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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第七章 沈みゆく船
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7章9節

「なぜ、摂政となられることに同意されたのです? フィリスがあなた様を傀儡にしていると言われることが、判っておられなかったわけではありませんでしょう?」

 アイラシェールの問いかけに、ルナ・シェーナは薄い笑みを浮かべた。

「アレックス侯妃、私はどんな形であれ、陛下を国王の重責から解放して差し上げたかったのです。それが形として裏切りであったとしても」

「王妃陛下、そんな……」

「聡明なあなたならば気づいているでしょう。もうこの国は沈みます。フィリスがこれからどんな行動に出ようと、どんなにあがこうと、割れてしまったこの国の貴族は、血を流して決着をつけないかぎり止めることはできないのです。それは早期に後継指名をしなかった陛下の罪なのかもしれませんが、それを今更とがめたところで詮ないことです。もう何もかもが、遅い」

 何もかもを悟りきったような、諦めきったかのように呟くルナ・シェーナに、アイラシェールはかける言葉がない。

「だったらもう、いいではないですか。陛下が何をしようが、どうなろうが、この国の命運は変わらないのです。ならば残り少ない人生を、全ての重責から解き放たれて、ゆっくりと生きたっていいではないですか。私はそう、思ったのです」

 もしこの場にカイルワーンかアンナ・リヴィアがいたら、それは大きな思い違いだ、と言ったことであろう。ウェンロック王の孤独の質を、長年連れ添ったこの王妃ですら理解してはいなかったのだと、カイルワーンなら嘆いたことであろう。

 だが彼の理解者は、宮廷には一人もいなかった。そのことが、終局の引き金を引く。

「陛下、お力をお貸しください」

 アイラシェールは待ち続け、戸を叩き続け、ようやく迎え入れられたウェンロック王の寝所で、そう懇願する。

「我々だけでは、もはや近衛を――バイド卿を止めることはできません」

 重ねて言ったバルカロール侯爵に、ウェンロック王は鋭い一瞥を投げかけた。

 淀んだ深緑の目が、真っ直ぐに見つめる。

「エルフルト、それではお前に聞くが、ここでフィリスから権限を全て剥奪して、それからお前はどうする? お前を代わりの摂政にしてやってもいいぞ? だが、私には判るぞ。お前はそんなものはごめんだと思っているだろう」

「陛下……」

「だからフィリスは阿呆だというのだ。今ここで、私から全権を奪ったとて、それでどうなる。その独裁に、先がないことになぜ気づかん」

 すさんだ生活を送っていたにもかかわらず、ウェンロック王の語ることは明晰だ。彼が語ることは、誰よりも適格な状況分析。

「私を閉じ込め、ルナ・シェーナを隠れ蓑にして己の思うまま独裁を振るったところで、私やルナ・シェーナが消えた後は、どうしようというのだ。空の玉座に人形を座らせて、それで誰が納得するというのだ。玉座は決して空にはならない。玉座が空けば、そこに己が座るべく人が相争う――それが国だ! 玉座を狙う全ての大貴族たちを敵に回して、王領から上がるわずかな税収と、アルバ国軍三師団だけで奴は勝つつもりでいるのか? だとしたら、奴はとんでもないたわけだ!」

 狂ったように笑い声を上げて、ウェンロック王は吐き出す。

「フィリスを呼んでこい」

「陛下」

「お前たちが望む通り、フィリスを止めてやろう」

 ぎらぎらと光る目は、明らかに何か尋常ならざるものを見ていた。それはアイラシェールとバルカロール侯爵に、恐れを抱かせた。

 陛下は、何を考えている?

「お前の望みどおり、譲位してやろう。ラディアンス伯も、フレンシャム侯も異を唱えることのできない、反旗を翻すことのできない、絶対的な勢力の持ち主にな」

 現れたフィリスに、挑みかかるようにウェンロック王は告げた。卓の上で一枚の書類に署名をし、かざしてみせる。

「ノアゼット王に、アルバ王国全領土と王位を委譲する」

 その宣言は、居合わせた者全てを凍りつかせるに十分な言葉だった。

「陛下……なんと、仰られました……?」

「まだ判らないのか? フィリス。どうして私がエスカペードを臣下にくれてやったのか。どうして国を割る争いに発展すると判っていながら、後継指名をしなかったのか」

 不敵な笑みが、衰えた横顔に浮かぶ。

「アルバの王位は、誰にも渡さない。ラディアンスにも、フレンシャムにも、貴様にも――そして、()にも! 誰かの手に渡るくらいならば、王位などこの国もろとも消えてなくなってしまえ!」

 からから、と音をたててアイラシェールの手にしていた扇が転がった。だがその音も誰の耳にも届かず、誰もが立ち尽くす。

「陛下は……陛下は、国を何だと、国民を何だと思っていらっしゃるのですか!」

 震える体で、震える声で激情もあらわに叫んだのはフィリス。その端麗な顔に浮かんだのは、絶望か、悲嘆か、怒りか。

「私の、ものだ」

 それが挑発だったのか、蔑みだったのか、それとも王の偽らざる本音だったのかは、アイラシェールにもバルカロール侯爵にも判らなかった。

 そしてこの結末を、王があらかじめ予期していたのかも。

 だがその瞬間、王は逃げなかった。ただ真っ直ぐフィリスの前に胸を張って立ち続け。

 血が、散った。

 エスカペードの突きを腹で受け止め、あふれかえってくる血を口から吐きながら、ウェンロック王はそれでも全身全霊の力で立ち続け、そして呟いた。

 その言葉を、確かに三人は聞いた。

「真の王よ……さあ、これから……どうする?」

 それが最期の言葉だった。

 誰も何も言えなかった。誰も動けず、ただ立ち尽くし、そしてお互いの顔を、ゆっくりと見た。

 誰もがこの場で、この後、どうしたらいいのかが判らなかった。

「……エスカペードは魔剣に堕せり――」

 震える唇が、小さく小さく言葉を紡いだ。

 それは後の吟遊詩人の歌。史実では確かめられなかった真実を、歌は刻み込んでいたことをアイラシェールは知る。

 エスカペードは魔剣に堕せり。

 民を斬り、臣を斬り、王を斬った――。

 そう、全てが真実。

「いや……いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 理性の箍が一番最初に吹き飛んだのは、アイラシェールだった。己の目の前の広がる光景も、何もかも否定してしまいたいとばかりに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、うずくまって叫び続ける。

 運命を変えたいと願った。魔女になどならないと心に誓った。そのために沢山のものを、沢山の思いを犠牲にして、ここまでやってきた。

 けれども、けれども。

 もう何一つ、否定することなどできない。



 運命は、決して変わらない。

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