IRON MAIDEN
どうも今晩は!シサマです。
ハードロック・ヘヴィメタルのアーティストと言うものは、配信やCD等の音源の売上よりも地道なツアーで収益とファンを獲得するもの……と相場が決まっております。
従って、実力とファンベースさえあれば、他のジャンルのアーティストより長く現役を続けられます。
「BUR〇N!」や、「YOUNG GUIT〇R」等の雑誌の表紙になるアーティストもおじさん、おじいさんが増えていますよね(笑)。
もっとも、現在で世界中でトップレベルの支持を集めるアーティストは、大抵おじさんだったりします。
上の世代から下の世代へと受け継がれるヒット曲や名作アルバムの多さで、時代の流れに耐える事が出来、若い頃からライヴで鍛えているだけに、ライヴで不況も乗り切る確実な稼ぎが得られるという事が最大の理由なのでしょうね。
ハードロック・ヘヴィメタルの世界で、そのトップレベルおじさんの代表格が、IRON MAIDENとMETALLICAではないでしょうか?
実は私は、この2大アーティストには余りハマらなかったんですが、今回はIRON MAIDENについて語りたいと思います。
彼等のデビューは1979年、パンクの勢いが鎮静化する中、新たな音楽ムーブメントが欲しいマスコミ・音楽業界と、地下で実力とファンベースを積み上げてきた新世代のハードロックバンド達が「NWOBHM(ニューウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)」の旗の下に飛び出したアーティスト達のひとつという扱いでした。
とは言え、同期のDEF LEPPARDともに、翌80年のアルバムデビューはメジャーレーベルからと、やはり先見性には目をつけられていた様ですね。
IRON MAIDENの音楽性は、リーダーでベーシストのスティーブ・ハリスの持つ文学的な歌詞の世界とプログレッシブロックの影響下による高度な演奏力、そして本人が頑として首を縦には振らないものの(笑)、ライバル視されていたパンクの疾走感によって磨かれていました。
しかし、ベーシストが曲作りとサウンドの中心に居座る事によって、それまでのハードロックのアンサンブルは根底から覆されます。
旧来のハードロックのアンサンブルの基本は、太くどっしりとしたリズムセクションの上を、分厚いギターのパワーコードやリフ、そしてギターやドラムにも負けない声量のボーカリストが彩るという形でした。
ところがIRON MAIDENは、疾走するリズムセクションがサウンド全体を引っ張る為、ギターはリズムセクションを覆ってしまうパワーコードではない単音のリードフレーズを二人でハモる、所謂ツインリードがリフとなります。
そして、分厚い音を出せないギターの攻撃性を補う為に、声量よりも荒々しさを重視したボーカリストを据えるというバランスになっているのです。
このバランスは、エレキギターのパワーコードやリフを弾く事が好きだった私には今イチ魅力を感じる事が出来ず、荒々しいボーカリスト、ポール・ディアノ在籍時にはカッコ良いと思われたサウンドも、旧来のハードロック・ボーカリストに近いブルース・ディッキンソンが加入すると、何となくバランスが悪いと感じてしまう様になりました。
現在では、ブルースのいるIRON MAIDENこそが最高という評価が定着しているので、私の感性の方が少数派なんですけどね。
そんな彼等のアルバムの中でのおすすめは、ポール・ディアノ在籍時のセカンドアルバム「KILLERS」(1981)と、ブルース・ディッキンソン在籍時の「SOMEWHERE IN TIME」(1986)、「SEVENTH SON OF A SEVENTH SON」(1988)です。
前者は初期IRON MAIDENの完成形で、荒々しくも見事に構築されたヘヴィメタルが楽しめ、後者2枚はシンセギター導入によるファンタジックで透明感溢れるアレンジがアクセントとなり、ブルース・ディッキンソンの桁違いの表現力がサウンドからはみ出す事の無い、素晴らしいバランスの作品となっています。
2000年前後から、彼等は旧メンバーのエイドリアン・スミスを呼び戻したトリプルギター体制となり、少しずつ衰えていくリズムセクションのパワーを、緩やかにオーソドックスなハードロックのフィールドへ呼び戻そうとしている様に感じますね。
とは言え、衰え知らずのブルース・ディッキンソンのボーカルの説得力と相俟って、そのオーソドックスな定番化こそが、全世界の幅広いハードロック・ヘヴィメタルファンを魅了しているとも言えるでしょう。
実は「VURTUAL XI」も好きなんですよね(笑)。
あれは往年のUFOみたいな、ブリティッシュ・ロックという認識ですね。