第5話「孤独と旋律の狭間で」
夜明け前の静けさの中、Teethこと園川悌輔は、富山駅近くのスタジオに一人いた。
ZoneSTARZとしての活動が、確実に日常へと浸食してきている。昼は歯科医、夜は音楽。――境界線はとうに曖昧だった。
重たいギターケースを下ろすと、悌輔はスタジオの片隅にある古いグランドピアノの前に座った。
マイクもアンプもオフ。
ただ、自分とピアノと、眠らない都市の気配だけがあった。
「……全部、守れるのかな」
ぼそりと呟いた言葉は、自分でも聞こえたかどうかわからなかった。
ZoneSTARZが動き出してからというもの、毎日のように東京からの連絡が飛び込む。
作曲、リハーサル、PR戦略、テレビ局との調整、配信ライブの準備――。
だがそれ以上に悩ましいのは、“自分の役割”だった。
KOUHは軸として堂々とメッセージを伝える。
FOXはステージの外で法律と言葉を武器にメンバーを守る。
CHAMは帳簿の裏で資金とスケジュールを回し、
JOHはあらゆる情報を読み取り、方向性を示す。
Hikariは感情のバランスを取る優しい音色のような存在だ。
では、俺は?
悌輔はふと手を伸ばし、ピアノの鍵盤に触れた。
柔らかく、深い和音が部屋に広がる。
「……俺は、音でしか伝えられない」
ZoneSTARZの楽曲において、彼の役割はメロディ構築。
特に「寂しさ」と「希望」の中間を表現するピアノパートは、彼にしか生み出せない。
その音は、かつて病に伏せる患者の前で奏でた「慰め」そのものだった。
朱莉のことを思い出す。
彼女は何も聞いてこない。ただ隣で、そっと笑ってくれる。
「言わなくていい」とは言わないけれど、「言わなければならない」とも言わない。
昨夜のキスのぬくもりが、まだ胸の奥に残っていた。
悌輔は一つ深呼吸をすると、ピアノの蓋を閉じ、立ち上がった。
そのとき、入口が静かに開いた。
「……遅かったな」
現れたのは、FOXだった。濃紺のスーツを軽く着崩し、手にはスタバのカップが2つ。
「お前、朝イチから来てると思ってさ。どうせ寝てないだろ?」
悌輔は、思わず笑った。
FOXはいつも、心の隙間を読むのがうまい。
「……ありがとな」
「おう。で?何か出来た?」
悌輔はギターを手に取り、小さくコードを鳴らす。
すると、鍵盤と声が重なるように、旋律がゆっくりと流れ出した。
まだ歌詞も、アレンジもない。
でも、確かにそこには「始まりの気配」があった。
「悪くないな」
「……孤独と旋律の狭間で、生きてる気がするよ」
FOXはカップを置き、隣に座ると呟いた。
「孤独も旋律も、俺たちを育てたもんだ。全部、武器にしろ」
その言葉に、悌輔はしっかりとうなずいた。
「ZoneSTARZとしてじゃなく、俺自身として、この音を届けてみたいと思ったんだ」
「いいじゃん。じゃあ、この曲、あんたのソロにしようぜ」
悌輔は目を丸くした。
「……俺の、ソロ?」
「ああ。そろそろ“誰かのための音”を、“自分のため”にも使っていい頃だろ?」
そう言って、FOXは立ち上がる。
朝の光が、スタジオの窓から差し込んでくる。
ZoneSTARZの新たなフェーズが、確かに動き始めていた。
悌輔はギターを見つめた。
そしてゆっくりと弦を弾く――その旋律は、これまでになく、優しく、強く、まっすぐに響いた。
夜が明け、午前の診療を終えた園川悌輔は、医院の個室に戻った。
だが頭の中は、さっきまでのスタジオの音がまだ鳴り続けていた。
ドアをノックする音。
「悌輔さん、入っていい?」
朱莉の声だった。
「うん、入って」
彼女は手にコーヒーと、簡単な昼食を持って現れた。
「診察の合間に少しでも食べないと。倒れるよ」
「ありがとう」
いつものやり取りだった。けれど今朝のあの旋律を思い出すと、どこか気恥ずかしい。
朱莉は何も聞かず、黙ってテーブルの上を片付け、軽く微笑む。
「昨日の夜のこと……ごめんね、急に」
そう言うと、悌輔は朱莉の方を見た。
彼女の頬がうっすら赤い。
「俺の方こそ。……ありがとう、いてくれて」
それだけで、朱莉はゆっくりと頷いた。
「音楽、頑張ってるのわかるよ。姿は見えなくても、音は全部伝わるもん」
その言葉に、悌輔は胸が熱くなった。
朱莉はふとスマホを手に取り、SNSを開いた。
そこには、姉・園川裕香が投稿した華やかな写真と、妹・琴羽のステージ衣装姿が並んでいた。
「……ふたりとも、変わらないな。夢を追いかけてる顔してる」
悌輔は隣から覗き込んだ。
裕香はすでにGRT48を卒業し、今は女優業に力を入れている。琴羽は現役で、連日テレビや雑誌に引っ張りだこだ。
「……俺たちがZoneSTARZやってるって、知られたらどうなるかな」
「驚くでしょうね。特に琴羽……今でも“お兄ちゃん”のこと、完璧な真面目人間だと思ってるから」
悌輔は苦笑する。
「でも、言えないよな」
「うん。まだ、ね」
朱莉はスマホを伏せた。
「秘密を守るって、疲れるときもある。でも……それでも悌輔さんが音楽をやってる姿は、誰よりもカッコいいよ」
悌輔は少し目を伏せて、そっと彼女の手を取った。
「朱莉……俺、これからもっと忙しくなると思う。もしかしたら、東京に行くことも増える」
「……いいよ。待ってる。悌輔さんがどこにいても、心はここにあるから」
彼女の声は落ち着いていて、どこまでも優しかった。
その瞬間――悌輔は、衝動的に朱莉の頬に手を添え、ゆっくりと唇を重ねた。
柔らかく、静かなキス。
スタジオの暗がりでも、ステージのライトの下でもない。
ただ、この医院の一室で、愛する人と時間を共有するひとときだった。
やがて唇を離すと、朱莉がそっと笑った。
「……また、惚れ直しちゃった」
悌輔も照れくさそうに笑い、頭を掻いた。
「ありがとう、朱莉。お前がいてくれて、本当に良かった」
そのあと二人は、中国語でしばらく言葉を交わす。
音楽の話、家族の話、そしてZoneSTARZがこれから向かう未来について――。
やがて時計が診療時間の再開を告げた。
悌輔は白衣を羽織り、表情を引き締めた。
だがその背中には、確かな光が宿っていた。
“孤独と旋律”の狭間で、彼はもうひとりじゃない。
ZoneSTARZの一員として、そして、朱莉の伴侶として。
音を鳴らし続ける理由が、確かにそこにあった。




