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雪月花 Ⅰ  作者: 仙田洋子
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Ⅰ   

   

 四月のお題は「行く春」だけのはずだった。

 少なくとも、三月の句会で高見沢春子はそう説明していた。

「いいですか、皆さん。春子の春ですからね。私のためにもいい句を作って下さいよ」

 そう念を押しただけでは足りず、生徒達に「行く春」の風情を少しでも理解してもらおうと、春子は『おくのほそ道』の有名な旅立の一節のコピーを配り、朗唱までしてみせた。

「弥生も末の七日、明ぼの>空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそ>ぐ。

  行春や鳥啼魚の目は泪

 是を矢立の初として、行道なをす>まず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし」と。

 とりわけ〈行春や鳥啼魚の目は泪〉は、情感を込めて二度繰り返して読み上げた。

「では、また来月お会いしましょう。皆さんの力作を楽しみにしています。お一人七句、よろしくお願いしますよ」

 そう言って立ち上がりながら、四月は「行く春」の句とお付き合いをすることになるのだな、と春子は覚悟を決めていた。『高見沢春子俳句塾』の五人の生徒達との付き合いも、かれこれ半年になっていた。


   *****


「覚悟を決めていた」という表現から察しられるかも知れないが、春子は決して教師向きの人間ではなかった。

 新人賞をもらって俳句の世界に首を突っ込んでから二十年近く経ったが、本業が教師という俳人の数の多さにはいつも驚いていた。学校の先生ではなくても、俳句を教えて先生と呼ばれることの好きな人間もまた、春子に言わせれば仰天するほど多かった。

 弟子を集めて主宰を名のる俳人があちらこちらにいて、彼らを先生とする結社が至る処に出来上がっている。その規模は、十数人のこぢんまりとしたグループから千人を超える大所帯まで様々だ。

弟子達の主な務めは、毎月主宰や主要同人(十分な実力があると主宰が認めれば、会員は同人になることができる)の指導する句会に出て勉強すること、毎月結社誌に投句して主宰の選を受けること、そして年会費を払って結社の運営を経済的に支え続けることである。結社誌の基本は主宰と同人および会員の俳句や文章を載せることであって、商業的には全くと言っていいほど売れないからである。

 いったん結社を立ち上げて主宰になったからには、毎月句会で教え続け、弟子達の句を選び続け、指導し続けなければならない。秀品や佳品として選んだ句には、順位をつけて短評を書くのが普通だ。

 人間という生き物は、つくづく競争好きにできている。スポーツやビジネスだけではなく、俳句のようにおおよそ競争とは無縁で長閑に見える文芸活動であっても、順位をつけることによって、弟子達のモチベーションは確実に上がる。

 句会に於ける弟子達の最大の関心事は自分の句にどのくらい点数が入るか、そして何よりも先生の選に入るかどうか、それもどの順位で選ばれるかということだ。

 結社誌でも、最上位に選ばれれば、巻頭を取ったとして格別に名誉なこととされる。五句投句して五句とも選ばれて掲載されるか、それとも四句ないし三句しか選ばれないか、あるいは二句や一句しか選ばれないかどうかも、大変重要なことだ。

 その他にも主宰の仕事はたくさんある。編集部のメンバーと一緒に毎号の企画を立てたり、印刷所に通ったり、自ら校正をしたりすることもある。弟子達のモチベーションを保つために、毎年のように、会員から新しい同人を抜擢しなければならない。そのため、年数を経た結社では、会員よりも同人の数の方が多いこともあるくらいだ。

 更に、結社としての団結心を培うために、創刊五周年、十周年などの節目節目には、記念大会をはじめ様々なイベントやコンクールを運営しなければならない。その都度寄付金も募らなければならない。

 弟子達を率いる以上、「毎月同じ事の繰り返しで飽きた」とか、「自由に旅行にも行けずに嫌になった」などといういい加減な理由で主宰を辞めるわけにはいかない。俳壇広しといえども、そんな不真面目な理由で主宰業を放り出した人など聞いたことがない。マイペース人間の春子には、到底務まらないことに思われた。

 しかも、大抵の場合、主宰業は金銭的に大して報われないらしい。

 親しく付き合っていてもお金のことは意外に聞きにくいものだが、ダンディなことで名を馳せていたある六十代前半の主宰が、「僕は外資系コンサルティング業界にいたんだよ。コンサルタント時代はそれなりに稼いでいたけれど、それと同じくらい俳句で儲けて来いと家族に言われるから大変だよ。句会の指導料を貰ったり、弟子が出版する句集の序文を書いて原稿料を貰ったりして、何とか頑張ってはいるけどね」とアルマーニのスーツに身をかため、高級フレンチレストランでドン・ペリニョンを飲みながら教えてくれたことがあった。だから、頑張れば主宰業でもそれなりの金額を稼げるのかと、当初春子は思い込んでいた。

 どのみち主宰などという面倒くさいものになる気のなかった春子には、主宰業でいくら稼げるかなどどうでも良かった。だが、ダンディ俳人はロレックスの腕時計まではめていたから、「それなりの金額」とは相当なものに違いないと勝手に思っていた。

 しかし、後でわかったのだが、ダンディ俳人は例外中の例外だった。外資系コンサルティング企業から貰っていた給料も半端な額ではなかったが、彼の家は曾祖父の代からの資産家だったのだ。もちろん俳人としても有名で、特に中高年の有閑マダムに大変な人気があったから、指導料も序文料も、俳壇の常識を遙かに超える金額を要求できていたらしい。

 春子の同世代で主宰業に取り組んでいる仲間達にダンディ俳人から聞いた話をしてみたら、「何言っているのよ、あの人は特別よ。結社の主宰なんて儲かるどころか持ち出しよ」とか、「あなたったらもう、あたし達の苦労を何もわかっていないんだから」とか、「春ちゃんは気楽でいいよな」などと一斉に叱られ、そっぽを向かれてしまった。

 高級フレンチにドン・ペリニョン、アルマーニにロレックス。春子は単純に感心していたが、何のことはない。曾祖父以来の成功を自慢されていただけのことだった。

 仲間達が何故「持ち出し」までして主宰をやりたいのか、叱られた春子はついに聞けずじまいだった。みんな、「忙しい、忙しい」とか「本当にお金がないのよ」などと愚痴る割には、嬉々として主宰業をこなしているように見えて不思議でならなかった。

 先生と呼ばれてちやほやされたいのだろう、といううがった見方をする人もいるかも知れない。確かに、かつて〈一誌持たねば仰がれず〉と詠んだ俳人もいたくらいで、主宰であることは、俳壇では一つのステイタスだ。

 俳壇のパーティーでも、一人でぽつんとしているよりは、弟子達に取り囲まれてちやほやされている方がぐっと華やかに見える。ずっと俳句を続けてきたのに弟子もおらず結社も持っていないようでは世間体が悪い、と考える俗物がいてもおかしくはない。

 だが、春子の俳句仲間達はそんな輩ではない。それに、いくらなんでも虚栄心だけで続けられるほど、主宰業は簡単なものではない。やはり教えることが好きなのか。教えることで、大好きな俳句へ恩返しをしたいと思っているのか。

 ずっと専業主婦として子育てをしていた先輩は、主宰になったときに、「社会と接点を持てて楽しいわ」と言っていた。生活のために働く必要がなく、「持ち出し」をするだけの金銭的余裕もあり、子供達が巣立って時間ができたら、主宰業もいいのかも知れなかった。

 だが、春子には、給料を運んできてくれる夫はいない。新卒で入社した電機メーカーで、これから先も働き続けなければならない。一応一部上場企業ではあるが、外資系コンサルティング企業とは比べものにならない安月給の会社だ。「持ち出し」のような贅沢はできるはずもない。年老いた先に孤独死しないためにも、働けるうちにできるだけ働いて、貯められるだけお金を貯めておかなければならない。

 春子は三十九歳。一応まだ三十代だ。晩婚化の進んだ世の中でこれからご縁がないとは言い切れないが、現実は厳しく、今のところ何の当てもない。同居している両親も諦めたのか、最近では「誰かいないの」とも何とも言わなくなってきた。

 考えてみればかなり侘しい境遇だが、人生を悲観的に考え出したらきりがない。現実逃避かも知れないが、くよくよ悩みかけたときには、春子は代わりに俳句のことを考えるようにしていた。

 最近になって、同世代の仲間達がまた何人も立て続けに結社を立ち上げたことが、春子の気にかかっていた。

 主宰業に首を突っ込む気にはなれない。自分に他人を教えるのに必要な忍耐力があるとはとても思えないし、「持ち出し」をする経済的余裕もない。

 しかし、自分は俳句へ何も恩返しをしていないという良心の咎めも感じていた。自分の俳句だけがうまくなればいいと思っているわけではないが、春子はこれまで、俳句を学びたい人の手助けもしていなければ、俳句の愛好者を増やす活動もしていなかった。

 春子自身、ふとした偶然で結社に入り、今は故人となった石田主宰に育てられてきた。マイペースぶりを発揮してさぼりがちだったとはいえ、気の向いたときに句会に出たり選を受けたりして、主宰に指導してもらってきた。教わるだけ教わっておいて自分が教えるのは嫌だというのは、些か身勝手なのではないかと後ろめたさを感じていた。

 金銭的に報われなくてもいいではないか。

 春子は自分に言い聞かせてみた。

 ダンディ俳人の収入と比べたら雀の涙ほどの金額かも知れないが、会社員として一応安定した所得は得ている。将来は年金だって受け取れるはずだ。

 俳句の指導を始めれば、若く思いがけない才能の持ち主に出会えるかも知れない。その才能を懸命に育てて、やがて優れた俳人の誕生に繋がるならば、それもまた俳人冥利に尽きるのではないか。

 四十の声を聞くようになって、マイペースで生きてきた春子の中にも、ようやく他人のことを考える余裕が生まれ始めていた。

 芭蕉も、『おくのほそ道』など数々の紀行文を書き、〈行春や鳥啼魚の目は泪〉をはじめ多くの名句を残した一方で、弟子達をきちんと育てている。

 歳時記の「行く春」の項を見ても、芭蕉の句と一緒に去来の〈行春の麦に追はるる菜種かな〉、丈草の〈行く春に追ひぬかれたる旅寝かな〉、許六の〈けふ限りの春の行方や帆かけ船〉など、弟子達の句が並んでいる。

 俳人にとって、自分の句が歳時記の例句に選ばれることはこの上ない名誉だ。いつの日か、歳時記に掲載された春子の句の隣に、手塩にかけて育てた弟子達の句が並んでいたら、これほど愉快なことはないだろう。

 春子は自分勝手な妄想に耽った。

 何百年か経って、どこかの誰かが歳時記を繰って、春子の例句の隣に高見沢門夏子や秋太郎や冬美の句が掲載されているのを見つけたとしよう。

 その人が「先生の春子さんもお弟子さん達もいい句を詠んでいるわねえ。高見沢春子さんって、作家としてだけじゃなくて、先生としても素晴らしかったのね。同じ時代に生まれていたら、私も師事したかったわあ」と溜め息をつきながらうっとりとしているのを極楽浄土から見下ろすことができたならば、この上ない幸せではないだろうか。

 春子の妄想は、日を追うごとにどんどん膨らんでいった。エゴイストにはなりたくないと思いつつ、優秀な弟子と一緒に歳時記に載りたいという、十分エゴイスティックな妄想だった。

 都心の某カルチャーセンターから、月一回で俳句実作教室の講師をしないかというオファーがあったのは、丁度その頃だった。愚かにも有頂天になった春子は、二つ返事で引き受けた。

 俳句を作ることはうまくても、先生には向いていない。できない生徒ややる気の足りない生徒を教えるだけの辛抱強さが欠けている。そんなことはとっくにわかっていたはずだったのに、カルチャーセンターの誘いに乗ってしまったのは、カルチャーの担当者の弁舌が巧みだったためだけではないだろう。

 結社を立ち上げるにはそれなりの覚悟がいるが、カルチャーセンターならば気楽だし、大した額ではないが指導料ももらえる。その上、新しい才能との出会いもあれば、これ以上いい話はない。歳時記に一緒に載る弟子を育てる第一歩になるかも知れない。

 後になって、春子は何度も自分の妄想癖を罵った。事実、春子の楽天的過ぎる妄想がガタガタと音を立てて崩れ去るまで、そう長い時間はかからなかった。


 ようやく暑さもおさまってきた、九月半ばの土曜日の午前十時。待ちわびていた俳句教室がとうとう始まる。春子は、ラメ入りシルバーのワンピースに金の豪華なネックレスをつけ、真紅のハイヒールをかつかつと響かせながら、張り切って教室に入っていった。

 初回でもあるし、まだ若い先生で大丈夫かと見くびられたくないという緊張感があった。お洒落でかっこいい先生だと思われたいという見栄もあった。

 事務局のスタッフに「最近は生徒さんの数も随分増えましてね。お若い方もかなりいらっしゃいますよ。どうぞよろしくお願いいたします」と言われ、ますます妄想を膨らませた春子は、やる気満々で教室へ乗り込んでいった。 

 新しい、輝かしい活躍の舞台が今始まろうとしている。自分の高弟となるであろう才能の持ち主とついに出会えるかも知れない。若い人がかなりいるのならば、きっと一人くらいは真の才能の持ち主がいるだろう。

 だが、春子の蜃気楼のような期待は、すぐに完膚なきまでに裏切られた。

 確かに、百人ほど入る教室はほぼ満席だった。だが、教壇に立って全体を見回した春子はぎょっとした。スタッフは間違いなく、「お若い方もかなりいらっしゃいますよ」と言っていた。だが、一体どこにいるのだろう。

 句会ができるように大きな長方形に並べられたテーブルから黙って教壇を見つめていたのは、春子の父母よりも年上に見える人達が殆どだった。髪の毛の黒い人やふさふさしている人は、特に男性ではほぼ皆無だった。

 何度見渡しても十代、二十代の若者や三十代の若手はいなかった。四十代か五十代の人が二、三人。六十代と覚しき人が数人。あとは七十代か八十代、ひょっとして九十代の人も混じっているかも知れない。

 あのスタッフは、どの人を指して「お若い方」と言っていたのだろうか。俳句の世界の主体は高齢者だが、それにしても、一人も若者がいないとは。

 名句はそう簡単に生まれるものではない。この教室の世代構成では、春子がいくら熱心に教えても、歳時記に残るような名句を作るよりも先に生徒達の寿命が尽きてしまいそうだ。石田先生はよく「一人前の俳人になるには、最低でも二十年はかかります」と言っていたものだ。

 だが、よく考えてみれば、ただでさえ俳句と縁遠い若者が、せっかくの週末、それも土曜日の午前十時に、わざわざ俳句教室に足を運ぶはずなどなかった。普通なら、寝坊してまだゆっくりしていたい時間帯だ。

 がっかりはしたが、生徒達がやる気に燃えているのならばいいと春子は気を取り直した。どうせ乗りかかった船だ、我慢して丁寧に教えてあげようと諦め、夢から現実へ気持を切り替えようとした。

だが、この教室の現実は想像以上に厳しかった。

「皆さん、はじめまして。高見沢春子と申します」

 精一杯笑みを浮かべ、明るく大声で挨拶をしてみたものの、目を輝かせて春子を見た生徒達は、全体のざっと三分の一程度しかいなかった。

 春子をちらりと見ただけで隣の人とお喋りを続けている生徒達が次の三分の一。俳句ではなく、社交が目的で来ているとしか思えない人達だ。最後の三分の一の生徒達にいたっては、うたた寝から覚めたばかりのようなぼんやりした視線を投げかけてきただけだった。この連中はきっと暇潰しで来ているのだろう。やる気の感じられないことといったら、この上ない。

 へなへなとなりかけながらも、春子の身内では不動明王さながら、めらめらと怒りが燃え上がり始めていた。いくら何でも先生に対してこの態度はないだろう。こんなだらしないぬるま湯教室を放っておいた前任の講師にも、激しい怒りを覚えた。

 春子はもともと気の長い方ではない。一切の妥協も手加減もせず、厳格な態度に出ることにした。

「いいですか、皆さん。こちらを見てよく聞いて下さい。教室では私語は厳禁です。お喋りをしていて聞こえなくても二度は言いませんから、そのつもりで」

 きびきびと言い渡しながら、春子は、強気を押し通している自分に満足した。

 お喋りが目的の生徒達には、さっさと出て行ってもらう。いくら教えても不真面目で一定のレベルについて来られない生徒達には、とっとと帰ってもらう。ふざけてばかりいる生徒達は、いっそいない方がいい。

 そう言い渡すと、真ん中あたりに座っていたおばあさん達から忽ち不満の声が上がった。

「あら、前の先生はそんなこと言わなかったのに」

「あたし達、お喋りが楽しみで来ているのに。年寄りから楽しみをとっちゃうとは、ひどい先生だね」

「何をやたらと張り切っているんだか」

「ただの俳人のくせに、偉そうにして」

「すたれちゃった方の廃人じゃないの」

 おばあさん達はしつこくぶつぶつ言っていたが、春子はじろりと睨みつけて黙らせた。

 春子は念のためもう一度名前を名のり、自分の俳歴と所属結社名も付け加えた。全くの偶然だが、春子の所属結社は「春」と言う。石田先生が創刊した俳誌である。大方の生徒達は春子の名前を知っているようだった。うなずいたり笑顔を向けたりしてくれた生徒達も出て来たので、春子は少しほっとした。

 自己紹介をすませると、春子はスタッフの若い男性を見て、「では、鈴木さん、皆さんに選句用紙を配って下さい」とてきぱきした調子で言った。

 事前に二句出句。当季雑詠で、秋の句ならばどの季語で詠んでも良いとあらかじめ伝えてあった。

 春子も生徒達も短冊に自分の句を書いて提出し、それを事務局のスタッフが混ぜ合わせた上で二句ずつ清記用紙に筆写してあった。これで、筆跡によって誰の句かばれることがなくなる。同じ作者の句が続くこともなくなり、公平な選を期待できる。

 句会のプロセスは概ね次の通りだ。

 清記用紙に番号をつけ、一枚ずつ参加者に配布する。参加者はそれぞれ良いと思う句を選んで、別途配られる選句用紙に書き写し、清記用紙を隣へ回す。

 今日は一人五句選である。誰がどの句を取ったかという結果は、選句が終わった後でまとめて披講される。講師の選句は最後に披講される。注意深く聞いていると、どの句が人気を集めたか、誰が何点取ったか、よくわかる。最後に、選ばれた句の作者が名乗りをあげる。誰にも選んでもらえなかった場合は、ただ黙って座っていることになるが、これはなかなか惨めなものだ。

 俳句の世界では、実力のレベルに関係なく平等に、そしてオープンに句座を囲むのが慣習になっている。今日は初回なので、春子の句も、ベテランの生徒達の句も、初めて俳句を作った生徒達の句も、同じ土俵で選び合うシステムを踏襲することにした。

 このシステムは結社でも幅広く採用されている。特別に初心者用の勉強句会を開く結社もあるが、石田先生はそのようなことを一切しなかった。手取り足取り丁寧に細かく指導するよりも、弟子が石田先生の選を通じて俳句の骨法を自得し、自力で自由に個性を伸ばすことを望んでいた。

 だが、石田先生には言わなかったものの、春子は、実力のまるで違う人々が同じ句会に参加するのは無理だと内心では思っていた。

 上手も下手も一緒くたに句会をやると、ベテランは、とてつもなく下手糞な句を読まなければならない。これは苦痛以外の何物でもない。一方で、初心者は何が季語なのかわからず、難しい漢字を読めず、句の意味をまるで汲み取れず、チンプンカンプンのままただじっと座っていることになりかねない。

 これでは、互いに時間の無駄である。

 今日はまず様子を見るつもりだったが、いずれカルチャーセンターの事務局に相談して承諾を得られたら、幾つかのグループに分けてレベル別の句会をやりたいと春子は考えていた。

 だが、今はまず、圧倒的な高得点を取って、今度の高見沢先生は凄いと生徒達に印象づけなければならない。「点数が多いかどうかよりも、誰に取ってもらえるかの方が大事です」と石田先生はよく、点取りに夢中になりがちな弟子達を諭していたが、今日は綺麗事を言っていられなかった。

 それにしても、これは一体何ということか。前の講師はどれだけ手抜きをしていたのか。

 次々に回ってくる清記用紙を見つめながら、春子は溜め息をついた。

秋の句を出すように、と事前に事務局を通して伝えておいたはずだ。それなのに、もう九月も下旬だというのに、夕立、虹、夏休、揚羽蝶、百日紅、と夏の季語がぞろぞろ登場する。

もちろん、八月上旬の立秋は、現代人の感覚では暦の上での秋に過ぎない。特に温暖化の進む今、夏と秋の区別は曖昧になりかけている。だから、百歩いや千歩譲って、夏の季語でも良しとしてもいいかも知れない。

 だが、吹雪や氷柱など冬の句まで出て来るのはどうしたわけか。

 春子は呆れ返った。これまでの俳句人生でこのようなひどい句会に出たことは、ただの一度もなかった。

 俳句の世界では、季節の先取りは良しとされている。だが、今はまだ九月である。しかも、北海道ではなく都心での句会だ。せいぜい薄紅葉くらいまでが、許容範囲ではあるまいか。 

 それだけではない。新年が来るのは更に先なのに、勝手に初日が昇り、人々は雑煮を食べて屠蘇を酌み、明の春が来たと獅子がめでたく舞っている。もっと季節を進めて満開の桜を寿ぎ、花見酒に酔いしれている句さえある有様だ。 

 この教室の生徒達は、季節や季語を一体何だと教わってきたのか。

 厄介な教室を引き受けてしまった。

 ようやく事態を悟った春子は唇を噛んだ。幸福な妄想は跡形もなく吹っ飛び、大変な失敗をしてしまったという挫折感がひたひたと押し寄せてきた。

 今更後悔しても仕方がないと諦めるべきか。いくら何でも、一回で講師を辞めるわけにはいかない。そんなことをしたら人格を疑われかねない。指導料をもらえるのだから、暫く適当に続けて、程良いところで「忙しくなりましたので」と言って辞めれば角も立たないだろう。本気で教えなければ苛立つこともないはずだ。春子の前任者もきっと呆れ果て、いい加減にやっていたのだろうと見当がつく。

 だが、春子はいったん思い込むと猪突猛進するタイプだった。前任者のような生温い真似はできなかった。何よりも、幸福な妄想を打ち砕かれた怒りが、体内でふつふつと煮えたぎっていた。

 やるしかない。

 三十枚ほど清記用紙を見たところで、春子はついに決心した。

「ちょっと、鈴木さん」

 眉を吊り上げてスタッフを呼んだ。

「回覧中の清記用紙を全部集めて下さい」

「は?もう皆さん、選句を始めていらっしゃいますが?」

 鈴木さんは不審そうな顔をしたが、春子は思いとどまらなかった。このスタッフも、前任の講師と一緒にいいかげんな教室運営をしてきた不埒な男なのだ。

「かまいません。秋の句でと言っておいたのに、生徒さん達に伝わっていなかったのかしら。こんな季節はずれの俳句、選をしたって仕方がありません。すぐに回収して下さい」

「わかりました」

 春子の剣幕に押され、鈴木さんはあっさりと引き下がった。

 教室中に「え、何でよ」とか「今選句しているところなんだよ」などと不満の声が飛び交い、春子や鈴木さんに冷たい視線が向けられた。だが、ともかくも、清記用紙は全部春子の手元に集まった。

生徒達が騒いでいるのを無視して、春子は秋の句が全く書かれていない清記用紙を選び出した。約百枚のうちざっと三十枚が該当した。更に、残った約七十枚の清記用紙にすべて目を通し、秋以外の季節の句を一つ残らず赤のサインペンで線を引いて消した。

「皆さん」

 春子は厳しい声で言った。

「秋の句を出すようにと言っておいたはずですよ。それなのに、これは一体何ですか」

 右手で掴んだ清記用紙で春子は机を叩き、一息にまくしたてた。

「春の句、夏の句、冬の句、新年の句。どうして他の季節の句が混じっているんですか。季語が夏か秋かあやふやだったら、出句する前に歳時記で確認すればいいでしょう。そんなことは基本中の基本じゃないですか。まだ秋日傘を差す日もあるというのに、一体いつお正月が来たんですか。これでは、そもそも、俳句を学ぶ者としての心構えがなっていません。もっと季節も季語も大事にして下さい」

春子の勢いに気押されて、教室内は静まりかえった。その静けさの中を、春子は再びかつかつとヒールを響かせて歩いた。教室の隅にあるゴミ箱に向かうと、先ほど選び出した、秋の句の全く書かれていない三十枚ほどの清記用紙を、びりびりと破いて捨てた。

「せ、先生、何をなさるんですか」

 鈴木さんが仰天して慌てふためき、自分達がせっかく作った句を破り捨てるとは何事だ、と教室中がまたも騒然となった。

 だが、春子は意に介さなかった。

「皆さん、静かにして下さい」

 春子は再び教壇に立って生徒達を見渡した。凄みのある声に、教室内は水を打ったように静かになった。

「今捨てたのは、秋以外の季節の句しかなかった清記用紙です。何度も言うようですが、今日は当季雑詠、つまり秋の句で句会をやるとお伝えしてあるはずです。そうですよね、鈴木さん」

 皮肉をこめてちらりと見やった。鈴木さんはおろおろしながらうなずいている。

「もう一度言います。春、夏、冬、新年の句は要りません。要らないものは捨てるだけです。いいですね」

 今日の句会はこのまま続けるが、残った約七十枚の清記用紙に書かれている秋の句から選ぶこと。赤ペンで消してある句は絶対に選ばないこと。今後は必ず当季雑詠で、季語が曖昧なときは歳時記で確認してから出句すること。それを守れない人は次回から来なくてもかまわない。

 春子は至極当たり前のことを言っているつもりだった。厳しく言ったのも、自分がこの駄目な教室の生徒達を引っ張るしかないという熱意からだった。だが、春子の厳格な態度は、大方の生徒達の目に独裁者の振舞いのように映り、かえって反感を買ってしまった。

「ちょっと、そこの先生。歳時記って何さ?」

 突然、目の前の中年女が腑抜けた声でからかうように言った。その声を合図のように、同じグループらしい数人の女達が一斉に大声で文句を言い始めた。まるで、出来の悪い中高生達が新米教師にからんでいるようだった。

「歳時記を知らない?あなた、何を言っているんですか」

 春子は耳を疑った。

「知らないねえ」

 春子の詰問にも女は全く平気で、だらしなく足を組んでいる。嫌がらせだ。

「だから、季語やその解説や例句が載っている本のことでしょ」

 タチの悪い女に関わり合うことはない。さらりとかわして句会を進めようとして、春子は残った約七十枚の清記用紙を鈴木さんに手渡し、再度みんなに配るように指示をした。

だが、女達は春子にからむのを止めなかった。

「どこで売っているのかしらねえ、その歳時記って」

 別の女が言い、徒党を組んだ女達がどっと笑い出した。

「だって、あたし達、歳時記なんて持ってないものねえ」

「そんな物なくたって、ずっと俳句を作ってこられたもの。前の先生はそんなうるさいこと言わなかったよ」

「お値段もいいんじゃないの、きっと。あたし達庶民には買えないかもね」

「あたし達はプロになるんじゃないんだよ。みんなで集まって楽しめればそれでいいの。何でそんな簡単なことがわからないんだろうねえ、あんたは」

 一番初めにぶつぶつ言っていたおばあさん達も、味方を得てまた騒ぎ始めた。自分の句をゴミ箱に捨てられた生徒達もあちこちで文句を言い始め、教室中が蜂の巣をつついたような騒ぎになりかけていた。

 カルチャーセンターの俳句教室にはあるまじき状態である。教室の規律は呆気なく崩壊しかかっていた。

 こうなると、講師の経験のない春子にはどうしたらいいかわからない。鈴木さんは「皆さん、お静かに。どうかお静かにお願いいたします」と平身低頭しながら、尚も清記用紙を配ろうとしていた。だが、最初に「歳時記って何さ?」と春子にからんだ中年女が清記用紙を引っつかむと、手にしていた鋏で丸ごと切り刻んでしまった。

 教室の床が紙屑だらけになった。

「何をするんですか!」

 あまりの無礼な振舞いに、春子は思わず金切り声をあげた。

「お返しだよ」

 女はせせら笑った。

「悪かったね、あたしはどうせ冬の句を出したろくでなしだよ。でも、だからといって、それをゴミ箱に捨てるなんてあり得ないだろ。失礼だよ!だから、他の人達には悪いけど、あんたに自分が何をしたか、思い知らせてやったんだよ。こっちはお金を払っているんだよ。お客様なんだよ。たかが講師の分際で威張るんじゃないよ!」

 春子を怒鳴りつけたかと思うと、女は急にしゃくり上げ始めた。

「ひどいよ、ひどいよ。あまりにもひどすぎる……こんなことってないよ。こっちはまだ若い娘を乳癌で亡くして散々つらい思いをして、やっとカルチャーに来る気になったっていうのにさ」

 すすり泣く女を、仲間達が抱きかかえるようにして立ち上がった。

「行こうよ、あんたを泣かせた女に教わる気になんかならないよ」

「事務局に言いつけてやろうよ」

「何さ、こんな女、先生なんて呼べないよ」

「何かの間違いで来たんじゃないのかい」

 春子が出て行けと言わないうちに、グループ全員が勝手に出て行ってしまった。

一人が振り返って叫んだ。

「あたし達に逆らって、この教室が成り立つと思うんじゃないよ」

 その言葉通り、事はそれだけではすまなかった。続いて、例の高齢の女性達がよっこらしょと支え合いながら立ち上がり、他の生徒達もぞろぞろと立ち上がった。

「お待ちなさい」と言う春子を無視し、「お戻り下さい。お願いですから、いったんお戻り下さい」と土下座せんばかりの鈴木さんの懇願もむなしく、生徒達は次々と教室から出て行ってしまった。百人ほどいた生徒達が、五分後には五人しか残っていなかった。

 しでかしてしまったことに春子が気づいたときは、もう手遅れだった。

「すみません。こんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」   

 残っている生徒達と鈴木さんに詫びるしかなかった。

「皆さん、大変申し訳ありませんが、今日はとりあえず教室はお休みということでお願いできませんでしょうか。もちろん、補講は必ずさせていただきます。あと、高見沢先生は、事務局長と話をなさって下さい」

 鈴木さんが言った。

 事務局長と話をする……春子は覚悟を決めた。しでかしてしまった以上、一発アウトでクビにされても仕方がなかった。

「高見沢先生、これからも続けて教えて下さいよ」

 そのとき、残っていた女性が言った。白髪を七色に染め、光沢のある紬の着物をお洒落に着こなした、八十代くらいの素敵なおばあさんだった。

「前の先生はお優しいことはお優しかったんですけれど、ちょっと手抜きというのかしら……あたしみたいに戦時中の教育を受けて先生は厳しいのが当たり前と思っている人間には、物足りないところがありました。実際、あまり上達しませんでしたし」

「ちょっと手抜き」と言いながら、おばあさんは軽く微笑んだ。優しく上品な口調だったが、小柄な身体の中に一本びしっと芯が通っているようだった。

「一度、高見沢先生みたいに厳しい先生にも教わってみたかったんですよ」

 おばあさんの言葉で、春子の心にようやく希望が生まれた。

「そうそう、さっき文句を言っていたあの人達はどうもやる気がなくてねえ」

 六十代とおぼしき男性も言った。

「私語は多いし、選句はやたら遅いし、教室の困り者だったんですよ。私も一回注意したら、さっき先生が言われたみたいに、娘が乳癌で亡くなったのになんてひどいことを言うのかって逆ギレされてしまいましてね。それは確かに気の毒だけれど、教室ではちゃんとやって欲しいと思っていましたよ」

「やり方はちょっと過激だったかも知れないけれど、先生がびしっと言って下さって助かりましたよ。ここの事務局にクレームしても、弱腰でへらへらしていて、全然対応してくれなくって」

 春子とおそらく同年代、四十前後くらいの女性も、ちらりと鈴木さんを見ながら言った。海色のワンピースに銀の巻貝のペンダントをさげた、夏を惜しむような装いで、背が高くスタイルがいい。長い髪をポニーテールにしてやや若作りだが、はきはきして活発な印象で好感を持てた。

 七十代か八十代らしい二人のおじいさん達も、「そうだよ」「もっともだよ」と言いながらうなずいていた。

 思いがけず五人の味方が現われて、春子は涙がこぼれそうなほどありがたかった。

さっきの六十代らしい男性が右手を差し出した。

「木村幸太郞と申します。長年勤めた商社を定年退職して、今は悠々自適の身分です。高見沢先生のようにちゃんとした先生に俳句を教わりたいと思っていました」

 つられて春子が手を出すと力強く握り、「私達は高見沢先生についていくつもりですから。事務局に何か言われても気にしないで下さいよ」と言ってくれた。

「中村千恵子と申します。もう引退しましたけれど、ずっと着付教室で教えていました。あたしも先生の味方ですよ」

 着物姿のおばあさんも名のった。

春子と同年配の女性も「原山玲香です。フィットネスクラブでヨガのインストラクターをやっています。ヨガと同じように伝統のある俳句っていいなと思って、この教室に申し込みました」と自己紹介をし、おじいさん達もそれぞれ「広田孝和です」「山下恒典です」と名のった。

 白髪の方が広田さん。つるつるの方が山下さん。申し訳ないと思ったが、人の名前と顔を覚えるのが苦手な春子は、とりあえず頭髪で二人を見分けることにした。

「先生、がっかりされることはありませんよ。今帰って行った人達だって、戻って来るかも知れませんからね」

 広田さんが言った。穏やかそうな老紳士で、春子を慰めようとしてくれていた。

「まあ、それはわかりませんけれどね。いいんじゃないんですか、あんな連中と無理に一緒にやらなくても」

 山下さんが苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。一本気で、ちょっと頑固なところがあるように見えた。

 広田さんの希望的観測が現実になるか、山下さんの慎重な見立てが当たるかは、遠からずわかることだった。だが、どうせなら春子は、真面目に俳句に取り組む覚悟があり、こうして自分のやり方についてきてくれる人達に教えたかった。山下さんの言う通り、変な生徒と無理に付き合う必要はない。

 しかし、約百人もいた生徒達がたったの五人に減ってしまった現実は、やはり重かった。

 予想通り事務局はカンカンだった。スタッフ達は一言も口をきかず、丁寧だが凍りつきそうなほど冷ややかな態度で、春子を事務局長室へ案内した。鈴木さんはもう春子と目を合わせようともしなかった。

 五十がらみの事務局長も、投げやりな態度で春子の釈明を聞き流しただけだった。わざわざ「高見沢先生、あなたは何ということをしてくれたんですか」などと叱責する気にもなれないようだった。

「状況は一応わかりました。我々がこれからあなたの失態をフォローするためにどれほど苦労をしなければならないか、もちろんおわかりでしょうね」

「はい、わかっているつもりです。申し訳ありませんでした」

 春子は頭を垂れて神妙に答えた。

「我々が謝罪しても、教室を辞められる方が沢山出るでしょう。生徒さん達が大勢辞めてしまったら、当カルチャーセンターの経営にも大打撃になります」

「はい、本当に申し訳ありません」

 春子はますます頭を垂れた。

「いずれにせよ、今回の責任をとって、あなたには今すぐ辞めていただきます。よろしいですね。既に事務局に直接クレームをされた方々もいらっしゃるんです。それにしても、生徒さん達の句の書いてある用紙をびりびりに破ってゴミ箱に捨てるなんて、よくそんなことができたもんだ」

 事務局長は窓を背にして立っていた。九月のまだ強い光が射し込み、逆光でその表情はよく見えなかった。

 だが、一方的な口調から、尊大な表情をしているであろうことは容易に想像できた。事務局長にとってみれば、講師など、期限付きの非正規雇用者に過ぎない。

「お言葉ですが」

 これ以上事を荒立てるつもりはなかったが、春子は言わずにいられなかった。

「責任を取って辞めるのはかまいません。けれども、私についてきたいとおっしゃる生徒さん達もいらっしゃいます。これまでの教室は物足りなかった、もっと厳しい先生について真面目に俳句を勉強したかった、とおっしゃる方々です」

 事務局長が鼻を鳴らした。

「やり方は厳しすぎたかも知れませんが、私が注意したのは、私語をしたりふざけたりしてまるでやる気が感じられず、教室の雰囲気を壊していた生徒さん達です。真面目な生徒さん達に、きちんと俳句を勉強できる機会を用意してあげて下さい」

 生意気な女だと思われるかも知れないが、これだけは言っておかなくてはならない。春子なりの最低限の正義感だった。

 事務局長は一瞬黙った後で聞いた。

「あなたについて来る生徒さんは何人ですか」

「五人です……」

 春子は口ごもった。我ながらあまりにも少ない。

「なに、たったの五人?百人から五人、二十分の一ですか。マイナス九十五人というわけですか」

 事務局長は冷淡に言い放った。

「たった五人ならば、あなた個人で教えたらいいでしょう。とにかく、当カルチャーセンターには今後一切関わらないでいただきたい。一体誰があなたのような人に講師のオファーを出したのか、調べなければいかん。それから、当然のことですが、今日の指導料はお出しできませんからね。教室を滅茶苦茶にされて、損害賠償金を請求したいくらいだ」

 会見は五分で終わりだった。春子はその場でクビになった。

 講師など引き受けるのではなかった。春子はあらためて、妄想に走った自分を悔いた。

 二十分の一。マイナス九十五人。

 冷たく計算する事務局長の声が、頭の中でしつこく響いた。

 だが、春子には五人の生徒志願者がいた。教室を潰してしまった行きがかり上、頼まれれば断ることはできなかった。クビになって事務局長室から出て来た春子を、五人は「少人数で教えていただけますね」と目を輝かせて取り囲んだ。

毎月第三土曜日の午後二時から五時まで。場所は生徒側で会議室などを借りて用意する。謝礼は、カルチャーセンターにさっ引かれていたと思われる分を上乗せして払う。その代わり、春子の方も五人がきちんと上達できるように教える。

 生徒達の熱意に押されるようにして、『高見沢春子俳句塾』の話がまとまった。

「すごいなあ」

 木村さんが陽気な声を上げた。

「高見沢先生に厳しく指導していただいたら、私達も新人賞でも取れるかも知れませんね。先生、どうかお見捨てなく、びしびし鍛えて下さいよ」

 五人は陽気に笑い、翌月から早速『俳句塾』が始まった。

 自ら希望しただけあって、五人の生徒達は熱心だった。区民センターの会議室、喫茶店の個室、時にはカラオケルーム、とその都度場所を転々とし、大雨や雪が降ることもあったが、誰も一度も欠席せず、必ず辞書も歳時記も持ってきた。

 春子の説明中に私語を交わすことなど皆無だったし、わからない点は熱心に質問してメモを取っていた。春子が勧めた入門書や句集も、買い求めては読んでいるようだった。

だが、十月からずっと教えてみたものの、春子には手応えらしきものが一向に感じられなかった。

 毎回のように見受けられる誤字脱字も原因の一つだった。モグラ叩きさながら、叩いても叩いてもひょこひょこ出て来る、旧かなや古典文法の間違いにもうんざりしていた。だが、それは本質的な問題ではない。春子を疲れさせたのは、そういう技術的な誤りではなく句の中身だった。

春子は今まで多くの句会に出席してきた。結社内の句会にも超結社の句会にも参加してきたが、そこで目にする作品の多くは技巧的に完璧な句や、ありふれた素材から美しい詩情を引き出す句や、多少未熟であっても新鮮さや独創性や将来の可能性を感じさせる句が殆どだった。

 それと比べてはいけないのはわかっていたが、この五人の句ときたら全く手に負えないのだ。

形はできている。だが、五七五の詩型に季語とその他の言葉を押し込めば、自動的に俳句になるわけではない。口を酸っぱくして言っているのだが、「俳句は詩である」という基本がわかっていない。頭では理解しているのかも知れないが、まるで実践できていない。

 春子にとっては信じられないような句が、毎回平気でポンポン出て来る。しかも生徒達は、そういう句を選んであれこれ言い合っては面白がっているのだった。

 作者の名誉のために名前は伏せておくが、

例えばこんな句だ。 

  出る杭の打たれて沈む冬の水

 いくら何でもあんまりだろう。「出る杭は打たれる」ということわざを安易に使って、何が面白いのか。それに、物が打たれたら沈むのは当たり前だ。ここには詩情のかけらもない。

  日の丸のやうな初日の出でにけり

 この句にも春子は絶句した。初日が日の丸のように見えるのは当たり前だ。こんな句を作って何が楽しいのか。

 まだある。

  エクレアとシュークリームを食べて春

 先ほどの二句よりはまだましだが、所詮は、洋菓子が好きだという他愛のない報告に過ぎない。

要するに、この五人には熱意はあるが素質がないと思わざるを得なかった。

 『俳句塾』は月に一回だ。まだ六回しか教えていないのだから短気になってはいけない、と春子は自分に言い聞かせた。幸福な妄想の破れた今はもう、この五人が芭蕉の高弟達のようになるとは期待していなかった。俳句を楽しんでくれればそれで良かった。

 だが、彼らとこれ以上付き合っていても時間の無駄ではないか、もっと才能のある人達を探して教えた方がいいのではないかというエゴイスティックな疑問が湧くのも、紛れもない事実だった。

とりあえず半年間は教えた。「こんな感じで、皆さんで続けていって下さい」と言って抜けても、最低限の責任は果たしたことになるのではないか。小遣い稼ぎにはいいが、春子の本音としては、『俳句塾』を続けるよりも自分の創作に時間を使いたかった。

 春子の中で二人の自分が対立し、なかなか決着がつかなかった。毎回目を輝かせて参加する生徒達を落胆させたくはなかった。だが、フルタイムで働いている春子にとっては、創作のための時間を確保することもまた大切だった。


*****


 三月の句会でも、生徒達の低空飛行状態は変わらなかった。

「では、また来月お会いしましょう」と言って立ち上がった春子は、次の句会の場所をまだ聞いていなかったことに気がついて、木村さんに声をかけた。一番まめな木村さんが、『俳句塾』発足以来ずっと幹事を務めていた。

「高雲寺を予定しています。当塾発足以来、初めての吟行句会になります」

 木村さんがにやにやしながら答えた。

「高雲寺?」

 春子は首を傾げた。聞いたことのない寺だ。

 それに、吟行に付き合う約束などしていない。句会だけなら二、三時間ですんでも、吟行をすれば半日近くかかって大変だ。だから、わざわざ「行く春」というお題を出したのに。

 だが、木村さんは少しも動じなかった。

「私の田舎にある禅寺ですよ。都内から電車で二時間くらいかかりますかね。自然の豊かなところです。名もない寺ですが桜がきれいでね、その上、うまい精進料理を出してくれるんです。春子先生、たまにはいいじゃないですか。気候も良くなったし、みんなで外に出て俳句を作りましょうよ。『行く春』もいいですが、桜の句を作るのも乙なもんじゃありませんか」

 この半年間で、春子の呼び名は高見沢先生から春子先生に変わっていた。それだけ近しくなったということだった。

「だって、四月の第三土曜日じゃ、もう桜は終わっているわよ」

 春子もタメ口である。

「ですから、四月最初の日曜日ではいかがですか。朝少し早めに出て、桜を見て、精進料理を堪能して。寺で一間貸してくれる約束になっていますから、句会もできますよ」

独身の春子ならばどうせ日曜日は暇だろう、と木村さんは踏んだのだ。その証拠に、今まで春子に言っていなかっただけで、全部手配ずみらしい。

 他の生徒達もにやにやしている。

「もちろん、『行く春』の句も作ります。先生がいらして下さるかどうかわからなかったので、お話ししていなかっただけなんですよ」

 中村さんがとりなすように言った。

「もっと早く言ってくれれば良かったのに」

 そう言ったものの、春子もまんざらでもなかった。

 電車で二時間もかかる田舎に行くのは久しぶりだ。自然に囲まれて新鮮な空気をたっぷり吸える。自然は季語の宝庫だから、いくらでも句が湧いてくるに違いない。

「いいわ、皆さんがそう言うのなら行きましょうか」

 春子が意外にあっさりと受け入れると、生徒達の「にやにや」は「にこにこ」に変わった。うららかな春ともなれば、誰だって遠出をしたくなる。

「それじゃ、お題は『桜』と『行く春』にするわね。でも、他の季語の句を出してもいいことにしましょう。句材が沢山あるでしょうから」

 春子は吟行の心得を話して聞かせた。

吟行では、現地集合してから句を作り始めるのではない。家を出た瞬間から神経を集中し、詩心を高めなければならない。どんな小さなものやどんなささやかな瞬間にも、俳句の種は隠れている。

 それを見つけ出し五七五の詩として磨き上げるためには、電車の中でぼんやりしていてはいけない。歳時記を繰ったり車窓から景色をよく眺めたりして、想を練らなければいけない。そして何よりも多作多捨だ。七句出すのならばその五倍、十倍は作る。句会には、その中から選び抜いた句を出す。

「スポーツ選手だって、練習に練習を重ねてようやく、試合で凄いパフォーマンスを発揮できるでしょう。俳人も同じです。ですから、皆さんは……」

「先生」

 生真面目に説明を続けようとする春子の言葉を、広田さんがやんわりと遮った。いつも礼儀正しい広田さんにしては珍しいことだったが、質問も思いがけないものだった。

「途中で缶ビールくらい飲むのはかまいませんかな」

「は?」

 春子は面食らった。

「いや、私は飲んでも飲まなくてもいいんですが、山下さんが無類の酒好きでしてね。悪い酒ではないんですが、この人ときたら、酒が飲めない所にはいくら誘っても行かないんですよ」

 女性陣がいっせいに吹き出した。山下さんは照れくさそうにつるつる頭を掻いている。

「まあ、そのくらいはいいでしょう」

春子は諦めて譲った。不肖だが憎めない生徒達だ。広田さんがにこにこしながら穏やかに付け加えた。

「それに、お酒の句ができるかも知れませんしね」


 三月の第三土曜日から四月の第一日曜日まで、春子は息つく間もなかった。年度末で会社の仕事が忙しく、残業続きの上に休日出勤までしなければならなかった。

「なあ、春子」

 父が声をかけてきたのは、夜十一時過ぎに疲れ切って帰って来た春子がお風呂上がりに髪をタオルで乾かしながら、ソファに座ってぼんやりとテレビを見ていた時だった。

 父は、ソファと向かい合ったロッキングチェアーに座った。心なしか、嬉しそうにチェアーを揺らしていた。

「いい話があるんだが」

「何、いい話って?」

「うん、考えていると楽しくなるぞ」

「あらまあ」

 軽く受け流しながら、春子は心の中で身構えていた。

毎日変わりばえのしない隠居生活を送っている父に、そうそう楽しい話なんてあるはずがない。その父が「いい話」と言うなんて、あれしかない。

「とにかく大事な話だ」

 父は真顔になった。

 やっぱり。

 春子の心の中で警報が鳴った。いつの間にか母も来て春子の隣に座り、完全な包囲網が出来上がっていた。こういう時に助けを求めたい妹は、とうの昔に結婚して家を出ている。

「春子、おまえ、自分の将来についてはどう考えているんだ」

 父がついに切り出した。

「どうって別に……」

 春子は口ごもった。

「このまま会社勤めをしながら、俳句を続けていくつもりだけど」

「そういうことを聞いているんじゃない」

 父は声を高めた。母も口を添える。

「あなたももうすぐ四十よ。いつまでも一人ではいられないでしょ。このままでは親のあたし達だって安心して死ねないわ」

「親は子供よりも先に死ぬものなんだからな。ひとりぼっちになって困るのは、春子、おまえなんだぞ」

「そんな」

 親心からだとわかってはいるが、春子が一番言われたくないことを両親はぐさぐさ突いてくる。

「どっちが先に死ぬかなんてわからないわよ。人間なんて、いつどうなるかわからないもの。恭子ちゃんだって、ご両親より先に死んじゃったじゃない」

 三十歳の若さで急死した親友の名前を出してみたものの、春子にも、このままいったらどうなるかはわかっている。

 大企業で働いているとはいえ、四十歳近くなっても春子には自分の家族がいない。一人暮らしもせず実家に居座り、親に甘えたままだ。その親が二人ともいなくなったら?

 思っただけで背筋が寒くなり、頭の中が真っ白になる。親がいなくなるなんて絶対に考えたくない。この世知辛い世の中をひとりぼっちで生きていく自信などない。

 だが、両親ともに既に七十代だ。父はあと少しで八十に手が届く。まだ多少の余裕はあるかも知れないが、いなくなる日はもう視界の片隅にちらちら見え始めている。いつまでも現実から目を背けて、親に甘えていていいはずがない。

「マンションの管理組合で一緒の野田さんが間に入ってくれた話なんだが」

 父が言った。

そう言われても、管理組合の雑事をすべて両親に任せっぱなしにしてきたので顔も浮かばなかったが、父は構わずに話を続けた。

「おまえと会いたいという男性がいるそうだ。五十歳、大卒、自営業。結婚歴はなし。従業員百人ほどの会社の社長で、真面目な人柄らしい。中小企業でも社長は社長だからな、暮らし向きは悪くないそうだ。おまえも会社を辞めて、好きな俳句に打ち込めるかも知れないぞ」

 父は満足そうにこほんと咳払いをしたが、春子は仰天した。

「五十歳?嘘でしょ!あたしはまだ三十代よ。どうして、五十男なんかと結婚しないといけないのよ」

 いくら婚期を逃しつつあるとは言え、まだぎりぎり三十代の春子に五十歳の男とは、父もその野田さんとやらも、頭がどうにかしたのではないか。

 大体五十歳まで未婚だなんて、一体どんな女遊びをしてきたのか、想像するだけで気持が悪い。四十近くまで独身の女なんて気持が悪い、どんな男遍歴を重ねてきたのか、と春子も思われているかも知れないのだが、自分ではそんなことは考えない。

「野田さんの話では、仕事が忙しくて、気がついたら婚期を逃していたそうだ」

 春子は天井を仰いだ。目眩がした。年老いた怪物への生贄にされる気分だった。

「春子、ありがたいと思いなさい。あなたの知らないところで、お父さんはあちこち一生懸命頭を下げて頼んでくれているのよ。野田さんだって、他人のことなんか知らないという人の多い中で、わざわざ動いて下さったんだから」

 春子の不機嫌な顔を見て、母が諭すように言った。

「大体、女も四十になるとな」

「やだ、お父さん、あたしまだ三十九よ」

「三十九も四十も同じだ」

 父が一喝した。

「とにかく、おまえくらいの齡になったら、同年配の男との結婚話は殆どないと思え。普通は、六十や七十の男しか相手がいないものなんだ」

 六十か七十ですって?

 春子は絶句した。

「何それ?そんなの、おじいちゃんじゃないの。七十だったら、お父さんやお母さんとそんなに年が違わないじゃないの」

 人身御供として差し出すにも限度がある。愛情を感じられない相手のセックス付き介護要員になるくらいなら、どんなに淋しい将来が待っていても、一人でいる方がまだましだ。

「お父さんも、さすがにそれは春子が可哀想だと思って断った。だがな、おまえは知らんだろうが、とにかく年寄り相手の話しかないんだ。女の価値は、年齢と共に暴落するのが現実なんだ」

 父は大きな溜め息をつくと、溜まりに溜まった憤懣をぶちまけるように、誰も口を挟めない勢いで言った。

「あれこれと手を尽くして頼み回って、お父さんはよーくわかった。そして心底後悔した。お見合いをしたくないというおまえの意志なんか、尊重するんじゃなかった。そのうち自分で相手を見つけてくるだろうなどという甘い期待なんか、抱くんじゃなかった。まだおまえが若いうちに、遅くとも三十までに、さっさと結婚させるべきだった」

「お父さんもお母さんも、大事な娘を年寄りとなんか結婚させたくありませんよ。だから尚更、もうこのお話しかないのよ」

 母が静かに言った。

「そうだ、五十男だろうと何だろうと、こんないい話はもうないぞ」

 父も春子を叱咤激励するように言ったが、父が励まそうとしていたのは、案外父自身かも知れなかった。

 春子はようやく悟った。

 父も母も、度重なる屈辱に耐えてくれていたのだ。どこに出しても恥ずかしくないはずの娘、良縁に恵まれておかしくないはずの娘が、年を重ねてしまったために、揶揄されるような結婚の対象にしかならない。そのことにひたすら辛抱してくれていたのだ。

 やはり親ほどありがたいものはない。

 だが、あまりにも一方的な押しつけに春子は困惑していた。しかし、いつもは優しい父が、その晩は信じられないくらい強引だった。

「とにかく、この人に会うんだ。つべこべ言うな。会って、どうしても嫌というのでなければ結婚しろ。わがままを言うな。頼むから親を安心させてくれ」

 母に至っては、「そうよ、これからだって、まだ子供を授かるかも知れないわ」などと孫の算段をしている。両親は娘を結婚させさえすれば安心だと思っているが、気が進まないのに五十男と日常生活を共にしなければならない娘の苦痛については、まるでわかっていない。

 父はごそごそと紙袋を探ると、取り出した封筒を春子に突きつけた。

「これが相手の身上書と写真だ。日取りはこれから決めるから、週末はあけとけよ。句会は後回しだ、いいな。この結婚が嫌なら、お父さんはもうどうなっても知らん。さっさと家を出て行きなさい」

 有無を言わせぬ調子だった。

 

「あーあ」と溜め息混じりに言うと、春子はベッドに大の字に寝転んだ。お風呂に入ってとれたはずの疲れが、五倍にも十倍にもなってのしかかってきた。

 いよいよ年貢の納め時か。それも、こともあろうに五十男への貢ぎ物になるのか。

考えれば考えるほど憂鬱になった。逃げ出せるものなら、何もかも投げ捨ててどこかへ逃げ出してしまいたかった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だあああ。

真夜中だろうと近所にうるさがられようと、他人の迷惑などお構いなしに、何べんでも「嫌だ」と大声で叫びたかった。マンションの屋上から本当に叫んでやりたかった。押しつけられた身上書や写真など、カルチャーセンターのあのろくでもない清記用紙のようにびりびりと破り捨ててしまいたかった。

 そこまで思い詰めていた春子だったが、天井を眺めて溜め息をついているうちに、ひょっこりと気が変わった。せっかくだから、破り捨てる前に相手の顔くらい見ておくかと思ったのである。そして写真を引っ張り出した春子は、自分でも意外なほどまじまじと見入ってしまった。

写真の顔は、全くと言っていいほど老けていなかった。目尻以外には目立った皺が見当たらず、若々しくてかっこよかった。髪は黒くふさふさとし、目鼻立ちは涼しく清潔感があり、脂ぎった中年のオヤジという感じは皆無だった。

 全身写真を見ると、長身でがっちりした体格で、男らしく頼もしい。もちろん腹など出ていない。要するに、野田さんが紹介してくれた相手は、会社でも通勤電車の中でも滅多に見かけない、いい男だったのである。

 写真に修正をかけているに違いない。そうでなければ、若かりし日の写真をそのまま出しているに違いない。心の中の声が囁いたが、春子は身上書にも手を伸ばした。

 ちらりと目を通して、春子はふうむと唸った。こちらも文句のつけようがない。年齢を別にすれば、春子にはもったいないくらいの相手だった。

一流私立大学の経済学部を出て大手メーカーに勤めた後、一念発起して化粧品販売業を立ち上げ、現在に至る。男三人兄弟の真ん中で、両親とは別に暮らしている。

 これならばきっと、向こうの両親と同居したり面倒を見たりする必要はないだろう。実家で好き勝手に暮らしてきた春子には、舅や姑にお仕えする生活など到底無理だった。嫁としてこき使われるのもまっぴらごめんだった。 

 相手の趣味はテニス、スキー、読書、音楽鑑賞。中高時代は陸上部、大学時代はラグビー部だったらしい。こちらも非の打ち所がない。春子は再びふうむと唸った。

少なくとも現時点では悪い話ではなかった。春子自身は俳句に賭けてきたが、男性としては、暗くてやわな文学青年よりもスポーツマンの方が好みだった。年齢はともかく、これだけのハイスペックの男性がまだ残っていて春子に会いたいということ自体、奇跡のような幸運なのかも知れない。

 春子は起き上がってベッドの上に座ると、穴の開くほど身上書を見つめ直した。いい話には必ず裏があることくらい承知している。だが、何度見直しても身上書は完璧だった。あとは会ってみなくてはわからない。  

 もともと春子は、恋愛に積極的な方ではなかった。異性に興味がないわけではないが、自意識過剰で恥ずかしがり屋なので、気になる男子がいても遠くから眺めるだけで満足してしまい、話しかけられるとわざと素っ気なく振る舞ってしまうタイプだった。

 これではどんな恋愛も成就しない。バーゲンセールでも、真っ先に駆け込んでぐいとお目当ての商品を掴んだ人が、それを手に入れるものだ。遅れてしずしずと現われたところで、もう何も残ってはいない。

 そういうわけで、早熟な小学生に笑われてしまうかも知れないが、春子はこの齡になるまでまともに男性とお付き合いをした経験がなかった。

 まあいい、何とかなるだろう、父の言う通り一度会ってみるかと思いを巡らしているうちに、春子は深い眠りに落ちた。


 電車を降りた春子は、桜時の眩しい日差しに目を細めた。 

「先生、こっちですよ」

 改札口で木村さんが手を振っていた。五人の生徒達は申し合わせたように缶ビールを手にして、春子を待っていた。ホームが一つしかなく駅員もいない、田舎の小さな駅だった。

「あらぁ先生、四十分も遅刻よぉ」

 中村さんが笑った。中村さんは明るく、細やかな気遣いをしてくれる人だ。今もわざとタメ口をきいて、遅れた気まずさを振り払ってくれた。

「ごめんなさい、お待たせしてしまって」

 残業の疲れがとれきっていなかった春子は電車に乗るなり、景色を眺めながら句想を練るどころか爆睡し、三駅も寝過ごしてしまった。はっと気がついて戻ろうとしても、田舎の電車はすぐには来ない。慌てた春子は、駅員にタクシーを呼んでもらって、何とか駆けつけたのだった。

「なあに、先生、お気遣いなさることはありませんよ。おかげさまでたっぷりビールを飲めましたから。ねえ、山下さん」

 広田さんが笑いながら、山下さんに同意を求めた。

 男性三人は既に顔が真っ赤だった。中村さんと原山さんもうっすらと頬を染めている。「みんな、そんなに酔っ払ったら句を作れないじゃないの」と言いたいところだったが、大幅に遅刻してしまった手前、春子は何も言えなかった。

「はい、先生もどうぞ」

 原山さんが、よく冷えた缶ビールを差し出した。「さあ、飲んで、飲んで」とみんなが囃す。春子は、仕方なく缶を開けて一口飲んだ。冷たい泡が喉を潤し、ようやく少し落ち着いた気分になることができた。

 飲みながら、春子はあらためて周囲を見渡した。草木の緑が日差しを浴びて輝き、鳥の姿がそこかしこに見え、囀りが空から零れ落ちてくる。何本もの満開の桜が春爛漫の華やぎを添え、ここに立っているだけでもいくらでも句ができそうだった。

「じゃあ、皆さん、そろそろ行きましょうか」

 木村さんが先頭に立って歩き出した。素晴らしい一日になりそうだった。

 全員が缶ビールを手にしていた。本当は句帳とペンを手にしていなければならないのだが、春子が遅れたせいかみんなゆるゆるとしてしまって、ただの花見に来たようにしか見えない。

「いい所ですねえ、木村さん」

 広田さんがうきうきした声をあげた。

「何もない所ですがね。自然だけはたっぷりありますよ」

 木村さんも楽しげに笑った。

 その顔の前を、紋白蝶がひらひらと飛んでいった。蝶の目に、木村さんの顔はどのように映っているのだろう。〈蝶われをばけものとみて過ぎゆけり〉という句があったなと春子は思い出した。視点を人間から蝶に変えた凄い句だ。自分もいい句を作りたいという気持になってくる。

 ビールを飲み干してゴミ箱に缶を捨てると、春子は早速句帳とペンを取り出した。

 句材に溢れた場所に身を置くと、俳人としての本能がむくむくと目覚めてくる。生徒達は尚もビールを飲みながらお喋りに興じていたが、春子にとっては句を作らないでいる方が苦痛だった。

「あら、先生、もう作っていらっしゃるんですか」

 原山さんが驚いた声をあげた。

 春子はすらすらとペンを走らせていた。こんなに自然の豊かな場所に来たのは久しぶりだ。句がいくらでも湧く幸福感が春子を満たしていた。

「やっぱりね、先生みたいでなくっちゃいけませんね」

 中村さんが句帳を取り出した。他の生徒達もようやくビールの缶を捨て、句帳を開いては辺りを見回し始めた。

 これまで賑やかだった一団が急に静かになった。みんな立ち止まったり、指を折って五七五を数えたりしながら、句帳に何やら書き始めた。

 吟行の途中でお喋りをしていては駄目だ。口をつぐみ、心を静めて、自然の音に耳をすまさなければならない。風の音、水の音、囀り……耳を傾ける音はいくらでもある。そして、よくものを見なければならない。正面から見る。側面から見る。裏にも回って見る。じっと見て、新しい発見を探す。更に手で触れ、顔を近づけて香を嗅ぎ、花ならば蜜を舌で味わう。

 五感を存分に働かせ、見つけたことや感じとったことを、五七五の定型の中で描ききる。推敲は後でもできるが、発見は吟行の現場でするのが一番だ。

 生徒達がやっと句を作り始めたのを見て、春子は安心した。互いに離れすぎて見失わないように、みんなは阿吽の呼吸で線路沿いに進んでいった。

 高雲寺まではさほどの距離ではなかった。何にでも興味を示してすぐに立ち止まる幼子のように、みんなゆっくり歩いていたが、それでも三十分余りで山門に辿り着いた。

「桜がきれいでね」という木村さんの言葉は嘘ではなかった。山門には枝垂桜が何本もたおやかに揺れ、覗き込んだ広い境内は、咲き満ちて光と戯れる一面の桜で目が眩みそうだった。しかも見事な大木が多い。

「ずっと樹齢を重ねてきたのね」

「私が子供だった頃はもっと小さかったんですが、どの木もよく育ちましたね」

 感嘆の声を上げた春子に木村さんが応えた。

「殆どがソメイヨシノですが、本堂の横にあるのはエドヒガンですよ。樹齢百五十年くらいと言われていますから、エドヒガンとしては若い方ですね。あまり大きくなったら、本堂にぶつかってしまうかも知れません。まあ、その頃は、私らはもうこの世にいないでしょうけれど」

 最後は笑うように言った。

人間とは本当に面白い生き物だ。木村さんに限ったことではないが、もう自分がこの世にいないというめでたくもない話をしながら、平気で楽しそうに笑う。エドヒガンは、場合によっては千年も二千年も咲き続けるから、確かに、生きて百年、大抵は数十年どまりの寿命の人間には到底追いつけない。

虚しいものだと春子は思った。

 エドヒガンはどっしりと大地に根を生やし、風雪に耐えて千年も二千年も美しい花を咲かせ続ける。片や人間は日々のどうでも良いことにあくせくし、煩悩に踊らされて、百年にも満たない短い命を浪費している。

 名句を作って俳句史に自分の名を残したいという思いは、俳人ならば一度は抱く夢、そして大抵はかなわない夢だ。生きているうちは活躍していても、大概は死ねばすぐ忘れ去られる。それなのに、虚栄心に踊らされ、移ろいやすい他人の評価に一喜一憂する俳人のいかに多いことか。春子だってその一人だ。自然の中に身を置くと、安らぎに満たされつつも、己の営みのあまりの卑小さに呆然としてしまう。

「春子先生、精進料理は住職のお宅の客間で午後一時からなんですが、吟行をどうしましょうか。めいめい境内を歩いて、十二時五十分に本堂の前で集合ということでよろしいですかね」

 木村さんの声で春子は我に返った。

 腕時計を見ると、あと一時間半程度しかない。本当は二時間でも三時間でも桜を眺めていたかったが、自分が遅刻したのだから仕方がなかった。

「そうしましょう。皆さん、七句出句でお願いしますね。七句できたからおしまいじゃなくて、いっぱい作ってその中から七句選ぶこと。いいですね」

 全力を振り絞って沢山句を作る。その中からこれぞと思う句を選び、残りは思い切って全部捨てる。未練がましく取っておいてはいけない。こうすることで作句力も選句力も磨かれていく。

 選句眼がなく自分の句の良し悪しを判断できないようでは、良い句は作れない。沢山作れるはずなどないとぶつぶつ言って、思考停止状態に陥るのが一番いけない。詠もうとする対象に向かって心を無にして向かい合い、湧き上がる言葉を句帳に書き留める。 

 これは春子がかつて石田先生に教わったことであり、生徒達にも何度も言い聞かせていることだった。

「しかしねえ、先生」

 山下さんがちょっぴり口を尖らせて嘆いた。実直な人柄ながらすぐに悲観的になりがちで、少々文句の多い生徒である。

「先生はともかく、私らはそんなには作れませんよ。あと一時間半しかないし、七句だってちゃんとできるかどうか怪しいものです。それなのに、もっと作れと言われても……」

「一時間半あれば十分よ。とにかく集中しましょう。集中すれば何だってできるわ。できないと言っていても、時間の無駄よ」

 山下さんはまだ若干不服そうに、「そう言われたってできないものはできないんだよなぁ」と呟いていたが、やがて諦めたらしく口をつぐんだ。

 みんな揃って本堂への参拝をすませてから、自由行動になった。

 句会でいつも隣同士に座る中村さんと原山さんは、「どうしましょうか」「どこに行きましょうか」などと言いながら、連れだって本堂の裏へ回っていった。

 男性陣は単独行動だ。木村さんはカメラで桜を撮影し、広田さんは一本のソメイヨシノの木の下に静かに立ち、山下さんはソメイヨシノの木から木へと落ち着きなく歩き回っていた。

 山下さんのせかせかとした様子に、春子は思わず笑い出しそうになった。駄目だ、あんなに急いで歩き回っていては何も見えて来ない。だが、春子は、山下さんが自分で悟るまで放っておくつもりだった。

「春」で何度となく吟行に出かけたが、春子は一度も、石田先生に手取り足取り教えてもらった覚えはなかった。石田先生が弟子の指導を疎かにしたわけではないが、「自分の背中を見て学べ」という古風なタイプの師匠だった。

 石田先生はよく「俳句は自得の文学です」と口にしていた。マイペース人間の春子には、この言葉がぴったりときた。春子はもともと、先生の言うことを何でも鵜呑みにする従順な弟子ではなかった。先生の言葉でも納得がいかなければ受け入れなかったが、この頑固な弟子を先生は温かく見守ってくれていた。

 春子の第一句集にどの句を入れるかで意見が対立した挙句、「あなたは、自分で何でもやってしまう人ですね」と先生が苦笑したこともあった。そんな思い出も、今となってはただひたすら懐かしい。

 よく晴れた大空から時折囀りが零れるほかは、境内は静かだった。満開のソメイヨシノは、微風が湧くたびにちらほら花びらを散らしていた。生きものはすべて、その内に既に死を宿している。桜もまた例外ではない。満開のうちに既に花を散らし始め、次のステージへの準備を整えている。

エドヒガンはまだ五分咲きで、固く閉じた蕾をたくさんつけていた。樹齢百五十年ならばエドヒガンとしてはまだ若いが、もっと年輪を重ねているのではないかという気がした。木は既に成熟の風格を備え始め、幹にはごつごつとした瘤をつけていた。

 春子は近寄って瘤を撫でた。

 古武士と呼ばれる人々のことは、時代小説で読んだことがあるだけだ。だが、古武士達はこの瘤のようにごつごつとしていて、頑固だが義理人情に厚く、一筋縄ではいかない威厳を湛えた風貌をしていたのではないかと春子は想像した。

 石田先生にもそのようなところがあった。春子とは父子以上も年が離れており、お嬢さんを預かっているという意識が働いたのか、それほど厳しく接することはなかったが、それでも礼儀作法にはやかましかった。

 とはいっても、「そういう言葉を目上の人に使うものではありませんよ」とか「お辞儀はもう少し深くした方がいいですね」などとやんわり注意する程度だった。しかし、年の近い男性の弟子には相当厳しかったらしい。

 師はあくまでも師、弟子はあくまでも弟子であり、無礼な態度をとったり筋を通さなかったりした者は、たとえ昔からの弟子でも容赦なく怒鳴りつけられた。いくら先生が遅れて来たとしても、吟行を前に缶ビールを許可もなく飲み、先生にも飲め飲めと勧めるなど、当然御法度である。

だが、石田先生には、最近の世の中からすっかり消えてしまった義理堅さや人情があった。先生がいれば、弟子達は緊張しながらもどこかほっとした気持になることができた。

 事細かな指導こそしなかったが、弟子が作句の方向性で迷ったときや、句集を出そうとしたときや、何かで困ったときには、先生はとことん面倒を見た。先生自身も、お金が余って困るというような暮らしとは程遠かったのに、経済的に苦しい弟子には快くお金を貸していたし、食事もよく奢っていた。春子など足元にも及ばないくらい、徹底して面倒見が良かった。

 もしも石田先生が生きていたら。エドヒガンの瘤を撫でながら、春子は感慨に耽った。石田先生が今の春子の指導を見たらどう思うだろう。今の春子の作品を見たら何と言うだろうか。それを思うと自ずと身が引き締まる。

 石田先生が亡くなった後、第一の高弟が後を継いで「春」の二代目主宰になり、春子も「春」にとどまった。だが、昔も今も春子が真に師と呼べる人は石田先生一人だけだった。あれこれと思い出していると自然に涙が浮かび、目の前の瘤が滲んだ。

 山下さんにいろいろ言っておきながら、思い出に浸りきってしまった春子はなかなか句ができなかった。時間ぎりぎりまでエドヒガンやソメイヨシノを眺め、何とか七句揃えて本堂に戻ったのは一時五分過ぎだった。

「先生、また遅刻ですよぉ」

 本堂の前で生徒達が笑っていた。傍らには、住職とおぼしき高齢の僧が立っていた。

「お待たせしてしまってどうもすみません」

 春子は恐縮しきって頭を下げた。住職からは丁寧な挨拶が返ってきた。

「高見沢春子先生でいらっしゃいますか。お目にかかれて光栄です。私も俳句を少しかじっておりまして、俳号を野光と申します。野に光と書いて、やこうと読みます。木村さんから今日は句会でご指導いただけると聞いて、大変楽しみにしておりました」

 住職は、春子を迎えて本当に喜んでいるようだった。温厚そうな丸顔に満面の笑みを浮かべて話しかけてきた。

「家の中から拝見していたのですが、このエドヒガンが特にお気に召されたようですね。長い間この木の傍に立っておられましたね」

「あ、はい」

 春子はどぎまぎしながら答えた。見られていたとは気づかなかった。

「この木は、寺の創建時に植えられたものらしいんですよ。何の変哲もない寺ですが、二百年ほど続いております。先祖代々住職を務めておりまして、私も親父の後を継いでおります」

 樹齢百五十年ではなくて二百年だった。このエドヒガンは、春子の約五倍もの歳月を生きてきたのだ。春子達がいなくなった後も、人間に伐られたり病気に罹ったりしない限りは、毎年美しい花を咲かせていくのだろう。

「さあ、みなさん、こちらへどうぞ」

 住職は先に立って家の中へ入っていった。春子達は靴を脱ぎ、影が映りそうなほどよく磨き込まれた玄関の床に揃えられたスリッパを履き、燦々と日の当たる縁側沿いに客間へと案内された。

「わあ、すごい」

 客間に入るなり春子と中村さんと原山さんが歓声を上げたが、それも無理はなかった。想像していた以上の素晴らしい客間だった。

 広々とした和室の床の間には桜と花鳥の華麗な掛軸がかかり、違い棚には青磁や白磁の壺が飾られ、欄間には鶴と亀が一面に彫り込まれていた。和室の真ん中に置かれた洋風の黒檀のテーブルの上には、上座に一人分、テーブルの両側に三人分ずつ、計七人分のお手拭きと箸が並べてあった。東洋と西洋のしつらいが見事に融合し、歳月を感じさせる重厚で品の良い雰囲気を醸し出していた。さすが、二百年の長きに渡って守られてきた古刹だけのことはあった。

 何度か来たことのあるらしい木村さんは別として、広田さんも山下さんも「ほう」と感嘆の声を上げながら、部屋の内外を見回していた。

 縁側に出ればもちろんのこと、客間の中からもソメイヨシノがよく見えた。外に比べて薄暗い客間から、明るい光の中で今日を盛りと咲き誇るソメイヨシノを眺めると、一際しみじみとするものがあった。言葉にしがたいこの世の美しさや切なさが、春子の心にしみいってきた。  

生徒達も、ソメイヨシノに魅入られたかのように立ち尽くしていた。花見で酒を飲んで大騒ぎをするのは、会社や近所の付き合いを除けば若いうちだけだろう。何十年も生きれば、馬鹿騒ぎをするよりもただ静かに桜を眺めていたくなるものだ。

「失礼します」という声がして、料理が運ばれてきた。その声を合図に住職は春子を上座に座らせ、「みなさん、どうぞご自由に、お好きな席にお座り下さい」とみんなに椅子を勧めた。二人の女性が手際よく配膳してくれた。「妻と娘です」と住職は紹介したが、二人とも配膳を終えてビールを注ぐとすぐに引っ込んだ。

「みなさんご存知だと思いますが、精進料理の基礎を築いたのは道元禅師と伝えられております。禅宗では食事を作るのも修行のうちでして、大したものではございませんけれども、この料理も私が家の者に手伝わせて作りました」

 住職が料理の説明を始めた。

青菜と舞茸のお浸し、春野菜の煮物、筍と高野豆腐の煮付け、芹と蕗の胡麻和え、菜の花の辛子和え。それに加えて独活のきんぴらののった空豆ご飯、白味噌仕立てのお汁、香の物。最後に豆乳の黒胡麻プリン、と盛り沢山である。一品一品に、住職一家の厚いもてなしの心が込められていた。

「さあ、どうぞお召し上がり下さい。精進料理といえども植物の命をいただいていますから、その命に感謝の念を捧げて、残さずにお召し上がりいただければ幸いです」

 住職が合掌し、春子もみんなと一緒に手を合わせた。

 住職一家は料理上手だった。植物の青々とした命が、絶妙な味とともに、身体の中にすっすっと取り込まれていくのがわかった。春そのものをさくさくと食べているようで、うきうきした気分になってきた。

「とっても美味しいです」

「本当に素晴らしい」

 春子達六人は、声を揃えて料理を褒め称えた。住職は嬉しそうに微笑した。

「お気に召しましたか。大したものではないのですが、それは良かったです」

 住職は謙遜したが、木村さんがにやにやしながら「こう見えて、住職はいっぱしの料理人だったんですよ」とばらしてしまった。

「なるほど」

 それで合点がいった。

「若い頃ちょっと板前の修行をしたことがあったのです。親父が戻って来いと言うので、結局は寺を継ぎましたが」

 住職が頭を掻いた。木村さんが得意げに言った。

「そうでなければ、グルメの先生やみなさんをこんな田舎までお連れしたりしませんよ。春の風情を味わうには桜と食事、この両方が揃わないとね」

みんな微笑みながら料理を楽しみ、会話を楽しみ、和やかな時間が流れていた。

「春子先生は、こうしてあちらこちらで俳句のご指導をされているのですか」

 住職が聞いた。春子は春野菜で口の中をいっぱいにしながら、慌てて「いいえ」と首を振った。

「この五人の方々だけです」

「なるほど」と住職は応えたが、「高名な俳人でいらっしゃるのに、それは勿体ないですな。お忙しくていらっしゃるのでしょうが」と残念そうに言った。

「結社を率いてもおかしくない方でいらっしゃるのに。先生に教えていただきたいと思う人は沢山いるでしょう」

 急に春野菜が味を失ったようだった。

 住職に春子を責めるつもりなど毛頭ないことはよくわかっていた。それでも、他人に教えるのが嫌いな自分の性癖をちくりと指摘されたような気がしたのだった。

 春子は、箸を置いてお茶を一口飲んだ。誰にも気づかれないうちに平静さを取り戻そうとしていた。

「私は教えるのがあまり上手ではないのですよ。それで……」

 緊張感を悟られないよう、場の和やかさを壊さないようにあえて照れくさそうな笑みを浮かべながら答えると、「なるほど」と住職はうなずいた。

「いや、春子先生はね、教え方はお上手ですよ。質問をすると、何でも懇切丁寧に教えて下さる。ただ、厳しい。実に厳しい。私の句なんか、いつもけちょんけちょんですからね」

 木村さんの一言にみんなが爆笑した。石田先生ならば、せっかく教えてやっている師への敬意を欠いていると怒り出したかも知れないが、とりあえずその場が盛り上がって春子はほっとした。

「いやいや、木村さん、真面目で厳しい先生に教えていただけて我々は幸運だと思うべきでしょう」

 広田さんが大笑いしながら言った。

 春子は、料理の味がやっとまたわかるようになった。

「時にみなさん、一度みなさんで奥の細道を巡られてはいかがですか。さぞかし面白いことでしょう。句もどっさりできるでしょうし」

 住職が楽しそうに言いながら筍をつまんだ。

「それはいいですね」

 木村さんが相槌を打った。

「私も昔旅してきましたが、ここをあの芭蕉先生が歩いたのかと思うと心打たれるものがありました。今は年を取りましたし、寺のこともありますから、そう簡単に旅行もできませんがね。何でもやれるときにやっておかれた方がいいですよ」

「春子先生、行きましょうよ。住職のおっしゃる通り、行けるときに行っておかないとね。会社なんか休んでしまえばいいでしょう」

 春子が仕事でいつも忙しいことを知っているくせに、木村さんがしつこく誘う。

「あなたと行ったら弥次喜多道中になっちゃうじゃないの」

 春子がやり返し、一同はまた爆笑した。

みんな、何かに酔ったかのようによく笑う。酒に酔っているだけではない。春に酔い、ひかりに酔い、桜に酔い、今このときに酔っている。生きるというのはこういうことだ。酔わずして何の人生だろうか。

 さて。

 とろけそうな黒胡麻プリンの最後の一口を呑み込むと、春子は腕時計を見た。もう三時近くになっていった。

「そろそろ句会を始めましょうか」

 そう切り出すと、住職が早速妻子を呼んで膳を下げさせた。  

 ひょうきん者から有能な幹事に戻った木村さんが、みんなから句を書いた短冊を受け取り、テーブルの真ん中に七つの山に分けて並べた。 

 それぞれの山に各人の句が一句ずつあり、全部で七句になっている。その山をめいめいが一つずつ取り、短冊の句を清記用紙に書き写す。先ほどまでの穏やかで緩やかな時間が嘘のように、ぴりっとした真剣な雰囲気になった。

「七句選でお願いします」

 そう言って選句を始めた春子は、驚いて目をみはった。

 わざわざ遠出してきて気持が昂揚したからなのか、満開の桜の一期一会の魔力のおかげなのか、それとも半年間の指導の成果がようやく出たのか。とにかく、全体的な句のレベルが突然上がっていたのだ。

 これまでの『高見沢春子俳句塾』では全く見受けられなかった、詩才の閃きのある句や技術的に巧みな句や切実な思いのこもった句があった。今日初めて参加した住職が相当な実力の持ち主だったとしても、春子の目にとまった句の全部が住職の句だということはあるまい。

 信じられないことだが、今日の吟行で化けた生徒がいる。

 春子は予選でノートに書き写した句をじっくり見直し、目に飛び込んできた七句を最終的に選んだ。

 以下がその七句である。

  山門にしかとしだれし桜かな

 手堅くしっかりとした句だ。欲を言えば、〈しかと〉がややきつく、優美な枝垂桜と今一つそぐわない。〈しかとしだれし〉とシの音が三回も繰り返されるのも少々しつこいが、型を踏まえてきっちりと詠めている。

  さりさりと独活を噛みをりもてなされ

 〈さりさりと〉が独活の食感をよく表わしている。精進料理を食べたりお喋りをしたりしながら、よく作ったものだ。住職一家のもてなしへの感謝を込めた挨拶句だ。

囀りや両手広げて空をつかむ

 原句では〈囀りや両手広げて空の上〉となっていたが、それでは、メリー・ポピンズさながら、作者が空に舞い上がったことになってしまう。原句のままではファンタジーの要素が強すぎるので、下五を変えて取った。大胆かつ発想の飛躍が素晴らしい句だ。

  桜花精進料理いざ食はむ

 一読して吹き出しそうになった。これも挨拶句には違いないが、「花より団子」そのもの、随分と食い気に溢れた句だ。だが、桜に見守られながらいただく精進料理は最高、〈いざ〉もリズムを良くしており、句に大らかな笑いがある。

  ひらひらと又ひらひらと桜花

 満開でありながら既に散り始める桜の儚さを詠んだ句だ。似た句が沢山ありそうで新しさには欠けるが、省略が効いてシンプルで、五七五の型をよく生かしている。やや深読みだが、この句からは、ひたむきに生きながら死にゆく桜への愛惜の思いも滲み出ているようだ。

行く春や泣くは鳥魚のみならず

 この句は衝撃そのものだった。それは、三月の句会で春子が紹介した、芭蕉の〈行春や鳥啼魚の目は泪〉の見事な本歌取りであるからだけではない。

 鳥や魚だけではなく自分もまた過ぎゆく春を惜しんで泣くとは、移ろう季節の儚さを繊細な感性で意識していなければ、到底詠めないからである。技術的にしっかりしていてオリジナリティもあり、プロの俳人でもそう簡単には詠めない、高いレベルに到達していたからである。

 住職の句なのか、生徒の句なのか。

 春子は早く知りたくてたまらなかった。

住職だとしても、アマチュアがこんなに優れた句を詠むとは驚きだ。生徒ならば尚更、一体誰がいつの間にこんな秀句を詠めるようになったのか、是非とも知りたい。

 平凡と生徒を侮ることなかれ。凡庸と生徒を見下すことなかれ。人間はいつどこで化けるかわからない。それを見守るのが教える側の務めであり楽しみなのだ。この句から、春子は生徒達の可能性を教えられた思いだった。

  流されし子らの絶叫春逝けり

 原句は、〈行く春や子ら絶叫し流されし〉となっていた。「行く春」は晩春の季語でまだ水遊びの季節ではないから、〈絶叫し流され〉た子供達は、川や海で事故に遭ったのではあるまい。前書がないので想像するしかないが、おそらく東日本大震災の津波の犠牲となった子供達を詠んだ句だろう。

 「絶叫」という言葉には、何とも言えないざらざらとした不快感があった。過ぎゆく春を愛惜する季語の情趣と全く合わず、現代音楽の不協和音の響きのようだった。決してうまい句ではなかったが、春子は、この句の切実な「絶叫」から目をそらし、耳をふさぐことができなかった。

 この句を取るか取らないか、選者としての春子の俳句観が試されているようだった。

 もっと整っていて上手で取れる句はないか、と春子はノートを見直した。だが、〈行く春や子ら絶叫し流されし〉ほど強烈に訴えてくる句は他になく、形を整えて取ることにした。

 選句を終えた春子は、縁側越しにソメイヨシノを見た。他の六人はまだ選句中だった。

 時間が過ぎて日が西へ傾くにつれ、桜は微妙にその輝きを変えていた。透き通るような午前中の輝きは消え、分厚く光が重なり合って陰影が濃くなり、熟れたような物憂いけだるさを漂わせていた。どの桜も愁いに沈んでいるように見えた。

 人間も愁いに沈むのだ。「春愁」という季語もある。ましてや、咲いてすぐ散る桜であれば、愁いに沈んでも何の不思議があるだろうか。

「春子先生、全員選句終わりました」

 その一声で春子の物思いは断ち切られた。

「それでは披講を始めましょう。名乗るのは合評の後にします。では、中村さんからお願いね」

 大きな句会では披講係が全員の選句を読み上げるが、今日はめいめいが自分の選句を読み上げた。同時に、自分の清記した紙を担当して、誰がどの句を取ったか、選ばれた句の上に選者名を書き込んだ。

 春子の句では、〈花万朶大往生の顔固し〉と〈花鳥のゐなくなりたる後の揺れ〉、それに〈新鮮な空気たつぷり桜咲く〉に点が集まった。〈花万朶大往生の顔固し〉は、春子を可愛がってくれた祖母を詠んだ句だ。祖母は桜時に生まれ、同じく桜時に九十四歳で亡くなった。桜をこよなく愛し、桜時には毎日桜の着物で過ごした人だった。

 披講の次は合評だ。木村さんが司会を務め、点の入った句について選んだ人達、選ばなかった人達の意見を聞いた。意見が出尽くすと作者が名乗った。高得点句の作者がわかると、「おお」と一同がざわめいた。

 一番の高得点句は〈山門にしかとしだれし桜かな〉で六点、住職の句だった。自分の句は自分では取らないから、住職以外の全員が点を入れた満点句である。二番目は春子の〈花万朶大往生の顔固し〉と〈花鳥のゐなくなりたる後の揺れ〉の五点、三番目は〈行く春や泣くは鳥魚のみならず〉の四点で、大化けした作者は中村さんだった。

〈行く春や泣くは鳥魚のみならず〉が中村さんの句だったとは、春子には不思議でならなかった。中村さんはいつもお洒落で明るく、心から人生を楽しんでいるようにしか見えなかったが、何かよほど悲しいことがあったのだろうか。

 春子の選んだ他の句の作者は、次の通りだった。

  さりさりと独活を噛みをりもてなされ   孝和

 精進料理でもてなされてすかさず挨拶句を詠むところが、いかにも、律儀で細やかな気遣いを欠かさない広田さんらしかった。

  囀りや両手広げて空をつかむ  玲香           

 原山さんは手堅い句を作ることが多いが、時折想像力の翼を自由奔放に広げて、頭一つ抜けた句を作る。この句もそうだ。ここに原山さんの今後の可能性があると春子は思っていた。

  桜花精進料理いざ食はむ  幸太郞

 こんな句を詠むのは、やはり木村さんしかいなかった。俳句よりもお酒と冗談の方が好きなのではないかと思うこともあるが、憎めない人柄がよく出ている。

  ひらひらと又ひらひらと桜花   野光

 〈山門にしかとしだれし桜かな〉に続き、これも住職の句だった。料理だけではなく俳句もなかなかの腕前、堅実な句を作る人だ。

 そして、気になって仕方がなかったあの句の作者は山下さんだった。

  流されし子らの絶叫春逝けり   恒典

 やはり東日本大震災を詠んだものなのだろうか。地震発生時に直ちに裏山に逃げず、教師達が避難場所について議論していたために津波に呑み込まれた可哀想な児童達がいた。そのことは春子も知っていたが、ひょっとして、山下さんの身内にも犠牲者が出てしまったのか。

 あれこれ思いを巡らせながらも、春子は、全員の句を万遍なく取れたことにほっとしていた。選句の際に一人の句ばかり取ってしまうと、他の生徒達のモチベーションが下がってしまうからだ。教えるのは好きではないと思いつつ、春子はいつしか自然に生徒達のことを考えるようになっていた。

「みなさん、今日はいい句が多かったですよ。きっと、素晴らしい桜を見せていただいて、

住職さんにおもてなしいただいたからでしょうね」

「いやあ、これが我々の本当の実力ですよ。春子先生、ご存知でしょう、能ある鷹は爪を隠すと言いますからね」

木村さんがまたみんなを笑わせた。

「何を言っているの。あなたの〈桜花精進料理いざ食はむ〉は、おもてなしいただかなければできなかった句じゃないの」

 句会中の緊張感がきれいさっぱり消えて、再び和やかな雰囲気になっていた。

「春子先生に〈行く春や泣くは鳥魚のみならず〉を取っていただけて、本当に嬉しかったです」

 中村さんがしみじみと言った。

「とてもいい句だったわよ。本当に、プロの俳人でもなかなか詠めない名句でした。中村さんの代表句になるでしょうね」

「まあ、そうなんですか……嬉しいです。本当に何て言ったらいいのやら……」

 中村さんはハンカチで目尻を拭った。春子はまたいぶかしく思った。涙までこぼすとはどうしたことだろう。

「時に山下さん」

 住職が呼びかけた。

「春子先生が手を入れられた〈流されし子らの絶叫春逝けり〉ですが」

 春子と住職だけがこの句を取っていた。

「これは、東日本大震災のときに津波で流された、あの小学校の子供達のことですか」

 聞きにくいことを住職が聞いてくれた。

 山下さんは黙ってうなずいた。

「大変思いのこもった御句で迷わずにいただきましたが、まさか、お身内に何かあったということではないでしょうね……」

 住職は口ごもった。

「残念ながら、何も関係ないというわけではないんです。私は昔あの小学校に通っていたんですよ」

 山下さんの言葉に、みんな一様に驚きの表情を浮かべた。

 東日本大震災の甚大な被害については、もちろん春子はマスコミの報道で知っていた。日本赤十字社に僅かながら寄付金も送った。被災者達のために何かせずにいられない、と多くの日本人が抱いた気持を春子も共有していた。

 あのときは、俳壇でも直ちに「震災を前に俳句は何ができるか」などと題した特集が次々に組まれた。春子も依頼を受けて、鎮魂の句を発表した。実際に被災した俳人達は震災の句集やエッセイを出し、被災体験を今も各地で語り続けている。

 だが、春子は東北出身でもなければ、被災地に身内や友人もいなかった。

 テレビ画面に映った、乗用車が津波に流されていく光景は、ハリウッド映画のワンシーンのようにしか見えなかった。マスコミの報道を通じて知った地震や津波は、春子の日常生活とかけ離れすぎていて、日本国内の災害でありながら、どこか遠い世界の出来事のようだった。どんなに恥じようとも、春子にとって、東日本大震災が完全に我が事ではなかったことは否めなかった。

 だが、山下さんの一言ですべてが変わった。半年間句座を共にし、今日も目の前に座っている山下さん。その山下さんの通った小学校が津波で破壊され、子供達の命が無惨に奪われたとなれば、それはもう他人事でもテレビの中の出来事でもなかった。

「五年生の終わりに家の都合で東京に出て来たので、卒業はしていないんですけどね。しかし、私にとってはやはり母校ですね」

 山下さんが懐かしそうな目をした。

「それがあんなことになってしまって……かわいそうな子供達……親御さん達もどれだけおつらかったことでしょう。この世に子供を思う親の情ほど切ないものはないのに……」

 中村さんが目をうるませ、またハンカチを取り出した。懸命に嗚咽を抑えている。

「一生、あの日子供を学校へやらなければ良かったと後悔して、十字架を背負って生きていかなければならないなんて……つらすぎます。つらすぎますよ……」

「中村さん、泣かないで」

 原山さんが優しく肩に手を回した。

 山下さんが言葉を続けた。

「自分の小学生時代を思い出すと、もう駄目なんですよ。犠牲になったのは、私が遊んだのと同じ校庭で遊んでいた子供達ですからね。津波にさらわれた子供達はさぞかし怖かったんだろうな、助けを求めて叫んだんだろうな、絶望して沈んでいったんだろうなと思うと、子供だった自分が津波に呑まれたようで、いてもたってもいられないんです。悔しくてやりきれないですよ」

 犠牲になった子供達の中には、郷里で暮らしていた妹や従兄弟や同級生の孫達も含まれていた、と山下さんは目頭を手で拭いながら言った。

「小学校の跡には行かれたのですか」

 広田さんが聞いた。

「いや、とてもそんな気にはなれません。テレビで見ただけで胸が一杯で……」

「そうでしょうな」

 住職が痛ましそうにうなずいた。

 生きている者の自己満足に過ぎないかも知れないが、子供達にせめて追悼の句を詠んでやりたいと山下さんはずっと思っていた。

「いつもうまくできずにいたんですが、今日は何とか詠むことができました。しかも、春子先生にも野光さんにも取っていただけて、本当に良かったです」

 溜まり続けていた思いを吐き出すように、山下さんは一息に言った。

 震災を前にしたとき、俳句は無力だ。言葉は無力だ。「初めに言があった」とか「言は神であった」などと聖書には書いてある。だが、現実には、押し寄せてくる大津波を前に言葉にできることなど何もなかった。それは片やキリスト教徒、片や仏教徒だからということではない。

生きのびた被災者達が必要としたのはまず衣食住であり、家族や親戚や友人の安否情報であり、どれだけ贔屓目に見ても俳句ではなかった。いくら鎮魂の句を寄せたところで、言葉の無力さが浮き彫りになっただけだったではなかったか。春子自身、依頼されるままに作品を発表しながらも、現実をどうすることもできない歯がゆさを感じていた。

 何も俳句だけが無力だったのではない。詩も短歌も小説もそうだったはずだ。美術も音楽もいかなる芸術も、茫然自失、放心状態の被災者達にとっては何の意味も持たなかっただろう。美しい絵画は目に映らず、心をとろけさせる音楽は耳に入らず、渾身の力を込めた言葉も頭を素通りしていっただろう。

 だが、やがて最低限の衣食住が満たされ、幸運な人々が家族や親戚や友人と巡り会い、心がいくらかでも落ち着きを取り戻したとき。避難所でのつらい生活の中で、神仏の怒りや天罰として受け入れるにはあまりにも理不尽な災害を思い起こしたとき。どれほど苦しくても、何かにすがって毎日を生きていかなければならないとき。

 そのときこそ、文学や芸術の出番が来る。俳句が好きならば俳句を口ずさみ、作り、句会をすることで、いっときでもこの世の憂さを忘れて自由に心を遊ばせることができる。耐えがたき日々に耐えることができる。

「皆さんもそうかも知れませんが、私の人生にも、つらいことや悲しいことがいろいろとありました」

それでも、足の弱い人が杖にすがるように、山下さんは俳句にすがって生きてきた。

「いつまで経っても下手糞ですが、それでも句を詠むことで、また前に進んでいこうという気になれるんですよ」

 山下さんの言葉に春子ははっとした。

 山下さんの句は確かに下手だ。言葉が硬く不器用だ。今日も、あの句を取るには手を入れなければならなかった。 

 だが、上手下手だけで決めつけるのは浅はかなのではないか。たとえ下手でも、まっとうに生きている人が句を詠むことで救われるのならば、それもまた素晴らしいことなのではないか。

 プロの俳人になった春子は、他人の評価をいつも気にするようになってしまった。俳壇で評価を得るために、時には強迫観念に駆られるようにして、インパクトのある句を詠もうとしている。

 一喜一憂してはいけないと自分に言い聞かせても、思うような評価が得られないと、地獄に突き落とされたような絶望的な気分になる。それに比べたら、他人の評価など気にせず我が道を歩み続ける山下さんの方が、遙かに純粋に俳句と向かい合っているのかも知れない。

 俳句はスポーツのように実力の優劣がはっきりせず、評価が人によって異なる。それだけに、一見和気藹々と見える俳壇でも、陰では妬みや嫉みが渦を巻いている。春子は、なるべくそうしたことに巻き込まれずに身を処してきたつもりだった。

だが、全く無関係に、仙人のように振る舞うわけにもいかない。何よりも、春子自身の中に嫉妬心がある。誰それが大きな賞を取ったとか、テレビに起用されたとか、句集が再版されて人気だなどと聞くたびに、心の中でどす黒い嫉妬の炎が燃え上がり始める。

 俳句に真剣に取り組むようになって、春子は初めて自分の嫉妬の烈しさに気づき、恐れおののいた。他人を妬むようなみっともない真似をしてはいけないと自分に言い聞かせ、嫉妬の炎に蓋をしても、蓋の下で炎は業火さながら燃え盛り、じりじりと春子の心を焦がし傷つける。

 自分が俳句を愛するように俳句の神にも愛されたいと願うのは、俳句に携わる者として自然なことだ。だが、認められたい、高みに上りたいと願ううちに、よこしまな心が芽生え始める。俳句への愛情が、功名心に取って代わられそうになる。山下さんのような俳句との関わり合い方こそ、本来あるべき姿に違いなかった。

「山下さん、お気持よくわかりますよ。本当に子供達ほど貴いものはありませんものね」

 ようやく涙を拭いた中村さんが言った。

 山下さんが応えた。

「何度も悪夢を見ましてね。夢の中で子供に戻っているんですよ。小学校の校庭で友達と遊んでいたら突然津波が押し寄せてきて、あっぷあっぷして苦しくってね」

「まあ」

「すぐ目の前で友達がもがいているんです。助けようと思って手を伸ばすんだけど、届かない。そのうちにそいつが沈んでしまって、私も沈んで、いつもそこで目が覚めます」

 中村さんがまた泣き出しそうになった。

「中村さんも悲しいことがおありだったのではありませんか」

 住職がいたわるように顔を覗き込んだ。中村さんはしゃくり上げながら言った。

「私も同じような悪夢を数え切れないほど見てきました……どうしても忘れられないんです。ごめんなさい、みなさん、せっかくの楽しい句会なのに泣いてしまって」

「いいんですよ」

 山下さんが気遣うように言った。

「私達は、カルチャー時代から句会を一緒にやってきた仲です。ご遠慮なさらないで下さい。起きてしまったことはもう取り返しがつきませんが、お一人でかかえこまない方が楽なこともありますよ」

「山下さん……ありがとう……ありがとうございます」

 中村さんは、まだ幼かった孫娘を旅行先の海で失ったのだった。大人達が助けに行ったが、潮の流れが速くてどうにもならなかった。

「何とか助けようと、息子達が泳ぎながら手を伸ばしても届かなくて……あの子は流されていってしまいました。私は泳げず、浜辺で呆然としてそれを見ていることしかできませんでした……もう昔のことになります。生きていればもう立派な社会人です。花嫁にもなっていたかも知れません」

 そう言うなり、中村さんはまたハンカチを顔に押し当ててわっと泣き出した。その背中を原山さんがそっとさすった。

「私もずっと供養の句を詠んであげたいと思いながら、それができずにきたんです。でも、今日ここの桜を見ていたら、やっと心が落ち着いて句ができました」

「それが〈行く春や泣くは鳥魚のみならず〉だったのね。春を惜しんで泣かれただけではなかったのね」

 悲しみが時間と共に薄れるというのは嘘だ。春子だって、自分を可愛がってくれた祖父母の死から何年経っても、その最期を思うたびに悲しくなる。

 ましてや、幼い孫娘が溺死したのだ。時間は中村さんの悲しみを少しも癒やしていなかった。東日本大震災の津波に呑み込まれた不憫な子供達の両親や祖父母も、今この瞬間もじっと悲しみに耐えているに違いない。

「中村さんは本当におつらい思いをされて……何と言ったらいいのか」

 山下さんが呟くと、原山さんも伏し目がちに言った。

「なんだか、みんなで身の上話をしているみたいですけれど、私は実は二度流産しているんです。三度目でようやく息子を授かりましたが、抱いてあやしてやることもできずに亡くした子供達のことは、やっぱり忘れられないですね」

 仏教では、生老病死はどんな人間も免れることのできない苦しみだと教える。

 春子も学校で仲間はずれにされたことがあったし、受験で失敗したこともあった。俳句や会社の仕事だって、思うようにいかないことの方が多い。四十歳を目前にしているのに結婚もしていない。だから、「生」ではそれなりの苦労をしてきたつもりだった。

 だが、自分のつらさなど何ほどのものでもなかったことが、今日はっきりとわかった。 

「生」は苦しみの序章に過ぎない。「老」や年老いて罹る「病」も人生の順番と思えば、悲しいが仕方のないことだ。本当のつらさは幼い者、若い者、とりわけ子や孫との「死」別にあった。四十歳近くまで生きてきたのに、春子には何も人生が見えていなかった。

 そんな春子に、山下さんや中村さんの気持が本当にわかるのか。原山さんの〈囀りや両手広げて空の上〉という句だって、ファンタジーなどではなく、胎児のまま逝った我が子達を天上に見て抱きしめようとしていたのかも知れない。原山さんは「いい句にしていただいてありがとうございました」と言ってくれたが、春子の添削など蛇足だったかも知れない。

「みなさん、いろいろと大変な思いをなさって、何と申し上げたらよいのやら」

 住職が溜め息をつきながら言った。

「私は高齢の両親を見送っただけでして、親戚も友人も穏やかに暮らしている者ばかり。年相応にいろいろとはありますが、お三方と同じ立場になれなくて申し訳ない気がします」

「いえいえ、経験せずにすむのなら、そんなありがたいことはないですよ」

 中村さんが涙をこらえて言った。

「しかし、山下さんも中村さんも、今日心を込めて詠まれた御句は、きっと亡くなられた方々の供養になっていると思いますよ」

 住職が慰めるように言った。

「私も両親を見送っただけなのですが」

広田さんが遠慮がちに言い出した。

「しかし、両親を見送るというのも、誰もが通らなければならない道とは言え、なかなかつらいものですね」

「それはそうですよ」

 住職が応じた。

 ずっと元気だったのにある日突然逝ってしまったら、心の準備ができていなくてつらい。こうしてあげれば良かった、ああしてあげれば良かったと後悔ばかりがつのる。だが、治らない病で長患いして衰えてゆく親を見るのもまた切ないものだ。

「親父は心臓発作でぱっと逝ってしまったんですが、母は癌を患いましてね。入退院を繰り返した挙句、ついに医者に見放されてホスピスに入りました。最期は一切放下して眠るように安らかに亡くなりましたが、そうなるまでは母も私も、希望と絶望の間で随分翻弄されたものです」

 住職が一言一言噛みしめるように言った。

「でも、ご住職は仏門に帰依されて悟りを開いていらっしゃいますから」

 原山さんが言いかけたが、住職はいやいや、と手を振った。

「私など馬齢を重ねただけで、まだまだ修行中の身ですから。親に何かあると動揺してしまって、座禅を組んでもなかなか迷いから脱することができませんでしたよ」

 誠実に告白した住職に「それも人間の性なのでしょうか」と木村さんは言い、やや落ち着かない様子で外を見た。津波に吞まれた小学生達の話が出たあたりから、木村さんは珍しく静かだった。生老病死の話には一切加わらなかった。何度も腕時計を見て、帰りの電車の時間を気にしているようだった。

 永い春の日もようやく西へ傾きかけていた。ひもすがら暖かい晴天に恵まれ、来たときはまだ蕾だった花もすべて咲いていた。降り注ぐ日差しが斜光線になり、桜を陰影濃く妖しく見せていた。

「もう時間?」

 春子が聞くと、木村さんは「そうですね」とそわそわした様子で答えた。

「では春子先生、みなさん、残念ですがそろそろおひらきにしましょうか。野光さん、今日はどうも本当にお世話になりました」

 句会は急に切り上げられた。みんなはせき立てられるようにして立ち上がり客間を出た。

 住職が、山門を出たところまで見送ってくれた。

「おかげさまで本当にいい一日になりました。また是非いらして下さい」

 住職は名残惜しそうに言い、春子達も「ありがとうございます」「こちらこそ本当に楽しかったです」「お邪魔でなければまた是非伺わせて下さい」などと口々に礼を述べた。

「ところで、春子先生、言いそびれていましたが、今日の桜の御句は本当に素晴らしかったですね。〈花鳥のゐなくなりたる後の揺れ〉、私もいつかあのような名句ができるといいのですが」

 住職がはにかんだような笑みを浮かべた。

「いえいえ、名句だなんてとんでもありません」

 春子は慌てて手を振った。

「桜は昔から沢山名句が詠まれているんです。古典と競うのは大変ですよ」

 歌人も桜を愛してきたが、俳人が桜に寄せる執念にも並々ならぬものがあり、桜の句は数え切れないほど残されている。

 芭蕉の有名な〈さまざまの事思ひ出す桜かな〉に始まり、蕪村の〈嵯峨の春竹の中にもさくらかな〉、一茶の〈夕桜家ある人はとくかへる〉、近現代では正岡子規の〈観音の大悲の桜咲きにけり〉、高浜虚子の〈咲き満ちてこぼる>花もなかりけり〉、石原八束の〈谷川の音天にある桜かな〉、森澄雄の〈われ亡くて山べのさくら咲きにけり〉、桂信子の〈青空や花は咲くことのみ思ひ〉、野澤節子の〈さきみちてさくらあをざめゐたるかな〉、佐藤鬼房の〈明日は死ぬ花の地獄と思ふべし〉、金子兜太の〈人体冷えて東北白い花盛り〉……思いつくままに挙げるだけでも、いつまでも尽きない。

 句会が終わればすぐに忘れられる句が殆どの中で、ずっと口ずさまれてきた名句に比肩する句を作るのは容易なことではない。一生ひたむきに取り組んだからといって、桜と一体化するような自由自在な句境に辿り着けるとは限らない。

「そうなんでしょうな」

 住職はうなずいた。

「それでは尚更のこと、来年の春もまたいらして桜の句を作って下さい。お待ちしていますよ、先生」

「そうよ、春子先生、お忙しくていらっしゃると思いますけれど、また一緒に吟行しましょうよ。高雲寺にもまたお邪魔したいし、奥の細道めぐりもしてみたいし、是非ご指導をよろしくお願いいたします」

 中村さんがようやく笑顔に戻って言った。

「野光さん、ではまた来年の春に伺わせて下さいね」

 一人一人住職と固く握手すると、六人は揃って駅の方へ歩き出した。吟行と句会の後の心地良い疲れがみんなを満たしていた。

 今日一日で、春子と生徒達との心の距離は更にぐっと縮まった。生徒達は生きる悲しさを知っている。俳句の実力はともかく、人間の深さとしては彼らの方が上かも知れない。春子は言葉を操る才能があるだけだ。先生、先生とちやほやされていい気になっていてはいけない。

 曲がり角で振り返ると、住職はまだ立ったまま見送ってくれていた。お辞儀をして手を振ってから、春子達は角を曲がって線路沿いに駅へ歩いていった。

暮色に染まりかけた空に、長閑な春の月が白くぽっかりと浮かんでいた。やがて日が暮れきったならば、月は、生きとし生けるものを包み込む柔らかい光を存分に降り注ぐだろう。高雲寺の境内の桜は、月光を浴びて、昼間とはまるで違う妖艶な風情を湛えるだろう。

 帰りの電車は意外にもすぐに来た。まだ本数はかなりあるようで、なぜ木村さんが急いで句会を切り上げたのかよくわからないままだったが、今日という一日に満たされていた春子達は誰もそのことにはふれなかった。

 生徒達と一列に座り今日の余韻に浸りながら、春子はこの五人に生きるための確かな杖を渡そう、何とか一人前の俳人にしようと心を決めていた。義務感だけで教えていた昨日までの春子は、もういなかった。




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