第3話「動き始めた歯車」
――ZoneSTARZと、それぞれの選択
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春の冷たい雨が富山の町に静かに降り注ぐなか、CHAM――仲間蜜介は、富山駅前のガラス張りのカフェで一人、ノートパソコンに向き合っていた。カフェの奥の席。騒がしすぎず、かといって静寂すぎもしない、その空間は、彼にとって仕事と音楽の間にあるわずかな“緩衝地帯”だった。
蜜介はZoneSTARZの中でも、最も現実的な視点を持つ男だった。慶應義塾大学卒の公認会計士。数字に強く、合理的で、周囲からは「完璧主義者」と呼ばれることも多い。だが、その内面では常に葛藤を抱えていた。
仕事では、副会長として複数の企業の財務を預かり、責任は重い。特に春は決算期で、クライアントの対応に追われる毎日だ。しかし、ZoneSTARZとしての音楽活動が本格化した今、彼の生活は激変していた。
スマホに届くLINEの通知音が、彼の思考を遮った。
――《明日、レコーディング時間ずらせるか? Teethが午後から外せるって》
送信者はKOUH。彼らのリーダー格であり、医師としても忙しい男だ。
蜜介は画面をタップしながら、無意識に口元を引き締めた。ZoneSTARZは趣味や余興ではない。プロの制作陣をつけ、(株)龍雷神と契約した以上、適当な姿勢は許されない。しかし、メンバーは全員、別の顔を持ち、社会的責任を背負っている。
彼自身もまた、そのジレンマを最も深く感じていた。
「……音楽が、逃げ道じゃないってこと、もうみんな分かってる」
呟くように口に出したその言葉は、自分自身に向けたものだった。ZoneSTARZは仲間たちとの夢であり、同時に“人生の選択”でもある。
机の向こうには、コーヒーカップと数枚の領収書が並んでいる。どれも会計士としての仕事道具だ。だが、今日の蜜介はそれよりも、明日の音楽のことで頭がいっぱいだった。
その瞬間、彼のスマホが再び震えた。今度は妻・広瀬未依奈からだった。
《春翔が保育園でギターを習いたいって言ってる。あなたの影響かもね(笑)》
画面を見て、蜜介の表情が一瞬だけ緩んだ。未依奈は元女優で、彼の大学時代の後輩。華やかな世界にいた彼女が、今では家庭を守り、二人の子ども――春翔と由紀恵――と穏やかな日々を過ごしている。
だが、未依奈にはZoneSTARZの活動の詳細は明かしていない。表向きには「同好会」として話している。理由は一つ――守りたいものがあるからだ。
ZoneSTARZは、夢だ。だが同時に、それは“現実を揺るがす爆弾”でもある。公表すれば、彼の信用、彼女の静かな暮らし、そして子どもたちの未来にさえ影響を与えかねない。
「黙ってることが、誠実ってわけじゃない。でも、今はそれしかできない」
蜜介はスマホを伏せ、コーヒーをひと口飲んだ。遠くから聞こえる電車の走行音と、窓の外で揺れる傘の群れ。その一つひとつが、彼の日常と非日常の境界線を曖昧にしていく。
その夜、ZoneSTARZは秘密のスタジオに集まった。
レコーディングブースに入ったのはFOX――孤咲東助。スーツの上着を脱ぎ、イヤモニを装着した彼は、マイクの前で一瞬だけ目を閉じた。
「……この声も、誰かの支えになるなら」
その言葉に、コントロールルームにいたKOUHとTeethが黙って頷いた。CHAMも、譜面を握ったままじっと彼を見ていた。
ZoneSTARZの音楽は、派手なパフォーマンスではない。だが、その一音一音には、確かな想いが込められていた。音楽は、彼らが社会的役割から一歩踏み出し、本当の自分と向き合える場所――。
そして、誰にも言えない夢を、形にする手段だった。
「さあ、始めようか」
KOUHの言葉を合図に、夜のセッションが静かに始まった。
雨音が止んだ夜のスタジオに、ZoneSTARZの新たな一曲が響き渡る。
“動き始めた歯車”は、もう戻らない。
それぞれの選択が、やがて一つの未来を描いていく。




