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蛇髪の悪魔

「ヴェパルは遙か昔にこの世界へ来て、この世界の魔王に仕えていた。だが、旧き神々の力を宿したニンゲンに調伏されたんだ」


 神殿の中は、噴水から流れる水の音と、アビスモの声だけが響いている。

 青く揺れる貝に宿る光が、白い壁に不思議なルリジオたちの影を浮かび上がらせた。


「歌ってくれ、セパル。お前の歌が聞こえたらあいつは目を覚ますだろう」


 祈りの場の前に辿り着いたアビスモは、セパルの腕を掴んで自分より一歩前へ引き寄せる。


「……これが……母様」


 セパルは息を呑んだ。そして、下半身が魚、上半身が人間、髪が蛇の白い女神像の前に立つ。ツヤツヤと光る表面に、そっと手を触れた彼女は目を閉じて息を深く吸い込んだ。

 甘い響きと切なげな響きが複雑に混ざり合った透き通るような歌声が、神殿の中に満ちていく。

 歌声を貸していただけあって、その声は先ほど海で聴いた聖女の歌声と似ているようにアビスモたちは思った。しかし、別物と言って良いほどの魔力に満ちていることにタンペットとアビスモはすぐに気が付いた。

 タンペットが指をサッと振ると、緑色の淡い光が放たれる。光は、フラついてルリジオに背を支えられていた聖女の周りを取り囲んだ。

 不安げな表情をしていた聖女が正気を取り戻したのを見て、タンペットは再び目線を前へ向ける。

 貝から放たれている光が、セパルの歌に共鳴したように光を増していく。

 一行の影が大きく縦に伸び、高らかな歌声の熱も最高潮に達した。

 すると、パキッと言う小さく乾いた音が響き、共に女神像の白く滑らかだった表面に細かなヒビが入っていく。


「母様」


 頭部にある真っ白な蛇がゆっくりとうねる。目覚めた悪魔、ヴェパルの肩あたりで白蛇は鎌首をもたげた。

 パラパラと落ちた白い欠片は床に落ちると消え、紫がかった白い肌が室内の青い光を受けてほんのりと光る。

 ふわあ……と伸びをして、鮮やかな赤いヒレを上下に揺らしたヴェパルは、閉じていた目を開いた。そして、自分を呼んだらしき声の方を橄欖石かんらんせきのように輝く双眸を向ける。


「額の黒い捻れ角……それに美しい闇を纏った白肌……わたくしのことを母と呼ぶその甘く愛らしい声……」


 冷たい光を放っていた瞳は、自らの娘を見ることであっと言う間に和らぐ。そして、彼女の鮮やかな赤い色をした唇の両端が持ち上げられた。

 海藻が絡んだ青い髪を、細く長い指で梳かれたセパルは、心地よさそうに目を閉じる。


「わたくしの愛しい娘……、いつの間にかこんなに大きくなっていたのね」


 大きくV字に開き、乳房の中央だけが辛うじて隠れている布を身に纏ったヴェパルは、聞く者全てを魅了してしまいそうな聞き心地の良い声で、我が子に囁く。

 両手を前へ出して、親子の再会を喜ぶように我が子を抱きしめた彼女は、ややあってから目の前にいる三人へ目を向けた。


「気配が随分と変わっているから気が付かなかったけれど……貴方は魔王アビスモではありませんか」


 言葉遣いこそ穏やかなものだが、そう言った彼女の表情は冷たい。狡猾で冷酷な悪魔に相応しい風格を漂わせている。


「今は魔王をやめているんでな。ちょっとした用事のためにお前の娘を借りた」


「あいつ……我をいじめたのだ!声を取り戻したからあいつに仕返ししようとしたらビリビリって……」


 自分の谷間に顔を埋めて泣き真似をするセパルの細い顎に指を添えたヴェパルは、微笑みを顔に張り付けたまま首を傾げた。


「声を……取り戻す?まさか、大切な声を誰かに貸すなどという愚策をしたというのかしら?」


 泣き真似をやめて黙ったセパルから目を逸らして、彼女はアビスモへ再び視線を戻す。


「それで……わたくしを起こす程の用事とはなんなのです?まだ100年しか寝ていないわ。あと300年は寝ようと思っていたのですが」


 セパルの頭を撫でていない方の手で口元をかくして、ヴェパルは欠伸のまねごとをした。

 そんな彼女の前に、アビスモは聖女の背中を押して突き出した。


淑女レディの身体を勝手に触るのはなしって言ったでしょう?」


 不服そうにアビスモの手を叩き落とした聖女は、ヴェパルに気圧されること無く彼女を真っ直ぐに見つめ返す。

 先ほどまでセパルの歌声で倒れそうになったとは思えない態度にアビスモとタンペットは少々驚いて顔を見合わせた。


「こいつがこの前、セパルの歌声を貸し与えられ、先代聖女を殺し、あんたを目覚めさせようとしたんだが……」


「ああ、あの時の。懐かしい声が聞こえたと思っていたのですが夢では無かったのですね」


 何やら納得したようにヴェパルが頷くと、頭の白蛇たちも一緒に首を上下させる。

 それから、目の前に立っている聖女の印と顔を見比べて小さな声で「ふぅむ……」と声を漏らした。


「あら……女神像も私の美を前にして感嘆の声を漏らしたのかしら?美貌に恵まれすぎるのも困ったものね」


「この強靱な精神力だけが取り柄の醜女に、わたくしが力を授けてしまった……と。確かにこの者の魔力では、結界の効果を十分に発揮できないでしょうね」


 小さな溜息を吐いて、ヴェパルはかぶりを振った。


「用事は終わったかい?僕も蛇髪の君と話をしても良いだろうか」


 ルリジオの声を聞いて、ヴェパルは微笑んで片手を振って見せる。しかし、二人の視界の間にアビスモが身体を捻じ込んだ。


「結界が綻んで、悪魔が異界から侵入している。お前の人選ミスが影響ではないのか?」


「わたくしは悪魔。神々にいつ裏切るかわからない存在として認識されていることくらいはわかっています。ここの結界だけに不備があっても機構システムに致命的な綻びは出ないはずですが」


 真剣な表情のアビスモを鼻で嗤ったあとに、ヴェパルは聖女を見て目を細めた。

 しばし、目を閉じて思案した後に腕をゆっくりと持ち上げて聖女の方を指差した。

 彼女の指先から出たのは青い光の級だ。小指の先ほどの大きさの球はふわふわと浮いて聖女の肩にある印に重なっていく。


 聖女は、肩が痛んだのか一瞬だけ光が当たった場所を手で押さえてうめき声をあげた。

 顔の両端にある小さな目が一回り小さくなり、しっかりとした頑丈そうな顎が僅かに動く。

 痛みに呻いていた聖女が顔をあげると、彼女の顎の真ん中には薄らと一本の筋が通っていた。


「顎が……割れた」


「なんだか……より一層頼もしい見た目になったわね」

 

「これで彼女の魔力を補填しました。見た目がほんの少し変わってしまうけれど、まあ精神力だけはすさまじいから平気だと思います」


 ふわあと欠伸をした女神はどこからか取り出した手鏡を聖女へ向けた。


「おめでとうございますニンゲンの女よ。これで貴女は紛い物の聖女から、本物の聖女になりました」


 聖女は恐る恐る鏡を受け取ってそれを覗き込む。


「な、なによこれ……」


 ルリジオが首を傾げながら聖女の顔を見る。

 わなわなと震えている聖女を見て、タンペットとアビスモ、そしてセパルは眉を寄せて顔を顰めた。

 ヴェパルだけが、機嫌が良さそうに鏡を持って震えている聖女を見ている。


「綺麗になっているじゃない!これが本物の女神の……内側から溢れる美というものなのかしら」


「あ、ああ、うん……そうですね」


 ルリジオ以外が呆れたように息を吐く中、ヴェパルだけが驚いたように目を丸くしながら、彼女が返してきた手鏡を受け取る。


「わたくしとしては、醜く変化させたつもりなのですが、独特な美意識をお持ちのニンゲンのようですね」


 コホンと小さな咳払いをしたヴェパルが、もう一度欠伸をして台座の上でヒレをゆらゆらと揺らす。


「ああ、そう。結界の綻びはさっき言った通り、わたくしだけのせいではありません。ええと、旧い神々の血筋を持つ誰かを尋ねてみるのがいいと思います」


 そう言い終わると、ヴェパルは自分の足下でうっとりとした表情をしていたセパルの肩をそっと叩く。

 顔をあげた愛娘の、額から生えた角にそっと口付けをして、ヴェパルはにっこりと微笑んだ。


「ではそろそろやすもうと……」


 後ろ髪を引かれる思いという言葉の通り、セパルが何度も振り返りながらも母であるヴェパルから離れてアビスモたちの元へ戻る。

 自分とすれ違うようにしてヴェパルに近付く影がいることに、セパルは一瞬遅れて気が付き「へ?」と驚きの声をあげた。


「蛇髪の君……再び永い眠りに就こうとしているところ悪いのだが、貴女の美しい胸元を見ていたら声をおかけしないことは非常に失礼ではないかと思って……。まるで粉にした紫水晶をまぶしたような滑らかで冷たそうな肌、よく見ないとわからないが谷間に僅かにある煌めく鱗、そして時折白蛇たちがその谷間で休む癒やしの力……まるで憩いの広場……全ての生物をその谷間の上で休ませることができることが出来ればどれだけの魂が救われるのだろう……。そんな素晴らしく豊かで柔らかな胸部を持つ貴女が不自由なことには耐えられない。貴女は伴侶ある身……僕が求婚をするわけにはいかないが、貴女を自由にするために何かできないだろうか?」


「あらあら。あらあらあらあら……」


 目を閉じかけていたヴェパルが、目を開く。自分の目の前にツカツカと大股で近寄ってきたルリジオの両頬を両手の掌で挟む。

 形の良い赤い唇の両端が大きく持ち上がった。


「わたくしはこわあぁい悪魔で、とっても残酷で残忍ですよ。自分で言うのはなんですけど、こんなに可愛くて美しくてもニンゲンのことなんてあの契約がなければ弄んで殺して甚振りってやりたいと思っているんです」


 ヴェパルの頭から生えている無数の白蛇が、口を開いてシャーと声を上げる。

 橄欖石かんらんせきのような瞳がギラリと一層強く光り、先ほどまでは満ちた月のように丸かった瞳孔が針の様に細く変わった。


「そんなわたくしを、旧き神が折角嵌めた枷から自由にしたいと本当に思っちゃっていいんですか?」


 大きく舌なめずりをする彼女の舌は青みを帯びている。一噛みすればニンゲンの首に、死に至る程の傷を負わせることが出来そうな鋭い牙が見えた。

 タンペットは小さく身を竦め、流石の聖女も表情を強ばらせる。


「もちろんだ。貴女を自由にして、その巨大で豊かで谷間部分に薄らと柔らかな鱗が生えている魅惑的な乳房の持ち主を妻にしたいと心の底から思っている」


「母様!そいつは異常者なのだ!」


 白蛇たちが威嚇をやめた。ヴェパルも蛇同様毒気を抜かれたようで、迫力のある悪魔の表情を一瞬で消して呆けた表情でルリジオのことを見た。


「はあ。調子が狂いますね。それなら、ヒントのをあげましょう。新しい結界でも作ってくだされば、わたくしが無用になり、旧き神共と結ばされたクソ以下の契約から解き放たれるんじゃ無いでしょうか。まあ、無理だと思いますけど」


 自分の頬にすり寄ってきた白蛇の頭を指で軽く掻きながら、話終わったヴェパは、視線を蛇から前へ戻す。それから、自分の谷間をまっすぐと見ているルリジオの頬へ手を伸ばしてそっと撫でて微笑んだ。

 それから大きな欠伸をすると「おやすみなさい」といって像の時にとっていた姿勢を同じポーズを取る。彼女がゆっくりと両目を閉じると、ヒレの先端から徐々に身体を白くなっていった。

 あっと言う間に元の石像になった彼女を後にして、四人は神殿を後にした。

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