EPISODE OF LIZE 02「失くした居場所」
2 『失くした居場所』
――心が壊れてしまっても、生きたいという本能は残っていた。
だから、守ろうとしてくれる人の力になりたいと、願えたんだと思う。
気がついた時、私は病院にいた。
目が覚めた私は錯乱していた。犯される、殺される、そんな恐怖で頭の中が一杯になっていて、とてもではないがまともな精神状態ではなかった。
鎮静剤と麻酔が打たれ、直ぐに眠らされた。
次に目覚めた時は、いくらかマシになっていたように思う。
麻酔が残っているせいで朦朧とする意識の中、私が今いる場所があの店の中ではないこと、恐らく病院であろうということをどうにか理解した。
何があったのかは、良く覚えていない。
あの店に一緒に行った友達が、犯され、殺されたことは覚えている。その後、私の身に何が起きたのか、良く思い出せなかった。
私も狙われたというのは覚えている。順番が最後になったのも。
ただ、そこから先は思い出すのを自分で拒否しているようで、考えられなかった。無理に思い出そうとすると、吐き気が込み上げてきて、全身の震えが止まらなくなった。
実際、事情聴取を受けた際に思い出そうとして、何度か嘔吐した。
聞くところによると、私はあの店の隅の方に倒れていたらしい。強盗たちは警察が来る前に逃げたらしく、掴まってはいないようだ。
ただ、それを聞いた私自身も不思議だったのだが、幸いなことに、私は犯されていないらしい。
安堵する反面、どこか腑に落ちなかった。
それがどうしてなのか分からないまま、私は退院することになった。
両親は私が奇跡的に生き残ったことを神に感謝していた。
退院した翌日、学校に行こうとして、足が竦んだ。外に出ようとすると、無意識のうちに足が震えだしていた。一人では、外出することができなくなっていた。
学校まで行けば見知った人がいる。だからと、母親に付き添ってもらって学校まで行った。
だが、私の予想は裏切られた。
家族や警察からすれば、私は奇跡的に生き残った人間に違いはない。しかし、それは同時に、生き延びてしまった人間でもある。
あの時に殺された友達は、私にとっても仲の良いクラスメイトたちだった。だが、同じように、その友達たちと仲の良かった人も学校にはいる。
良い意味でも、悪い意味でも、私は浮いてしまっていた。そして、悪い意味の方が勝っていた。
何故私だけ生き延びたのか、不自然な点はあった。偶然順番が最後になったから、だけでは納得し切れないだろう。
生き延びるために友達を差し出して時間を稼いだんじゃないかだとか、犯人たちに同調して自分だけ助かったんじゃないかだとか、あらぬ推測が飛び交った。
当然、私はそれらを否定した。だが、当事者の私ですら、自分が何故助かったのか覚えていないのだ。本当にそういったことをしていない、とも言い切れなかった。
思い出せ、と言われて学校で吐いたこともあった。
突然、あんな残虐な事件に巻き込まれて友達を失ったのだから、周りの者たちも荒れて当然だ。それを、ただ一人生き延びた私にぶつけるのは、ある意味仕方のないことだったのかもしれない。
ともかく、学校に、私の居場所はなくなっていた。
一人で帰れない私には、帰宅の際にクラスメイトの中から付き添いが選出された。その態度は、腫れものを触るかのような、腰が引けた態度だった。家が見えたところで、もういい、と告げるとその付き添いは直ぐにその場を去っていった。あと数十メートルの距離を、私は気を失いそうになりながら帰った。
そうして、私は家から出ることもできなくなった。
得体の知れない恐怖が、あらゆるところから押し寄せてくるような錯覚に襲われて、怯えながら何日かを過ごした。
そしてある日、両親も弟も家を空けており、私しか家にいない時、彼らが現れた。
精神的にも落ち着いてきていた私は、家の中でならまともに動けるようになっていた。リビングで物音が聞こえて、両親が帰ってきたのだと私は勘違いした。
扉を開けた私は、そこにいる男たちに言葉を失った。
あの時の犯人たちだった。
数は半分ほどに減っていたが、忘れたくても忘れられない顔があった。
強引に家に突入したような、派手な物音はしなかった。どうやって入ってきたのかと、思った瞬間、男たちが光の膜を体に纏った。
瞬間、私の体の奥を電撃が駆け抜けたような気がした。
拒否していた記憶が甦った。
異様な力を操る男たちと、同じ、異質な力に目覚めた自分。その力で抵抗して、負けた。
「あ……あぁ……ぁ」
震えて、声が出ない。
頭の中は真っ白になって、もう何も考えられなくなっていた。
逃げようと後ろに一歩足を引いて、力が入らずにへたり込む。
「おい、こいつ漏らしてやがるぞ」
失禁する私を見て、男たちが下品な笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。その目は以前よりも狂気に満ちているような気さえした。
「まったく、見つけるのに手間取ったぜ……」
「あん時はあの野郎のせいで食えなかったからな……」
あの時の恐怖と絶望が膨れ上がって、弾けた。
拒絶を声にしようとして、できなかった。全身が震えていて、うまく動かない。声も出ない。
あの時のような、力も使えない。使い方も分からない。あの時の感覚は、恐怖でしかない。覚えていたところで、もうこいつらには通用しないと分かっている。
もう、ダメだ。
今度こそ、逃げられない。
男の手が私に伸びる。
目を閉じたくても、それさえできなかった。
「陽動とは、小賢しい真似をする……」
不意に、声が間に割り込んだ。
目の前で、伸びてきた男の手が不自然な方向に折れ曲がった。人間の構造上、ありえない方向に。
男が絶叫を上げ、その場から飛び退く。次の瞬間、飛び退いた男が、潰れた。プレス機に押し込まれたかのように、上下から見えない何かに挟まれて。皮膚から骨が飛び出し、血が噴き出す。だが、その血液や骨さえも、見えない壁に阻まれている。
目の前で、男の一人が数センチほどの厚さの肉塊になって絶命する。
「き、貴様っ!」
男たちの視線の先で、一人の少年が家に足を踏み入れていた。
綺麗に削り取られた壁から現れたのは、黒いスーツに身を包んだ少年だった。アッシュブロンドの髪に、整った顔立ちの少年だった。年恰好は私と同じぐらいに見えた。凛々しい表情の中に怒りを滲ませている。
だが、何より目を引いたのは、彼の体を紫色の膜が覆っているところだった。
あの輝きを、私はどこかで見たことがある。
「……すまない」
私を見て、少年が申し訳なさそうに呟いた。
何も言い返せないでいる私の前で、戦いは始まっていた。
広いとは言えない部屋の中を、少年が縦横無尽に駆け抜ける。重力や慣性を無視した動きで、壁や天井をまるで床と同じであるかのように足場として、男たちの攻撃をかわしていた。
男たちの繰り出す見えない攻撃も見えているようで、少年は足を止めることなく動き回っていた。
漆黒の球体が部屋の中を飛び回る。男たちがそれをかわすように動き回る。
リビングは滅茶苦茶になっていた。少年は部屋に被害を出さぬように気を付けているようだったが、男たちは当然のことながら家のことなど考えてはいない。戦いの余波でテーブルや椅子は破壊され、花瓶は砕け、ソファやカーペット、カーテンなどは引き裂かれていった。
「VANだか何だか知らねぇが、俺たちに刃向かったことを後悔させてやるっ!」
「小賢しいガキめ!」
男たちがどんな攻撃を繰り出しているのか、当時の私には分からなかった。少年がどうやってそれを避けているのか、彼の反撃がどういうものなのかも、私には理解できていなかった。
ただ、少年が私を守ろうとしているのだということだけは、何となく気がついていた。
「たった一人に惑わされるな! 追い込め!」
リーダー格らしい男の指示に、他の男たちが従う。
少年は平然と対応しているように見えたが、決定打に欠けているのは明らかだった。
何故、彼は私を庇って戦っているのだろうか。
私は、何をしているのだろう。
逃げることも、動くことさえできずに、私はただそこにいるだけだった。
「よし、そいつを引き付けておけよ! 先に女を殺す!」
リーダー格の男が、私に迫る。
足が竦んで動けない私を、光を帯びた目で見下ろす。
男が手を伸ばす。
だが、その手を、少年が掴んでいた。
男が驚愕に目を見開いた瞬間には、少年の手が男の腕を引き千切っていた。
「下衆が……!」
紫の輝きに包まれた瞳に、嫌悪を滲ませて、少年が言い放つ。
その背後で、少年に突撃してくる敵の姿が見えた。
片腕を失ったリーダー格の男も、攻撃の体勢になっている。
恐怖で、体が震える。心が竦む。
けれど、私の中で、何かが叫んでいる。
死にたくない。
彼が、私を守っている。彼が死ねば、私も殺される。
助けたい。
助けなければ。
思いが弾けて、目の前に光が満ちる。
「ああああああああああっ」
叫び、思いの限りを解き放つ。
衝撃波が周囲に放たれる。少年だけを避けるように。
迫ってきていた男たちが吹き飛ばされる。その隙を見逃さず、少年が漆黒の球体をばらまいた。球体は触れたものすべてを削り取り、縦横無尽に動き回って男たちを跡形もなく飲み込んだ。
その場に残ったのは、少量の血痕と、荒れ果てたリビングだけだった。
「助かったよ、ありがとう」
呆然としている私に、少年はそう言った。
「私……何が?」
あの時と同じ、薄い藍色の輝きに包まれた両手、体に視線を落として、私は小さく呟いた。
「……君は、能力者に覚醒したんだ」
少年が、静かに告げた。
「俺たちの下へ、来ないか?」
「え……?」
顔を上げると、少年と目が合った。
「能力者たちの居場所を創ろうとしている組織、VANへ」
居場所、その言葉に、びくりと肩が震えた。
能力者というものが何なのか、まだ分からない。ただ、私に居場所がないということだけは、はっきりと分かった。
私は、少年と、あの男たちと同じ、ただの人間ではなくなってしまったのだ。この体を包む光が、私の意思に呼応して放たれる衝撃が、その証拠だ。
「あなたは……?」
「俺は、ダスク……ダスク・グラヴェイト」
か細い私の問いに、彼は優しく、そう名乗った。