第三話
魔王はなおも部下達にもみくちゃにされている。魔王は必死にもがき続けた。
「魔王よ。お前に残された選択肢はもう一つしかないんだ。この世界を滅亡させないと誓い、この世界と――そしてこのケツと共生すること。ただそれだけだ」
勇者が指を鳴らすと部下達は一斉に離れていく。
そしてボロボロになった魔王だけがその場に残された。魔王は絶望の面持ちで両膝を床に付いた。
「くっ……男のケツなんかにこの俺様が負ける……だと!?」
そう言うとがくり、と項垂れる。
玉座から見下ろす勇者。俯く魔王。完全に形勢逆転だ。
ちなみに女性陣はというと、もうこの茶番劇に飽きて帰っていった。
魔王はしばらく呆然としていたが、やがて決心が着いたのか、絞り出すようにこう答えた。
「わかった。人間界は滅ぼさない。俺達はケツと共に生きていく……」
「よくぞ言った」
勇者はすくっと玉座から立ち上がり、己の尻を突き出した。
「さあ、このケツに跪け」
勇者の言葉が部屋全体に響く。
その瞬間、魔王の身体から力が抜けていった。
(俺の負け……か)
魔王は静かに目を伏せる。
その瞬間、過ぎ去った日々の光景が走馬灯のように頭の中を流れていった。
自分はかつて、無力な人間だった。生まれ持った醜い容姿から忌み嫌われ、周囲からはひどい扱いを受けてきた。そしてある時、耐えきれなくなった自分は人間界を捨てて魔界に逃げ込んだ。
魔界で戦いに明け暮れるうちに自分に従う魔族の仲間ができた。さらなる強さを求めて禁忌の術にすら手を出し、とうとうその身体は人間のものではなくなった。だが、後悔はなかった。
そうして魔界の王として君臨するまでとなった。自分を苦しめた憎き人間どもを滅ぼす。ただそれだけを願って――
(……だが、まさかこんな形で我が野望が潰えるとはな……)
魔王は小さく笑う。悔しいが、最後は潔く退こう。
魔王は跪き、静かにこうべを垂れた。
「私の負けだ」
こうして世界の平和は守られたのだった――――。
「ちなみに一個だけいいか。勇者よ」
「敬語使え。あと勇者『様』だろ」
「くっ……」
「今は俺の尻に敷かれる立場だという自覚を持て。文字通り、な」
勇者は玉座に寄りかかり足を組む。
魔王は屈辱を感じながらもその言葉をのんだ。
「一個だけいいですか勇者様」
「なんだ魔王」
魔王は真摯な瞳で勇者を見据える。
そしてこう告げた。
「一回だけケツを触らせてください」
「!」
敗北を喫した魔王にもはや失うプライドなどない。今こそ、己の心に正直になるときだ。
「…………」
勇者はじっと魔王の顔を見つめた。
魔王の瞳はひたむきで、そこからは強い意志が感じ取れた。
「ふむ……」
勇者は悩むようなそぶりを見せたが、やがてふっ、と表情を和らげる。
それは先程までの嘲るような笑みとは違い、聖母のような慈愛に満ちた微笑みだった。
「いいだろう」
勇者は玉座から立ち上がり、くるりと背を向けて尻を突き出した。
「さあ、触るがいい」
「失礼します」
魔王はおそるおそる手を伸ばす。
指先がその尻に触れた瞬間、目の前に青空が広がっていくような錯覚を起こした。
「……!」
果てしなく広がる草原の中、魔王は人間だった頃の姿で佇んでいた。
陽光が身体を包み込む。全身を澄んだ風が吹き抜けていく。
さわさわと草の揺れる音を聴きながら魔王はゆっくりと目を閉じた。
(温かい……)
これまで味わった辛さや苦しさ、怒りや悲しみ全てが消え去るようだ。
魔王はその温もりに身を委ね、少年のようなあどけない笑顔を浮かべながら呟いた。
「やわらけえ……」