第2話「高校生クイズの邂逅― KOUHとHikari、そしてFOXが運命的に出会う ―」
まだ真夏の熱気が残る八月末、全国高等学校クイズ選手権――通称「高校生クイズ」の地区大会は、炎天下のスタジアムで行われていた。
開成高校3年、森下玜介(KOUH)は白い制服の襟元を緩め、眼鏡越しにステージを見据えていた。知の戦場。それは、彼にとって初めて“心が震える”ほどの戦いだった。
――隣で同じくステージを見ていたのは、洛南高校3年の孤咲東助(FOX)だった。
「お前、フランス語話せるってほんと?」
唐突な問いに、森下は振り返る。
「え? ああ……うん。ドイツ語も少し。けど、それが何か?」
「いや、なんとなく。それ、クイズじゃ反則だろ」
どこか突き放すような口調に、森下は思わず笑った。
「じゃあ、君は?」
「俺? 英語と……野球のサインくらいなら読める」
そう言って、東助は肩をすくめる。
この大会には、全国の天才たちが集まる。だが、彼らのように“天才であること”を鼻にかけない者は少なかった。だからこそ、この出会いは特別だった。
やがて予選が始まる。
問題が読み上げられるたび、両者の手は迷いなく挙がり、答えが正解と発表されるたびに、彼らはお互いの目を見て、静かにうなずいた。
そのときだった。
「長崎西高校! 中埜光莉(Hikari)さん、正解です!」
控えめな歓声のなか、女子の名前がコールされた。観客席の遠くからでも、その凛とした姿が目に入った。長い髪をひとつにまとめ、白いセーラー服に日傘を差す彼女の横顔には、不思議な自信と気品があった。
森下は息を呑んだ。
その視線に気づいたように、彼女がふとこちらを見て微笑む。
――それは、森下にとって「人生で初めて音が聞こえた」瞬間だった。
今まで学び続けたことに意味があったと、初めて心が震えたのだった。
一方、東助はその様子を見て鼻を鳴らす。
「惚れたな」
「……うるさい」
「言っとくけど、恋とクイズは両立しないぞ?」
そんな会話を交わしながら、彼らはそれぞれの道を歩き出す。だが、この日の出会いは、やがて“音楽”という運命へと繋がっていく。
3人は知らなかった。
数年後、医師と看護師と弁護士という肩書きを背負いながら、Zone STARZという名の“誰にも知られないバンド”を結成することになるとは――。
地区大会が終わり、彼らはそれぞれの学校へと戻っていった。
だが、決勝大会で再会することは、ほぼ確実だった。
数週間後――。
日本テレビ本社前に設けられた特設ステージ。全国大会の初日、開成・洛南・長崎西といった各地の強豪校が集うなか、森下玜介(KOUH)は人混みの中に立っていた。
「よう、開成のメガネ」
声の主は、やはり孤咲東助(FOX)だった。青いTシャツを身にまとい、無駄な熱意を隠すことなく近づいてくる。
「君も通ったんだな。やっぱり」
「ああ。そっちは?」
「当然」
彼らの会話は短く、だが妙にしっくりと噛み合っていた。
そのとき、再び彼の視界に、白い日傘の影が映る。
「……長崎西、か」
中埜光莉(Hikari)は、仲間たちに囲まれながらも一人だけ浮いているように見えた。彼女の瞳は何かを求めるように、まっすぐ前を見ていた。
そして、偶然か、必然か――その視線は再び、森下と交錯する。
「……やっぱり来てたんですね」
小さく、控えめな声。それでも、森下の胸の奥に、その声は真っ直ぐ届いた。
「ええ……あなたも」
わずかな会話。それだけで、世界が少し変わる気がした。
「中埜さん、って……理系なの?」
「はい。将来は、医療に関わる仕事をしたいと思ってます」
その言葉を聞いた瞬間、森下は自分の心が跳ねるのを感じた。
彼が医学部を目指す理由――それはこれまで「知性」だった。しかし今、初めて「誰かのために」という感情が芽生えた気がした。
その後も彼らは、それぞれのブロックで戦いを繰り広げた。
だが、決勝の舞台に立ったのは、偶然にもこの三人の属する学校だった。
そして――
「次の問題。『次のうち、メンデルが用いたエンドウマメの形質に含まれないものを選べ』……」
選択肢が読み上げられる前に、森下の指が迷わずボタンを押した。
ピンポン!
「正解!」
観客席からどよめきが起きる。
――彼はすでに、問題を「読む前に解く」領域に達していた。
だが、そのすぐ後――中埜光莉が、文系問題で誰も手を挙げなかった問いに、唯一人、立ち上がった。
「正解です!」
同じくして、孤咲東助は、時事問題と法律関連の難問に次々と答え、視界をさらっていった。
それは、まるで三人が一つの楽章を奏でているようだった。
静かに、だが確かに、音楽ではない“調和”が生まれはじめていた。
全国大会の決勝戦――そのラストステージは、東京・汐留の日本テレビ本社ビル最上階に設けられた、特別仕様のスタジオで行われた。
各校のトッププレイヤーが激突するなか、森下玜介(KOUH)、孤咲東助(FOX)、中埜光莉(Hikari)はそれぞれの得意分野で圧倒的な存在感を放っていた。
そして迎えた、最終問題。
「最終問題。『この出来事は何年に起こった?』。ある国の憲法が改正され――」
読まれる前に、孤咲の手が動いた。
ピンポン!
「1949年、ドイツ基本法の制定です」
「正解!」
洛南の勝利が決まった瞬間だった。
観客席からは歓声が巻き起こり、洛南チームの仲間たちが東助に駆け寄ってくる。だが、彼は微笑みつつも、ちらりと視線を横へやった。
そこには、森下と中埜がいた。
二人は勝ち負け以上に、自分が得た“何か”を噛みしめているようだった。
「強かったな、君たち」
孤咲はそう言って歩み寄ると、二人とがっちり握手を交わした。
「悔しいけど、楽しかった。初めてこんな気持ちになったかも」
「私も……高校生活で一番、熱くなれました」
そして、控え室――。
着替えを終え、帰り支度を始める中埜に、森下が静かに声をかける。
「……中埜さん」
「はい?」
森下は、どこか覚悟を決めたような目をしていた。
「将来、僕は医師になります。だから、またどこかで――必ず会いましょう。患者と医師じゃなくてもいい。医療のどこかで、あなたと並んで働きたい。……そう思いました」
その言葉に、中埜は一瞬、驚いたような顔を浮かべたが、やがて柔らかく微笑んだ。
「……私も、そうなれたらいいなって、思ってました」
照れくさそうに、しかししっかりと頷くその姿は、間違いなく森下の記憶に深く刻まれた。
「それじゃあ、また十年後」
「……もっと早くても、いいかもしれませんね」
二人は別々の道を歩き出した。
だがその先には、また必ず“再会”が待っている。そう信じられるような一日だった。
その頃――控室の隅。孤咲東助は誰にも言わず、静かにスマートフォンの録音アプリを起動していた。
「この日のこと、俺は忘れない。
でも、勝つことがゴールじゃない。
十年後、あいつらがどこで何をしてるか――
俺はそれを、弁護士として見届けてやる」
ひとりごちるようなその声には、少年の頃にはなかった“意志”の響きがあった。