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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第八章 汝、己の自由の意を問え
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8章6節

 カイルワーンがカティスにウェンロック王の死を伝えたのが、大陸統一暦999年9月末。事件が起きてから一月半後のことだった。

 首都州海路の玄関口。アルベルティーヌに最も近い港町であり、物資の補給という点で首都と深い関わりがあるレーゲンスベルグの各種商人ギルドですら、その結論を出すのに一月以上を要した。過去の事実としてそれを知るカイルワーンが、確信をもって断定しなければ、彼らとて認めなかったかもしれない。それほどにアイラシェールと緋焔騎士団の情報の隠匿は巧妙だったと言える。

 だがその結論は、レーゲンスベルグを牛耳る有力者たちを動揺させた。レーゲンスベルグは首都州――王領だ。今度の政変の余波を、アルベルティーヌの次にかぶるのは目に見えていた。

 多くの者たちは、己が岐路に立たされていることを自覚した。カイルワーンはそれを見越して動き出す――目にある種の達観を浮かべて。

「一介の平民が王宮の人間に目通り叶わないのなら、いいさ。王宮の人間が無視できないだけの存在になってやろうじゃないか。それが僕を『賢者』としての道に駆り立てるものだとしても」

 全ての計画を知ったカティスの問いかけに――それでいいのかと問う彼に、カイルワーンはそう答えた。そこには達観と、覚悟があった。

 事の始まりは、あの鐘が鳴った日から二日ほどたった朝。朝食をいつものように共にすませ、カイルワーンは食器を片づけながら問いかける。

「カティス、今日暇ならば、僕に一日つきあってくれないか?」

「別に構わないが、どこへ?」

「ギルドホールなんだけどね。ただちょっと、そこまでの道のりを護衛してほしくて」

 その言葉に、カティスは目を瞬かせた。レーゲンスベルグの各ギルドが協同で運営、利用しているギルドホールは、街の中心部にある。夜ならばまだしも、この昼間に行くのに危険なことはないはずだし、普段のカイルワーンの行動範囲内だ。

 その意図がさっぱり判らないカティスを連れて、カイルワーンは隣家を訪ねる。

「今日は高価なものを持ち歩くから、大丈夫だとは思うんだけど気持ち悪くてさ」

 ちょっとごめんよ、と一言を残して、カイルワーンはカティスの寝台を漁る。敷藁の底から出てきたのは、小さな白い革袋。

 彼が主君クレメンタイン王から拝領した、三つの革袋の中の一つだ。

「……お前、俺の寝台にいつの間にそんなものを」

「僕の家に隠すよりは、ずっと安全だと思わないか? 泥棒も、まさか僕が君の家に金目物を隠しているなんて思わないだろう」

 渋面で責めるカティスに、カイルワーンはしれっと言ってのけた。

「……俺に護衛を頼まなければならないほどの中身って、何だよ」

 見せろよ、というカティスに、カイルワーンは悪戯めいた笑みを浮かべて首を振り、さっさと袋を上着の隠しに閉まってしまう。

「秘密」

「……つまらねえ」

「黙っててもそのうち、君の目にかけることになるだろうと思うよ……多分ね」

 その曖昧な言葉が、どこか寂しげに見える笑みが、何を意味するものか、今ではカティスには――彼だけには判る。

「それも預言か?」

 言葉もなく認めるカイルワーンに、カティスはそれ以上の追求をやめた。

 カイルワーンが己の正体を明かしてから、彼の肩の力が少し抜けたようだとカティスは感じていた。未来から来た、それ故これから起こることを知っているというその前提。それを隠す必要がなくなった彼は、以前よりずっと構えることなく自分に接し、物を話してくれるようになったと。その前提を押し隠して何かを語り、明かすことなど土台無理な話だったのだと、今となってはよく判る。

 だからこそ、かえってカティスはカイルワーンの内心を推し量る必要を感じていた。おそらく彼の知る未来には、運命には絶望がある。だからたとえ気遣いであっても、それに無闇に触れてはならない。ましてや好奇心などもっての外だ。

 カイルワーンと連れ立って家を出て、街を歩きながら、カティスはカイルワーンの今日の依頼の意味を実感した。それは無論今まで気づいていなかったことではないが、護衛という認識を与えられれば、ことさら浮き上がってくる。

「浮浪者が……増えたな」

 カリネラ山の噴火は小康状態にはなり、降灰の量は減ったものの、煤煙の雲は完全に晴れてはいない。二年連続の大凶作に農民は農地を捨て、都市に流入してくる。だがいかな大都市とて、流れてくる農民全てを抱え込む余裕はない。職にあぶれた者たちは、住むところもなく街路にたむろし、飢えて犯罪に走る。修道院や兄弟団などの慈善団体が救済活動を行っているが、到底追いつくものではない。

 レーゲンスベルグの治安は、目に見えて悪化している。

「……僕らは贅沢な身分だよね。ここのところ、特にそう思うよ。――無論、僕らが楽して金を稼いでいるとはかけらも思わない。君も、僕も、手にした報酬分の働きはしているという自負は、そしてそこに辿り着くために、砂を噛んで這い上がったという自負はある。……でも、そんな僕らと彼らを分けたものは一体何だろう。それはきっと努力とか才能とか気構えとか、そういったものだけじゃないんだ。多分僕らを分けるものは、本人の意志や努力ではどうにもならない領域に存在する」

「……ああ」

 例えて言えば、それは歯車のようなものだろうか。一つ隣の歯車とかみ合わなくなった瞬間、平穏な人生から転がり落ちる。そしてそれは、誰にでも起こりうる。

 人生の歯車の齟齬は、時に天与だ。

 自分だってどうなるか判らない、とカティスは思う。自分が今飢えることなく、それなりの暮らしができているのは、自分が戦場に立てるからこそ。腕の一つ、足の一つが動かなくなれば、それだけでもはや自分には日々の糧を得る手立てがない。

 誰もが薄氷の上に立っている。それがこの国――この世界だ。

 そしてそのことを判っているから、今ここに彼らは集まってきたのだろうな、とカティスは感じた。ギルドホールに着くと、そこには錚々たる顔ぶれが揃いつつあった。

 法律家・公証人、医師、両替商、毛織物・絹織物を始めとした織物業、食料を扱う粉屋・肉屋・魚屋・パン屋、金銀細工師や甲冑工を始めとする金属加工業、宿屋、そして貿易商人。レーゲンスベルグに大小二十一あるギルドの代表がことごとく集まってきていた。

「会議、ちょっと長引くかもしれないけれども、待っていてくれないかな。成り行き次第では、君に話したいことが出てくるかもしれないし、君自身に用事がある人もいるし」

 自分にあてがわれた控えの小部屋にカティスを残し、カイルワーンは言う。その微かに緊張が見える相貌と集まった面子に、カティスはその会議が只事ではないものだと判った。

 だからこそ。

「……お前、そこで俺に何をさせる気だ?」

 言葉少ない問いかけ。その言外にあるものを、カイルワーンは読み違えたりはしない。だから一言だけ、告げる。

「僕を信じてくれ」

 真っ直ぐ自分を見て告げられた言葉に、カティスは頷いた。後は何を言わずに出ていく背中を見送りながら、カティスは長椅子に深々ともたれかかった。

 カティスは己に利用価値があることを自覚している。それが出所の判らない、信憑性のない噂であったとしても、もはや笑い飛ばして否定し続けるだけではすまない。他人にとって価値があることは真否ではなく、それが偽りであったとしても騙れる素地のある自分の存在だ。

 もはや平穏に暮らしていくことはできないのかもしれない。絶えず頭の中にあった不安は、ウェンロック王の死によって、一気に現実味を伴ったものになった。

 ここが己の人生の岐路になる。そしてそれを左右する糸を握っているのがカイルワーンであることを、カティスは苦笑と共に受け入れた。

 だからこそ、思う。

 どうして自分とカイルワーンは出会ったのだろうか。王子かもしれない自分と、賢者の異名を取る天才の彼が。

 歴史は、己の人生は、運命は全て決まっていると、カイルワーンは言う。多分それは人ごとではないのだ。彼の運命が定められ、歴史の繰り人形と表現したくなる役割が与えられているのならば、彼を身近に送り込まれた自分にもそれがあるのではないか。

 それがカティスは正直恐い。

 それでもカイルワーンと出会ったことを、悔やんだり、なかったことにしたいとも思えない。そして、その恐れのためにカイルワーンと縁を切ろうという気にも。

 親友として、人として、彼に惹かれる心。彼を必要とする心。それこそ彼と自分を切り離さないように仕組まれたものだとしたら――そのために自分たちは、あんな出会い方をし、あんな思いを語り合ってきたのだとしたら。

 ――思考を、カティスはそこで無理矢理停止した。

 もしこの世に神がいるのだとしたら、修道士たちが語るような慈悲は持ち合わせてなどいないのだろう、と、最後に皮肉げに思って。

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