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夢現シリーズ

記念写真

作者: 江東うゆう

 昭和31年、春。


 葭原(よしはら)(みず)()は、大きな鳥居の前に立っていた。

 鳥居の向こうには木の橋がある。

 川に架かった橋は中央が高く、渡り始めと渡り終わりが低い。アーチという言葉が軽薄に感じられるほどの威圧感のある橋である。


 静かな力強さをフィルムに留めようと、水貴はカメラを構えた。父親の仕事の都合で手に入れたカラーフィルムを無駄にはしたくない。これだ、という一瞬を留めたかった。


 だが、鳥居をくぐり、橋を渡る人は絶えない。どうしても、見知らぬ人の姿が入る。

 困ったな、とファインダーから顔を上げる。


「シャッターチャンスが難しい?」


 隣にいた親友が、にこりと笑って首を傾げた。

 さらっとした栗色の髪と、百八十センチほどもある身長が彼に特別な印象を与えている。しかも、顔立ちが整っていて、化粧をすればスターにもなれそうだ。


惣時郎(そうじろう)、待たせて悪いな」

「いや、待っていない。俺も、ここの景色を眺めているからな」


 そう言って、吹いてきた春風に髪を(なび)かせる姿は、遠い国の英雄を思わせる。


 (ひのき)惣時郎は、水貴が通う高校の生徒会長である。水貴は副会長を務めていた。

 会長、副会長と教職員での話し合いがもたれることもあり、そのときには、二人で図書室の片隅に居すわって、想定問答集を作るのだった。

 学校で、二人きりで過ごす時間は長い。

 学校外でも同じだ。惣時郎が出かけるとき、誘うのはたいてい、水貴だけだった。

 だが、今日は二人だけではなかった。


「これが宇治(うじ)(ばし)か」


 少し離れたところに立っていた男が、大声で言った。緑色の羽織を着た大男だ。

 惣時郎も背丈の高い方だったが、男はさらに五寸は大きい。

 近頃は、着物姿の人も減ってきた。そんな中で、白い着物に黒い袴、濃い緑の羽織に男性ながら長い髪を背中に垂らした姿。あまり動かぬ表情は、ただ者ではないという印象を強く与える。


 ――(げん)(いち)(ろう)は、目立ちすぎるよな。


 水貴は内心、苦笑する。

 先日、檜家で騒動が起こったときに、泊まり込みの客としてやってきて、解決に一役買ったのが現一狼だった。水貴らより二つ年上の十九才で、正式には二十七代現一狼というらしい。

 騒動のとき、水貴は頻繁(ひんぱん)に檜家へ惣時郎の様子を見にいっていて、現一狼とも知り合った。


「惣時郎、渡らないのか」


 現一狼は相変わらずの声だ。惣時郎が苦笑する。


「現一狼、神聖な場だぞ」


 声を小さくしろ、ということなのだろう。


「うん、神聖な感じがする」


 調子を変えずに言う現一狼には、何一つ、伝わっていないようだ。


「もう少し、ここで橋を眺めていていいか」


 惣時郎が軽く首を傾げ、現一狼に問う。


「いいよ。きれいな橋だ。見応えがある」


 現一狼も、屈託なく応じる。

 水貴は慌ててカメラを構えた。自分が写真を撮るのを待っている、と思ったからだった。


 ――おや。


 ファインダーを覗いていた水貴は、視界に入った惣時郎に、違和感を覚えた。

 景色を見ているはずの惣時郎は、足元に目を遣ったり、手の平をそっと広げ、じっと見つめたりしていた。

 表情をうかがうと、眉がわずかに寄せられて、かすかな憂いが浮かんでいる。


 ――気にしているのか。


 この前の騒動で、惣時郎と現一狼はだいぶ無茶なことをした。その顛末は、全部、水貴も知っている。

 騒動の後、二人きりのときに、惣時郎はつぶやいていた。


〝おまえにまで、罪を負わせてしまったな〟


 水貴は否定しなかった。

 惣時郎たちが背負ったのは、犯人隠匿罪あるいは証拠隠滅罪である。しかし、そもそもの犯罪が明るみに出ないまま終わってしまった以上、その罪も、誰かに問われるものだとは思えなかった。

 罪は背負ったに違いない。それでも、水貴は恥じてはいなかった。詳細を見ていけば、誰が悪いのだかわからないような出来事だったのだ。


 しかし、おおらかに見えて繊細なところがある惣時郎のことだ。今でも、自分が罪を背負ったこと、事情を知ったがために水貴を巻き込んでしまったことを、悔いているに違いなかった。

 そんな自分たちが、神聖だとされるこの場所に、来てよいのかも、迷っているのだろう。


 ――惣時郎、そういうときこその神社だ。


 水貴は、心の中で呼びかける。神社には罪人が逃げ込むことがあったという。罪人は身を清めて神社の敷地に入る。すると、追っ手も捕まえることができない。そういう場所だったらしい。


 ――ここは、来るにふさわしい場所なんだよ。


 水貴も胸にチクリと痛いものを感じながら、カメラを構え直す。

 惣時郎は相変わらず、橋の手前で自責の念に駆られている。そういったことを気にしないのか、気にしていたらきりがないのかわからないが、現一狼は、橋と、その向こうを眺めている。


「なあ、惣時郎」


 現一狼が惣時郎に呼びかけた。さっきより、ずっと抑えた声だった。


「洗い流せない罪を抱えていない者を、おれは知らないぞ」


 惣時郎が現一狼を見上げた。しばらく現一狼の顔を見つめていたが、不意に、ふわりと笑った。

 瞬間、水貴はカメラを構え、声をあげた。


「惣時郎!」


 彼だけでなく、現一狼もこちらを向いた。いつもは厳しい表情が多い現一狼の口元が少し緩んでいるように見える。惣時郎も笑んでいる。

 水貴はシャッターを切った。


「橋を写すんじゃなかったのか」


 惣時郎が怪訝そうに眉を寄せた。

 現一狼が、ニヤリとして、水貴にうなずきかけた。



 参拝を終えた数日後。

 水貴は現像した写真を見てみた。

 いつになく優しい表情の二人の背後には、白い橋がある。

 奇跡的に、橋には誰も渡っていなかった。

 他人から見れば、ただ、二人の人物が写った記念写真だった。

 けれど、水貴には、自分たちの罪が明らかになった瞬間、あるいは、表面上洗われた瞬間が捉えられているように見えた。


 その写真は今も、檜家にしまわれている。


〈おわり〉

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