海月の聖女-4
「醜女、お前は後から優しく喰ってやろうと思ったが邪魔をするなら片付けてやるぜ」
「聖女サマは下がってな。生きたままセパル様に引き渡さなきゃならねえからよお」
「美人なお姉さんはたぁっぷり怖がらせてから気持ちよくしてやるぜー」
気配を抑えながら駆けつけたお陰で、アビスモとルリジオには夢魔たちは気が付いていないようだ。
影に身を隠しながら、声のする方を覗き込んだアビスモが、その光景の意外さに目を丸くする。
背中から蝙蝠のような羽根を生やしている夢魔たち三人の前には、昼間神殿で会った聖女が立っていた。
聖女の背後には、戸惑った表情を浮かべてタンペットが立っている。
「どういうことだ」
アビスモがルリジオと顔を見合わせていると、夢魔たちがじりじりと聖女とタンペットに近寄っていく。
「あんたたちが私に何かしようと企んでいるのは、わかってたのよ!美しい物に惹かれるのが夢魔だし、仕方が無いと思って様子を見ていたけれど」
にやついていた夢魔と、戸惑っていたタンペットが同時に首を傾げる。
しかし、聖女は真剣な表情のまま言葉を続けた。
「ダサい田舎者の女をその気にさせて罵るなんて酷いこと、私が見逃すわけないでしょ!」
「はあ!?」
「いいから、貴女は大人しくしてることね」
目をつり上げて思わず大声を上げたタンペットを、聖女は肩越しにチラリと見て、鼻で笑った。
納得いかないような表情を浮かべつつも、口を噤んだタンペットを見て黙っていた夢魔たちがいらついたように声を上げる。
「楽しい時間を邪魔しやがって」
「悪魔でも、美しい者を崇めたい気持ちがあるのなら仕方ないと思っていたけれど、悪さをするのなら容赦はしないわ」
聖女が大きく息を吸い込もうと目を閉じた。
それに合わせて、夢魔が懐から出した何かを地面に叩き付ける。
あっというまに辺りは、濃い灰色の煙に包まれた。
「ケホ……なに……」
「歌で魔法を操るって下調べは済んだからな。それなりの備えはさせてもらったぜ」
「さっさとこの醜女を捕まえて、そっちの美女と楽しく……」
背を折り曲げて、涙目になる聖女を嘲るように夢魔たちは笑う。
しかし、聖女に近付こうと一歩前に踏み出すした彼らを、どうっという音とともに吹いてきた強風が襲った。
灰色の煙はすぐに霧散し、そこには眉間に皺を寄せたタンペットが立っている。
「親玉の名は掴んだようだし、もういいわよね」
自分の目の前に立っている銀色の髪を靡かせている女を、聖女は涙目になりながら見つめた。
ケホ……ともう一度咳をする。膝を湿っている床に付いた彼女の肩を誰かが支えたことに気づき、煙が入ったせいで痛む目を擦りながら聖女は自分の隣へ目を向ける。
「君が手を下すのかい?」
「貴方、手加減は苦手でしょう?」
にこやかに微笑みながら、聖女の肩を支えるルリジオの方を見もせずにタンペットは不敵に笑う。
仄かに緑色の光を放つ風がタンペットの周りに渦巻く。
靡く髪を片手で押さえながら、タンペットは驚いている夢魔たちの方へ手を差し向けた。
「クソ……!魔法を使えるやつがいるとはな」
慌てて障壁を張ろうとする夢魔たちの足下に闇よりも濃い影が伸びているのを、彼らは気付いていない。
目を見開いて口を開こうとした聖女の唇に、ルリジオは人差し指を当てて微笑む。
「所詮は人間の使う魔法だ!下級とはいえ俺たち悪魔に魔法が……ぎっ!」
風をはねのけて前に飛び出そうとした夢魔たちが、苦しそうに首元を抑える。
足下から伸びていた影が、彼らの身体に絡みつき、首をぎちぎちと絞めていた。
「手加減したのよ。それくらい気が付きなさい。それに」
足下から伸びてきた影によって完全に動きを封じられ、地面に転がる三人の夢魔たちに近付いていく。
三人の中で一番近くにいた夢魔の腹を蹴り、仰向けにさせた彼女はぞっとするような冷たい視線で彼を見下ろしながら微笑んだ。
「妾は人間ではなく、エルフよ。下級の悪魔さんたち」
「あ、あなたたちは……?」
ルリジオが差し出した薬を飲んだ聖女は、喉元を抑えながら二人を代わる代わる見つめる。
「王都から来た者だ。騙すような真似をして悪かったな」
姿を隠していたアビスモの言葉を聞いて、地面に転がっている夢魔たちが大きな唸り声を上げた。
「口くらいきけるようにしてやろう。聞きたいこともあることだしな」
アビスモが指をさっと振ると、夢魔たちが咳き込む。喉に食い込んでいた影だけが消え、彼らの口からは様々な罵倒が吐き出された。
ヒュンっと風切り音が聞こえ、一人の夢魔の首が転がるのを見て、他の二人は押し黙る。
「お前さあ……」
アビスモは、呆れたように額に手を当てて、いつのまにか剣を抜いていたルリジオへ目を向ける。
剣を勢いよく振り、刀身にべったりと付着した血を払って、白銀に輝く剣を鞘へもどしながら、ルリジオは微笑んだ。
「悪魔を斬っても異界に残した本体があれば死なないって聞いているよ。それなら、一人くらいこうしても構わないだろう?」
悪びれた様子も見せずに、彼は怯えたような表情を浮かべる聖女の隣へ戻ると、片膝立ちで跪いた。
「さあ、海月の聖女、こちらへどうぞ。君の胸に浮かんでいる、素敵な双子の月が汚れたり傷ついたら大変だ」
さすがの聖女も、どうしていいのかわからないようだ。戸惑った表情を浮かべてアビスモとタンペットを見るが、二人は力なく首を横に振ったり、肩を竦めるだけだった。