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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第三章 カティスとベリンダ
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3章6節

 かくしてアイラシェールは、ソニアが率いるこのモントアーレ一座に拾われた。彼女たちは興行を終え、常設小屋である『長春花』のあるモリノーへの帰途、道端に倒れていたアイラシェールを見つけたのだ。

 一座は十人。基本的にはモリノーの『長春花』で舞台を張っているのだが、求めがあれば他の街にも出向いて、そこでも公演を行う。旅芸人には珍しく、女たちばかりで構成されていた。

 一座は間もなくモリノーに着き『長春花』に入った。そしていつもの通りに舞台をかけ、そしてアイラシェールはそこでようやく判ったのである。

 『長春花』は一座が不在の時は、ただの酒場である。だが、一座が入っている時は劇場であり、同時にまた別の稼ぎも行うようになることを。

 一座の収入の大部分は、『長春花』からの公演料ではなく、舞台がはねたあとの稼ぎであることを。

「あの、私……」

 アイラシェールはとうとう居たたまれなくなって、座長のソニアに切り出した。

「みんなが働いているのに――みんなが身を削ってお金を稼いできているのに、私だけ何もしないでぬくぬくしているのは」

「駄目! 絶対駄目!」

 ソニアが口を開くより先に、周囲から反対の声が上がった。

「アイラはそういうことしなくていいの!」

「アイラはお姫様なんだから、そんなことしちゃいけないの!」

「……とみんなは言っているけど」

 ソニアは苦笑して言った。

 アイラシェールは自分が王女であったことを明かしてはいない。けれども彼女が上流階級の出で、高い教養を身につけていることは誰の目にも明らかだった。

 そんな彼女のことを、一座の女たちは『私たちのお姫様』と呼んではばからなかった。

「でも……」

 なおも言いよどむアイラシェールに、女性たちは笑って詰め寄る。

「その代わり、また手紙の代筆お願いね」

「この一座で字が書けるのは、座長とアイラだけなんだから。座長に恋文の代筆を頼むのはちょっと……ね」

「そうそう」

「この間のレース編み、一人でやってみたんだけどやっぱりこんがらがっちゃったの。アイラ、後で教えてくれる?」

 女性たちの矢継ぎ早の要求に、アイラシェールは目を白黒させるよりほかなかった。

 こうしてアイラシェールの提案は、瞬く間に却下された。

 ちなみにアイラシェールの待遇は『長春花』に入ってすぐ、ソニアがアイラシェールにこう問うた時に、決まった。

「あなたは、何ができる?」

 単刀直入の問いに、アイラシェールは考え込んだ。何ができる、と今さら問われても、なかなか浮かんでくるものがない。

 コーネリアは塔における家事を、自分には手伝わせなかった。カイルワーンは炊事や洗濯など色々やっていたようだが、手を出そうとすれば二人がかりで怒られた。

 唯一『女性のたしなみ』として教えられた裁縫と編み物だけはそれなりにできるが、自分がそれで金銭が稼げるほどの腕前であるとは到底思えなかった。

「私、本当に学問しかしてこなかったのね……」

 そのアイラシェールの苦々しい独り言は、かえってソニアやベリンダを驚かせた。

「学問? あなたが?」

「え、ええ。まあ、一通り」

「じゃあ、字が読み書きできるのね!」

「物語とか、詩とか、いっぱい覚えている?」

「じゃあ計算は? お店の勘定とかも、できるの?」

 女性たちの驚きと羨望に満ちた眼差しにアイラシェールは言葉を失い、そして彼女は自分が『上流階級の出』であるということの意味を、しみじみ考えさせられることになるのである。

 かくしてアイラシェールの待遇は決まり、彼女は奥に隠されることとなった。そして他の女たちとは別の仕事を預けられることになったのである。

 けれどもそれでも居たたまれなさを感じるアイラシェールに、ソニアは告げた。

「みんなの言い分はともかく、あなたは昼間にちゃんと働いているのに、この上夜も働くの? 自分の体が強くないのは判ってるでしょう? 倒れられたら困るのよ」

 ソニアはやんわりと、アイラシェールに言う。

「事務仕事の大部分をやってくれて、助かってるんだから」

 アイラシェールは夜の仕事を受け持たない代わりに、一座の会計や事務仕事を一手に引き受けた。それは座長であるソニアの仕事であったのだが、彼女は舞台にも上がる。彼女の負担が大きいことは目に見えていたし、計算や事務仕事に関してはアイラシェールの方が上だったからだ。

 こうしてアイラシェールは『長春花』の一室で、一座の金銭を管理し、一座の女性の衣装を整えたりしながら、この一月を暮らした。

 それはすこぶる、穏やかな毎日と言えた。

 他人の目を恐れなくてもよい、ということを実感できるようになるには、ずいぶん時間がかかった。初対面の人間と話をすることは、まだ苦手だった。それでも、この新しい日常に彼女は慣れようとしていた。

 一日の仕事を片づけて、夜半過ぎ、アイラシェールは自らの寝台にもぐり込んでそっと目を閉じる。

 おそらく自分は、とてつもなく幸運だったのだ――そうアイラシェールは思う。このいい人たちに拾われたからこそ、今頃こうやって粗末ながらも暖かいものを食べて、暖かい寝床にもぐり込むことができる。一座の女性たちの法外な優しさがあったから、こんな生活力のない自分が身を売ることもなく生活していける。

 なんて幸運だったんだろう――そう呟いて眠りに就けば、決まって夢を見た。

 いつだって夢に現れるのは、ただ一人だけ。

 どれほど穏やかに暮らそうと、満ち足りていると自分を騙そうとも、胸にはぽっかりと穴が空いている。決して埋まることのない欠落を、夢は容赦なく突きつけてくる。

 夢の中。黒髪の青年の背中は、どんなに追いかけても追いかけても遠くなっていき、どんな声を張り上げて呼んでも振り返ってはくれなかった。



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