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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第六章 二人の預言者
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6章11節

 花が降る。菫、百合、そして薔薇。

 立ち並ぶ高層の家々の窓から、凱旋する国軍の行列に、色とりどりの花弁が降りそそぐ。

 大陸統一暦999年5月末。ディリゲントで劇的な勝利をおさめ、アルベルティーヌに凱旋したリワードは、市民の熱烈な歓迎を受けた。王宮に至る大通りであるペルゴレーズ通りは美しく清められ、花と色紙で飾られた。沿道には市民がぎっしりと押し寄せ、歓喜の声を持って国軍を迎えた。

 行列の先頭で己の愛馬を進ませていたリワードは、指揮官としてこの日最も晴れがましく迎えられた存在であった。

 だが彼は、笑顔で民衆に応えながらも、その光景にどこか違和感を感じずにはいられなかった。

 戦勝の儀式は凱旋行進、報告の謁見から、祝いの夜会へと続いていく。宴席の場は『紫玉の間』。アルベルティーヌ城で最も広く、格式高い広間がこのような席で使われることは破格で、それは今度の戦勝をウェンロック王がどのように捉えているかの表れといえた。

 祝勝の晩餐は、いつも通りに贅が尽くされ、実に華やかだった。

 香ばしいパイ皮に包まれたスズキ。

 様々な味や形に焼き上げられたペストリー。

 黄金色に彩色され、自身の七色の羽で飾られた孔雀のロースト。

 晩餐の最中、恭しく運ばれた純白の天馬の像は、砂糖とマジパンで作られた装飾菓子。

 何段にも重ねられ、威容を誇るアイスクリーム。

 酒は葡萄酒も林檎酒もふんだんに用意され、飲んでも飲んでも尽きることがない。

 今までは考えられぬほどの上座からリワードはそれらの料理を眺め、それなりに――周囲に不審に思われぬ程度に口に運びながらも、違和感がまた鎌首をもたげて自分に斬りつけてくるのを感じた。

 やがて晩餐が終われば、食卓は片づけられダンスが始まる。楽士たちが澄んだ音色を響かせ始めると、ようやくリワードは私的な語らいの時間を持つ余裕が与えられる。勿論、『ディリゲントの英雄』と讃えられる劇的な勝利の立役者は、あらゆる宮廷婦人たちの注目の的であったが、彼が真っ先に歩み寄ったのは、誰にも異論が差し挟めぬ予想通りの人物だった。

「ようやくお目にかかれました、団長」

 緋色の髪に、それに合わせた深紅の誂え。腰には大粒の紅玉をはめ込んだ聖剣エスカペード。『赤の騎士』の異名にふさわしい装いを凝らした近衛騎士団長フィリス・バイドは、部下の晴れ姿に破顔した。

「よく無事に戻った。お前の帰りが待ち遠しかったぞ」

 フィリスの言葉に、リワードは微かに表情を曇らせた。フィリスが言外に語るものを違うことなく読んだのだ。

「私が不在の間、何かありましたか」

「表面上は何も、な。ただ水面下で馬鹿げた噂が流れていて、対応に少しだけ苦労したが」

 声をひそめ、壁際で語られる物語。

「噂?」

「アレックス侯妃が、ノアゼットと通じているとな」

「……ああ、そうきましたか」

 リワードは高座のアイラシェールをちらりと見やって、納得したように答えた。

 リワードとしては、アイラシェールもフィリスと同等に目通りしたい人物ではあったが、王が臨席している最中に、寵妃である彼女が王の側を離れて臣下と言葉を交わすなど、許されることではない。

 礼を述べるのは後日になるだろう、と思いながらも、その『礼』の大元になった出来事を思えば、その噂は納得がいく。

「私自身、なぜ侯妃がディリゲントが戦場であることを確信されていたのか不思議に思います。侯妃を快く思わない輩が侯妃を貶めようとするのならば、判りやすいくらい判りやすい手段です」

 それで? と結果を問いかけるリワードに、フィリスは苦笑した。

「たとえノアゼットと通じていたとしても、それでアルバに害をもたらしたわけではない。アルバに奇跡的大勝利をもたらす情報が得られるほどの優れた間諜手段を侯妃が持っているのならば、それはそれで天晴れだろう、と切り返しておいたよ」

「……なるほど」

「だがそれだけ、お二方は必死だ」

 フィリスの言葉に、リワードは小さく頷く。

 ノアゼット軍の目的地がディリゲントであることが判明しても、プレジオサとメイロラデルに駐留していた軍勢は王命にもかかわらず動かなかった。何のかんのと理由をつけて出立を遅らせ、ついには間に合わなかった。

 まさに予想通りの展開であったが、リワードの勝利の前にそれは取り返しのつかない大失態となった。ラディアンス伯、フレンシャム侯配下の指揮官たちは降格となり、軍務における発言権を伯・侯とも大幅に失うこととなった。

 一方、今回の勝利を背景に、近衛騎士団は軍務において一層勢力を強めていく。首都防衛大隊三師団、その師団長の一人だったフィリスは、全軍を統括する元帥に昇格。フィリスの後任にリワードが収まり、それはほぼ全権を掌握したと言ってもよかった。

「もはや対決の構図は一対一ではない。そのことにお二方とも気づかれただろう。そうなれば、本気で我々は潰しにかかられる。その時狙われるのは、俺か、侯妃か、バルカロール侯爵か……それとも」

「団長」

 リワードがひどく厳しい声で呼ばわったのを聞いて、フィリスは眉をひそめる。

 その瞳に浮かぶのは、微かな苛立ちと、憂い。

「我々は、本当にこんなことをしていていいのですか」

「リワード」

「我々には、宮廷の勢力争いよりも考えなければならない、もっと大事なものがあるのではないですか」

「言ってみろ」

「今回の従軍で、私は多くの町や村に立ち寄る機会を得ました。そこで色々なものを見ました。食料不足は――国民の窮状は、我々が考えているよりも遥かに深刻です」

 飢えによる体力不足で冬を越せなかった老人や子供たちのために建てられた、真新しい墓標の列。泣きながら売られていく娘たち。食い詰めて、辻で客を引く娼婦の数。農地を捨て、町に流れ込む浮浪者。そして悪化する治安と、日常茶飯事となった犯罪。

 できることならば目をそらしたかった。けれども、目をそらす場所さえない。

 目をそらしたって、目に映るものは同じなのだから。

「そんなものを見てアルベルティーヌに戻ってきたら、あの歓迎でしょう? 嬉しくない、晴れがましくないといったら嘘になりますが、違和感を感じずにはいられない。確かにアルベルティーヌの市民は、農村部よりは豊かでしょう。けれども、あれだけ無駄に金を使う余裕が、市民にあるとは思えない」

 リワードが追及するものが何なのかを察し、フィリスは押し黙った。

 市民に国軍の帰還を歓迎する気持ちがなかったとは、かけらも思わない。しかし今日の凱旋行進を演出するために、国庫から金が出ているのは事実だった。

 それは何においても華やかさを、奢侈を好むウェンロック王の意向で。

「国威発揚として――民意の高揚の場として、ああいうものが必要だということは否定しません。けれども、あの孔雀一匹を調達する費用で、一体何人の国民を飢えから救うことができたのか。あの装飾菓子を作る費用で、何人の娘が身を売らずにすんだのか。そう思えば、宮廷が今しなければならないことは、権力争いでは決してないでしょう」

 視線を落として語るリワードに、フィリスはしばし沈黙した後答えた。

「侯妃にも、マリーにも同じことを言われたよ。マリーは確かに才気もあるし見識も深い女だが、ことに最近、侯妃の影響か政治の話になると容赦がない。最近じゃエスターやバーナビーあたりはやり込められっぱなしだ」

「……申し訳ありません」

 リワードは、微かに顔を赤らめた。フィリスの言葉は、リワードとマリーが恋仲であることを意識したもので、多分にからかいを含んでいたが、すぐ表情を引き締めると続けた。

「現実に侯妃は陛下に救済措置を訴えておられるが、結果ははかばかしくない。アレックス侯妃が何かを望めば、侯妃の望みだというだけで、反対する輩がいるからな」

「団長……」

「勢力争いをしている場合じゃない、とお前は言うが、現実はこうだ。力がなければ、どんな理想も正義も実現できない」

 苦々しく言うフィリスを、リワードはひやりとする思いで見つめた。今フィリスは何を考えているのか――彼は何を暗に言おうとしているのか。

「確かにお前の言う通りだ。国の窮状は、もはや一刻の猶予もならない。だったら俺たちのしなければならないことは、一体なんだ」

 フィリスはどこか虚ろに呟いた。広間の奥の奥にしつらえられた高座の方を、遥かに見やりながら。そんな彼の横顔に、リワードはある種の危機感を抱いた。

 フィリスは己の信じた正義を貫こうとする。その姿勢に確かに自分は共感し、彼と運命を共にすることを決めた。

 だがフィリスが破滅することがあるとしたら、それはきっと己の正義のためだろう。そう脈絡もなく、リワードは思った。

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