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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第七章 沈みゆく船
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7章1節

第7章  沈みゆく船 ―大陸統一暦999年―

「フィリス、お前に話がある」

「何でしょう、父上」

 アルベルティーヌ城下、バイド子爵邸。起床し、登城に向けて準備をしている息子を、バイド子爵は自分の部屋に呼び出した。

「フィリス、お前は私の後を継ぎ、バイド子爵家を治めていく者だ。それを踏まえた上で、お前に一つだけ聞いておきたいことがある」

 父親の改まった物言いに、フィリスは怪訝そうに表情を曇らせた。

「お前は近衛騎士団の団長にしてアルバ国軍元帥という晴れがましい地位にある。それはお前がバイド家の人間だからでも、私の息子だからでもなく、己の力によって勝ち得た名誉だ。そのことは私にとっても何より誇らしいことだ」

 しかしそう言う父親の表情が優れないことに、フィリスは釈然としない。

「だが――いや、だからこそ、聞いていいか? お前は、お前が今乗る船が、どこへ向かっているのか、判っているのか?」

「……父上?」

「お前の乗る船が、どんな未来へ、どんな方向へ向かって進んでいるのか、お前には本当に判っているのか? 判っているのならば、どうか私に教えてくれ」

 現状ではなく、未来。これから起こりくること。バイド子爵は厳しい表情で、息子に問いかける。

「お前の乗る船は、本当に沈みゆこうとはしていないのか?」

 父親が暗に告げることに、フィリスは憤慨しながらも、同時に慄然とした。

 父の懸念が杞憂ばかりではないことを、フィリスはよく判っている。

「沈ませはしない」

 強い口調で言い切り、フィリスは腰の剣の柄に触れた。伝わる冷たい感触――エスカペードの柄頭にはめ込まれた赤の双子石。

「私が決して、沈ませはしない」

 そんな息子を、父は険しい眼差しで見つめた。



 ディリゲントの勝利によって、アルバにおける軍事的な緊張は当面去った。しかしその勝利は、宮廷の図式を一層複雑にするものだった。

 戦勝は近衛騎士団を中心とする第三勢力の権勢を拡大させた。その勢力はまさにラディアンス派、フレンシャム派と比肩し、まさに宮廷は三分された。

 だがその第三勢力の中心であるはずのバルカロール侯爵は、一つの単純な疑問を浮かべずにはいられない。

「結局、我々の宗主とは、誰なのだろう?」

 アイラシェールに、そう侯爵は問いかける。昼下がりの彼女の応接間には、侍女も下がらせて今は二人だけ。柑橘の匂いのする紅茶が、緩やかな湯気を上げている。

 お茶請けはカスタードプティング。卵と牛乳を合わせて蒸したこのお菓子は、彼女が製法を厨房に指示して作らせた新しいお菓子だ。

「侯爵以外のどなたでいらっしゃるというのです?」

「フィリスを始めとした近衛の連中が、私を仰ぐべき中心だと思っているか?」

 侯爵の言葉に、アイラシェールは沈黙した。

「我々の勢力は、確かに二派に比肩する――当然のことだ。バルカロール、ジェルカノディール、ドランブル、いずれも大所領を擁する貴族だ。だがアレックス、お前には判っていることだろうが、我々は拠り所がない」

「私たちの拠り所は陛下です。それは図式としては、大変滑稽なことではあります」

 近衛騎士団の者たちには決して明かさぬ本音を、アイラシェールは口にした。

「私どもを陛下に群がる寄生虫だと揶揄する声を聞きますが、一側面においては真実です。ですが、私たちが陛下に利用されているのもまた、現実」

「確かに我々の台頭によって、王は枢密会議が楽になっただろうな」

 アルバの国政は、王一人で全て決定されるものではない。貴族たちで構成される枢密会議が王と共に国政に当たる。

 無論、最終的な決定権は王にある。だが王は枢密会議を――貴族たちを無視して、専制を敷くことはできない。なぜなら封建領主は王に忠誠を誓う臣下でありながらも、自領においては君主であり、独自の軍事力を持つ存在である。理と利があればいつ反乱を起こしても不思議ではない。

 結局のところ、王とてこの国の封建領主の一人にしか過ぎず、絶対的な権力を行使しうるのは、自領のみでしかないのだ。

 その貴族たちが結集する枢密会議において、王は近年苦闘していた。もはや貴族の忠誠は、二侯に傾いている。そこにおいて、貴族たちに己の政策を了承させるのは至難の業だ。

 しかし王は第三勢力に庇護を加えることで、逆に枢密会議での味方を得られたのだ。それは経緯として卵が先か鶏が先かという話になるが、現時点ではうまく機能している。

 つまるところ、とバルカロール侯爵は思う。後宮でエヴァリン・フェリシア・アレックスの三人の寵妃が争うように、国政の場では三人の人物が争っている。そのうち最後の一人は、実のところ自分ではなくウェンロック王なのだ。

 その構図は、アイラシェールの言う通り、確かに滑稽だ。

 だが侯爵としては、王と心中するつもりなど毛頭ない。

「侯爵様の仰りたいことは判ります。陛下を拠り所とすることは、現状では最も強固で、二侯を宗主と仰げぬ我らには唯一の選択肢です。けれども、陛下にもしものことあらば、我々には先がありません」

「理想は、陛下が後継と定めた方を宗主と仰ぐことだ。それを探ることが、私がお前に課した命題だった。アレックス、お前はどう思う?」

「……判りません。少なくともラディアンス伯・フレンシャム侯共に王位を渡したくない、と思っておられるのは確かです」

 ただ、と呟いて、アイラシェールは問いかけた。

「侯爵様は、陛下がどうしてエスカペードを下賜されたのだと思いますか?」

「判らないのは、そこだ」

 渋い顔をする侯爵に、アイラシェールは続けて問いかける。

 意を決して。

「レヴェルがなくなった、というのはまことにございますか」

 その問いに、侯爵は一瞬息を呑んだ。

「レヴェルは王権の象徴です。王にしか立ち入りできない宝物庫の最も奥に安置された国宝が、なくなるなんてことがあるのですか」

「アレックス……」

「レヴェルが真実失われたのだとすれば、双子でありながら格下に扱われていたエスカペードの権威は増します。レヴェルの代わりに、戴冠式で捧げ持たれても、何の不思議もない。それを誰かに譲り渡すという行為は、それだけで後継指名だと考えても考えすぎではない行いです。それなのに、陛下はエスカペードを誰の手に渡るか判らない騎槍試合の賞品にした」

 侯爵は答えない。だがアイラシェールが暗に告げることと、自分が考えていたことはおよそ合致することを、彼は悟っている。

 ウェンロック王はもしかしたら、誰が王になっても構わないと思っているのではないかと――。

「ならばフィリスを王として立てるか? アレックス」

 幾分皮肉げに、侯爵は言った。

 このまま王太子が決まらぬままウェンロック王が死去すれば、アルバの封建領主が集い選帝会議を持つことになるだろう。そしてその時数の論理で勝利した者が王を名乗り、不満を持つ者たちは王に反旗を翻すだろう。その選帝会議にエスカペードの下賜を根拠に、フィリスを王として推挙することは決して不可能ではないのだ。

 無論それがごり押しであることも、勝算の薄い賭であることも、侯爵は百も承知だ。

 そしてそれが、彼にとって快い策であるはずもなく。

「ご冗談を。フィリス卿を宗主に据えることは、あなた様ご自身やジェルカノディール公爵様、ドランブル侯爵様が納得いたしますまい。ですが――」

 アイラシェールは言いかけて、言葉を呑んだ。心を去来するのは、一つの思い。

 結局今論議されていることに対して、アイラシェールはただ一つの策しか思いつきはしない。

 そしてそれは『解決策』ではなく、アイラシェールにとっては『絶対』だ。

 アイラシェールは考える。歴史を変える――それが己の運命を変える唯一の方法だと。だがそれは、一つのとても大きな危険性をはらんでもいる。

 歴史が変わって、ウェンロック王が、フィリスが道を踏み外さなければ、己が魔女と罵られることもなくなる。

 けれどもそのために、市井にある英雄王カティスが、歴史の表舞台に現れなくなったら。

 彼が王にならなかったら。

 その仮定は恐ろしい結論を彼女に突きつけ、だから彼女は侯爵に告げる。

「侯爵様。もしも……もしも、ラディアンス伯やフレンシャム侯をも飛び越えて、諸侯を納得させうる第三の人物が突如現れるとしたらどうでしょう?」

「アレックス……それは」

「その人物は、いつか王宮に現れるかもしれない。けれども私は、その時期を早めたい。陛下がご存命のうちに、穏便に」

 アイラシェールの言葉に、バルカロール侯爵はごくりと唾を呑み込んだ。

 それは宮廷内の禁忌中の禁忌に触れることだった。

「その人物、とは……?」

「……まだ、お話しできません。確証がないですから。ラディアンス伯やフレンシャム侯を飛び越えるだけの説得力の根拠もまだ、確かめられていないから」

 これ以上問うても、アイラシェールは答えない。そう悟って侯爵は彼女の部屋を退出し、帰途の道すがら、先刻の戦慄を思った。

 なぜモリノーの娼館にいた娘が、一部の大貴族のみが知る王家の禁忌を知っているのか。

 それは、レオニダス王の遺言。

 彼は死の間際、侍従長やアナベル王妃、ウェンロック王に告げた。

『案ずることはない。時が来れば、真の王はレヴェルと共に必ずこの王宮へ帰ってくる』と――。

 そして血相を変えたウェンロック王が宝物庫を開けると、そこからは忽然とレヴェルが消えていた。侍従たちはうろたえ、ウェンロック王は狼狽し、恐慌を起こし、泣きわめいた。当座凌ぎに青いガラス玉で模造品が作られ、戴冠式を迎えた。

 そしてその言葉は、推定相続人であるラディアンス伯やフレンシャム侯、そしてその他の貴族たちの胸に突き刺さった。

 レオニダス王の言葉は、レヴェルを手にした者こそ次の王、と解釈できた。だからそれから二十年、貴族たちは血道をあげてレヴェルの行方を追った。

 だが行方は杳としてつかめず、謎の言葉はしこりのように誰の胸にも残っている。

 ラディアンス伯やフレンシャム侯をも飛び越える、第三の人物――レオニダス王が告げた『真の王』の意味が、それである可能性はとても高い。

 そして二侯を飛び越える条件など、たった一つしかあり得ない。

 もし本当にそんな人物がいるのだとしたら――バルカロール侯爵は内心で呟く。もし本当にいるとしたら、よほど慎重に動かなければ身の危険が己に及ぶ。

 アイラシェールはウェンロック王が存命のうちに、と言った。だが彼女の見込みは甘く、そんなことが到底無理なことを侯爵は知っている。

 もしその人物が予想通りの存在だとして、ウェンロック王と対面することになったら、その人物は間違いなく殺されるだろう。

 ウェンロック王は間違いなく、そんな人物が存在しているのならば、彼もしくは彼女を激しく憎むであろうから――。


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