第1話 気まぐれな朝の見回り
「ごめん、ね……約束……破っちゃっ、て」
「いい……いいから……許すから、だから……」
嗚呼ーーまたこの夢か。
何百年経とうと決して色あせない記憶。
最愛の人を失った瞬間……握り絞めた手から力が抜けて、体温も徐々に下がっていくのをただ感じることしかできない無力感。
「また……二人、で、旅をーー」
◇■◇■
最期の言葉を聞く前に私は夢から覚めた。
視力は悪くないのに視界がぼやけているのが涙のせいだと、寝ぼけた思考で気付くまでに少し時間を要した。
「ひさしぶりに見たな……」
ソファーから起き上がり窓の外を見ると、南国の海のようにどこまでも透き通った青空。
地平線ギリギリの場所に朧気に見える島には、一体どんな人々が住んでいて、どんな文化なんだろうか?
想像するだけで年甲斐もなく心が躍る……が、やはり最後には哀愁にも似た感情で諦める他ない。もう何百回、何千回と繰り返したことだ。
「コーヒー飲も」
ガタン、ガタンと、鉄道ならではの振動とリズムをBGMに、コーヒーを淹れる。
機関室に設置された特注の椅子に淹れたてのコーヒーを手に腰かける。鼻にカップを近づけて香ばしい香りを堪能してから、啜るように飲む。
「……ふぅ」
一息ついてまた香りを楽しみ、そして啜るように飲む。これをしばらく繰り返す内にカップの中身はほぼ空になっていた。底に少しだけ残すのは、エグ味や雑味がカップの底に溜まるからだ。
「よいしょ……っと」
窓の高さに合わせて作られたこの椅子は、私の身長では到底足がつかない高さになっている。故に、いちいち飛び降りるような形になってしまうのだ。
窓際の郵便受けには珍しく手紙が山積みになっていなかったが、一通だけ豪華な装飾が施された手紙が入っていた。
封を切って中身を読むと、個人的に交流があったとある国の王女が死去したことと、新しく王の座に着いた娘が近々会いに来るといった内容が書かれていた。
「……」
やはり馴れないな……親しい人たちが自分を置いて次々と死んでいく。
だが、これはどうしようもないことだ……そう割り切るしかない。
見舞いの手紙は夜にでも書くとしよう。
飲み終えたコーヒーカップを洗ってから身だしなみを整え始める。壁にかかっているYシャツに袖を通して、ボタンを止める。
全て止めると窮屈なので一番上のボタンだけは外し、ネクタイはシンプルな黒のものを選んだ。大きめのジャケットを羽織り、ベレー帽を斜めに被れば完了だ。
ポケットから懐中時計を出して時刻を確認すると、ちょうど気まぐれに行う朝の見回りの時間だった。
◇■◇■
この機関車は、動力部となる先頭車両と私のような乗務員が生活する車両以外は全て、客席と貨物用の車両となっている。
乗務員は片手で数えられるほどしかいないが、皆よく働く有能者ばかりの少数精鋭となっている。
私達の生活スペースである車両と客車の間にある扉は厳重なセキュリティ(原理は不明)が施されてあり、私のような少女? でも安心して生活できるようになっている。
私の主な仕事はこの列車の維持、管理、運営だ。その他にも細かい業務はあるが今はいいだろう。
実を言うと朝の見回りなんて、別にしなくても良いのだ。けれど私はこれが必要なことだと思ってるので、自分で勝手にやっているだけだ。
(しかし……相変わらず賑やかだね)
この列車は、様々な人々が利用する。
私のような人間もいれば、耳が長く尖っているのが特徴のエルフや、獣の耳と尻尾が生えている獣人。背丈は低いが力が強く手先が器用なドワーフなど、多種多様な人々がこの列車に乗って旅をしている。
彼らの表情は千差万別だ。喧騒にうんざりしたような顔で外の景色を眺める者、静かに本を読む者、すやすやと眠る者、仲間と楽しく談笑する者……等々、本当に色々な感情や表情が渦巻いている。
私は段々と感情が薄れてきているから、日々こうして様々な感情に浸からないといけない。歳を取った弊害だね。
「あっ、車掌さん! おはようございます!」
誰だかわからないが、騒がしかった場が一転。「おはようございます」のオンパレードが始まった。色々な人たちが口々に「おはようございます、姉さん!」「おはよ、車掌さん!」「言い朝ですね、車掌さん」……と、私に挨拶の一斉射撃を開始する。
「皆さん」
静かに、しかしとても良く通る声がした途端に静寂が訪れる。当然私の声だ。
スタスタと通路の真ん中を歩くと、人垣が真っ二つに割れる様は、さながらモーセにでもなったような気分になる。
車両と車両の間にある通路まで来たところで振り返る。鏡がないので自分ではわからないけど、恐らく笑顔であろう表情で、
「おはようございます」
足早にその場を後にすると、後ろから人が次々に倒れる音がしたのはきっと気のせいに違いない。
歳を取ったからかな?