして?」


 「猫の手は借りたくない」



 僕は、1日中その景品を抱えながら過ごした。


 帰り際、売店で「I ♡ TOKYO」とプリントされているTシャツを見つける。

みんなもそれを手に取り、レジへ。

松本の提案で、浴衣から着替える際にその服を仕込んでおく。


 退館し、僕がみんなで写真を撮ろうと呼びかけると、椎名が突然、着ていたブラウスをまくり上げる。

どうやら、あちらも同じ事を考えていたみたいだ。

通行人に、東京を愛する四人の男女の姿を撮ってもらい、帰路につく。


 電車内で、珍しく君から連絡が来る。


 「さっきの、私の提案じゃないからね」


 椎名の考えたことだと分かりきっていたが、僕はこう送る。


 「なんだ、ようやく僕のセンスについてこれたのかと」


 と送ってみる。


 「たしかに、夏にはちょうどいいかも」



 それから二週間ほど、僕たちはスマホの画面上で頻繁にやりとりをしていた。

夏休みも終わり、君は次期部長に選ばれる。

これで、僕は彼女に逆らえなくなった。

もとより、そうだったが。


 最近、息を潜めていたコロナウイルスが、また猛威を振るい始めた。

部活も、夏休みのように二グループに分かれて練習をするようになる。

そのため、元々どちらも練習があった土日の片方が休みになる。

君は、休みが被ったら一緒にご飯に行こうと誘ってきた。

部長命令なら、仕方ない。


 すぐにその時は訪れる。

川崎駅で集合して、電車で夢見ヶ崎動物公園へと向かう。

元々動物が好きだった僕は、小さな動物園ではあまり刺激がないと思っていた。

実際には珍しい生き物が多く展示されていて、僕は一人で興奮していた。

君はというと、終始眠たそうな顔をしていたため、園内のベンチで休憩することにした。


 「つまらなそうだね」


 「最近、面白い動物と喋りすぎたのかも」


 「じゃあ、僕が展示されてくるよ」


 「ここは、刑務所じゃない」



 動物園を出て適当に歩いていると、河川敷がある。

細い川の周りに、背の高い植物が生い茂っている。

はっきり言って、雰囲気のあるところではなかった。


 君は突然、


 「歩くの、好きなんだよね」


 僕は、


 「わかりました」


 川の流れに沿って歩き続ける。

ずっと抑揚のない会話を続け、気づけば三時間が経っていた。

流石に空腹を感じてきたので、河川敷を離れて町に出る。

一番近かったのがサイゼリヤだったので、そこに入る。


 食事をとっていると、松本から電話が来る。

どうやら部活が終わったようで、飯にでも誘うつもりだろう。

君に視線をやりながら、スマホを耳に当て、君にも聞こえるように、スピーカーをつける。


 「暇だろ?」


 「たしかに暇かも」


 君は、わざとらしく口を尖らせる。


 「たしかに?」


 「今、飯食ってるから」


 「家で?」


 「外で」


 「誰と?」


 君は、首を横に振る。


 「友達」


 「ああ、そういうことね、俺達が必死に汗水垂らしてたのに」


 君は、顔を手で覆う。


 「いや、それは僕も同じだよ」


 そう言って、電話を切る。

君は、覆っていた手から顔を覗かせ、わかりやすく赤面していた。


 「恥ずかしいことなの?」


 「恥ずかしい」


 「どうして」


 「ばれちゃう」


 「何が?」


 「秘密」


 この秘密というのが、僕達二人の秘密を指しているのか、あるいは答えを教えないという意味での秘密なのか、僕にはわからなかった。

君はコップを手に取り水を飲み、続けざまに言う。


 「どうして来てくれたの」


 「デートに?」


君はこの単語に慣れていなかったのか、また赤面する。


 「うん」


 「後で教える、というか、もう分かってるでしょ」


 「まあね」


 君の珍しい一面を見たあと、もう日が暮れていることに気づく。


 「帰ろう」


 「さっきの答え」


 「帰りながら、教えるよ」


 店を出て、駅に向かう道中、君はずっと落ち着かない様子だった。


 「そんなに気になるの」


 「うん、早くして」


 「じゃあ、付き合おう」


 君はその言葉を聞いて、一瞬立ち止まり、


 「私でいいの?」


 目には、涙が浮かんでいた。

それでも、僕の目をしっかりと見て聞いてくる。


 「いいよ」


 「実感が湧かない」


 「猫の手も借りたい?」


 君は何も言わずに手を差し出してくる。

僕もその手を取って、強く握りしめた。

途端に、僕も君と付き合ったのだという実感が湧き始めて、視界の端が滲む。


 しばらく無言で歩いていると、君が聞く。


 「身長、何センチ?」


 「百七十一・五」


 「ちょうど、十五センチ差」


 「何か意味があるの?」


 「手、繋ぎやすいんだって」


 無言で歩き続け、駅に着く。

改札の前で君は僕の手を振りほどき、ハンカチを差し出してくる。


 「手汗、やばかったでしょ」


 「別に」


 そう言いながら受け取ったハンカチは、すでに湿っていた。



 君と付き合って一週間が経った後。

部活が休みの木曜日、学校終わりに制服のままデートに出かけた。

場所は覚えていないが、ビルが立ち並ぶ街並みで、スーツを着た社会人が多いところだった。

特に何をしたわけでもないが、途中で君が、


「腕、組んでいい?」


 と初めて自分から言ってきた。

オフィス街の中を、腕を組みながら歩いている制服の高校生の男女。

その姿は、目立っている。

自分達でも、それは分かっていた。

でも、少なくともあの瞬間は僕達が主役になっていた。

優越感に近い感覚を覚えていた。


 十月下旬、肌寒い風が吹き始めていた。

僕達が付き合ってからというもの、松本と椎名は気を遣ってか、四人で集まろうと提案してくることはなかった。

二人は誕生日がこの時期で、たったの九日違いだったため、君はプレゼントを同じ日に交換しようと言った。

僕は何をあげようかとずっと悩んでいたが、マフラーをあげることにした。

手編みのものを作ろうかとも考えたが、自分の手先が酷く不器用なのを思い出す。

青と緑のチェック柄を選んだ。

理由は、色言葉というものがあるらしく、青色には「誠実」や「信頼」、緑色には「癒やし」、「成長」という意味だそうだからだ。

君にぴったりだ。

何より、派手な色は君に似合わないとも感じていた。


 十一月の頭。

朝練の前に、高校の前のバスロータリーにあるベンチで、プレゼントを交換した。


 君は紙袋を差し出しながら言った。


「これ、かわいいから似合う」


 ブラウンのワンポイントが入ったトレーナーをくれた。


「僕のこと、かわいいと思ってたの?」


「思ってない」


 僕も、例のマフラーを渡す。


「これ、かわいいから似合う」


「私のこと、かわいいと思ってたの」


「思ってた」


 君は、笑みをこぼした。


 二日後に、君は写真を送ってきた。

僕のあげたマフラーを巻いている君と、君のクラスのマドンナが写っているものだった。

まあ、君のほうが圧倒的だったが。


 この頃から、受験勉強も本格的に始まり、部活終わりは高校の生徒が利用できる会館で勉強をするようになった。

僕も君も、クラスの友達を連れて机に向かっていた。 

君はどうやら、僕達が付き合っていることをあまり知られたくないらしく、基本的にはデートの時以外は直接話せなかった。

いつも君の方が先に集中力が途切れて、先に帰っていたのだが、その時にだけ


「ばいばい」


 と声を掛けてくれた。

正直なところ、勉強のためというよりかはそのために通っていた。


 一週間が経ち、久しぶりのデート。

場所はまたもお台場。

君はどれだけ同じ場所に思い出を作れば気が済むのかと思ったが、チームラボというデジタルアートの展示が行われている場所に行きたいらしい。

君の父親が映像関係の仕事をしていることもあり、興味があったとのことだ。


 行きの電車で同じ車両に乗っていることがわかったので、そのまま合流した。


 チームラボの中には、若い男女の二人組しかいなかった。

それが僕達と同じカップルなのかは分からないが、誰もがスマホを手にシャッターを切っていた。


「私たちも撮ろう」


 そう言う君に促され、僕たちも沢山写真を撮って回った。

 すぐに見せてもらい、僕は率直な感想を述べた。


「十五センチって意外と大したことないんだね」


「今日、ヒール履いてるの」


 少し、胸の痛そうな表情をしていた。

僕が、君のことをきちんと見ていないと思われた気がした。

いや、たしかにその通りだった。


 エッグスンシングスで少し遅めのランチを食べている時、君が言う。


「私のどこが好きなの」


 一番最初に思い浮かんだのは「全部」という言葉。

これは真実だったが、そのまま口にしてしまえば「何も見ていない」と捉えられてしまうと思って、言葉を飲み込んだ。

それからすぐに、自分ならどう言われたら嬉しいかを考えた。

自分のことが好きなところ−−これだと直感した。

何故なら、そう言ってくれる人であれば、好きでさえいれば離れることはないという、本当に自己中心的な考えからだ。


「僕のこと、好きなところ」


 その答えを聞いた君の表情を見て、自分のしてしまったことに気づいた。

これでは、君のことを何も見ていないどころの話ではない。

顔とか身体とか、せめてそう言ったほうがマシだったんじゃないか。


「そっか」


 少し間が空いて、そう聞こえてきた。

嘘をついてしまった。

しかも、傷つけないためのものではなく、その真逆の。

今でも、それは心残りになっている。


 君の気分を害してしまい、午後六時頃には駅へと向かい始めていた。

橋の上で、いつものように手を繋げば、少しは君も安らぐだろうと思った。

けれど、それは君が僕のことをまだ好きでいてくれたならの話だ。


「手を繋ごう」


「ほんと、手繋ぐの好きなんだね」


 険しい声色だった。


 

 その場で謝る事はできずに、後日ようやく本当のことを伝えた。

本当は、君の全てが好きなのだと。

帰ってきたのは、親指を立てたスタンプだけだった。

別れを予感したが、意外にもそれは、すぐには訪れなかった。 


 一週間後、文化祭。

コロナ渦の影響で、体育館で高校生の作ったつまらない映像作品を見せられるだけのものだった。

上映が終わった後、君のクラスに向かい、真っ先に謝った。


「ごめん」


「私も怒りすぎた」


 どうやら僕とのことを女友達に相談していたらしく、君にも非があると伝えられたそうだ。


 その後、通りかかったバドミントン部の顧問に二人の写真を撮ってもらった。

そこに写る君の笑顔は、屈託のないものだった。


 同じ時期、僕は部活を休みがちになっていた。

フォームを崩してしまい、思うようにシャトルを打ち返せなくなったため、大会メンバーからも外されてしまったのだ。

それまで、部活というものには唯一、真摯に向き合っていた自信があった。

家でもトレーニングをしていたし、練習も休まなかった。

君は部長という立場から周りをよく見ていたようで、僕の努力を知っていた。

そういうところが好きだとも、言っていた。


  数日後、廊下でたまたますれ違った後輩から思いもよらないことを言われた。


「部長と付き合ってるんですか?」


 真っ先に浮かんだのは、君の顔だった。

君は、僕たちが付き合っていることを知られたくない様子だった。

理由は分からない。

僕が端から見て少し変わった人なのだからか。

あるいは、部長という立場で部内恋愛をすることに後ろめたさを感じていたのか。

もしかしたら、その両方だったのかもしれない。


 君に直接その事実を伝えることはしなかったが、部内では既に噂になっていた。


 年が明けて、凍てつくような寒さになった。

二人で、新宿へ行く。

新宿御苑でピクニックをして、珍しく真面目な話をした。


 君の方から、問いが飛んでくる。

 

「将来の夢は?」


「公認会計士」


「なにそれ」


「国家三大資格」


「野望"は"大きいんだね」


「君は?」


「映像関連」


「チームラボか」


「そういう感じ」


「僕の顔も大きく映し出してくれ」


「君の顔は、芸術性がない」


 久しぶりに、君が破顔しているところを見た。

その瞬間だけは、少し離れていた距離が、元に戻った気がした。


 それから一ヶ月程、僕は部活に参加する頻度もまちまちで、勉強も身が入らなくなっていた。

一方で君は、部長として部をしっかりまとめあげ、例の会館にも毎日通っていたらしい。

初めて、君と自分を比較してしまった。

今までは、対等な関係だと思っていた。

けれど、そう思えなくなっていた。

君は僕の努力するところを素直に認めてくれていたのに、僕は逆の立場になってそれを羨んでしまった。


「僕のところが好きなところ」


 あの時言った言葉は、もしかしたら、本心だったのかもしれない。


 それから連絡の頻度も少なくなっていった。

たまに交わすやり取りも、どこか淡白だった。

僕はそのことが気がかりで、何にも集中できなくなっていった。


 二月の初め。バレンタインの二週間前。

僕たちは制服のまま明治神宮を参拝しに行った。

君は、僕のあげたマフラーを巻いていた。

その日の空気は、どこか重苦しかった。

事前に「大事に話がある」と伝えられていたからだ。


「なんで、私の悪いところまで見てくれないの」


何を言っているんだ、そう思った。

君は、勉強も部活も、恋愛も、全てに真っ直ぐ取り組んでいるじゃないか。

結果も出しているし、僕の目には君の悪いところなんてどこにもなかった。

そう、伝えればよかった。


「僕と比べたら、頑張ってるよ」


 君は、何も言わなかった。

 

 しばらくして、静かに口を開く。


「やっぱり、私のことは見てないんだね」


 その通りだった。

僕は最初から、自分のことしか見えてなかった。

認められることだけを求めて、君のことを見ようとしていなかった。

 

 何も言えずに顔を見上げると、君は大粒の涙を流していた。


「どうして、泣いてくれないの」


 その言葉に返すことができず、視線を逸らす。

しばらく歩いた後、君が少し落ち着いてきたようで、僕たちは近くのベンチに腰を下ろした。

 

 しんとした空気の中で、君がぽつりと口にする。


「私と、なにをしたいの」


 頭に浮かんだのは、「一緒にいたい」という一言だけだった。

わけが分からなかった。

君のことを何も見ていないのに、それでも好きなのか。


「ずっと一緒にいたい」


 気づけば、自分の目からも涙が零れていた。


「なんで、今泣くの」


 そう言う君の目は、出会った頃よりもずっと冷たかった。


 数日間連絡も取っていなかった。

クラスの友人に誘われ、大井町の映画館へ向かう。

名前を覚える価値すらない駄作だった。

−−いや、今の自分の置かれている状況が、そう感じさせたのかもしれない。


 家に着くまで、残り数十メートルというところで、スマホが震えた。

君からの着信だ。

話の内容は、聞かずとも分かっていたが。


「どうしたの?」


「別れたいから」


「理由だけ聞いてもいい?」


「好きじゃなくなったから、決まってるでしょ」


 電話が切れる。

僕は、その場に立ちすくんだ。

泣いていたのかも、分からなかった。


 次に君の声を聞いたのは、二ヶ月後のことだった。

体育祭の団長団に、君は立候補していた。

また、嫉妬してしまった。

同時に−−君はもう、自分のことを引きずっていないのだとも思った。


 僕は、君を引きずったまま、七月を迎える。

体育祭で輝いていた君の姿が、頭から離れなかった。

部活でも調子が戻ることはなく、引退した。

勉強にも身が入らない。

塾の帰り道、このままではいけないと思って君に電話をかけた。

本当のところは、もしかしたら時間が僕を許してくれているかもしれない−−そんな期待もあった。


「何?」


「やり直したいんだ」


「それは、友達として??」


 言葉に詰まる。

 確かに、友達としてならまた、君と関わるれて、全て解決するのかもしれない。


「いや、復縁をしたい」


「無理」


 電話は、それきり繋がらなかった。


 月日が経ち、大学受験の結果が発表された。

僕は共通テストの結果を受け、第一志望の大学を諦め、地方の国公立大学へと進学することになる。


 その時期、クラスでは進路の話題が飛び交っていた。

誰がどこに受かったのか、そんな話が毎日耳に入ってくる。

そして、君の名前も聞こえた。

−−僕と、同じ大学だ。

もう、君のことを忘れようとしていたのに。そのことを知った瞬間、胸の奥がざわめいた。

また会えるかもしれないという淡い期待と、復縁を試みて同じ大学を選んだのだと思われる憂慮。

その二つが、僕の心をゆっくりと蝕んでいった。


 大学に入学して、一ヶ月が経った。

バドミントンサークルの新人歓迎会で、居酒屋の一番端の席に案内される。

その日知り合った同学年の男たちで卓を囲んだ。

どうやら、皆すでに酒を飲んだ経験があるらしい。

悪い事だとは分かっていたが、ぼくも雰囲気に飲まれてレモンサワーを流し込む。

不味い。

どうやら酒には少し耐性があったようで、周りのテンションにはついていけなかった。


 間が悪くなり、尿意を催したと嘘をつきトイレに逃げ込もうとする。

座敷の縁に立ち、靴入れからスリッパを取り出すその時−−

十五センチメートル下方から、聞き慣れた声が聞こえた。


「久しぶり」


 君だった。

 酒を飲んでいたのかも分からない。

けれど、微笑みながら僕に話しかけてくるその顔は、初めて出会ったときと同じだった

その瞬間、「君の好きなところ」が笑顔だということを、初めて理解した。

僕はおそらく、満面の笑みを浮かべていたのだと思う。


「お久しぶりです!」


 君も僕と同じように笑いながら、一瞬だけ僕の肩に手を置く。、

そして、僕たちの席とは反対側へ歩いて行った。


 その日は、口が回った。

今までの憑き物が落ちたかのように。


 それから、君のことを考える時間は少なくなった。

夏に、講義で出会った地雷系の女とディズニーに行ったりもした。


 秋。部活の同窓会が開かれた。

世田谷にある顧問の家に、一時間程遅刻して到着すると、懐かしい顔ぶれが揃っていた。

君は、キャミソールの上からレースのトップスを羽織っていて、大学生活を満喫しているのが一目でわかった。

 

 そこでは、君と直接話すことはなかった。

代わりに、椎名と松本と少しだけ言葉を交わした。

どうやら椎名には、一つ上の彼氏ができたらしい。

ようやく椎名の良さが分かる男と出会えたのか、と思ったが、なんとなく失礼な気がして口には出さなかった。

松本はというと、相変わらずのコミュニケーション力を駆使して人間関係を広げているらしい。

僕が躁鬱を患い、普段家に引きこもっていることは、言えなかった。


 二次会のカラオケに向かう途中、僕は自然と一人になる。

皆の話を聞くたびに、心の奥の傷が少しずつ広がっていくからだ。

数メートル前の集団から君が離脱して、僕の隣へ歩み寄る。


「元気ないね」


 君は、僕のことを今もよく見てくれていた。

 君には、話そう。 


「躁鬱になったんだ」


「やっぱり、変だと思った」


「よく、わかったね」


「もともと変だったけど」


「失礼な」


「相談、乗るから」


「ありがとう」


 そして二人早歩きで、前の集団に追いつく。

 

 カラオケでは全員で合唱コンクールで歌った曲を歌ったり、思い思いに楽しんでいた。

僕も、何度か歌ったが、声が大きすぎるという理由で歌唱中に強制終了させられたりもした。 


 年が明けて一ヶ月が経ち、高校の同窓会が開かれた。

僕は生活習慣が乱れていたため、クラス単位で行われた二次会からしか参加できず、君と再会することはできなかった。

しかし、その場で出会った同級生の女子と意気投合し、いつの間にか付き合い始めていた。

彼女はとても明るく面白い人で、僕もその影響を受け、生活に少しずつ張りが出てきた。

  

 付き合い始めて二ヶ月程が経ち、二人の距離感も少し落ち着いてきた頃、ふと高校時代の四人グループのことを思い出した。

数日間悩んだ末、今の彼女に確認を取った上でまずは椎名と松本に連絡をすることにした。 

椎名を先に選んだ理由は、自分に彼女がいるのに、君に直接連絡することを憚ったから。

椎名は待ってましたとばかりにすぐに返事をくれ、君にも連絡をしてくれた。

松本も、当たり前かのように僕の誘いを了承してくれる。


遅れて、君からも「前から集まりたかった」というメッセージが届き、胸を撫で下ろした。

すぐに予定が決まり、春休み中に集まることになった。 


 三月が終わろうとする頃、遅刻した僕と椎名は、池袋駅前で集合し、君と松本が先に入っている居酒屋へと向かった。

二人とも方向音痴だったので、池袋の路地をあらゆる方向に回り尽くし、ようやく到着する。

扉を開け、店内の喧騒を少し進むと、君たちは並んで座っていた。

僕たちは遅刻を謝りながら、向かいの席に腰掛け、会話に加わる。


 二人は既に酒が回っていたようで、近況について色々と話していたらしい。

どうやら松本には同学年の綺麗な彼女ができ、椎名も大学に入ってできた彼氏とまだ恋仲を続けているらしい。

君には、バイト先で知り合った六個上の彼氏がいるらしい。

僕も同窓会で再開した同級生と付き合い始めたばかりだった。

よく全員のパートナーがこの集まりを了承してくれたな、と思いつつそれぞれの大学生活について語り合う。

その最中、君が突然、椎名が最近浮気をしたということを話し始める。

僕と君は大して気にしていなかったのだが、松本は昔から浮気する人間を嫌悪していたため、強く糾弾する。

僕は、椎名の繊細さに気づいていたため、「これは不味い」と思ったが、時すでに遅し。

椎名は無言で席を立ち、トイレへ向かう。 

残された三人で、椎名と松本どちらに責任があるのかという議論を交わしていた。

浮気をしたのだから被害者面をするほうがおかしいという松本。

別に、端から見れば人間味があって面白いからそこまで言う必要はないという僕と君。

そうしていると椎名が取り繕った笑顔のまま戻ってきた。

もうその話題には触れずに、飲み放題が終わるまで談笑した。


 八時頃、居酒屋を出る。

椎名と君が少し先を歩き、松本と僕はそれを追う形になる。

椎名は居酒屋で松本に言われたことを気にしているようで、君が慰めるように寄り添っていた。

僕は松本の意見が真っ当なものだと思っていたので、口を挟まなかった。


 数分歩き、前の二人が駅の方向に向かっていることに気づく。

池袋駅前の横断歩道で赤信号に止まり、ようやく二人に追いついた。

僕は椎名に「そこまで気にすることでもない」と伝える。

椎名は単純なところはで、すぐに表情が明るくなった。

久しぶりの四人の再会なのに、これだけの時間しか語り合えずに解散するのは物寂しい。

そのままの勢いに、二軒目かカラオケに行かないかと提案してみる。


 すると君が、


「私達も帰りたくなかったの」


松本も同じことを思っていたようで、


「いっちゃいますか、カラオケ!」


 椎名も、微笑みながら頷く。


 酒を買い足してから自分たちの案内された部屋に入る。

松本と僕が時たま歌い、酒も回って盛り上がっていった。

すると君が僕の方を見つめながら、


 「私も酔ってきたから」


と言ってタッチパネルを操作し曲を入れる。

プロジェクターに映し出された曲名を見て、息を呑む。


−−「別の人の彼女になったよ」


 歌い始めてからも、君は画面の歌詞を見ず、ずっと僕の方を見ていた。

その眼差しは、いつもの僕をからかったようなものではなく、真剣で、少しだけ寂しげだった。

もし歌っていることが本心なら、君は今の彼氏との穏やかな生活の中でも時々、僕を思い出しているということになる。


 僕も−−同じだった。


このまま聴き入っていては、また君の魔力に取り憑かれてしまう。

そう思い、僕もマイクを手に取り自慢の声量で必死に君の声をかき消そうとした。

それでも君は、笑わず、ただ僕を見つめていた。


 終電に間に合うよう、慌ててカラオケを出る。

駅で松本と椎名と別れ、また二人になる。

改札を抜け、山手線に乗り込む。

席に座ると、君との差はいつもより縮まった。


 君は、今度はいつもの笑みを浮かべながら、ふと口を開く。


「もし、私達が両方とも別れたらさ」


 何を言い出すのかと、少し身構える。


「うん」


「君の家、行くね」


 また、僕をからかっているのか。

それとも、本気で言っているのか。

君の笑顔はいつも通りだが、その下に隠されている本心は、僕には見えない。


 逡巡した末、僕は答える。


「別れたら、ね」


「当然」


「でも、今のままの方がいいよ」


「そうかも」


「幸せになってね」


「彼女さん、大事にしてね」


 電車は新宿駅に着き、君は電車を降りる。

僕は君のことを目で追ってしまったが、こちらを振り返ることはなかった。

きっと、今のはただのからかいだったのだろう。


 六月に、彼女と別れた。

理由は決して君が理由ではなく、僕の鬱症状に彼女が耐えられなくなったからだ。


 そして、夏休みがやってくる。

といっても、その頃の僕は大学に通っていなかったので、あまり関係なかった。

そんな時、君からインスタグラムのダイレクトメッセージが届く。


「留学行ったの?」


 僕の大学では学生全員が必須で留学に行かなければならない。

そういえば君はこの時期にオーストラリア留学に行くと言っていた。

何か相談があるのだろうか。


「行ってないよ、どうして?」


「ただ、気になっただけ」


 少し会話を交わした後、君は今オーストラリア留学を満喫していることを教えてくれた。


 最後に君は一言だけ送ってきた。


「色々、頑張ってね」


「そっちもね」


 それを最後に、返信は来なくなった。


 ふと、君のアカウントのアイコンをタップし、ハイライトを見る。

半年ほど前の投稿、君は北海道に行ったようだ。

雪景色の中、スマートフォンを構え自分と向き合っている君の首には、あのマフラーが巻かれていた。


 僕も、君も、決してお互いを恋愛対象としてみているわけではない。

ただ、高校三年生の夏の夜に間違えた選択を、君がそっとやり直させてくれたのだ。

僕達はこれからも集まることになるだろう。

もしかしたら、君が本当に僕の家を訪れるかもしれない。

そのときは、恋人ではなく、ただの友達として。


 ほんの、十五センチメートルだけ離れて。

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