プロローグ
ここは地球とは違う世界────
数ある街の中の一つ、その一角にある酒場で二人の男が今まさに一触即発といった様子を見せていた。
「ンだとコノヤロウ!」
「やる気か貴様ァ!」
片方は粗暴な男でもう片方は立派な衣装に身を包んだ男。
二人はこの街に住む冒険者と騎士であり、事の発端は騎士が冒険者に難癖を付け始めた事である。
「貴様のような奴はこの街に相応しくないのでとっとと出ていけと言ったのだ」
「騎士様がお高くとまりやがって!何もしてねぇ奴が偉そうにするな!」
「何ぃ!」
「やんのかコラ!」
互いに胸ぐらを掴み合う二人に周囲の者達は囃し立てたり戸惑ったりと、多様な反応を見せていた。
酒場の店主たる女性はカウンターにて〝やれやれ〟といった表情をしており、さてどう仲裁したものかと悩む。
するとカウンター席に座っていた一人の男が店主に声をかけた。
「ここではああいったのが日常茶飯事なのか?」
「すまないねぇ。どうにもこの街では騎士様と冒険者連中の折り合いが悪くて……あたしらもほとほと困り果ててるんだよ」
「ほぅ……なら、俺に任せて貰えねぇかい?」
「え?」
疑問符を浮かべる店主を他所に男は立ち上がると、さも恐れなど抱いていないとでも言うような軽快な足取りで二人へと近づいていった。
「ちょっとあんた、危ないよ!?」
「いいからいいから」
心配する店主に目もくれず、男は二人遂にそれぞれに剣を抜いた二人へとどんどん近づいてゆく。
そして────
「死ねやァァァ!」
「死ぬのは貴様の方だ!」
互いに斬りかかった二人……しかしその刃は交えることなく、それどころかその刀身は根元辺りでポッキリと折れていた。
「「!!?」」
驚く二人……そんな二人の間で先程の男が両手にそれぞれの刀身を掴みながら二人へと声をかけた。
「お二人さん。酒が回って気が昂っているのは分かるが喧嘩は頂けねぇな」
「誰だテメェ!」
「なんだ貴様は!」
二人に凄まれ〝怖ぇ怖ぇ〟とヘラヘラ嗤う男。
「別に名乗る程のもんじゃねぇんですが、ただちょいとばかり迷惑してるんですよ。喧嘩なら他所でやってくださいません?」
「テメェには関係ねぇだろうが!」
冒険者の男が殴りかかろうと拳を振り上げたが、男は一瞬でその男の懐へと潜り込むと、そのまま冒険者の顎に手をかける。
そして前方へと体重をかけると、大柄であるはずの冒険者の男は簡単に後方へと体勢を崩し、宙を舞った。
男はそのまま冒険者を床へ叩きつける。
そして叩きつけられた衝撃で気を失った冒険者を他所に、今度は騎士の方へと顔を向けた。
「あんたもやる気なら相手になりますよ?」
「いや……今の身のこなしで貴殿が相当な実力者だと判断した。負けると分かっていて挑むなんて愚かな事はせん」
「あっ、そう?」
騎士の言葉にさもつまらなさそうな顔をした男は、そのまま踵を返して再びカウンター席へと戻ろうとした。
すると騎士が呼び止め、男に名を尋ねる。
「貴殿、名は何と言う?」
「俺?なんたって名前なんて聞くんだ?」
「どことなく貴殿はただならぬ者だと判断した故な……それにお礼もしたいと思っている」
「お礼?何の?」
「先程、こいつを叩きのめしてくれただろう?」
騎士はそう言いながら床でノビている男を指さす。
「別に店主が困ってたから止めただけだ。あんたも無闇に喧嘩なんて売るなよな」
「私はこの街で横暴に振舞っていたこいつをどうにかしようとしていただけでな……こいつは冒険者という身分を笠に、恐喝をしたり街の娘達に言い寄ったり、更には強姦行為の疑いもあった程だ」
「ならさっさとしょっぴけば良かったのに」
「証拠が無いのでな……証拠も無しに連行すれば面倒な事になるので仕方なく追い出そうとしたのだよ」
「大変だねぇ〜」
「うむ、今回は何の関係も無い貴殿に殴りかかったとして暴行未遂で連行出来る。更に調査を進めれば色々とボロも出るだろう。なので是非ともお礼がしたい。あぁ、そういえば名乗りが遅れたな。私はこの街に屯駐している騎士団の団長であるガイウス・シュテムアルゲンだ」
「俺はムラクモ。ムラクモ・オボロだ。ちょいとワケあってのらりくらりと旅をしている者だ」
互いに名乗りながら握手を交わすムラクモとガイウス。
その横ではガイウスの部下である騎士達が気絶している冒険者の男を連行してゆく。
「旅人か……もし失礼でなければ旅の理由をお尋ねしても良いか?」
「そんな大層な理由じゃねぇよ。ちょいと魔王の娘を探してるだけだ」
『……………………………………………………は?』
ムラクモの言葉にガイウスは勿論、その場にいた全員が声を揃えて呆けた声を上げたのだった。
◆
一方その頃、時を同じくして一台の馬車がムラクモのいる街へと向けて移動していた。
荷台は檻が備え付けられており、その中には三人の少女が手足に枷を付けられた状態で座っていた。
三人の少女は全員ボロ布のような服を着ており、しかし一人は他の二人に守られるようにして座っている。
この少女こそがムラクモが探しているかの魔王……つい最近、勇者によって倒されたサタナエルの娘であるサタナキア本人である。
サタナキアはサタナエルが討ち取られた直後、配下によって逃がされたのだが、勇者に見つかり奴隷として売られてしまったのである。
他の二人はそんなサタナキアの従者であった双子の姉妹の魔族で、一緒にいたところを捕まってしまったのだった。
奴隷となった三人だが、彼女らを扱っている奴隷商人の予想とは裏腹に、彼女達を買おうと言う者は誰一人として現れなかった。
奴隷に墜ちたと言っても魔王の娘……一度手を出してしまえばどのような災いが降り掛かるかもしれないと、彼女達を紹介された者達は恐れて買おうという意欲が湧かなかったのである。
「チッ……魔王の娘っつーから高値で売れると思ったのによ。とんだお荷物だったぜ」
サタナキア達が収容されている檻の前に座る奴隷商人の男がそう愚痴る。
「ならば何処ぞへと捨てれば良かろう?」
サタナキアがそう言うと、男は鼻で笑ってこう返した。
「もしかしたら買い取ると言う物好きがいるかもしれねぇだろ?まぁ逃げられるなんて淡い期待は抱かねぇ方がいいぜ?逃げたところでテメェは魔王の娘……どうせ見つかれば殺されて終わりなんだからよ」
そう言って一口酒を啜る男に、サタナキアは心の底から恨めしげな表情を向けていた。
するとその時、急に馬車が停止し、サタナキア達と酒を飲んでいた男は同時に大きく体勢を崩した。
「何してんだテメェは!大事な酒がこぼれっちまったじゃねーか!」
男が馬を引いている仲間にそう怒鳴りつけるも返事は無い。
その事に男が怪訝な顔をしたその直後、荷台の幌がゆっくりと開き、そこから影のごとく真っ黒な異様な〝何か〟がヌルりと入ってきた。
その〝何か〟は人型であったが全身が真っ黒で、唯一〝目〟と思われる双眸が赤く光っている。
「何だコイツは……オイ、もしかしてテメェの配下の魔族か!?」
「知らぬ……父上の配下にこのような者はおらんかったはずじゃ……」
それを聞いた男は直ぐに剣を抜き放ち、その〝何か〟を勢いよく斬りつける。
しかしその〝何か〟には全く通用しておらず、男はその事に驚く余裕もなく、その〝何か〟が振り払った手で首を千切り飛ばされてしまった。
頭を失った首から血を噴き出しながら倒れる男に目もくれず、その〝何か〟が今度はサタナキア達がいる檻へと近づいてくる。
そして徐ろに檻を掴んだかと思えば、意図も簡単にそれを引きちぎってしまった。
驚きと恐怖で檻の隅へと退くサタナキア達……しかしその〝何か〟は気にすることなくサタナキア達へと近づき、そしてバックリとその口を開いた。
(余達はここで終いか……すまぬ父上……父上の願い、果たせそうにない……)
覚悟を決め、ギュッと目を瞑ったサタナキアは、従者の姉妹達と共にその〝何か〟に飲み込まれてしまうのだった。
◆
翌朝────
街へと出入りする門の前にて、街の騎士団や駐屯兵達が門の前に集結していた。
理由は彼らの前にいる黒い影のような〝何か〟の存在。
その〝何か〟は何をするでもなく、あたかも誰かを待っているかのようにその場で呆然と立ち尽くしている。
「ガイウス団長……〝あれ〟、なんですかね?」
「知らん。何やら魔族とは違う存在のようにも見えるがな」
ガイウスが部下とそんな会話をしていた丁度その時、ムラクモが姿を現し、彼らの間を縫うように進んだかと思えば、彼はそのまま当然のようにその〝何か〟へと近づいていった。
「そいつは危険だムラクモ殿!」
ガイウスはそう忠告するが、ムラクモはヒラヒラと手を振りながらこう答えた。
「大丈夫だ。なにせコイツは俺の使い魔のようなものだからな」
「へ?」
素っ頓狂な表情となるガイウスを他所に、ムラクモは佇む〝何か〟へと話しかけた。
「見つかったか?」
そう訊ねるも勿論、〝何か〟は返事をすることは無い。
しかし通じているのかそれを肯定するように大きく頷いていた。
「よくやった。それで……そいつらは今どこにいるんだ?」
ムラクモが再度訊ねると、その〝何か〟は大きく口を開き、そしてドサッとその口から三人の少女を吐き出した。
それを見ていたムラクモは苦笑いをする。
「お前なぁ……見つけ次第保護して連れてこいとは言ったが、誰も〝飲み込め〟とは言ってねぇよ」
そう言われた〝何か〟だったが、よく理解出来ていないのかその場で首を傾げる。
「あ〜あ〜完全にノビてら。もうちょい良い方法があっただろうが」
ムラクモがそう話すも、〝何か〟はまるで〝そんな事を言われても〟とでも言うかのように自身の頬をポリポリとかいている。
「まぁいいか。んじゃ、これで役目は終わりっつー事で〝戻れ〟」
そう話すムラクモが徐ろに左手を肘ほどの高さまで上げると、その手に一冊の本が現れる。
その本が自ら開きパラパラとページをめくると、彼の目の前にいた〝何か〟は吸い込まれるようにその本の中へと入っていった。
「一人だけかと思ったらまさか三人いたとはな……運ぶのはコイツに任せるか」
ムラクモは呟くと本を手に取り、今度は右手で勢いよくページを開く。
「其は全ての始まり、そして終わりを司るもの。汝、其の呼び掛けに応じ、その身を現せ。汝は終焉を告げし獣の徒、その眷属たる獣なれば、遥か気高きものなり────魔獣招来〝魔天狼〟」
ムラクモが詠唱を終えた瞬間、本から一匹の黒い狼が飛び出し、クルクルと擦り寄るようにムラクモの周りを一周する。
「よしよし、ちょっと手伝ってくれるか?」
ムラクモがそう問いかけると、狼は〝勿論〟とばかりに遠吠えをした。
「んじゃ、そこに転がってる三人を宿まで運んで欲しい。その時にこの紙を宿の女将さんに見せてやってくれ」
そう命じられた狼はムラクモが差し出した手紙を咥えると、今日にサタナキア達を担いでその場から去っていってしまった。
その一連の光景をポカンとしながら見ていたガイウスだったが、直ぐに我に返ってムラクモへと詰め寄った。
「ムラクモ殿ぉぉぉ!今のはいったい何なのだ?!」
「アレか?アレも俺の使い魔だ。だから警戒するこたァねぇよ」
「確かにそうだが!しかし先程のようなものは見たことがない……あれは魔法の類か?」
「あ〜……悪ぃが機密情報でな。おいそれと話すことは出来ねぇんだ」
「それで納得するとでも?」
「しねぇというのは理解してるが、でもさ、よく言うだろ?〝知らない方が良い事もある〟ってな」
未だ納得がいかないガイウスだったが、これ以上の追求は無意味だと悟り、喉元まで込み上げていた疑問を一気に飲み込む。
しかし一つだけ疑問に思うことがあり、それだけはムラクモへと訊ねた。
「一先ずは聞かないでおこう。しかし先程の娘達は貴殿の知り合いか?」
「え?昨日話したろ?アレが魔王の娘だよ」
「………………今、何と?」
ムラクモの言葉にガイウスは耳を疑い、確認の為に改めて聞き直す。
するとムラクモは再度あっけらかんにこう答えたのだった。
「よく聞き取れなかったか?だからアレが魔王の娘だって言ったんだよ」
「…………」
暫しの沈黙……一瞬思考がショートしたガイウスだったが、脳内でムラクモの言葉を反復した事によって、彼がどれ程の爆弾発言をしたのか理解し、その目はみるみると大きく開かれていった。
そして愕然とした表情で、部下達と共に驚愕の声を上げたのだった。
『なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!』
とある街で起こった衝撃の出来事……。
この出来事がこれから繰り広げられる、一人の転生者と魔王の娘によって紡がれる騒々しくも愉快な異世界でのスローライフな日々の幕開けとなるのだった。