【コミカライズ化】心が読める令嬢は傲慢王太子に取り入る事にした
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6歳の頃、それは雨上がりの晴れた日だった。当時お転婆だった私は、慌てるメイドを意に介さず水色のふわふわしたドレスを泥まみれにして遊んでいた。
そして、その姿のままお母様に抱きついたのだ。
『まぁ、こんな格好でくっついてくるなんて! 穢らわしい。こんな子産まなければ良かった。そうすれば、私の子供はエリクだけになるのに』
それは、世界が私を嘲笑った瞬間だった。
◇◇◇
その後も口を開いていないのにメイドが『お嬢様のおやつのクッキー、2枚くらい食べてもバレないわよね? お嬢様馬鹿だし』や、2歳の弟のエリクが『かあ様がおねえ様のこと"あほ"っていってたけど、どういう意味なんだろ』というのが聞こえて、確信した。私は他人の心の声が聞こえるのだと。
それから、古い文献を時間をかけながら読むと心が読める理由が分かった。私は魔力を上手く放出させる事が出来ない。内に秘める魔力量は多いと言われているが、私は壊滅的に魔法を使えなかった。お父様やお母様を落胆させてしまった事はよく覚えている。
だから、その膨大な魔力が体から僅かに滲み出ているせいで心が読めるのだろう。
それが分かった当初、私の悪口を言ったメイドを辞めさせたり、お父様に貰ったネックレスをなくしたお母様がこっそり探している事を知ってそれを頑張って見つけたりと、この力を良い事に使った。そうすれば、お父様もお母様も私を認めてくれると思った。だからそんな事を、繰り返していた。
けど、ある日聞こえてしまったのだ。メイド達が『最近のお嬢様、心が読めるみたいで気持ち悪いわよね』と言っているのを。それで気づいた。心は、その人だけのものなのだ。その心の中で何を想うのも自由で、私にそれを罰したり介入する権利なんてないのだと。
それから、私は部屋に引きこもるようになった。お母様もお父様も私を呆れたように見てくるけど、最初から私に大した期待など寄せていなかったのだからいいだろう。
これ以上、人を嫌いになるくらいなら私が疎まれた方がまだ幸せだ。
「コレット」
私が引きこもってから2年、久しぶりにお母様が私の下に訪ねてきた。それに頬を上気させながらも、冷静を装いながら「何かしら、お母様」と聞いた。
扉の奥にいるお母様が話し出す。
「王太子殿下の婚約者を決めるお茶会が近々開かれるわ。引き籠もるのはやめて出て頂戴」
何も返せない私に、最後にお母様は言った。
「引き籠もってるだなんてとんだ醜聞だわ。これ以上エリクに迷惑をかけるのはやめて。この恥晒し。あんたなんて産まなきゃ良かったわ」
コツコツと、音が遠ざかっていく。私は上手に息すら吸えなくなって、目を見開いたまま荒い息を吐いた。
――心という不可侵の領域で思うだけではなく、遂にお母様は私に『産まなきゃ良かった』と言った。
唇を噛みしめる。ホトホトと溢れた涙はベッドを濡らす。
「私が何をしたと言うのですか……」
魔法が使えないのは、私のせいじゃない。産まれてきたのだって。
それなのに、どうしてこんな風に誰も彼もに悪意を向けられなくてはいけないのだろうか。メイドも執事も心の中では私を軽蔑して嘲笑ってる。お父様は、私を50も年上の侯爵家の好色爺の後妻に納めようと企んでいる。弟のエリクでさえ、私を『役立たずな姉』と認識し始めた。
「皆、みんな大嫌い」
王太子は、傲慢だって噂だ。それならば、好きで嫁ぎたいと思うご令嬢はいないだろう。だから、私がアピールして婚約者の座に納まってやる。
王太子が傲慢でも、王太子に元々その面で期待する事は無いから、どんな生活を強いられてもこれ以上私の心が痛くなる事はないだろうから。
手の甲で涙を拭く。私を馬鹿にしてきた奴、嘲笑った奴を、私は決して許さない。
「お前らを後悔させてやる。泣いて土下座したとしても……絶対許さない!」
◇◇◇
王太子のお茶会の日は、いつもの何倍も着飾った。緑色の髪には白い薔薇を挿し、金髪碧眼の王太子の姿をなぞらえる為に青いドレスに金の糸を刺繍した物を着ている。
他のご令嬢は何処か緊張したように王太子が来るのを待っている。私は、引き籠もってから食事を持ってきてもらっているのだが、それは一日一食程度しか持ってきて貰えない。だからお腹が空いていたからマドレーヌやフィナンシェを遠慮なく頂いていた。どっしりとした甘みが心にしみる。
もぐもぐとしていると、空に、赤黒い物が舞った。
唐突すぎてそれが何なのか認識出来なかったのだが、ベチャリと私と令嬢達のすぐ近くに落ちてようやく分かる。
それは、血まみれの魔獣だった。魔獣特有の黒い色をした犬のような姿をしている。
他の令嬢達もそれが何なのか理解できたのか悲鳴を上げ逃げていった。その場には、私とそんな私を遠巻きに見る王城勤務のメイドや執事だけが居る。私は、足が僅かに震えながらも椅子にしがみつくようにして居残った。
ライバルが減ったのはいいけどこれはどういう状況なのか……と私が途方に暮れていると、向こう側から誰かやって来た。それは丁度魔物が投げられてきた方角であった。
「……王太子殿下」
「やあ、コレット嬢。意外と肝が据わっているんだね」
『それとも噂通り阿呆なだけなのかな?』
心の中の失礼な言葉に一瞬頬が引き攣ったがそれを戻す。
王太子の姿をよく見てみると、切れ長の瞳に短髪の王太子は、黒い軍服のような物を着ていて、血のついた剣を握っていた。
私は、カーテシーをした後ニッコリと笑ってみせた。
「王太子殿下がいらっしゃるのに、立ち去っては女の名折れですわ」
さり気なく令嬢達を下げながら言ってみると、王太子は感情の読めない顔で頷いた。
『そう言えば今日は婚約者の選定の日だったか。なんか強欲そうだけどこいつでいいかな』
「……っ」
婚約者になれるかもしれない。その事実に胸が騒ぐ。
私は王太子殿下の目を見つめながら言う。
「王太子殿下、私は貴方の婚約者になりたいです」
微かに王太子は笑った。それは人をなじるような笑みだった。
「傲慢と名高い俺と婚約したい? 何を企んでいるんだ」
「少なくとも、王太子殿下に裏表はないでしょう? 私が本当に恐れているのは、表ではニコニコと私に甘言を吐き裏では私に悪意を向けてくる人ですわ」
私の言葉に王太子はぱちくりと目を丸くした後、少しだけ顔を俯かせた。
『この女の言う通りだ。姉上は王位継承権が男だからという理由で俺にあるのを憎み、表では俺の味方のように振る舞い、裏では俺を殺そうと刺客を送ってくる。さっきの魔獣もそれだ』
今度は、私が目を見開いた。
『俺が、何をしたと言うんだ』
あぁ……この人は私と同じだ。誰も信じられないんだ。だから、『傲慢』という仮面を被った。誰にも期待しなくていいように。気づくと私は彼を抱きしめていた。
「……っ、おい何をする!」
「私は!」
ビクリと王太子の体が震えて抵抗を止める。私は、なるべく芯の通ったような声に聞こえて欲しくて、一語一語区切って話した。
「貴方にとって最善のパートナーにはなれないかもしれませんけど、貴方を私は決して裏切りません」
「なん、だそれは」
少しの沈黙の後、剣を落とすと王太子は私を抱きしめた。
「お、王太子殿下」
「ユーリエと呼んでくれ、コレット」
異性に抱きしめられている、ようやくそう認識した私は顔を真っ赤にしながら「ユーリエ、様」と小さく呟くと、鋭利な雰囲気が消え17歳の年相応な笑顔を浮かべたユーリエ様が泣きそうな顔をした。
それは、今にも枯れてしまいそうな花に水が与えられたような笑顔だった。
それから、私は王妃教育という事で家から離れる事になった。最後に馬車で見た両親は私が高く売れた事に嬉しそうに笑っていた。弟は少しだけ泣いていて、私が小さく手を振るとお母様の後ろに隠れた。
見返してやりたい、そう思っていたけどこうしてみるとスカッとした気分には特にならないのだと気づいた。だって、あの人達は後悔もしていないのだから。
馬車の中で、私は冷たい手を握りしめた。王太子妃になりたかった。私を馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたいだけだった。けど、結末は違った。それはきっとあの人達には罪の意識なんて無いから。
要らない私を産まなければ良かったと思うのも当たり前で、母の様子を見て私を『駄目なやつ』と思うのも当たり前で、使い所が無いから好色爺に嫁がせるのも当たり前で、それは罪ではないと認識しているのだ。
罪の意識を感じてるのは、私だけ。ユーリエ様を利用した、私だけ。
「何で、私だけがこんな思いしなくちゃいけないんですか……っ」
声に出すと堰を切ったようにボロボロと涙が出る。拭っても拭ってもそれは止まらなくて、目を掻きすぎて痛くなるまで、私はずっと泣いていた。
伯爵家の我が家は、王城まで4時間ほどかかる。日がくれ、月がその姿をくっきりと表し始めた頃王城に着いた私はニコニコと笑っているユーリエ様とその後ろで意地悪気に笑っているユーリエ様の姉であるモネリア様を見て唇を噛みしめ前を向いた。
ユーリエ様に言った、貴方を裏切らないという言葉だけは嘘にならないように私は頑張らなければならない。
「あれ、コレット。目が赤いよ、泣いたの?」
馬車から降りる私をエスコートしたユーリエ様がそう心配そうに問いかけてくる。
「家族とも暫く会えないのかと思うとほんの少しだけ淋しくて」
そう笑って見せれば、優しくユーリエ様が頷いてくれて、「後で目元に当てる蒸したタオルと冷やしたタオルを持ってくるから」
と言った。
◇◇◇
「コレットさん」
王城の長い廊下を歩いていると、そう呼び止められた。王妃教育が始まってから早一ヶ月半。王妃や陛下、そしてユーリエ様とも良好な関係を築けていると自負しているが、今私を呼び止めたーーモネリア様とだけは仲良くなる兆しはない。まあこちらとて仲良くなる気は無いのだが。
「何でしょうか?」
振り返りニッコリと笑顔を浮かべて見せると、私の笑みに負けないくらい口角を釣り上げたモネリア様がいた。
「いえ、貴女がとても優秀だと教師たちが絶賛していたものですから」
私を褒めた後「でも、」と言ってモネリア様は心底私を憐れんでいるような表情で告げた。
「貴女は王妃にはなれないと思うわ」
「何故ですか?」
冷静に私は問う。
「あら、だってそうでしょう? 貴女は伯爵家の人間。王家とは身分の差が大きすぎますわ。それに、魔法を使えない血が王家に入って、これから産まれてくる子達が魔法が使えなかったらどうしてくれるの?」
『……ああ、でもありがとう! 貴女のお陰で王位継承権は私に巡ってくるに違いないわ。ユーリエは貴族達からの信用はガタ落ちだし、この女は明らかな欠陥品だもの』
表の声、裏の心に私の拳が震える。だけど、次の言葉で私の殺意はポシュゥと空気が抜けるように消えた。
「ユーリエも可哀想ね。貴女と婚約しなければこんな事にならずに済んだのに」
私は、ユーリエ様の邪魔? 私はいないほうが良い?
「では、ご機嫌ようコレット」
「ご機嫌よう、モネリア様」
彼女が立ち去った後も、私は廊下に立ち尽くす。あの言葉が頭から離れない。どくどくと心臓が嫌な音を立てた。
だから私は、ユーリエ様とのお茶会で2人のご令嬢の姿絵を渡した。
「こちらの青髪の方がミエリー・ララン侯爵令嬢で、その隣がアレンティア・フォナリー侯爵令嬢です」
「いや、それは分かるけど何でこれを俺に見せてきたの?」
『俺にはもうコレットがいるのに』
「ユーリエ様、貴方は王になる方です」
「え、うん」
「それならば、貴方の隣にはもっと相応しい人がいます」
ガタッと音を立ててユーリエ様が立ち上がった。
「……俺を裏切るの? コレット」
彼の目には、酷く冷たい光が宿っていた。
「いいえ、私はユーリエ様の味方です」
「だから婚約破棄したいって事?」
私の手を、ユーリエ様が掴んだ。その強い力に、私は眉を顰める。
「い、痛いですっ」
「君があんな事言わなければこんな事しないよ」
『なんで、コレット』
その痛みのせいか、それともユーリエ様が怖く感じてか私の目からは涙がポロポロと出てきた。
そしてユーリエ様を睨みつける。
「だって、私には何もないんですもの! 学も教養も、爵位も、魔法だって。貴方に私が何をしてあげられると言うでしょう。家族にですら疎まれている私を、誰が赦し愛してくれると言うのでしょう!」
荒く息を吐く。
「それに、貴方の婚約者になったのだって家族を見返してやりたいと思ったからですわ。どうです? がっかりしたでしょう?」
私が意地悪気に笑って見せると、ユーリエ様は真顔で私を見つめた。さぞ、彼の心は罵詈雑言で溢れているだろうと嗤う。
だけど――……
『やっと、コレットの本音が聞けた気がする』
何処までも優しい、綺麗な音だけがそこにはあった。
涙がぶり返す。目をゴシゴシと擦っていると優しくその手を取られた。顔を上げると涙で滲んだ先にはほんの少しだけ口角を上げて私を優しく見つめるユーリエ様がいた。
「コレット、君はとても聡い子なんだろう。誰かの悪意に敏感であり、誰かの助けを求める声にもとても敏感だ」
それは、私の心を読める力のせいだ。私のおかげではない。
「だからこそ君自身がとても繊細で、君こそが誰かからの救いを求めているんだ」
「何が言いたいんですか」
「俺にもっと甘えてくれ、という話だ」
唇を噛む。彼の優しさを、上手く嚥下出来ない。
「甘える権利など、私にはありません」
「いいや、君は俺を救ってくれた。だから俺も君にとっての救いになりたいんだ」
違う。貴方を抱きしめたのも、取り入ったのも、私が優しい子だからじゃない。
「……私、人の考えている事が分かるんです。だから貴方が救いを求めている事が分かっただけです。だからもう、離してください」
手を振りほどこうとする。手に力はあまり込められていなかったのかスルリとそれは解ける。
だけど、次の瞬間私は彼に抱きしめられた。
「……っ」
「俺は、ずっと苦しかった。全てが敵に思えて仕方が無かった。だけどコレットに出会えて俺はようやく、安心できるという事を知った」
出会った頃の神経を張り詰めた獣のような姿はすっかり消えた彼が私に語りかける。
「それは、君が俺を大切にしてくれたからだ。一人の人間として、俺を見てくれたからだ。それは、たとえ他の心が読める誰かにも成し得る事は出来ない。君が、自分が辛かった分俺に優しくしてくれたように、俺も君を大切にしたい。
愛してる、コレット」
「い、意味ヒッグ、分かんないです」
「自分の思った事を言葉にするのは不慣れなんだ」
最後にもう一度、ユーリエ様は笑った。
私はもう、何もかもが言葉にならなくて、だけど優しいこの人の隣にいたいと意思表示をする為に彼の背に手を回した。
とても、温かかった。
◇◇◇
それからも、私達の人生は特別な事は起こらず進んでいく。家族とは一年に一回話すぐらいの間柄になった。他人のような者だと割り切ってしまえば案外両親は怖くなく、背の伸びたエリクとも劣等感なく話せるようになった。
王妃と陛下には、可愛がられている。昔王妃が心の中で『ユーリエの性格を丸くさせるんだからどんなお嬢さんかと思ったけど、いい子ね。なんだか側にいると心が安らぐわ』と言っているのを聞いてしまった。少しだけ涙ぐんでしまったのは、内緒だ。陛下には直々に、「ユーリエの心に寄り添ってくれてありがとう」と礼を言われた。
二人共、ユーリエ様の両親だと一瞬で分かるくらいとても温かい心をしている。それが、とても幸せだ。
そしてモネリア様は他所の国に嫁いで行ってしまった。和平の為、と第二王子と結婚した彼女はなんだか優しい顔立ちをしていた。
こっそりと私に彼女が教えてくれた。
「今ね、お腹の中に赤ちゃんがいるの」
目を丸くする私にモネリア様は優しく笑う。
「私、王妃にならなければと、それが私の幸せだと過信していたの。だけど、そうじゃないのね。この世界には、色々な幸せがあるのね」
そう言って、最後に「ごめんなさい、貴女には沢山の迷惑をかけたわ。ユーリエにも」と締めくくると、軽やかに彼女は去っていった。ユーリエ様には何か言わなくて良いのかと呼び止めると彼女は足を止め、振り返らず言う。
「あの子には、謝りきれない事をしたわ。それなら下手に謝ってあの子を病ませてしまうよりこのままがいいのよ」
もうモネリア様は足を止めず去っていった。
それから4年後、私は双子の女の子と男の子を生んだ。もう1歳になる二人は、すくすくと育っている。
そんな私は、二人に私の魔力が流れたせいか人の心を読むことが出来なくなった。あんなに疎ましく思っていても、いざ失くなってみると不安は尽きない。
だけど、きっと私は大丈夫。
「ユーリエ様、物語だとヒロインを虐めた人達はザマァという物をされて、読む側はとてもスカッとするらしいのです。だけど、現実は違いますね。私が恨んだ人も、ユーリエ様が恨んだ人も特別不幸になることなんてないんです」
庭で遊ぶ子どもたちから、夫であるユーリエ様へと視点を変える。彼は優しい目をしていた。
「でも私、とても幸せです」
「俺もだ、コレット」
それはきっと、恨んだ人が不幸になる以外の幸せを、私達は見つけたから。
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