FREE
今回はブリティッシュ・ロックの歴史に欠かせないビッグネームであるにも関わらず、常に日陰者と言うべきか、敗者臭が漂ういぶし銀アーティスト、FREEをご紹介します!
彼等はロンドンで結成され、1969年のデビュー当時はメンバー4人が皆10代、アンディ・フレイザー(Ba)に至っては何と16歳という若さでしたが、ジョン・メイオールやアレクシス・コーナーといったブリティッシュ・ホワイト・ブルーズの大物の下で修業経験がある為、その年齢からは信じられない程に枯れて老成したブルーズ・ハードロックを聴かせてくれました。
後にQUEENにも参加する名ボーカリスト、ポール・ロジャースのデビューもこのバンドですね。
デビュー当時の彼等は、オーソドックスなブルーズ・ハードロックにイギリスならではのトラッド・フォーク的なアコースティック・ナンバーを絡めた作品を発表していましたが、1970年のシンプルなロック・ナンバー「ALL RIGHT NOW」が大ヒットとなり、地道なライヴ・ツアーの評判もあって一躍人気バンドとして脚光を浴びます。
しかし、まだ20歳そこそこでメンバー全員に才能があり、麻薬やアルコールの問題もあってバンド内の人間関係は最悪。
意見がまとまらない時は、メンバーの中で一番喧嘩の強かったロジャースが皆を殴って言う事を聞かせていたという逸話までが残されています。
そんなこんなで1972年、デビューから僅か3年でバンドは解散。
主な要因は、リーダーのロジャースとフレイザーの音楽的な対立と、麻薬中毒が深刻だったポール・コゾフ(Gu)の処遇だと言われていますね。
しかし、メンバーが一年間別行動を取った結果、コゾフの治療費を稼ぐ為にはもう一度FREEをやった方が良いという結論に達し、一枚だけの再結成アルバム「HEARTBREAKER」(1973)を残してFREEは完全にその使命を終えるのです。
FREE解散後、ロジャースとサイモン・カーク(Dr)はBAD COMPANYを結成し、FREE時代には成し得なかったアメリカでのブレイクを実現させます。
また、フレイザーは自身のバンドで通好みの活動を続け、コゾフも麻薬中毒と戦いながらソロとバンドで活動しましたが、1977年、移動中の飛行機の中で眠りながら息を引き取ります。
彼等の魅力は、一言で言えば「全部」です。
ブルーズやトラッド・フォークと言ったルーツ的な渋さや深みというものを、10代から体現出来ていたという現実は驚愕に値しますし、ロジャースの白人離れした太くまろやかな、それでいて何とも演歌的な哀愁も感じさせるボーカル(ちなみに彼の奥さんは日本人です)は唯一無二の個性です。
更に、コゾフのギターにはロジャース以上のやるせない哀愁があり、特にそのビブラートにはいちいち魂を揺さぶられます。リズムギターは正直下手ですけどね(笑)。
フレイザーのベースは、コゾフのギターが音数が少なく上手くもない事で自由に動き回り、ロックの常識が当てはまらないヘンテコなラインが何とも気持ち良いですし、カークのドラムはシンプルながらも絶妙の溜めが効いていて、彼の存在がFREEをハードロックたらしめていたと言っても過言ではありません。
サウンドのイメージはズバリ、モノトーンで、学校や職場の人気者として生きてきた方はまず興味を示さないであろう、強烈な「敗者オーラ」に満ちた、乾いた哀愁のロックです(笑)。
おすすめアルバムは、まずはデビュー・アルバムの「TONS OF SOBS」(1969)です。
ボーカルやギターに10代の青臭さを残しつつも、驚く程老成したシンプルなブルーズ・ハードロックが100%堪能出来る名盤です!
そしてもう一枚は、唯一のライヴ盤「FREE LIVE」(1971)です。
余計な手直しを行わず、ただでさえ音数が少なく技術的にも上手くないコゾフのギターは、麻薬中毒の影響もあるのか結構不安定で、はっきり言って私の方が上手いなとか思っちゃいますが(笑)、ギター・ソロになった瞬間のビブラートに命を懸けている様なプレイはまさに悶絶モノです!
彼等のライヴは全体的にスカスカなサウンドですが、この敗者オーラはなかなか出せるもんじゃないと思いますよ!←誉め言葉。
また、演歌的な哀愁を堪能したい方は、仲違いしたフレイザーに替わって日本人の山内テツ(Ba)が参加したラスト・アルバム「HEARTBREAKER」(1973)がおすすめですね。