隕石の婿-4
「そんなことがあってから、彼を隕石拳の婿殿と呼ぶようになった。それに、村を救った英雄だとか勇者の再来だと称える声も多くてね」
穏やかな笑みを浮かべたまま、村長夫人はルリジオを見た。
「勇者の再来……まあ、こいつは規格外に強いし、納得は出来るが。妻は確かイスヒスではなかったか?」
セパルは「ううむ」と頷きながら、料理を口に頬張った。
「隕石拳は里の物が付けたあだ名のようなものです。本来の名がイスヒス。真の名を名乗れるようになったのもルリジオさんのお陰ですね」
村長夫人が微笑み、腕を寄せると服の上からでもわかる谷間が一層深くなる。
しっかりとそれを見つめながら、ルリジオはゴブレットに入っている果実酒で喉を潤した。
「それで、村に来たのは挨拶のためだけじゃないだろう。どうしたんだい?」
顎髭を撫でながら、村長がルリジオを見る。
食事を食べ終わり、口元を拭っていたナプキンを手元に置いてルリジオは村長の方へ向き直った。
「古の時代に施された結界に不備が出ているんです。そのために勇者の血族を追っているのですが……巨眼の君から、この里に勇者の末裔へ印を授けているご老人がいると聞いたものでヒントにならないかと思いまして」
「ああ、そういえば、勇者と言えば変わったニンゲンが先日来ていたよ」
村長夫人は、何かを思い出したかのように掌を打ち合わせると、自分の伴侶の顔を見つめた。
「くすんだ金色の髪をした男が勇者の血を引く自分こそが英雄だ! ここも紛い物の勇者を祀るのか! と暴れてね。すぐにお帰り願ったが……」
「そのお話を詳しく聞いてもいいですか?」
夫人から見つめられた村長が、顎髭に触りながら眉間に皺を寄せる。
少し口ごもっていたが、ルリジオに促されるようにして重々しい口を開いた。
「王都から来たようで、赤いマントを身に纏い、同じ色の鎧を着た男がいてね……どうにも戦い慣れているように見えなくてなあ。確かに勇者の血族らしくて、長老からは勇者の印を授かったようなんだが」
「村の者がルリジオさんの話をしていたのを聞いた聞いたようでね。急に怒りだして、あの跡地で暴れようとしたのよ」
村長夫婦は顔を見合わせてから困ったように笑う。
自称勇者は、すぐに他のサイクロプスに掴まれて王都行きの大衆馬車へ詰め込まれたと、夫婦は話した。
食事を終えて、村長夫婦から出てきた二人は早速、アビスモに得た情報を知らせることにした。
家に入るときは高く昇っていた太陽もいつのまにか傾きかけている。
「そこの君、帰りの馬車を頼みたいのだが」
近くにいたサイクロプスへルリジオが声をかける。先ほど二人を箱に入れて運んでくれた青年のサイクロプスだった。
彼は気のよさそうな笑顔を浮かべてルリジオの方へ振り向くと、足下にあった箱を手にしてこちらへ近付いてくる。
「早馬を二頭と、立派な馬車を用意しておきました。今、お連れします」
「これで帰りは少し楽そうだな」
ニコニコと笑顔のまま箱に乗ったセパルの後を追ってきたルリジオは、小さな小指ほどの細さの羊皮紙をどこからか取りだした。
羊皮紙を伸ばして、サラサラと何かを書き込む。それから再びくるくると丸めると、指笛を吹いた。
透き通った鳥の鳴き声にも似た音が響くと、一匹の鷹が箱に空いた四角い穴の縁まで飛んでくる。
「これを頼むよ」
鷹の足に着いている筒の中へ羊皮紙を入れて蓋をする。ルリジオが声をかけると、鷹は彼が先ほど発した指笛と似たような音を奏でながら空へ飛び立った。
セパルはその様子を、大きく見開いた目で眺めている。
「便利なものなのだな」
「さて、じゃあ、もう一つの目的も果たしてから帰ろうか」
意味深に微笑んだルリジオは、窓の外に半身を乗り出してサイクロプスの青年を呼ぶ。
「馬車へ向かう前に、巨大樹の滴を用意してもらっていいかな?」
「隕石拳の婿殿にならお譲りしますが……アレは人間には毒ですぜ?」
「大丈夫だよ。人に飲ませたりなんてしないから」
「そういうことなら、馬車に積ませます。おーい!」
にこやかに微笑むルリジオに押し切られる形でサイクロプスの青年は、巨大樹の滴を運ぶために他のサイクロプスへ声をかける。
彼らにとっては小さな樽を片手に乗せて、声をかけられたサイクロプスが馬車の荷台に樽を載せるのがセパルからも見えた。
「アレは何なのだ?」
「アビスモに、君を迎えに来るようにさっきの手紙にも書いておいた。二人揃ってから話すことにするよ」
箱はゆっくりと降ろされ、二人は門の外へ出た。
サイクロプスの青年が用意してくれた馬車が門の前で停まっている。
「王都まで頼むよ」
御者にそう告げて、ルリジオは個室になっている馬車の客室へ向かう。美しい金細工の取ってを引いて扉を開くと、後ろに立っていたセパルに手を差し出す。
慣れない様子でルリジオの手に自分の手を重ねて、セパルは馬車の客室へ乗り入った。
舗装が十分とは言えない道は幾分か揺れるが、座椅子が柔らかいお陰で来たときと同じかそれ以上に快適なまま王都へ戻れそうだとセパルは安堵して、向き合うように座るルリジオへ目を向ける。
「自称真の勇者くんが、結界について何か知っていると助かるんだけどなあ」
「母様を助けてくれようとしているのは嬉しいが……そうなればお前は、母様の夫に?」
「それは蛇髪の君次第だよ。僕は再びあの豊かで煌めいていて柔らかそうな至高の宝への愛を伝えるだけだからね」
ルリジオの一切ブレない自らの母への想いを聞いてセパルは深い溜息を吐いた。
首を傾げたルリジオが、形の良い薔薇色の唇の両端を持ち上げる。
「もちろん、君が魔力を蓄えて、その小さいとは言い難いが、大きいというにも少し躊躇いを覚える胸部が美しい双丘……いや、山脈になってくれたら君への愛も僕は全力で紡ごうと思うよ。そんな心配そうな表情を浮かべなくとも僕は全ての美の女神に平等だ。安心して欲しい」
「そういう心配じゃあないのだ!」
大きな声を出して、ルリジオの差し出してきた手を払いのけたセパルは窓の外へ目を向けた。
月がいつのまにか高く昇り、暗い森の木々を青っぽく照らしている。
ルリジオの方をチラリと見ると、彼は目を閉じて寝ているようだった。腕を組んで座席の背もたれに体重を預けているルリジオを見てセパルは小さく歌を口ずさむ。
「まあ、貴様にも少しくらい感謝はしているのだぞ」
そう言ったセパルは再び歌い出した。
ゆったりとした音程の、穏やかな曲が馬車の中に響く。
静かで魔物一匹出なそうな夜を、二人の乗った馬車はどんどん走って行った。