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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第八章 汝、己の自由の意を問え
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8章17節

 アルバ王国は一月を迎え、大陸統一暦1000年の節目の年を迎えた。

 もし、もう少しだけでも国がまともであったのならば、千年紀元節を祝う祭が随所で行われたことだろう。だが人は祭どころか、立ち上がる力すら失い地に転がっていた。

 誰もが予想した通り――予想した以上に、激烈な冬が襲ってきた。

 大陸でも比較的温暖なアルバは、真冬でも雪は積もらない。だが家を持たぬ者たちが生き延びていけるほど、穏やかでもなかった。

 アルベルティーヌでも、レーゲンスベルグでも、路上には多くの凍死者と餓死者があふれた。王宮、ギルド連合、教会、富豪、その他様々な慈善団体や兄弟団ができうる限り寄進し、炊き出しを行っては飢えた者たちを救済し続けたが、とても追いつくものではなかった。

 カティスは炉に薪を加えて、熾きる火をかき回した。また一段と冷え込んできた――贅沢だとは判っているが、もう少し部屋の温度を上げてやらないと、またカイルワーンの体に障る。

「カティス、俺だ。開けろ」

 ノックの音ともに響く聞き慣れた、気やすい声に、カティスは鍵を開けて訪問客を招き入れた。全身に粉雪をまとわせ、家に入ってきたブレイリーは、土間でそれを払い落とすとほっとしたようにため息をついた。

「やっぱりこの家はあったかいな」

 嬉しそうに言うブレイリーに、カティスは食卓の上に用意してあった書状を示した。

「今日の分がそれだ」

 それはこうして毎日ブレイリーを始めとした傭兵団の面々がこの家を訪れては、ギルドホールに運んでいるもの。

 この家を――寝台を出ることもできないカイルワーンが毎日書きつける指示だ。

「まだ、よくならないのか」

「お前が前来た時よりはずっとよくはなっているが、この寒風吹きすさぶ中出かけさせるには、ちょっと、な」

 カティスが含んで言うことを違うことなく読み取って、ブレイリーは表情を沈ませた。

 今の外の情景は――葬りきれない骸が幾つも転がる様は、あからさまに精神衛生に悪い。

 カイルワーンが体を壊し、寝ついた時、カティスたちは「とうとうやった」と思った。彼らにとってそれは、ある意味自明の理だったからだ。

 原因は幾つもある。激務のせいもあるだろう。だが彼らは端的に、カイルワーンの精神と体力が、この凄惨な状況下でもたなかったのだろう、と解釈している。本人の「胃を壊した」という見立てが、それを裏付けている。

 それ以来カイルワーンは施政人としての仕事を、毎日こうして書状のやりとりをすることで、何とかこなしている。それだけでは埒があかなくて、ギルド連合から指示を仰ぐ使いが訪ねてくることもままあるが、それでも一日の大部分を寝台の上でまどろんで過ごすことで、少なくとも休養は取れているようだった。

 それもいいだろう、とカティスは思う。他の連中がどんなにカイルワーンを必要としていて、早く職務に復帰してほしいと願っているとしても、自分だけは。

 もう少しだけでいい、寝かせてやれ、と思わずにはいられない。

「ブレイリー、来てたんだ」

 すると奥から声が聞こえて、カイルワーンが姿を現した。声は明朗だったが、顔色はまだよくない。

 間違いなくまだ彼は病人だった。

「起こしちまったか? すまない」

「いいよ、寝てるだけも退屈だし。監視人がえらく頑固で、ろくに仕事もさせてくれない」

「……自分が病人だってこと、ちっとは自覚しろ」

 カイルワーンが椅子に腰をかけると、手回しよくカティスがカップを差し出す。熱い白湯を吹きながらすする彼に、ブレイリーは呆れながら言った。

「今のうちにのんびりしておけ。春が来たら、どうせこのままではすまない。……そうなんだろう?」

 ブレイリーの、どこか苦みばしったような言葉に、カイルワーンは湯気の向こうで小さく頷いた。傭兵団の中心人物たちは皆判っている。春が来れば、レーゲンスベルグもこのまま安閑とはしていられないということを。

 国軍は十一月、ティスリンとツェルケニヒでフレンシャム派とラディアンス派に劇的な勝利を収めた。ぼちぼち冬営に入ろうかという軍勢を急襲した彼らは、通常では考えられないような少数で大軍を蹴散らし、両軍を震撼させた。

 そして国軍は彼らを追うこともなく、全速力で王都に引き返した。それはレーゲンスベルグの防衛を担う者たちに、この戦いが単なる前哨戦にすぎないことを実感させる。

「取りあえず国軍は短期決戦で両派を叩いたが、戦場での冬営を選択しなかった。それは奴らが最優先と考えている敵が、両派ではないってことだ」

 ブレイリーはそう判断を下している。それにカティスとカイルワーンは同意した。

 このままラディアンス派かフレンシャム派を掃討しようと考えているのならば、現地で冬営に入るはずだ。ならばこのティスリンとツェルケニヒは単なる牽制で、春が来た時に戦う相手を彼らは近くに想定していることになる。

 それはもう、一つのことしか意味しない。

 だからカティスとブレイリーが、傭兵団を中心として軍勢を整えていることをカイルワーンは知っている。この冬の間に、できうる限りのことをしようと奔走していることも。

「で、実際はどうなんだ?」

 ブレイリーが書面を持って帰った後に、カティスはカイルワーンに問いかけた。

「お前は以前、春まで侵攻はないと言い、事実そうなった。だが、春以降はどうだ? やっぱり、ここで俺らは国軍と戦うことになりそうか?」

「……判らない」

 カイルワーンは、正直に答えた。

 史書にこのレーゲンスベルグでの反乱に関する事項はない。それが意図的に抹消されたのか、それとも取るに足らない地方の一事件として記載されなかったのか、カイルワーンには判らない。春が来て、国軍がレーゲンスベルグで自分たちと戦ったのかも。

「ラディアンス派とフレンシャム派が、この敗退で身動きを封じられたのは確かだ。これほどの戦力差をあっさりと覆されれば、当然恐れが生じる」

 彼らは恐くてたまらないだろう。国軍が、そして彼らが戴くアイラシェールが。

 自分たちの布陣も何もかも、まるで見透かしたかのように――事実見透かして、奇襲を成功させた彼らが。

「今まで城が動かなかったのは、二派に間隙を突かれることを恐れてだ。そして、今までの城の僕らに対する強硬姿勢を見れば、妥協や懐柔はないだろう、という気がする。それがアイラシェールなのか、それとも別の誰かなのかは判らないが、城の中心人物は、おそらく()()。彼らが身中の虫である僕らを見過ごすことはないだろう、とは思う。だが――」

 だが、とカイルワーンは思う。

 春が来る。そして『全ての終わり』が始まる――歴史がこのまま、自分が知る通りに進んでいくのならば。そうなれば、国軍に自分たちと戦っている余裕なんてない。

 だが――しかし。

 判らないことがある。それはカティスの出生と並ぶ、アルバ史最大の謎の一つ。

 なぜアイラシェールは、これから来る未来を知りながら、自らその道に踏み込んだのか。

 だからカイルワーンはその時を待つ。自分の足でその地を踏み、その目で真実を見つめられるようになるその時まで。

 そして、三月。水がぬるんできたことを――着実な春の訪れを確かめたカイルワーンは、カティスにこう切り出す。

「路銀三食こっち持ち、必要ならば日当も出す。君が忙しい身なのも重々承知だ。それでも、君に頼みがある――僕と、一緒に来てほしい」

「……そういう言い方はまたブレイリーが怒るぞ、と言いたいところだが、そこまで言うとなればよっぽどだな。どこか危ないところにでも行くのか?」

「判らない」

「判らないってお前……」

 唖然として言うカティスに、今まで見たこともないほど切迫した――悲愴な顔つきで、カイルワーンは言った。

「そこに何が待っているのか、僕にも判らない。だから行くんだ。そこで何が起きるのかを、確かめるために」

 それは己が知る限り最大の、運命と歴史の岐路。

「だから最初は、僕一人だけで行こうかとも思った。だけど、今のアルバの状態で、まだ冬も完全に終わらないうちに、僕一人で長旅ができるとは到底思えない――アルベルティーヌに行くのとは、わけが違う。何が起こるのか、どんな危険な目に遭うかも判らない。だがそれでも、僕は行かなければならないんだ。だから君の力を、借りたい」

 率直に頼むカイルワーンに、カティスは真剣な顔つきで黙り込んだ。

「一緒に、行ってくれないか?」

 カティスが黙ったのは――迷ったのは、ほんのわずかだった。伏せていた顔を上げ、力強く頷くと、静かな口調で問いかける。

「どこに、行くんだ?」

「東の――センティフォリアとの国境近く。山間の、小さな村だ。ここからだと、大体片道四日くらいかかるだろうか。その村の名前は」

 カイルワーンは、その呪われた名を、ついに口にした。

 そうして、全ての者の運命が、終幕に向かって走り始める。

「村の名前は、サンブレスト」


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