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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第六章 二人の預言者
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6章8節

 遠くに城が見える。高い尖塔がそびえる、白亜のアルベルティーヌ城が。

 街の外れで、カイルワーンは佇んでいた。腰を下ろした木陰は、風が吹き抜け、時折木もれ日がきらめく。

 一年で最もよい季節が、アルベルティーヌに訪れていた。

 カイルワーンは、特定の目的があってアルベルティーヌに来たわけではない。街で噂を拾っては歩いたが、それに対して何をしたわけでも、できたわけでもなかった。

 アルベルティーヌは、ディリゲントでの劇的な勝利に沸き返っていた。指揮官リワード・ブライアクレフは英雄のように讃えられ、彼の所属する近衛騎士団の人気は市中でウナギのぼりだ。

 近衛騎士団所属の騎士――リワードの身元は、薄々察していたディリゲントの真相をカイルワーンに確信させた。

 ディリゲントの奇跡を演出したのは、間違いなくアイラシェールなのだと。

 件の鉄砲水が発生した理由は、歴史書にも詳細に記されていない。しかしあまりにも都合のよすぎるその災害は、歴史学者の間で、アルバ軍が人為的に起こしたものとの見方が有力視されていたが、宮廷にアイラシェールがいることを考えれば、それはもはや確信できる。

 川をせき止めるという発想、盆地の方に水を流すための計算、堰の火薬での発破――どれを取っても、『過去を知る者』のにおいが感じられる。

 歴史を、変えるんじゃなかったのか、アイラ――カイルワーンは呟く。しかし、その思いがまた詮のないものであることも、カイルワーンは認める。

 アイラシェール、君は自分が『魔女』であることに、もはや気づいているんだろうか。歴史を変えたいと願う、その気持ちこそが歴史の定めであるかもしれないということに、気づいているんだろうか。

 だとしたら君は、今どんな思いでいるんだろうか――。

 そんなことを考えていたカイルワーンの膝に、不意に何かが落ちてきた。びっくりして顔を上げると、そこに見慣れた顔があった。

 カイルワーンは、あからさまに不快そうに顔をしかめる。あまりのことに、何でもない風を取り繕う気も失せた。

 レーゲンスベルグを出てから三日。たった三日しかたっていないというのに、この男はもう僕を見つけてしまうのか。行き先がアルベルティーヌだということは簡単に推測できるだろうが、仮にも一国の首都だ。こんな広大な街で一人の人間を探すなど、並大抵のことではないはずなのに。

 お前は犬か――その鼻のよさに、内心カイルワーンは呆れた。

「……何だこれ」

 そんな言葉を呑み込み、カイルワーンは膝の上に落ちてきた袋に視線を移す。それは紛れもなく、横に立っている男が落としたものだ。

「サクランボ」

 三日前とは打って変わった悪びれない声で、カティスは答えた。その長身を見上げて、苛々とカイルワーンは声を上げた。

「だから、そうじゃなくて」

「食わないのか? 食わないのなら返せ」

「……食べる」

 ふてくされたように答えると、カティスはカイルワーンの隣に腰を下ろした。仕方なしにカイルワーンがサクランボの袋を間に置くと、カティスも遠慮なしに手を伸ばしてくる。

 二人はしばし黙々と、サクランボをつまみ続けた。洗ったばかりを詰めたらしいサクランボは瑞々しく、真っ赤に熟れていて甘い。

 かなりの数の茎と種を周囲に散らかした頃、それまでずっと黙っていたカティスがぽつり、と口を開いた。その視線は、真っ直ぐに城の尖塔に向けられていて、隣のカイルワーンを見ない。

「なあ、カイル。俺はお前の時代では、ブロードランズ家の王子として――レオニダス十五代王の子として、歴史に残っているのか?」

「カティス――」

「正直に明かせば、俺は自分の父親が誰なのか、知らないんだ。何度となくお袋に聞いたけれども、一度だって答えてくれなかった」

 カイルワーンは突然の問いかけに、とっさに答えられなかった。カティスの言葉は、色々な意味を持っていたからだった。

 カイルワーンが未来人であることを信じるということ。

 そして、決して認めなかった、ブロードランズとのつながりを認めるということ。

 今まで一度だって、自分の身の上を明かそうとしなかったカティスの、初めての言葉。

 カティスがカイルワーンに『何も語ってくれない』と思っていたように、カイルワーンもカティスが己のことを語らないと思っていたのだから。

「それでも周囲の人間は色々と噂する。そうなれば俺の耳にだって入る。まあ色々なのがあったけれども、その中でも一番とんでもないネタが、その先代王の落とし胤って奴だ」

「それは……」

「俺だって知りたいよ。自分が誰なのか。なんでお袋が女官を辞めたのか――俺を身ごもることが、どうして城から逃げるように退出することにつながったのか。だけどな、何となくお袋はそれらの秘密の全部を、墓まで持っていってしまいそうな気がする。俺がどんなに教えてほしいと願ったとしても」

 今まで見たこともないほど真摯に、切実に、カティスはカイルワーンを見つめて問いかける。

「カイルワーン、俺はブロードランズの王子なのか? 俺は……」

 苦しく歪む表情が、カイルワーンを追いつめる。

「俺は、王になるのか?」

 その問いかけは、答えを知っているからこそ、カイルワーンには決して答えられないものだった。しかし、逃げることはできそうになかった。

 これを持ち出されたら――『カティスの未来』を本人から突きつけられたら、カイルワーンにはもはや怒ったり拗ねたりしていられる余裕はない。

「君は、僕の世迷い言を信じるのか?」

 それでも意地と、拗ねた気持ちの残滓と、ささやかな抵抗を込めて問いかけると、カティスは苦々しく笑う。

「……俺が悪かった」

 ただ一言だけ、カティスは謝った。

 そしてそれ以上、何も言わなかった。

 たった一言の謝罪は、そしてその沈黙は、どんなに言葉を尽くした弁解よりも重くカイルワーンの逃げ道をふさぐ。

 カティスが己の言葉を――未来人であることを信じてしまうのならば、己の言葉はカティスの行動を、未来をたやすく左右してしまう。そのことがカイルワーンは怖くてたまらなかった。

 けれどももう、どこにも逃げられない。

 小さく観念のため息をもらして、カイルワーンは口を開いた。

「『ブロードランズ列王記』という史書に、君の名がある。アルバ王国の正史だ。その中に、カティス・ロクサーヌという男が、レオニダス・ブロードランズ十五代王の庶子の可能性があると。レオニダス王の項に、そう書かれてある」

 嘘ではない。だが決して全てを語っているわけでもない答えを、カイルワーンは慎重に取りだしてみせる。

「それは……どういう意味なんだ?」

「書記が――歴史を記録する立場の人間が、真偽を確かめられなかった。もしくは、真偽を後世に残すことを上の人間から許されなかった。そのどっちかなんだろう」

 前者の可能性が高い、とカイルワーンは思った。先刻のカティス、そして以前のアンナ・リヴィア。親子は、全く同じ文言を使った。

 『墓の中まで持っていく』――おそらくアンナ・リヴィアは、最後まで全ての真相を己一人の身の中に秘めたまま、最期を迎えてしまうつもりなのだろう。

 カティスは生涯、レオニダス王の子であることを、肯定も否定もしなかった。その理由は、彼自身が結局最後まで、その真偽を知らされなかったからなのだろう。

 彼自身が正直であろうとすれば、肯定も否定もできない。

「レオニダス王はもう死んだ。君も薄々判ってるだろうけど、真偽がどうあれ、君を公的に認知しようと思う人も、できる人ももういないよ。レオニダス王の子は、公的にはウェンロック王ただ一人だ。君は最期まで、公的にブロードランズ家に認知はされなかった」

「そうだろうな」

「けれどもそれは、君がレオニダス王の子ではない、という証明にはならない」

 カイルワーンは、厳しい表情でカティスに告げる。

「正直に言えば、君がレオニダス王の子供かどうかは、歴史学者の間ではよく論議される。そしてそれは、おそらくは永久に明かされることのない謎だろうってことになってる。なにせ有力な証拠は何もないし、いまさら――二百年もたって、新しい証拠は出てこないだろうって」

「そう……なのか?」

「僕はレオニダス王の肖像を見たことがあるけれど、あんまり似てないよ。君の顔はアンナ・リヴィアにそっくりだし、目の色は似ているけれど、緑の目の男性はレオニダス王だけじゃない」

 ふう、とため息をついて、しょせん、とカイルワーンは呟いた。

 口許に、微かに苦笑を浮かべて。

「結局のところ、父親と子供の親子の証明なんてできっこないのかもしれないよ。真実を知るのは母親のみで、同時期に複数の人間と関係を持ってしまえば、母親にだって判らない。似てることだって確実な証明とは言いがたいし、似なかったら、もう判らないよね。そういう話をすれば、僕だって実のところ、本当にあの親父の息子かなんて判らない。僕も親父に似てないからさ」

「まあ、確かに、そうなんだけれども……」

 釈然としないように呟くカティスに、カイルワーンはもう一粒サクランボを口に運んでから問いかけた。

「君は王に、なりたくはないのか?」

 核心に切り込む問いかけは、カティスの心を裂いてこじ開けるものだと、カイルワーンにも判っていた。それが判っていても、言葉が自然に出た。

 今なら聞ける。今しか聞けない。そう思ったのだ。

「ウェンロック王には子供がいない。君がもしレオニダス王の子なのだとしたら、王位継承権は第一位だ。今王位を争っているラディアンス伯やフレンシャム侯なんかお話にならない、揺るぎない正当な王位継承者だ。そのことを、君は考えたことはないのか?」

 カティスは問いかけに、しばし瞑目した。何かを思い返すように一瞬をすごし、やがて答えた。

 普段の彼からは信じられないほど破格に、正直に。

「考えなかったとは当然言わない。自分が先王の子供かもしれないこと、兄かもしれない現王に世継ぎがいないこと、そして一向に養子を迎えることも後継指名をすることもしないこと、そんなことを知れば、そりゃあ色々考えるさ。色々考えたけれども……それでも結論は、一つしかなかった」

 はっきりと、カティスは告げた。

「俺は、王になんかなりたくない」

 カティスの言葉を、カイルワーンは胸の奥で聞いた。その答えは予想できたものではあったけれども、それでも彼の動揺を誘うに十分だ。

 なぜならば、彼は『賢者』なのだから。

「王になれば、こんな苦しい生活をしなくてすむ。金の心配も、生活の不安もない。その手で人を斬り殺さずともすむ。一千万のアルバ国民の尊崇を一身に集め、誰もが君に跪くだろう。……それでも?」

「王とは自分の手を汚さずに、何万もの人間を殺す生き物だ。それを悪いことだと言うんじゃない――それが王の責務だ。だが、俺には到底、その責任は負えない」

 カティスは間髪入れずに答えた。それは彼が長い間考え続け、その結果いつでも取りだせるよう、心の判りやすい場所にしまってあった回答なのだろう。

「一人の国民も死なせずにすむのならばいい。誰一人、切り捨てずにすむ政治が存在するのならばいいさ。でもそんなのは夢想だろう? 戦争は決してなくならない。こちらから攻め込まなくても、攻め込まれれば応戦しなくてはそれこそ国民を死なす。けれども、その時『国のために死んでこい』と言われる人間の気持ちが、命をあたら捨てると判っていて傭兵の徴募に群がる人間の気持ちが、俺には判る。だからこそ俺は、『死んでこい』という立場の人間にはなれない。とてもじゃないが、こんな俺じゃ、そんな何万人の人間の悲痛を、呑めない」

 カティスは足元の、乾いた砂をすくい上げた。手のひらいっぱいの砂は、さらさらと音をたててこぼれ落ちていく。

「貧民という奴は、こうやって手のひらからこぼれ落ちていく砂だ。何かがあれば、真っ先に切り捨てられていく。……王と呼ばれる存在を、非難しているわけじゃない。どんなに頑張ってこぼさないよう努力しても、砂は指の間から漏れていく。それは仕方のないことなんだろう。だけど、俺はそれを仕方ないと割り切れるほど、強くない」

 未来の王の告げた言葉に、未来の宰相は表情を曇らせた。その言葉は、カイルワーンの心にまた一つ重荷を加えるものだった。

 カイルワーンは、もはや認めざるを得ない。

 もしもこの世に神がいるとしたら。

 自分がその神によって、意図をもって――目的をもって、作られた存在なのだとしたら。

 自分が作られたこと、この時代にやってきたこと、その意味は明白なのだ。

 それはただ一つ。

 カティスを、王に()()こと。

 おそらくカティスは、王に()()のではない。自分が、彼を、王に()()のだ。

 英雄王のおとぎ話。田舎で暮らしていた青年に、王になれ、国を救えと言ったのは、一体誰だった?

 だが僕は、このカティスに――こう僕に言うカティスに、王になれと言うのか?

 正直、吐き気がしそうだった。

「俺は自分に王が務まるだなんて、これっぽっちも思えない。王になりたいとも思えない。だから、王子として認めてほしくもない。俺は自分がブロードランズ家の人間だなんて認めない。だけど、世の中にはそう思っていない人間もいるのかもしれないし、状況が――未来が、どう変わっていくのかなんて、俺には判らない」

 カティスの食い入るように己を見る視線が、カイルワーンは怖い。

 だから、カイルワーンはカティスの言葉に先んじる。

「未来なんて、知るもんじゃない」

「カイルワーン――」

「君の気持ちは判る。先行きは不安だろう。迷えば、答えを求める誘惑に駆られるのも判る。けれども、これだけは言わせてくれ。――自分の未来なんて、知るもんじゃない。自分の未来を知るということは、希望の芽を摘むこと以外の何物でもないんだ」

 うなだれて吐くように言うカイルワーンに、カティスは静かに問いかけた。

「お前は、自分の未来がもう全部判るって、そう言ったよな……」

「僕の父は、この時代を専攻する歴史学者だった。だから息子に、この時代の偉人にあやかって名をつけた。先進的な医療技術や、様々な発明を残した天才である『レーゲンスベルグの賢者』カイルワーン――幼い頃からの、僕の憧れの人だった」

 カティスが息を呑むのが判った。うめき声にも似たその吐息に、カイルワーンは顔を歪ませた。

 泣きだしたくなった。

「自分だなんて、そんなのありか……」

 うなだれ――ほとんどうずくまって、それ以上何も言えないカイルワーンに、カティスは手を伸ばした。小さな肩に手を置き、ただ黙って彼が落ち着くのを待った。

 自分の肩に乗せられたその手が、自分をなだめようとしているのだと判っていても――だからこそなのか、体は小刻みに震えて仕方がない。そんな自分をどうすることもできず、ただひたすらにカイルワーンはうずくまり続け、カティスはただひたすらに待った。

 ただ音のない時間が、過ぎていった。

「……僕の話を、聞く気はあるか?」

 どれくらいの時間が経ったか。ようよう顔を上げたカイルワーンは、カティスに問いかけた。

 僕の話――敢えて言葉足らずに問いかけたカイルワーンの真意を、カティスは間違いなく読み取った。そしてそれは、覚悟の問いかけであり脅しであることも悟った。

 喧嘩別れした夜の自分の過ち。信じるということの難しさ。それを改めて突きつけられ、それは胸に苦かったけれども――だからこそ、カティスは静かに頷く。

「聞きたい」


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