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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第五章 繰り人形
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5章1節

第5章  繰り人形 ―大陸統一暦998~999年―

 雨が降る。今にも雪に変わりそうな、冷たい雨が。

 重厚な鉄の門扉の前に、黒髪の青年が独り立ち尽くしている。

 髪を、指を、頬を、雨が伝い落ちる。

「諦めろ。この門は押そうが叩こうか、泣こうが喚こうが暴れようが、開きやしないんだ」

 いつの間に現れたのか、金髪の青年が黒髪の青年に傘を差しかけながら言った。

 自分より背の高い金髪の青年を見上げて、黒髪の青年の紫になった唇が、震える言葉を紡ぎ出す。

「運命が、決して変えられないものならば」

 雨に混じって、涙が幾筋も頬を伝う。

「運命が全て決まっているというのなら、僕たちの一生は一体何なんだ」

 血を吐き、涙を流しながら、黒髪の青年は己へと問いかける。

「僕たちは一体何のために、生まれてきたんだ」



 大陸統一暦998年の収穫祭は、沈鬱な気配と、それを無理にでも忘れようという殊更に陽気な喧騒に包まれていた。

 それでも、たとえ空元気でも騒げたのは貿易都市であり、商業で潤うレーゲンスベルグだからこそかもしれない、とカイルワーンは思った。農村部では祭を行えたとしてもそれはとてもつましく、取り止めたところとて少なくないだろう。

 カイルワーンがセプタードに告げたとおり、小麦・大麦・ライ麦といった麦類は、夏の長雨と低温により壊滅的被害を受けた。直接被害をこうむった農民は勿論、穀物相場の急騰は食物を自給できない都市の庶民の生活にも、暗い影を落としている。

 誰もが苦難に満ちた一年の始まりを実感し、それを一時でも忘れようと浮かれ騒いでいるようだった。

 祭見物に出かけることもなく、『粉粧楼』の窓際の席に腰を下ろし、カイルワーンはぼんやりと街を行く人を眺めている。その虚ろな眼差しに、見物から戻ってきたカティスは心配そうに問いかけた。

「どうした? カイルワーン。何かあったのか?」

「うん、ちょっとね」

 カイルワーンはカティスの問いに答えない。カイルワーンがそういう態度をとることはしばしばで、カティスをそのつど苛立ちを覚える。

 山中で奇妙な出会いをし、この街で親しくつきあうようになってから半年がすぎた。その間彼はこの街で、色々なことをしてのけた。医者として瀕死の重傷人を救ったり、不治の病として蔓延していた脚気や壊血病の患者を相当の割合で治癒してみせた。かと思えば、誰も食べたことのないような異国の作物から美食を作り上げて、レーゲンスベルグの経済界の大物を懐柔してみせたかと思えば、そのつてを利用して驚くような発明品を世に送り出してみたりする。

 レーゲンスベルグにおいて、彼を知らぬ者はもはやいない。

 それなのに、彼のことを知る者は、いない。

 彼が一体どこの生まれなのか。

 彼が一体どこから来たのか。

 彼が一体何者なのか。

『ねえ、カティス。あんたなら知ってるんだろう? 一体あの方は、何者なんだい』

 一体今まで何度聞かれただろう。聞かれるたびに、返した答えはただ一つ。

『俺の方が教えてほしいくらいだ』

 それはカティスにとって偽らざる本音だった。

 自分ですら何も知らない。一番近くにいるのだと信じている、自分ですら、何も。

 苛立ちが、募っていく。

「なあカイル――」

 言いかけたその時、音を立てて扉が開き、息を切らした男性が駆け込んでくる。

「ああ、やっぱりこちらにおいででしたか、カイルワーン様」

 入ってきたのは、四十代半ばの男性。フロリック家の家令の一人で、よく主人の使いでカイルワーンの元にやってくる人物だ。

「どうした?」

「遅れていた西からの船がようやく到着しまして……先日来ご依頼されていた荷も、ようやくお納めすることができそうです」

 よろしければ、検収を――そう告げた使者に、カイルワーンは頷いて傍らのカティスに言った。

「ちょっと港まで出かけてくる」

 それだけ言い残して、声をかける隙も与えずカイルワーンは店を出ていってしまう。そんな顛末を眺めていたセプタードは、敢えて何でもないことのように呟いた。

「相も変わらず、忙しい奴だ。祭の時くらい、遊んでりゃいいのに」

「まったくだ」

 押し隠そうとし、けれども隠しきれない苛立ちがうかがえるカティスの口調に、セプタードは微かに眉をひそめた。

「苛ついてるな」

「余計なお世話だ、セプタード」

 そう言い残して店を出ていってしまったカティスの背中を見送り、セプタードは小さなため息をもらした。

 カイルワーンが現れてから半年。いよいよ限界点なのか。そうセプタードは独りごちる。

 本人たちは自覚していないかもしれないが、カティスとカイルワーンの関係は傍目にひどく奇妙で、かつとても危うい。

 なぜならそこに、信頼も理解も存在してはいないからだ。

「苦しいだろう? カティス。苦しいんだよ、やっと気づいたのか」

 そしてそれが正しい――そうセプタードは誰もいない店で独り、もう一度ため息をつく。

 半年前、一陣の風が吹き込んできた。それがいよいよ嵐になっていく。

 実はそれこそセプタードが待ち望んでいたものだった。

 ずいぶん長いつきあいになった、年下の友人のために。

 たとえそれが、どんなに当の彼らにとっては苦しいことであったとしても。


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