第1章 第2話 再起への道筋
帳簿の山を端に寄せ、灯火屋商会の小さな応接机に三人が向かい合った。
老人とハンナ、そしてアルフレッド。
油のにおいが染みついた空間に、静かな緊張が満ちている。
老人が先に口を開いた。
「さて。……どこの貴族家に仕掛けるつもりだ。」
アルフレッドはすぐに答えた。
「フォン・アーデルベルト家です。」
ハンナが小さく息を呑み、老人も煙管をくわえたまま、わずかに眉をひそめた。
「あそこか。長男が死んで、家業の一端を娘が継いだって話だったな。」
「ええ。領地経営は堅実ですが、鉱山と隊商事業で負債が膨らんでいます。現在、資産の整理か売却を検討している様子が見えます。」
アルフレッドの声は静かだった。
必要な事実だけを、無駄なく告げる。
老人は煙を吐き出し、机の端を指で叩いた。
「……確かな証拠は?」
「ありません。ただ、市場の動き、税記録、取引先の離反。すべての傾向が同じ方向を示しています。」
相変わらず、抑揚のない声だった。
そこに期待も不安も読み取ることはできない。
(思い込みじゃない、ということか。)
老人はそんなふうに思った。
目の前の若者は、願望ではなく、積み上げた事実で物を語っている。
一方で、ハンナは懸命に話を追おうとしていたが、内容を完全に理解しているとは言い難かった。
「それで……どうするんですか?」
ハンナが恐る恐る口を開いた。
アルフレッドは一度だけ視線を向けると、答えた。
「正式な提案書を整え、先方に届けます。」
「でも、そんなの……受け取ってもらえるんですか?」
素直な疑問だった。
貴族という存在が、無名の商人の申し出など取り合わないだろうと、誰もが思っている。
アルフレッドは一呼吸置き、淡々と続けた。
「紹介者を立てます。ギルド経由でつてを探るか、なければ推薦状を添えて送ります。」
老人が目を細める。
「通るかどうかは、運任せだな。」
「ええ。ですが、動かなければ、何も始まりません。」
その一言に、老人は煙管を外した。
灰を落としながら、しばし黙考する。
(リスクはあるが、動かなければ商会は終わる。ならば、賭けるしかないか。)
長い沈黙の末、老人はうなずいた。
「いいだろう。やってみるさ。」
ハンナは不安と期待がないまぜになった顔で、二人を見比べた。
(……私にも、できることがあるのかな。)
心の中で小さく問いかけながら、灯火屋商会の新たな挑戦に、身を預ける覚悟を固めた。