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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第十一章 それでも朝日は昇る
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11章8節

 脱出者を見送ったのは夜明け前。その帰り道、曙光がいまだ差さぬ薄暗がりの中で、アイラシェールは薔薇園で一抱えの薔薇を切った。

 城は今が夏薔薇の盛り。城に咲く全ての色の薔薇を切り取り、刺を刺さないよう厳重にくるんで運ぶと、壺に活けて王宮の最奥に運んだ。

 玉座の置かれた『謁見の間』――ここが最期の場所になることを、彼女は知っている。

 悩んだ挙句、アイラシェールは簡素な仕立の深紅のドレスを選んだ。失礼にならぬようにと少しだけ化粧をすれば、それで準備は全て終わる。

 後は待つだけだ。その一瞬を――最期の一瞬を。

 大陸統一暦1000年6月13日、今日、己の人生の全てが終わる。

 城は、しん、と静まり返っていた。城に残った三十余名の騎士団員たちは、最後まで付き従ってくれたわずかな国軍兵と共に、ここまでの道程を守るため、要所要所に詰めている。だが彼らとて、進んでくる英雄王の軍勢を押し止めるはできはしない。できることはただ、己の志に殉じて華々しく散ることだけだ。

 静寂が、胸に迫った。心から打ち解け合い、痛みを分け合った友ももはやそばにはいない。じんわりと、じんわりと、胸にこみ上げてくるのは、今までずっと押し込め、押し殺してきた感情。

 ただの人として、ごく当たり前に存在する感情。

「恐い……」

 どんなお題目を唱えても、どんな覚悟を固めても、決して消えることのなかったそのどす黒いしみが、あっと言う間にせり上がって胸の中を汚す。

「恐い、恐い、恐い!」

 己で己を抱きしめて、うずくまり、アイラシェールは暴れ出す己と戦う。

「死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくないっっ!」

 どんなに格好つけても、それが本音だ。ごく当たり前の、矛盾しながらも存在する本音。人生に、運命に疲れ、死を乞い願ったとしても、目の前に迫ってくればそれは恐怖としてちゃんと機能した。

 ぜい、ぜい、と肩で呼吸し、叫び続けずにはいられないアイラシェールの肩に、そっと手が置かれた。喘ぎ咳き込む背中をさすり、何も言わずただ傍らにありつづける影に、アイラシェールは爪を立てる。

「こんな無様な姿、見たくないでしょう……? 行きなさい、フィリス」

「私がそばにいることで苦しさが増すというのならば、そうしますが……当たって気がすむ程度に役に立つのならば」

 どこか達観したように語るフィリスに、アイラシェールは身を起こしてもたれかかった。震えが走る体をためらいがちにフィリスは抱きしめ……やがてアイラシェールが落ち着くと、ぽつりともらした。

「アレックス侯妃……我々は、何のために生まれてきたんでしょうか」

「フィリス……?」

「貴女に臣従を誓ったあの日、私に言われましたね。この道を進めば、私は英雄王の手にかかって果てると」

「……覚えて、いましたか」

「そして今この時を迎える。私は今日、カティス王に破れ、死ぬのでしょう。今まで一度たりとも外れたことのない、貴女の預言の通りに」

「……ええ」

 否定することはできない。気休めを言うこともできない。そんな彼女に、フィリスは怒りと苦痛にあふれた声で続けた。

「人間の一生は、全て決まっている――貴女の仰られる通りなのでしょう。だとしたら、我々は何のために生まれてきたのです。敗者となるために? 悪人とそしられるために? ええ、確かに我々は道を誤ったのでしょう。それはもう認めよう。だがそれがあらかじめ決まっていたことなのだとしたら、それでは我々は歴史の捨て石となって消えていくために、この世に生まれてきたのですか? それは……それは、あんまりだ」

 アイラシェールは答えられない。その苦悩は、彼女の心にも等しくあるもの。その定めに抗いたくて、その心さえも歴史の定めの一つで、それ故この一瞬を迎えるもの。

 そして、フィリスが今それを思うこともまた、きっと――。

「逆らっても、よいですか? それがようやくまとまった国を乱すことだとしても、民を虐げることにつながるとしても、それでも定めに抗えるかどうか、試してみてもよろしいですか?」

 その思いもまた、歴史の軌道の中――。

「カティス王は、私がこの手で倒します。倒して、定めを変えてみせる」

 憐れな人の子は、決して神の手のひらの上から逃れられない。私も、フィリスも、誰も。

 だからこそアイラシェールはその言葉を呑み込み、祝福を贈る。呪われた定めの、魔女の騎士に。

「貴方に光がありますよう……フィリス」

 そうして贈られた口づけ。それが別れを意味することは、お互いに判っていた。

 謁見の間に差し込んだ朝の光が二人を照らした。


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