醜い器-2
「知らないヒト……肌の色も白いし……綺麗な髪の色をしている……」
「君、僕が見えるのかい?」
「ええ。見えるわ……貴方は誰?わたしを殺すの?」
洞窟から聞こえてきた声は、しわがれた老婆のような声だったが、口調は少女のソレだった。
普通の人間なら、気味悪がるだろう不気味な声だ。しかし、ルリジオは意に介さずと言った感じの淡々とした口調で、恐ろしいしわがれた声をした何かを会話を続ける。
「僕はルリジオ。頼み事をされて、村の干ばつをどうにかするために来たんだ。君を殺すかはまだわからない」
「はなしを……きいてくれる?」
「いいとも。話を聞かないことには君を殺すかも決められないしね」
「わたしをたすけてくれたら……あなたにいいものをあげられるかもしれないわ」
「僕の目的は、村に水を取り戻すことだけだ。お礼に興味はないよ」
「わたしのこころ……ほしくない?」
「僕の剣がこの岩ごと君を切り裂かない内に、僕が聞きたいことを話してくれると助かるんだけどな」
かつて呪われた子と呼ばれた魔女は、ルリジオに自分の生い立ちを話し始めた。
魔女が話した「この世界に生まれ、砂漠に帰れずここにずっと閉じ込められている」という生い立ちは、村の長を名乗った甲虫の話と同じだった。
しかし、甲虫と食い違っていることもある。それは、あの甲虫が村を呪っている張本人だということだった。
ルリジオは、魔女の言葉を聞いて首を傾げた。
「僕としては、どちらの言い分が信じられるのかわからないし、面倒だから君も村の長を名乗る甲虫も切り捨ててしまいたいところだね。それで問題が解決出来るのなら今すぐにでもそうしたいんだけど……一つだけ聞いてもいいかな」
ルリジオは、細くて綺麗な自分の顎を一撫でして、魔女の声がする方へ目を向ける。
「君をずっとこんな洞窟に閉じ込めていた村人が憎くないのかい?村に水が戻っても君はきっと村を救った英雄にはなれないよ」
「わたしはわたしの役目を果たすために生み出されたの。だから、役目を果たすだけ。役目を果たせばわたしは肉の檻から解き放たれて砂漠に還れる」
「役目?」
「この危機はわたしが生まれたときから決まっていた。わたしはわたしの罪を償うため、砂漠にも還れない肉の檻に閉じ込められここでずっと待っていた」
「他の人が来たはずだろ?」
「飢えた村人は……わたしの肉を食べてわたしの一部になったわ。やめたほうがいいと言って止めたのだけど」
ルリジオは、村長の小屋前にちらばっていた骨と武器を思い出す。俯いたルリジオは、考え込むように顎の下に手を当てた。
伏せた睫毛が目の下に影を作り、作り物のように美しいその額に宝石のような汗の粒がたくさん浮かび上がってくる。何かを思いついたのか、ゆっくりと顔をあげた彼は、洞窟の方を見て口を開いた。
「暑さを和らげる装備をしてきたとは言え、さすがに辛くなってきた。考え事をまだしたいし、その洞窟の中に少し入れてくれないか?」
「何を言ってるかわかってるの?」
ルリジオの言葉に先程から驚くこともなく対応していた魔女だったが、さすがに驚いたらしい。少し声を荒げた魔女は彼の言葉に間髪入れずにそう応えた。
「暑いからその洞窟の中へ入れて欲しい。岩を壊してもいいかい?」
「……村の長の話とわたしの話は聞いていたのよね?わたしは見た目も醜い呪われた魔女で……一応村を呪った容疑がかかっているのよ?」
「聞いていたよ。それで、僕の要望は聞いてくれるんだろうか」
「……。あなたが怯えて逃げ帰らないのなら好きにしていいわ」
それを了解と取ったルリジオは、手にしていた剣を腰のベルトにかける。彼は、大きく息を吸い込むと、その場で大きく腕を振り上げた。
そのまま岩の塊の上に拳を打ち下ろす。すると、洞窟の入り口を塞ぐように置かれていた岩の一部が砕け散った。露わになった洞窟の入り口に、人が一人通れるくらいの隙間が出来たことを確認したルリジオは、なにもためらわずに洞窟の中へと足を踏み入れる。
「……そこに、外から鍵が駆けてある扉もあったのだけど……」
「ありがとう。今度はそれを使うことにするよ」
そう言って微笑んだルリジオは、洞窟の中にいた魔女の方へ視線を向ける。
甲虫が言っていた通りの見た目をした魔女を見ても、ルリジオは驚いたり怯える様子はない。
魔女の全身は火傷をしたように皮膚はただれ、瞼だけではなく、ヒトの体の中で出っ張っているところ全ての肉が弛んで飛び出している。
赤黒い皮膚の所々が、薄ピンク色に剥げていておぞましいまだら模様を描いている。魔女の頭髪に生えている僅かな髪の毛らしきものは、ルリジオが開けた穴によって外から吹き込んできた風によって揺れる。
世界中の醜いを煮詰めてまとめたらこうなるのではないかという化物を見ても、ルリジオは声をあげなかった。
その代わりに、彼は魔女の胸部を凝視する。
「なんだ。醜い醜いときいていたけれど、君はこんなに美しいじゃないか」
爛れてたるみ切った皮膚に覆われた顔からは表情がわかりにくい……が、魔女はルリジオの言葉に驚いているような様子だ。
「失礼な頼み事をするのだけど、君のことを抱きしめても構わないかい?」
戸惑いながらも、彼の言葉に頷いた魔女を、金髪碧眼の美しい青年はやさしく抱きしめる。
そして、しばらく抱きしめて目を閉じていたかと思うと、彼女の両肩に手をおいて口の両端を持ち上げながら魔女の顔を見て彼はこういった。
「ああ……予想通りだ。ありがとう。君のその赤とピンクの斑な肌、イボが細かく生えているからこそ実現できるこの鱗でも毛皮でも味わえない独特のザラザラとした手触り……そして……そんな最高の個性的な肌が包んでいるのは至高の宝……。この伸ばしたパン生地のような愛しい形、やわらかさまで焼く前のパン生地のようで本当に素晴らしい……。皮の下に埋められているこの拳大の車輪は生まれつきなのかな?ただ柔らかいだけでなく、触れて少し動いたときにこの車輪が無機質な違和感を伝えてきてとても個性的な感触を味あわせてくれる。君みたいな最高に美しい女性に出会えて僕は本当に幸せだ」
「え?」
「わかった。君を信じよう。今すぐあの甲虫を切り捨ててくればいいんだね?そうしたら君に改めて告白させてくれ。僕の妻になってほしい」
二人共切ると言っていた目の前の男が、急に態度を変えたことにさすがの魔女も狼狽える。
「切らないで……。ちゃんとした儀式をしないと干魃の呪いは溶けないの。木の棺と炎……そして生贄がないと」
「わかった。君に難しいことなら僕が全て代行しよう。なにをすればいい?」
「……ちょっとまって……。わ、わたしはこんなに醜くてそれに信じてもらうような証拠もないのになんで急に信じてくれたの?わたし、自分が気が付かない内に魅了とか洗脳の呪法を使ってしまったんじゃないか心配になるわ……」
※※※
「これ絶対に巨乳ですよっていうパターンだ」
話を聞いていたアビスモは、ついモハーナの話に口を挟む。
モハーナは、それを叱ること無く黙って頷いた。
「でも、ルリジオってさ、こんな巨乳じゃないなら切り捨てても構わないみたいな性格だったっけ?割とあいつおっぱいに関係なくなるべくなら色々殺さないように動くイメージあるけど」
「胸がない人達を守ったり、私達を助けるために王都を滅ぼそうとせずにまず自己犠牲をしてみたり……倒しても問題のない魔王を相手にしてなるべく暴力を振るわずに交渉してみたり……以前と比べてルリジオ様は本当に変わったんです」
「待って……それって俺のことも例にしたよね?」
「以前のルリジオ様なら、暁色の髪を持つ彼女……アソオスさんといったほうが伝わりやすいかしら?彼女が傷つけられた時点で私達に何も言わずに貴方の城を破壊して、城内にいたものを根絶やしにしていたと思うわ」
「え……お前らの眷属なしでもそんなに?」
「アレは……ルリジオ様がキレたときになんとかするために派遣していたのです。表向きは加勢の意味もありましたけど。多分、他の妻たちもみな気持ちは同じだったと思います」
アビスモは、ルリジオと初めて遭った時の「貴方が協力してくれたお蔭でとても助かりました」という言葉を思い出して、自分の首元に手を当てた。
あの時、ベリトの体を有無を言わさず切り伏せたのがどうやら本性というか元々の彼だったらしいと理解したアビスモは、頭痛でもするのか額を指で抑えながらため息を吐いた。
「ここで聞くのをやめてもいいのですよ?」
「聞かせてくれ。それからいろいろ考える」
「と言っても、私から話せるのは此処から先多くはありません……。その魔女が、儀式の話をするときに……何故か愛しの夫を覗き見していたはずの宝玉が何も映さなくなってしまったので……」
モハーナはそう言って、自分の見たことを再び話し始める。
急に魔法の宝玉が機能しなくなったことに心配になったモハーナは、ハラハラしてずっと部屋でその宝玉を眺めていたと言葉を続けた。
一日何も音沙汰がなかったら、自分の眷属たちに彼を探してもらおうとしていたが、幸いなことにルリジオの胸につけていた宝玉は半日ほどしてから再び光を取り戻した。
宝玉は、モハーナにルリジオが見聞きしていることをそのまま伝える役目を再開したようだった。
急いで覗き込んだモハーナは、自分の目を疑ったと、真剣な声で話す。
宝玉に写っているのは彼が見ているはずの光景。
そこは、彼が最初に訪れた村の横にある川があったはずの場所のようだった。
干上がる前は川底だったであろうそこには、真っ赤な花のように内臓や血を撒き散らして息絶えている大量の魔物の姿があった。
微笑みを浮かべたままのルリジオは、そのまま砂漠を越えて、魔女が閉じ込められていた洞窟へと戻っていく。
そして、呪われた子といわれ、長年閉じ込められていた魔女の手を取って洞窟から連れ出して向かい合った。
宝玉を覗き込んでいたモハーナは「これが次に増える新しい家族か」と呑気にしていたので、その次に自分の目に飛び込んできた光景がなにかの幻覚じゃないかと自分の頭を疑った。
ルリジオの手に握られていた光輝く剣が、魔女の心臓を貫いたのだ。
魔女が夥しい量の血を吹き出しながら、世にも恐ろしい声で断末魔を上げると、ルリジオは魔女に駆け寄り、座り込む。
そしてルリジオは事切れる前の彼女の手を取り、自分の心臓にあてて目を閉じた。
閉じた目からスッと涙を一筋流すしたルリジオは、急に立ち込めてきた暗雲から注がれる雨を、全身で受け止めるかのように顔をあげて手を広げた。
かと思うと、その場に仰向けに倒れて動かなくなった。