乙女ゲー異世界転生者(♂)は悪役令嬢を救いたい その二百三十二
男子が入った更衣室から女子が出てきたことに、マジックか何かかと驚く観客が多いが、竜二の目は誤魔化されない。
「兄貴……」
さすがにメイクはしていないので、よく見れば人が変わってないのはわかるはずだが、それでもゆうかの女装の完成度は高い。遠目から見ていることを考慮すれば、言われなければ男だとわからない人が大半だろう。
周囲のクラスメイト達含めて、レースを見ていた観客に驚きが広がっていくのはさすが兄貴だ。
「あっ……走り出した……」
「兄貴はやっ!」
公衆の面前で女装させられたせいか死んだ魚のような目を見せたゆうかだが、バトンを手に走り始めるとそのスピードはさっきまでのレースの走者達が手を抜いて走っていたのかと勘繰りたくなるほどの速さ。
麦わら帽子ごとウィッグを手で押さえたままワンピース姿で疾走する兄貴は、奥真先輩との短距離走の時よりも更に速い。……そして驚くべきことにその走り方は女性的で、かつ優雅さすら感じるものだった。
静かな怒りとか諦めと様々な感情が込められていそうなその圧倒的な走りで、ゆうかは一位でゴールした。
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「うわっ、最悪だ……」
グラウンドに作られた簡易の更衣室ボックスに入り置かれていたのは、長い黒髪のウィッグと麦わら帽子……そして白いワンピース。
四番手の衣装は女装だと理解した瞬間、優花は頭を抱えた。
ええ……これ、着替えて外出なきゃダメか?
すぐに着替えてゴールしてやるというバトンを受け取る前の意気込みは既に消え去った。後に残ったのはどうにかして逃げられないかだが……。
逃げ道が無いか確認してみると、隅の方に置かれていたのはリタイアの札。もちろんこれを使えば着替えずには済むがポイントは0だろう。
「いや、リタイアはさすがにダメだよなあ……」
これが個人競技だったらまず間違いなくすぐにリタイアを選択していたが、残念ながら団体競技のリレー。リタイアした場合、大勢の人の足を引っ張ることになるし、そもそもこの体育祭そのものに泥を塗るような形にならないだろうかという心配も頭をよぎる。
「はあ……」
諦めて覚悟を決めた優花がまず手に取ったのはウィッグ。いつか女装した時にめいさんから、女装の最初にまずウィッグを付けるように言われたことを思い出したからだ。
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「えーっと、次は……これですね」
ウィッグを付けた後、すぐに目の前が一瞬だけ真っ暗になった気がするけれど、気にすることなく体操服を脱いですぐにワンピースを着て、最後に麦わら帽子をかぶる。
「少しメイクもしたいところですけど……」
更衣室ボックスの中にあった鏡で見てみると、メイクが無いのと黒いタイツで足をより細く見せていないこと、そして靴が運動靴のせいで、少し違和感が残っている。
ウィッグを付けて服を着れば女装完成なんて非常に雑で中途半端なことになっているのは、たぶん企画に深雪が絡んでいないからだろう。
「ああ、忘れてました。リレーでした」
着替えて終わりではなく、あくまで今はリレーの競争中。
細かいクオリティにこだわっている場合ではないことを思い出し、更衣室ボックスの扉に手をかけると、自分でも何故かはわからないけれど凄まじくその扉が重く感じた。
「えいっ!」
少し頑張って扉を押して外に出た瞬間、周囲からの視線が一気に優花へと注がれた。
「……あ」
外に出てすぐ、優花の胸に去来したのは、かつて感じたことのない最大級の羞恥。顔が発火したのかと勘違いしそうになるほどの熱を感じた後、
「…………ふう」
すぐに許容量を超えた優花の心に訪れたのは――――凪。
「早く、終わらせましょう」
結局どこかへ行っていた意気込みはまた少し違う形で戻ってきた優花はバトンを手に走り出す。
「案外、走りやすいかもしれませんね……」
元々ゆったりとしたワンピースだからか、思っていたよりも足は開く。
限界を超えた羞恥の力のおかげだろう。爆発的な速力は自己ベストをたやすく更新し、圧倒的なスピードで他のチームが更衣室ボックスから出て来る前にゴールした。
「素晴らしい走りだったぞ灰島」
ゴールテープを切った優花を一番最初に迎えたのは深雪。
「ありがとう存じます」
微笑みながらすごく丁寧にお礼を言った優花に、深雪は何故か視線を逸らした。
「う、うむ。その……メイクが無くてもちゃんと女性に見えるのは、やはり素材が良いからだろう。文化祭も楽しみにしている」
そのまま、言いたいことだけ言った感じで早口でそう言うと深雪はふらっとどこかに行ってしまった。次の仕事があるのだろう。
「さて、どうしましょうか……」
もう記録係には記録してもらったし、この場は離れても問題は無い。




