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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第八章 汝、己の自由の意を問え
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8章8節

「失礼します。あなたがカティスさんですね?」

 控室のカティスに、『君自身に用事がある人』が訪れたのは、会議が始まって間もなくのこと。

 栗色の髪を二つに編み、丸眼鏡をかけた十七、八歳の少女だった。お針子がよく身につけるお仕着せの上に、道具が色々詰め込まれて隠しが膨れた前掛けをしている。

「確かに俺がカティスだけど」

「わあ、やっぱり! 本当に噂どおりの方ですのね! 今まで話半分だと思ってましたけど、とんでもない。それ以上にご立派な方でいらっしゃるのね。嬉しいです!」

「………………はあ?」

 やってくるなり突然はしゃぎ出した少女に、カティスは面食らった。

 今何が起こっているのか、さっぱり判らなかった。

「ああ、失礼してしまいましたね。初めまして、私がビアンカ・ピスターチェです。今日カイルワーンさんから、あなたをこちらに連れてこられるとお聞きしたので、お伺いしました。――というわけで、始めてもよろしいですか?」

「…………何を?」

 話が全く見えなかった。頭の上で疑問符が踊っているカティスに、ビアンカはしばし訳が判らないようにカティスを凝視したあと、ぽんと拳を手のひらの上で叩いた。

「カイルワーンさんは、当のあなたに何もお話していなかったんですか。――これは驚かせようという趣向ですね。判りました。そういうことならば私も協力しなくては」

「…………おい」

「実はカイルワーンさんは、あなたに贈り物がしたいのだそうです。その贈り物の製作を、私の工房に依頼してくださったんです」

「贈り物? カイルワーンが? 君に?」

「はい。正確に言えば、作るのは父で、そのための下準備や材料の調達など諸々の雑用を、私がしているのですが。それでカイルワーンさんご注文の品を作るには、カティスさんの体の寸法が必要ですので、採寸させてもらいに伺ったというわけです」

 ここまで聞いて、やっと事態は理解できた。だが全てが判ったわけでもない。

「というわけで、採寸させていただきますので、そちらに立って、動かないでいてくださいねっ」

 うきうきと巻き尺を取り出すビアンカに、当然の疑問をぶつける。

「それで、カイルワーンは俺の何を作ろうとしてるんだ?」

「嫌ですわ。贈り物は、内緒にしておいて驚かすのがお約束ではないですか。カイルワーンさんがあなたにお話ししていないことを、私の口から話すことなんてできません」

 悪戯を企んでいる時の子どものような、にこにこ笑顔のビアンカに、カティスは観念した。こういう顔をする人間は、まず悪巧みの口は割らない。

「楽しみにしててくださいね。ピスターチェ工房総力を上げて、最高の品を仕上げますから。――というわけで、さあ胸回りから測りますから、背筋伸ばして手を上げてください」

 カティスはこれからしばらく続きそうな苦行に、人知れずげんなりとしたため息をつくことになった。

「これほど立派な体格の方だなんて……そりゃあもう腕が鳴ります」

 次の訪問者がカティスの元を訪れたのは、ビアンカが体のありとあらゆる寸法を測っていったのではないかと思えるほど――彼女は足の大きさから、頭周りに到るまで採寸していった――の入念な採寸がすみ、カティスがようやく一息ついた頃。

 部屋の外ではざわめきが聞こえる。会議が終わり、人が流れてくるのが判った。

 ノックの音に、カイルワーンが戻ってきたかと扉を開けたカティスは、そこに立っていた人物に顔をしかめた。

「フロリック……」

「入っていいかね?」

「カイルワーンとここで話がしたいというのなら、外に出ているが」

「儂は君に会いにきたんだ。カティス・ロクサーヌ――そうだったな?」

 フロリックの言葉に、カティスは無言で扉を閉めた。

「君と儂は一度会っているな。カイルワーンと初めて会った時、粉粧楼に彼と一緒にいたのは、君だったろう。そうではないかと思っていたが」

「俺に一体何の用だ? あんたとカイルワーンがどれほど昵懇にしていても、俺らがあんたのことをいまだに好いちゃいないってことぐらい、判っているだろう」

 反感たっぷりに告げるカティスに、フロリックは苦笑いした。

「あの一件については、正式に謝罪しよう。すまなかったと粉粧楼の主人にも伝えておいてくれ」

「……かえって気味悪いな。何を企んでるんだ?」

「レーゲンスベルグはこれから激変する。それを君に伝えにきた」

 椅子に腰かけたフロリックを、壁にもたれかかりカティスは見下ろした。その緑の目が、ひどく険しい色をたたえていることを――彼が今どれほど警戒し、緊迫しているかを、彼の傭兵仲間たちならば見抜くことができただろう。

「どうして、それを、あんたが俺に?」

「その渦の中心にいて、流れを操っているのはカイルワーンだ。これから彼は、今まで以上に途方もないことをしでかし、多くの人間の運命を左右する存在になるだろう。その彼を左右している人物が、どんな人間なのか、この目で見たくなった」

 カティスのものと負けずとも劣らない、険しく真剣な眼差しが彼を捕らえた。

 家業の命運がかかっている時のような、そんな重大な取引を前にしている時のような、そんなひどく集中した値踏みの眼差し。

 カティスとてそれに気押されたりはしない。不快もまた感じなかった。

 恐いことが――気に障ることがあるとすれば、フロリックが自分をその目でどんなふうに見て、どう判断を下したのかが、読めないことだ。

「買いかぶりじゃねえのか?」

「その判断を下すのは、君自身ではない。――そうだろう?」

 カティスの皮肉に、フロリックは動ぜず静かに言い放った。

 それを知る術はカティスにはない。だがそれを問いただすことも、怯むこともなく、ただフロリックを待つ。

「君に頼みがある」

 不意にフロリックは表情を変えると、話もまた変えた。

「カイルワーンはこれから、レーゲンスベルグの中心人物になる。様々な人間の上に立つ存在になる。それなのに、彼は己の身の安全に頓着しない。私は今まで何度も、屋敷街に住居を移せと言ってきた。今いるところはあまりにも治安が悪いし、あの家では斧の一つもあれば簡単に扉も破れるだろう。カイルワーンがどれほどの金を持っているのか――稼ぎを上げているのか知らぬ者はいないというのに、今の彼はあまりにも無防備すぎる」

「……それは俺も、案じていたことだ。この街の全ての人間が、賢者様を崇め奉っているわけではないからな。困窮した人間は、何だってする」

「それなのに彼は、あそこを動けない理由があるといって、頑として首を縦に振らない。家の一つや二つ、我々で提供しようといっているにもかかわらずだ」

「その理由が俺だと? ……それこそ買いかぶりだと思うがな」

 苦笑して否定するカティスに、険しい表情のままフロリックは告げる。

「理由はいい。問題となるのは、カイルワーンと共にいられるのが君だけだということだ」

「……つまり?」

「護衛を頼みたい。幸いなことに、君は腕利きの傭兵だ。もし君が金にならない仕事をしたくないというのならば、私が君を雇おう。日当は、君の言い値でいい」

「本気か?」

「彼は支柱だ。彼の存在あってこそ、我々は行動に踏み切る気になった。今我々は、どんなことがあっても、彼を失うわけにはいかない」

 真剣に言うフロリックに、カティスはことさら自尊心を傷つけられた態を演じて言い放った。

「そんなこと、金をもらってやることじゃない。当たり前だ」

「……そうか。それでは頼む」

「言われなくたって」

 護衛のことだけではないことを悟って、それでもカティスは胸を張って答える。それを聞いて控室を出ていきかけたフロリックは、扉を開けたところで立ち止まり、ふと振り返った。

「カティス・ロクサーヌ。君はもしかして――」

 言いかけて、フロリックは言葉を止めた。いやいい、忘れてくれと言い残して去っていく背中を見送っていた時、声がかけられる。

「待たせて悪かったな。帰ろう」

「……お前、何を企んでいるんだ?」

 責めるふうでもなく問いかけたカティスに、カイルワーンは一瞬きょとんとした後、ああと笑った。

「ビアンカが来たね。すっかりおもちゃにされたろう」

 矛先が、すっとそらされたとカティスは感じた。それが意図なのか、無意識なのかは彼にも判らないが、核心にはまだ自分が辿り着けはしないことを感じた。

 多分カイルワーンは、まだ沢山のことを隠している。

 そして自分に隠したまま、何かに向けて布石を打っている。

 カイルワーンがビアンカに頼んで作らせたもの。それが何であるのか、カティスには予測がついている。あそこまで採寸を必要とするものなど、ただ一つしかない。

 だがそれを自分に贈って、それで彼はどうするつもりだ。

 信じてくれ、と彼が言ったから、問わない。しかし胸の中に残る問いかけ。

 カイルワーン、お前は俺に、何をさせるつもりなんだ――。


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