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それでも朝日は昇る  作者: 柴崎桜衣
第十一章 それでも朝日は昇る
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11章4節

 アルバ王国首都・アルベルティーヌ。白亜の城、アルベルティーヌ城を真芯に抱くこの国の中心。街を守る高い城壁を、カティスとカイルワーンは感慨をもって見上げた。

 知らず、言葉が漏れた。

「とうとう、ここまで来たな」

「ああ」

 この二年、この街を何度訪れただろう。そして、自分たちのどれほどの思いをこの街は呑み込んだだろう。泣いて、喚いて、嘆いて、そして語った。その思いの全ては、この門の向こうにある。

 固く閉ざされ、城壁に配置された銃兵や弓兵で守られた門。射程距離外に全軍を待機させた二人に、ジェルカノディール公爵は問いかける。

「国軍が籠城戦に持ち込むことは明白でしたが、さて、どうなさいます? 降伏勧告を出して、長期戦に持ち込みますか?」

「それが定石なんだが、緋焔騎士団は応じないだろう。それに兵糧攻めをすれば、アルベルティーヌ市民が飢える。この街は首都――これからカティスの本拠となる街だ。足元の市民の恨みは買いたくない」

「ごもっとも。ですが、攻め落とすとなると、容易ではありますまい。それこそ市民にも犠牲が出るでしょう。どんな手を使うおつもりで?」

 明らかに、公爵の口ぶりは何らかの魔術を期待しているようだった。そんな彼の期待を裏切るように――否、沿うように、カイルワーンは自軍の砲兵に声をかける。

「そろそろ時間だ。カノン砲の発射準備」

「閣下。あの程度の口径の砲で、城砦を崩すのは不可能です。それなのに、何を?」

「アルベルティーヌはカティスの街だ。その城壁を、自分でわざわざ壊してどうする。そんな勿体ない」

「では、何のために?」

「号砲だよ」

 意を得ない公爵に、カイルワーンは小さく笑った。

「君は今まで、おかしいと思わなかったか? カティスはレーゲンスベルグ傭兵団の長だ。それなのに、カティスの兵は、いわば新兵の竜騎兵千人だけ。奴に今まで付き従ってきた歴戦の傭兵三百人は、どこに行ったのかと不思議に思わなかったか?」

「まさか……」

「アルベルティーヌを落とすのは、僕たちじゃない」

 はっきりとカイルワーンは、側近たちに告げた。

「アルベルティーヌの門は、市民たちの手で内側から開けてもらう」

 カイルワーンの意識は、あの日に飛ぶ。レーゲンスベルグの屋敷で、自分が彼らに全てを告げたあの日に。

 書斎には、彼とブレイリー。他には誰もいない。

 カイルワーンはブレイリーに、無言で袋を渡した。中には金貨が詰まっている。

「これは?」

「軍資金だ。君はこういうのを嫌がるかもしれないけれども、君たちには現実として資金がいる。どうか持っていってくれないだろうか」

 誠意から語るカイルワーンに、ブレイリーはためらいなく頷き、懐に入れる。それを見届けて、カイルワーンは説明を始めた。

「君たち傭兵団には、準備が整い次第、アルベルティーヌに潜伏してもらいたい。今ならまだ門は閉ざされていないから、武器さえ持っていなければ、入り込むことはたやすいはずだ。フロリックさんと懇意にしているアルベルティーヌの商人が、屋敷を提供してくれる。彼の荷に紛れ込ませて、君たちの武器も市内に持ち込む手筈だ」

「そこで、俺たちは何をすればいい」

「噂を流して、民を煽動してくれ」

 それがどれほどあざとい手か、カイルワーンにもよく判っている。その結末がアイラシェールにとって、どんなに惨いことであるかも。

 彼女を魔女と罵る声を生んだのは誰なのか――それは他でもない、この僕だ。

 彼女を魔女と最初に呼んだのは――彼女を魔女にしたのは、この僕自身だ。

 その責めを、カイルワーンは真正面から受け止める。それでも彼は止まれない。動き始めてしまった船から、もはや降りることはできない。

「レオニダス王の庶子が、王位の証を携えてイプシラントに現れたと。彼が国中の貴族を従えて、ウェンロック王を殺して城を乗っ取った魔女を除くために――国を救うために、アルベルティーヌに進軍してくると」

 それはカイルワーンとブレイリーの間で語るには、あまりにも苦く辛い。恐れをもって自分の顔を見上げているカイルワーンに、ブレイリーは静かに言った。

「それで、イプシラントで国軍が敗走すれば、当然城門を閉めての籠城戦になるな。市民は動揺する。その上で、このままでは逆賊として王子に討たれるぞ、と煽れと」

「6月12日、号砲を上げる。それを合図に蜂起してほしい。僕たちと、君たち、内と外から城壁を守る国軍を挟撃する」

 カイルワーンはなけなしの勇気を振り絞って、言った。

「どれほど困難で、危険なことを頼んでいるかは判っている。潜伏に失敗すれば、下手すれば皆殺しだ。だがそれでも、行ってくれないか」

 人と関わることにひどく気弱なカイルワーンにとって、それが精一杯の言葉であることを、ブレイリーはよく判っている。

「頼む。僕は君たちを信じている」

 だから彼は何も言わずに頷くと、やがて今まで一度も見せたことのない顔をした。

 切なそうな、辛そうな、痛ましいものを見るような、そんな顔。無力と諦観をない交ぜにして、ブレイリーは問いかける。

「カイルワーン、教えてくれないか?」

「何だろう?」

「カティスはこれから、何と呼ばれる存在になるんだ?」

 預言者への問いに、カイルワーンはしばしの逡巡の後、ただ一言、答えた。

 彼らは自分よりも遥かに長い時間を、カティスと共にしてきた。そのことを思えば――彼らの思いを慮れば、胸が激しく軋む。

 だからこそ、何一つ偽ることもなく。

「……英雄王」

 その答えに、ブレイリーはしばらく黙っていた。だがやがて、盛大に苦笑をすると、微かな笑い声さえ織りまぜてもらした。

「……まったくもって、ガラじゃねえ」

「僕も……心の底からそう思うよ」

 万感の思いを込めて告げられた言葉に、カイルワーンは心から同意する。そんな彼に、ブレイリーは寂しそうに笑って告げた。

「お前が俺らと違う世界に住む人間なんだってことは、最初から判っていた。そしてお前がいずれは遠いところに行っちまうってことも――ここに、長く留まることはないんだってこともな」

「ブレイリー……そんな」

 突然、突き放されたような冷たい言葉を向けられ、カイルワーンは顔を歪める。だがそんな彼に、そっと続けられた言葉は。

「カティスがそうなるように、お前もまた、俺らなんかが同じ高さで言葉を交わすことなど決して許されない存在になるんだろう。だから、ずっと、だなんて言わない。ずっとだなんて、そんなことは。それでもな、カイル。お前と出会って、共に過ごしたこの二年半、その間だけは、お前は俺の親友だったと――そう思ってもいいか?」

「当たり前だ!」

 間髪も入れずに上がった叫び。くしゃり、と情けないほど顔を歪めて――虚勢も体面も何もかもかなぐり捨てて、カイルワーンは叫んだ。

「ずっと、だ」

 泣き出しそうな顔をしているカイルワーンに、ブレイリーは手を伸ばして頭に乗せる。ぽん、ぽんと音がするような、その軽く柔らかな感触を感じて、カイルワーンは俯く。

 この手に、この優しさにどれほど救われただろう。どれほど助けられただろう。

 それにどれほど報いられただろうか。応えられただろうか。判らない。でも。

 それでも。

「君たちの、武運を祈っている」

 顔を上げ、ようよう告げられた言葉に、ブレイリーは手を放すと、呆れたように言った。

「あのなあ、カイル。お前って奴は、本当に頭がよくて学があるけれども、文才というか、洒落というか、そういうことにはてんでなんだな。全然、気が利いてない」

「……そうか?」

「そういう時は、こう言うんだ」

 不敵に笑うと、ブレイリーは不意に手を差し出した。自分のとは違う、無骨な大きな手に戸惑うカイルワーンに、彼は力強い声音で告げた。

「6月12日、アルベルティーヌで会おう!」

 黒い目が、見張られた。自分を見て頷くブレイリーを見上げ、差し出された手を見つめ、やがて、ぱぁん、という小気味よい音が響く。

 力強く、勢いをつけて取った手は空気を震わせ、彼の心をいっぱいに表す。

 強く、強く、思いと手のひらを握りしめて。

「ああ、アルベルティーヌで必ず!」

 神よ。僕らを作った残酷な神よ。

 カイルワーンは、泣き出したい思いにとらわれながら、そう内心で独りごちた。

 全てが貴方の手のひらの上。全てが運命の流れの中。

 それでも、たとえそれでも、今一時だけは、貴方に感謝する。

 彼らがこの歴史を紡ぐための駒の一つであっても。彼らには彼らの役目があるのだとしても、それでも。

 それでも、貴方に感謝する。この二年半の月日を与えてくれたことを――この一時の、紛れもない幸せを与えてくれたことを。

「俺も行く」

 計画を聞いたセプタードは、そう一同に告げた。驚くカイルワーンに、彼は至極真面目な表情で応える。

「あれだけの人数が潜伏するんだ。生活の面倒を見てやる奴も、屋敷の切り盛りをする奴も必要だろう。物資の欠乏が著しいアルベルティーヌで、こいつらだけで一月も暮らしていけるとは到底思えん」

「それはそうだが……」

 渋面で応えたカティスに、セプタードは案ずるなとばかりに告げた。

「足手まといにはならない。俺のことなら大丈夫だ。それはお前たちなら、判っていることだろう?」

 その言葉の意味はカイルワーンには判らなかったが、それ以上カティスもブレイリーも反論せず、そしてレーゲンスベルグ傭兵団三百余名は、散り散りに分かれてアルベルティーヌへと旅立ち、そして密かに集結しているはずだ。

 そして今日。自分たちは果たすべき全ての役割を終えて、今ここに立つ。

「ブレイリー、セプタード、みんな――僕は約束を果たしにきた」

 大陸統一暦1000年6月12日正午、カイルワーンはそびえ立つアルベルティーヌの隔壁を――その向こう側を見つめる。

 この壁の向こうには、あまりにも危険な役割を自ら負ってくれた、自分たちの大切な人たちがいる。歴史の終着へ向かって、運命の結末に向かって、誰もが走り出す。

 それがどれほど、誰もが望んでいなかった形だとしても、誰もが己の命を賭けて、その定められた役割を果たす。

 僕たちは、何のために生まれてきたのだろう。僕たちは、何のために出会ったのだろう。それはずっと頭の中に明滅し続けた疑問。定められた役割を果たすためならば、この心は――誰かに出会って傷つき、喜び、震えた心は、己を軌道に縛りつけるための道具にすぎないのだろうか。

 たとえ、そうだとしても。たとえ、そうだとしても。

 かちり、と時計の針が刻んだ時間。重なり合った三つの針。全身のあらん限りの声で、カイルワーンは叫ぶ。

「撃て!」

 二十六門のカノン砲が、約束の成就を求めて火を噴いた。



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