戦国航空第0905瓶~夜の小鳥はナイチンゲール~
白いものが見えた。
少しの沈黙のあと、それが天井だと認識できるようになった。
「おはようございます。具合はどうですか?」
白衣の男性。
看護師。
「……普通、ですの」
そう、まさに「普通」だった。
外は明るい。どう考えても2時間以上経っている。
それなのに、夢を見ていない。
「私、うなされていませんでしたの?」
「うなされて? ……いえ、そんな報告はありませんでしたよ。もっとも、眠っていたというより『気絶していた』状況に近かったので、うなされること自体できなかったのかもしれません。……今、先生を呼んできますね」
◇
「……いやはや、凄い回復力じゃな。これも、若者のパワーなのかのう」
聴診器をいじりながら、感心する老婆。そんな彼女の胸には、きちんと医師としてのネームプレートが揺れている。
「今日中に退院できますの?」
「半日しか休んでいないことがちと気がかりじゃが、バイタル的には問題無しじゃ。明日から登校して良いぞ。……刺さっていた包丁も持って帰るか?」
「適当に処分しておいてほしいんですの」
「そうかい。……それにしても災難じゃったのう」
「こういうのには慣れっこですの」
「それは慣れて良いもんじゃないぞ。自分の身は、大切にするんじゃ。体の傷は、よっぽど深くない限りは治る。再生する。……でも、心の傷は訳が違う。小さな傷。大きな傷。どんな些細なものも看過しないことじゃよ。あんまり傷だらけじゃと、お嫁にも行けんくなるぞ?」
「お嫁……」
一人の少女の顔が。
頭の中で浮かんで。
そして。
掻き消した。
「……その人には、その人の人生がありますの」
「……? はて、なんのことじゃ?」
「なんでもありませんの」
私は、遠くから眺めているだけで満足。
包丁によって穴の開いた作業着に着替え、病室を出る。
その前に。
「夜野先生、今日はありがとうですの!」
病院の入り口には、どこかから話を聞きつけた数人の使用人達がリムジンで迎えに来ていた。
「……心配しなくても、自分で帰れましたのに」
「何をおっしゃいますか、お嬢様」
「三瓶家の当主のピンチに気づかず、万が一のことがあったとなれば……天国の奥様と旦那様に顔向けできませんから」
「誘導灯の破片からお嬢様の血痕に至るまで、全て現場から抹消いたしました。……ささ、早くお車に」
「屋敷では、お昼のデザートにブルーベリータルトをご用意しております」
「……世話焼きの使用人達ですのね。なら、それで構いませんわ。…………準備完了ですの。出して頂戴」
「かしこまりました」
いつもと変わらない使用人達の姿に、思わず笑みがこぼれる。
「お嬢様、こちらも」
「ええ」
右隣のシートに座っているメイドからイヤホンを受け取る。
流れているのは、そう。
私のお気に入りの、いつものだ。
◇
~数時間前 三瓶邸~
「ええっ! ときわお嬢様がお怪我を!?」
「はい、今すぐ向かってください」
「か、かしこまりましたっ!」
ちょび髭の使用人が駆け出し、周囲の使用人もあたふたし始めた。お姉様が怪我をすることなど、珍しいことでもありませんのに。
ときわお姉様の行動は、この「通信ベルト」で全て分かります。
どんな場所にいようとも。
どんな交友関係を持とうとも。
お姉様の全てを知りたい。
それは罪ではありません。
愛、故に、です。
「お姉様、もっともっと強くなってくださいね」
願いを込め、ダーツの矢を射る。
残念ながら、中心から少しばかり逸れてしまいました。
「……せつなお嬢様は、それでよろしいのですか?」
「もちろんです。多少怪我をしてくれた方が都合が良いので。……多くの傷を抱えることで、自身の痛みに慣れ、痛みを痛みと感じなくなる。やがて『痛み』の概念を忘れたお姉様は人々の痛みも、叫びも、意に介すことがなくなり……より支配者としての完成度を増すのですから。……この運行計画に不満でも?」
「いっいえっ、そんなっ」
「そうですよね。お姉様の存在は絶対なのです。この世界に生きとし生ける全ての生命よりもずっとずっと崇高で、気高く、偉大なのですよ。お姉様の言葉こそがルール。そして真理。お姉様は王。百合の魔王……」
さらに願いを込め、ダーツの矢を射る。
真ん中に命中しました。
「やはり、運命もそう言っているようですね」