戦国航空第0904瓶~赤き閃光、俊敏なり~
やっぱり食事というものは、私に栄養だけじゃなく、エネルギーをも与えてくれる。口の中に残っている柴漬けの香りを噛みしめながら、私三瓶ときわは誘導灯を振る。
夜の街。街灯やネオン、そして工事作業中を車のドライバーへ知らせるための電光サインが街を彩るように、道行く紳士淑女もまた、頬に色を付けている。日付が変わってしばらく経ったこの時間帯。私以外は、お酒の回った大人達がこの地を支配している。
男に手を引かれ、まんざらでもなさそうなロングスカートの女。
修羅場が佳境を迎えたらしい、金髪の男とカチューシャの女と冴えない眼鏡の男。
緑色っぽい車に押し込まれる二人組の女達。
……それを認識した瞬間、体が勝手に動いた。
「皆川先輩、あとは頼みましたの!」
「ん? なんだって?」
「誘拐! さっさと警察呼びやがれですの!」
◇
車は直進を続け、繁華街から市内西部の住宅地へ入っていった。
視界には捉えている。だが車と人とでは走力の差は圧倒的。追いつけるはずがない。
部活動の一環で長距離を走っている自分でも、そろそろ限界が近い。
離されていく距離。尽きていくスタミナ。さらには上り坂が体力をどんどん削っていく。
「はぁはぁ……。……この辺り、たしか……」
この時間、この地域なら、アレが使える。
「俊瓶、爆走!」
近隣住民にしっかりと聞こえるよう、声を張り上げて走り続ける。上り坂を車が右折し比較的平坦な道に差し掛かったが、この身ひとつで追いかけるのは既に限界だった。
叫んでから十秒と経たないうちに、左の坂道から自転車のシャアアアという音が聞こえてきた。
「おばあちゃん、ナイスタイミングですの!」
左に上り坂、右に下り坂。その十字路に入ったところで音の正体……補助輪付きの無人自転車のハンドルを逃さず掴む。
これは合図。私が、自転車を必要としているサインだ。
流れるように乗り込み、ペダルを回す。
自転車で自動車を追跡するのだ。もちろん、事故を起こせば大怪我をするレベルの速度を出さなければ追いつけない。
けれどそれでいい。
私のこの命は、自分のためじゃない。
人のためにあるのだから。
「待ちやがれですっのぉぉぉぉぉぉっ!」
幸いにもこの時間だ。道に人気はなく、人身事故の心配は少なそうだ。これなら、最悪事故っても怪我人は自分一人で済む。
◇
これで追いつけないなんて、現役自転車部員の名が廃る。
追いついた。けれどこのままでは車を止められない。
運転席の真横を並走し、一か八かの賭けに出た。
急にこちらへハンドルを切られてもギリギリ当たらない程度まで近づき、運転手へ向けて視線で挑発する。サムズダウンを送ることもできなくはないが、流石に片手運転だと不安定になってしまう。
勢いそのままに車の真正面へ躍り出る。
轢かれるかもしれない。……が、これしか思いつかなかった。
嬉しいことに轢かれることはなく、車はスピードを落としていった。
ついに停車したことを自転車のミラーで確認し、こちらもブレーキをかける。
私の思惑通り、逃走するよりも邪魔者を排除する方向へシフトしてくれた。これで、警察が来るまでの足止めができる。深夜の住宅街。こんなところで騒ぎを起こせば、通報の一つや二つもあるだろう。その通報を頼りに、警察が駆けつけてくれればいい。
運転席と後部座席からそれぞれ男が一人ずつ降りてきた。小太りで坊主頭、同じグレーのジャージを着た……背格好のそっくりな若い二人組だった。双子だろうか。
「……お前さ、何?」
「……たまたま鉢合わせた、ただの魔王ですの」
「魔王?」
「にいに、コイツ中二病だよ。絶対」
車から女達が出てくる気配はない。怯えているのか、それともまだ仲間が……。
「お前みたいな存在はてぇてくない」
「そうそう。僕達双子はてぇてぇ百合しか愛さないのさ。あの二人を『○○○○しないと出られない部屋』に閉じ込めて……ぐふふっ。そうだよね、にいに?」
「我ら兄弟のてぇてぇ計画を邪魔するとは……お前、最低だな」
「とんだ『てぇてぇ兄弟』ですのね。……最低上等ですわ。私は魔王。忌み嫌われるのは慣れっこですの」
兄が金槌、弟が包丁を手にし、襲い掛かってきた。こちらも、自転車のハンドルに括り付けていた誘導灯で対抗する。
男達の同時攻撃。赤く光り続ける誘導灯を振り、応戦する……。包丁による斬撃は受け流せた……が、金槌のたった一撃で、誘導灯はあっけなく割れてしまった。
「催涙瓶時雨っ!」
すかさず作業着のポケットから小瓶を取り出し、地面へ投げつける。今夜は風が強く、中身の玉ねぎエキスの効果は得られなかったようだ。
でも、相手へ隙ができた。
「撲投瓶殴蛇ぁっ!」
その間に撲投瓶殴蛇の注ぎ口に繋がっているゴムバンドを両手首に装着。二本同時に二人目がけてブン投げる。左手の瓶は弟の額へ命中した。ゴッという音ののち、弟は地面へ伏した。
この二本の瓶「撲投瓶殴蛇」は市販の瓶よりも頑丈に作られており、殴ったり投げたりするのに向いている、中・近距離戦用の瓶だ。「撲ったり投げたりする為の瓶」で「ゴムバンドを使う様が、蛇が獲物を殴る様子に似ている」ことからこの名前を付けた。ネーミングセンスや扱い方は弟の言う通りかもしれない。中二病で構わない。
「弟よ! ……くっ、お前……人様の家族を傷つけて、なんとも思わないのかっ!」
「っ!」
そうだ。私は今、人に暴力を振るっている。
自分の正義を貫くために、人に危害を加えている。
その行動は独り善がりで、身勝手で。
「ぐっほぉっ!?」
考えていたせいで、判断が遅れた。
右手で振りかぶられた金槌による衝撃が、私の左のこめかみを貫いた。
金槌から伝わったエネルギーが頭を右方向に動かし、首から下がその巻き添えを喰らった。
慣性の法則。
徐々にその量を減少させながらも、横向きのエネルギーは私の右肩を民家のブロック塀に打ち付けるだけの能力を保っていた。
物理的に止まった肩。けれど首というのは実に柔軟なものであり、頭部に残ったエネルギーが側頭部へのダメージに変換された。
「オ……。うっ……」
体内の空気が、微かな声となって漏れ出る。今日、この仕事をしていてよかった。もしヘルメットを着けていなかったらと思うと。
「てぇてぇ百合を邪魔するな!」
襟元を持ち上げられ、踵が宙に浮く。
意識が薄れ始めているのかもしれない。相手の腕の動きが、見えなかった。
脳天に走る衝撃。
背中が、熱い。
……背中?
「にいに、やったよ!」
「無事だったか、弟よ!」
確かに。確かに……私は相手が死なないように……けれどノックアウトできるよう、行動していたはずだった。
それが、こんなに早く起き上がってくるなんて……。
「にいにぃ~!!」
「死んだかと思ったぞ! 心配させやがって……」
私を路上へ投げ捨て、兄弟は熱い抱擁を交わした。見る人が見れば、これも「てぇてぇ」光景なのだろう。
背中は熱いままだ。
今のうちに、呼吸を整えないと……。
「……え?」
パトカーのサイレンが聞こえたと思って顔を上げると、そこには車に押し込められたはずの女達……大学生らしき二人組がこちらを見下ろしていた。
「……かっこわる」
「……」
「言っとくけど、自分が正義のヒーローだなんて思わないで。……別に、自分で逃げられたから。まったく……聖奈に格好いいトコロ見せようと思ってたのに……君のせいで台無し」
「せ……先輩がそう言ってることだし……ごめんね? 名前も知らない女の子」
「い……いいって……ことですの…………」
私がサムズアップして見せた直後「動くな!」の一声で警官らが男達を取り囲んでいくのが見えた。
「被害に遭われたのはあなた方ですか?」
「ええ」
「はい」
「怪我は無さそうですが……こちらで救急車を手配しているので、念のため診てもらってください」
「別に? 要らないけど」
「せ、先輩。一応……ね?」
「……聖奈がそう言うなら」
「では、あちらへ。……おい、この人達を頼む!」
「はい警部!」
「さてと……。お前は元気じゃなさそうだな」
「……子どもは風の子、元気の子……ですわ」
「包丁刺さったままで言っても説得力無いぞ」
「ちょっと……起き上がれませんの」
「言わんこっちゃない。しばらくそのままうつ伏せでいろ」
彼は三条警部。以前空の宮西署で働いた時にお世話になった上司だ。勤務最終日に私が渡した口止め料のおかげで、娘さんがブラジル留学に行けた……と前にお礼の手紙をくれた人でもある。
「担架、用意してくださる?」
「被害者が先だ。第三者は最後」
「それでいいですわ」
「あの自転車は? なんだ?」
「……この坂の上にある『霞原』っていう一人暮らしのおばあちゃんの家に置かせてもらっている私の自転車ですわ。……いたた……。起きている時間帯に大声で叫べば坂を転がしてくれるように頼んでいるんですの」
「民間人にそんなことを?」
「前に金銭面で助けたことがあって、その見返りですわ。こっちのわがままなのに「ボケ防止にちょうどいい」って快諾してくれたんですの。治療してもらったあとで返しに行ってきますわ」
「まったく……。それは部下に頼んでおく。お前はソレを早く抜いてもらえ」
「そう……します……の……」
「……? ……! おい三瓶! 三瓶っ! 起きろっ!」
朝焼けに照らされた三条警部の顔には、焦りの色が浮かんでいた。