时间
「次の命令だよ、『10分後に自分で喉を切り裂いて死ね』」
「一番重要な命令だから、最優先で実行してね」
白衣の襟を直しながら、僕は彼に言った
僕が命令すると、学生服の少年は棒立ちのまま力の無い表情で頷く
装置の実験は『成功』と言って差し支え無かった
いま僕が廃墟の地下室で行っているのは、世紀の発明になるかも知れない装置の実験である
心理学と工学の融合から、ある日設計を思い付いたもので、具体的には「ある種の色彩を持った光を一定の時間視せる事により、判断力を喪わせて指示通りに行動させる事が可能になる」という物だ
この少年には、道を尋ねる風を装って装置の光を視せてある
理論通りに作用すれば20時間近くは、彼は僕の命令の通りに行動する筈だ
ただし一つの構造的欠陥として、この装置による洗脳で記憶を喪わせる事は出来ない
彼は自分の意思を取り戻した瞬間、僕の事を通報するだろう
それを阻止するための命令として、僕は「被験者を自殺させる」という方法を採用していた
「さて…」
僕は思った
予想外な程、実験は滞り無く成功してしまった
彼の自殺開始まで猶予が余り過ぎてしまい、僕は戸惑っていた
「うーん…君について話せ」
僕は何も思い付かず、雑な質問を投げ掛けた
「君は何部なんだ?」
「スポーツをやってそうだが…野球部か?」
少年は生気の無い表情で「サッカー部です」とだけ答えた
僕は「そっかー…」と意味の無い相槌を重ねる
会話はそれで終わってしまった
沈黙が部屋を包む
最初から廃墟は沈黙に包まれていた筈だ
しかし中途半端な会話が発生した事によって、それは却って大きく浮き彫りになってしまっていた
「あー」
気まずい時間が少し流れたあと、僕はようやく閃いた
「そうだ、スマホ視せてよ」
頼むと、少年はナップサックから自分のスマホを取り出した
命令してロックを解除させる
僕は、端末内の画像フォルダが気になっていた
人間は汚い生き物だ
騙したり憎んだり、そういう事ばかりして生きている
僕には生まれた時からずっと友達が居ないから、尚更そう思うのかも知れなかった
この清廉そうな少年だって、心の中には醜さが絶対に有る
彼は思春期だし、黒い欲望をそのままに表した様なアダルト画像が沢山溜め込んであるに違いないと僕は思っていた
画像フォルダに辿り着く
件数は(10,000)と表示されている
とても家族や友人のものとは思えなかった
僕は口元で嗤いながら、フォトフォルダを開いた
一番最初に、白衣の後ろ姿の写真が眼に入った
絶対にその人物を知っている筈なのに、誰なのか解らず呆然としてしまったが…少しして、僕は理解した
フォトフォルダは、隠し撮りした僕の写真で埋め尽くされていた
「お前っ…」
「これは何だ!?」
少年の胸ぐらを掴んで、端末の画面を視せる
彼は機械の様な表情で「あなたの写真です」と答えた
「どうして…」
僕の言葉に反応したのか、少年は自分について静かに語り始めた
「ぼくには友達が居ませんでした」
「親が離婚してからは家族からも邪魔だと言われて、よく殴られて、学校でもいじめられて、毎日死にたいと思って生きていました」
「でもあなたを知って、ぼくは恋をしてしまいました」
昔、何処かで会ったろうか
記憶に無かった
しかし、僕は少し話に興味が湧き始めていた
「………続けろ」
「いつも、角の所の自販機の前で煙草を吸っていましたよね」
「『あー、この人友達が居なそうだな』って、学校帰りにいつも視ていました」
「でも」
「ある時から、『ぼくならこの人の痛みを解ってあげられるのに』って思う様になったんです」
「そしたら、『ぼくもこの人から解って貰えるのかなぁ』『友達になれるのかなぁ』『愛して貰えるのかなぁ』って考える様になって…」
「いつからか、好きになってしまいました」
僕は、この少年を被験者に選んだ事を後悔し始めていた
よく解らないけど、別の出会い方をしていたら仲良くなれていたと思う
でも、「もしも」なんて無い
一つの現実として、僕たちはこういう出会い方をしてしまっている
アラームの音が鳴り響く
僕は、はっとした
約束の「10分」がそろそろ過ぎてしまう様だった
「それでは、時間です」
「死にます」
少年が無感情に報告する
僕は、心がとてもざわついていた
『この少年に死んで欲しくなかった』
少年が焦点の合わない眼をして、手にしたカッターナイフの刃を少しずつ出していく
僕は「やめろ!」と命令した
無意味だった
初めに「最優先」と言ったのは僕だ
この命令は覆らない
僕は飛び付いて、カッターの刃を掴んだ
金属の鋭さが肉に食い込んで、赤い血を流す
僕は少年に突き飛ばされた
尋常では無い力だった
「さようなら」
少年がカッターを喉に向けて、真っ直ぐ近付ける
僕は声にならない声を上げる
少年の体温が籠もった赤い液体が、僕の顔を涙の様に濡らした