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EPISODE OF SELFA 02「一人じゃない」

 2 『一人じゃない』


 ――彼の傍に来て、色々なことを知った。

   初めての友達も、できた。


 私は、カソウ・ヒカルに逢いに来た。

 VANの中から抜け出して、VANと戦うことを決めたヒカルの下へとやって来た。それは、両親と戦うことを意味する。私が今まで育った場所であるVANの存在を否定することになる。

 それでも、私は自分のこれまでの生き方全てを否定する道を選んだ。自分を形作る全てを否定することになるかもしれない。その身一つだけで組織を抜け出して、私はヒカルの下へ向かった。VANにいても、私は生きる意味を見出せないと思ったから。これまでの全てを捨ててしまわなければ、あの場所では、変われないと思ったから。

 実際に触れたヒカルの身体は、力を使って精神世界で会った時よりも逞しく思えた。

「一緒に、行こう」

 彼のくれた言葉が、私の力になる。

 あの時、一瞬だけ交わしたファーストキスを、私は決して忘れないだろう。

 とはいえ、問題は山積みだった。

 まずは私が暮らす場所だ。彼が私を受け入れてくれた時から、彼が私を助けに行くと言ってくれた時から、私の家はVANではなくなった。一人暮らしをするにしても、私には上手くできるかどうか判らない。力を使って直ぐに知識は得られても、実際に私自身が対応できるとは限らない。力に頼れば簡単なことなのかもしれないが、それはしたくなかった。

 VANからの追っ手がある可能性も考えれば、ヒカルの傍にいるのが一番だった。それに、私も彼の傍にいたかった。

 だが、ヒカルの両親を殺したのはVANだ。私の両親が直接手を下していないとしても、実際にヒカルの両親を殺したのは私の両親の腹心だ。

 ヒカル自身が良くとも、ヒカルと暮らしているコウジやカオリにとって私の存在はどう映るのだろうか。悪い印象を持っている可能性の方が高いはずだ。私は、VANの長の娘なのだから。

 ヒカルと共に彼の家へ向かう道中、私はどうすればいいのかずっと考えていた。

「光が信頼しているのなら、僕らが拒絶する理由はないよ」

 けれど、ヒカルの家族である二人は私ををいとも簡単に受け入れてくれた。

 VANの長の娘であることを明かしても、二人の態度は変わらなかった。

 正直、戸惑った。もっと恨まれると思っていた。そうでなくとも、少なくとも好意的には受け入れられないと思っていたから。

「たとえ、あなたが光君の敵の娘だったとしても、あなた自身が光君の敵じゃないなら、それでいいじゃない?」

 カオリはそう言って、優しく微笑んでくれた。

 その夜、彼女が作った夕食を、私はヒカルの隣で、彼らと一緒に食べた。

 VANにいた頃に一人で食べていた食事とは比べ物にならないほど、美味しかった。暖かい夕食に、その中に受け入れてもらえたことに、嬉しくて泣きそうになった。

 夕食を終えた私は、ヒカルの部屋で、彼と話し合った。ヒカルに関わる状況はVANの中でも把握していたが、彼自身の思いまで完全に理解しているわけではない。何があったのかという大雑把な事実ぐらいしか知らないのだ。常に力を使っていたわけではないから、細かい部分までは私も見ていない。

 ヒカルも、私のことはほとんど知らないはずだ。だから、互いのことを語り合った。

「ごめんなさい……私がもっと早くにVANと戦うことを決めていたら……」

 もし、私がVANと戦う決意をずっと前から固めていたとしたら、ヒカルはここまで辛い状況には置かれていなかったかもしれない。たとえば、ヒカルを好きだと告白したガールフレンドが殺されずに済んだり、ヒカルの家族の内部にVANの人間を送り込んだりなんてさせなかったかもしれない。ヒカルの兄、アキラも覚醒せず、たとえ覚醒したとしてもVANに向かうことはさせなかったかもしれない。

 私には阻止するために動くこともできたのではないだろうか。

 動けなかったのは、覚悟がなかったから。戦うだけの覚悟を決めるのに、随分と時間がかかってしまったと思う。

「でも、そうしていたら未来は変わっていたと思う」

 ヒカルは言った。

 未来が変わる。つまり、今、この状況が全く違うものになっていたかもしれないということだ。

「俺は、美咲を好きになっていたかもしれない」

 ヒカルは、ミサキという少女のことを好きになるまでには至らなかったと言った。彼女を本当に好きになる前に、殺されてしまったのだと。

 もし、私が動いていたら、VANの行動を変えていたら、彼女は死なずに済んだかもしれない。ヒカルが彼女を守ることができたかもしれない。その時は、彼女のことを好きになっていたかもしれない。

「家族にも力のことを打ち明けずに過ごしていたかもしれない」

 ヒカルがコウジやカオリに力のことを打ち明けたのは、家族の中にVANが入り込んできたからだ。コウジの旧友である女性がVANの人間で、高位の部隊長だったのだ。VANの作戦の一つとして、彼女はヒカルの家に入り込んだ。そして、コウジに結婚を迫り、ヒカルに揺さぶりをかけたのである。

 ヒカルは彼女を倒すために、戦う姿を見せ、家族に力を打ち明けた。

 しかし、もし私がVANの動きを変えることができていたなら、ヒカルがそこまでする必要はなかったかもしれない。家族の中に敵が入り込むこともなく、今まで通りに過ごせていたかもしれない。

「こうやって、セルファと顔を合わせて話すこともなかったかもしれない」

 未来が変わるというのは、そういうことだ。

 道筋が少しずつでも違って行けば、未来は全く別のものになる。ヒカルがVANを敵と認識するまでにかかる時間も、短かったかもしれないし、長かったかもしれない。もしかしたら、ヒカルがVANを敵と見なさないままだった可能性もある。

 お互いに、会おうと思うことすらなかったかもしれない。

「でも、過去はもう変えられないから……」

 少しだけ、ヒカルは俯いた。

 過去を変えることはできない。もしも、こうなっていたら、と考えることは逃避だ。どれだけ辛いことがあっても、苦しい状況に立たされても、逃げることはできない。

「過去を悔やむより、これからどうするか考える方がいいと思うんだ」

 ヒカルは、そう言って小さく微笑んだ。

 過去の選択ばかり悔やんでも、ただ時間を無駄に浪費するだけだ。振り返り、反省することは大切なことかもしれない。けれど、あの時こうしていれば良かった、あの時ああしていればこうはならなかった、などと後悔だけを募らせても意味がない。

「これから……」

「俺たちが悔やんだって、今の状況が変わるわけじゃないから」

 私の目を見て、ヒカルはそう言った。

 今が存在するのは、過去の選択の結果だ。どれだけ後で悔やんでも、今を変えることはできない。なら、悔やんだ過去を持つ者として、これからそうならないように生きる道を探すしかない。

「辛いことも、悲しいこともあったけど、今、俺がセルファに逢えて嬉しいと思ってるのは嘘じゃない」

 辛い過去、悲しい記憶、それが消えないものであっても、ヒカルは私に出逢えたことに喜びを感じてくれている。それは、私も同じだった。

 ヒカルのためにもっと何かできたかもしれない。私が何もできなかったばかりに命を落とした人も、辛い思いをした人もいるかもしれない。けれど、今、ヒカルが目の前にいて、彼と同じ場所にいることを、嬉しいと思えた。

「後ろめたく感じることが無いと言えば嘘になるけど、本音を隠すなんて俺にはできないから」

 過去が重くのしかかってくるのは、私だけじゃなくヒカルも同じなのかもしれない。私に好意を抱いたヒカルは、かつて彼に好意を抱いたミサキに対して思うことがあるに違いない。ミサキではなく、私に好意を抱くことにヒカルは後ろめたさを感じても不自然ではない。私が、彼女を死に追いやる一端を担っていた可能性だってある。私は、VANにいて何もできなかった。いや、何もしなかった。あの時は、まだ私は自分の道を見出せていなかったから。

「それに、できれば俺はセルファには戦って欲しくないんだ」

 ヒカルの言う戦いとは、物理的な戦闘行為のことだった。一緒に戦うという言葉に偽りはない。私に人殺しをして欲しくないと言うことなのは、直ぐに解った。

「強要する気はないけど、俺はそういう場面を見たくないんだ……」

「うん、ありがとう……」

 ヒカルの気遣いは素直に嬉しかった。

 私自身、自分の身体能力に自信はない。実戦経験もなければ、VANの中にいた頃も模擬戦さえしたことがない。戦闘に関してはずぶの素人だ。

 VANと戦う。それ自体に迷いはない。ただ、戦闘には自信がなかった。

 たとえ自分の手足のように力を使いこなせても、戦闘に必要な勘というものが私には皆無だ。人の命を実際に自分の手にかける覚悟も、あるとは断言できない。躊躇ってしまうかもしれない。

 それに、ヒカルの力と私の力は相性が悪い。私が力を使って戦えば、ヒカルは私の力を掻き消さぬように気を使うことになる。彼が全力を発揮する妨げになっては、元も子もない。主な戦力はヒカルなのだから。

「でも、我慢できなくなったら、私も戦うからね」

 もしも、ヒカルが危険な状況になったら、私は迷わず戦おうと決めた。

 ヒカルは強くなっている。力をつけてきている。戦闘行為に関して素人な私では、彼の足を引っ張ってしまうことも多いだろう。

 もちろん、私は私で戦闘に関して学んで行こうと思っている。いざという時に、自分の身は自分で守れるようになりたい。ただ見つめているだけなら、今までと同じだ。ここまで来た意味がない。

 私はヒカルを守るために、彼を支え、助けるために力を使いたい。

「ああ、わかった」

 ヒカルは微笑み、頷いた。


 その翌日、ヤザキ・シュウとナカイ・ユキがヒカルの家を訪れた。

 突然現れた私のことについて話し合うのかと身構えたが、シュウはヒカルの部屋に着くなりゲーム機の電源を入れていた。てっきりこれから私をどう扱うのかだとか、VANに対して戦う際にどうするのかだとかを話し合うのだと思っていた。私が今までどうしていたのか、何を思ってここまで来たのか、VANと敵対することへの考え方だとか、意志を確認するつもりなのだと思ったのだ。

 だが、ヒカルはそんなシュウの態度を気にすることもなく、ゲーム機のコントローラーを手に持った。

 ちなみに、同居しているシェルリアはセイイチの情報収集を手伝うと言って出掛けている。

 シュウが持ってきたビニール袋からサイダーを取り出して、ヒカルは用意した四つのコップに注いだ。その中の一つは私の分のコップだった。

「たまにはさ、息抜きしたくなるんだ」

 戸惑っている私に、ヒカルはそう囁いた。

 何も考えずに遊びたくなるんだと、ヒカルは言った。能力者として覚醒する前にそうしていたように、今までのように遊びたくなるのだ、と。

 戦いのことを忘れたわけではない。むしろこれから戦って行くために、それまでのような時間を過ごす。そうやって、それが大切なものなのだと再認識するのだろう。

 いや、きっともっと単純な理由だ。遊びたいから、ただそれだけかもしれない。そういうことができない生き方をしたくない、ということなのかもしれない。

 ヒカルはシュウとゲームで対戦しているようだった。テレビの画面は中央から左右に等分され、ヒカルとシュウが操るロボットが動きまわっている。

 協力モードもあるらしく、何回か対戦をしたら協力モードを、そちらを何度かやったらまた対戦を、と不定期に繰り返していた。対戦の成績はヒカルの勝率が七割ほどだった。ただ、協力の方のコンビネーションはかなりのもので、高難易度のステージをどんどんクリアしていた。

 二人の活き活きとした表情が印象的だった。

 私とユキも二人に勧められて何度かコントローラを握らせてもらったが、はっきり言って向いてなかった。私にとってはテレビゲーム自体が初めてだったというのもあるだろうが、どうやら私はアクションゲームが苦手のようだ。操作にもたついてあたふたすることしかできなかった。それはユキもほとんど同じで、二人して酷い有り様だった。

 今までテレビゲームに慣れ親しんでいたというのもあるのだろうが、ヒカルとシュウはかなり上手い部類なのだろう。

 ただ、そのゲームは難しくてヒカルやシュウのように上手くはできなかったし、酷いものだったが、それでも私には新鮮で、楽しかった。私たちがおろおろしながら悪戦苦闘しているのを、ヒカルとシュウは笑いながら見ていた。

 少しして、ユキが自分の持ってきた小さなバッグから紙包みを取り出して広げた。

 中にはクッキーが入っていた。市販の箱や包装はされていない。わざわざ個別で持ってくるのもおかしい。そう思って聞いてみた。

「これ、どうしたの?」

「作ってきたの」

 ユキの返事に、少し驚いていた。

 手が込んでいるように見えたからだ。店で売っているクッキーのように、とても上手にできていた。

「おいしい……」

 食べてみると、とても美味しかった。サクサクした食感と、程よい上品な甘さが口の中に広がる。

 自分の手で作ったのだと言うのが、驚きだった。

「そんなに難しくないし、作るのも楽しいよ」

 凄い、と言うとユキは笑ってそう答えた。

「……そうなの?」

 料理を自分で作る。VANにいた頃は本当に何もすることがなかった。さすがに風呂などは自分一人でやっていたが、炊事、洗濯は自分でしたことがなかった。

 それができる人のことを家庭的、と言うのだと分かっていても、今までは興味が湧かなかった。半ば自棄になっていたのだから、自分自身のことにも無頓着になっていたのだろう。風呂もただ体を洗う程度の意識しかなかったし、髪や肌の手入れに気を遣うこともなかった。ましてや化粧などする気も起きなかった。

 だが、今は、ヒカルと共に生きると決めてからは、少しだけ興味がある。昨晩口にしたカオリの手料理の味や後片付けをしている後姿が意識の隅にある。一夜明けて、自分の髪に寝癖がついてないか無意識に確認していたのも思い出す。

 もし、これから先もずっと一緒に過ごすのなら、炊事洗濯掃除ぐらいできるようになるべきだとも、思っていた。

「二人は、料理できるの?」

 試しにヒカルとシュウに聞いてみた。

「家庭科の調理実習で習った程度なら、まぁ、なんとかできるかな」

 自信はなさそうだったが、ヒカルはそう答えた。

 本当に簡単なものなら自分でも作れるらしい。

「できなくはないだろうが、一人だとめんどうだから買っちまうなぁ。今はもっぱら有希に作ってもらってるし、そっちのが自分で作るより格段に美味いからな」

「ノロケじゃねぇか」

「もう、修ちゃんったらぁ」

 シュウの返事に、ヒカルが苦笑し、ユキが照れて笑う。

 そもそも学校に行ったことのない私には、その実習経験すらない。パンにハムやレタスを挟むぐらいならできるだろうが、それは料理とは言えない気がした。

「……ねぇ、やってみる?」

 そんな私に、ユキがそう提案した。

「……教えて、くれるの?」

 不安げな私に、ユキは笑みを浮かべた。

「いいよー。ねぇ、キッチン借りてもいい?」

「うん、大丈夫だと思う」

 ヒカルの言葉に頷いて、ユキは私に手を差し出した。

 私はその手を取って、一緒に一階へと降りた。リビングにいたカオリに断りを入れて、キッチンに入る。

「ねぇ、一つだけ、聞いてもいい?」

 材料を並べて行くユキに、その背中に、私は静かな声で話しかけた。

「んー? なぁにー?」

 ユキは私の方を見ず、材料が揃っているかを確認している。

「私のこと……怒ったり、恨んだり、嫌ったり、しないの?」

 私はVANの長の娘だ。その事実は覆すことができない。

 彼女のことは私も把握している。ユキの父親はかつて一年だけVANに所属し、家庭を持つと同時にVANを抜けた。その後、彼は自衛隊の中で対VAN用の特殊部隊を創設し、VANと敵対していた。そのために、ユキは幼い頃に母親をVANによって失い、父親もVANが蜂起した先日、命を落とした。結果的に、VANによって彼女は両親を殺されている。

「私は、その……VANに、いたから」

 振り返ったユキと目を合わせられず、視線を床に落とす。

「……VANのことは、許せないよ」

 ユキの哀しげな声に、私はぐっと唇を引き結んだ。責められても仕方がない立場に私はいる。これからヒカルと共に歩むなら、彼の友人や仲間とも共に過ごさなければならない。禍根があるなら、赦してもらうことはできなくとも、せめて私がヒカルと共に進むことを認めて欲しい。

 それだけは、伝えておかなければならないと、思っていた。

「――でも、あなたは違うんでしょ?」

 続く言葉に、私は顔を上げていた。

「昨日、光さんに飛び付いたのを見れば分かるよ。あなたは違うんだ、って」

 そう口にするユキは、優しい表情だった。

「自分を、抑えてきたんでしょ? 抑えなくていい人が、受け入れてくれる人が、見つけられたんでしょ?」

「なんで……?」

「分かるもん。私もね、そうだったから」

 ユキが微笑む。

「お父さんのことは、辛いよ。辛いけど……でも、私はもう独りじゃないから」

 一度目を伏せて、ユキは呟く。セルファに視線を戻したユキの目には、哀しみの影が残っている。それでも、確かな輝きがある。前を向いて歩き出している。そう感じられるだけの意思が、彼女の瞳には宿っていた。

「私には、修ちゃんがいる。修ちゃんがいてくれる。修ちゃんが私を支えてくれる限り、私も修ちゃんを支えるって決めたの。だから、辛くても、悲しくても、前を向いて歩き出せる」

 照れたように頬を僅かに染めて、ユキは微笑んだ。

「あなたも、そうなんでしょ?」

 その言葉に、私は何も言うことができなかった。その通りだったから。

 私も、ヒカルを支えて行こうと思った。彼が私と共に歩むと言ってくれたから。

 そのために、全てを捨てた。今までの人生を過ごした場所も、両親も、何不自由のない生活も、兄や姉のように心を許せた二人の存在も。ヒカルの隣に立つということのために。

「さ、作ろう?」

「うん……」

「まず大事なのはね、気持ちなんだよ」

 どうして、ヒカルの周りの人たちはこんなにも優しいのだろう。

 ユキに作り方を教えてもらいながら、私はクッキーの生地を作る。

「光君はバニラが好きだから、バニラエッセンスを数滴加えるといいかもしれないわよ」

 様子を見にきたカオリが、そう助言をくれた。私が礼を言うと、彼女はふっと笑って、手をひらひらさせながらリビングへ戻っていった。

「あなたは、シュウのどこを好きになったの?」

 型抜きしながら、私はユキにそんなことを聞いていた。

「んー……優しいところ、かな? 初めて逢った時、助けてもらったんだ」

 ぽつぽつと、ユキはシュウと出逢った時のことを教えてくれた。不良に絡まれていたところを助けてもらったこと、力のことを知っても受け入れてくれたこと、攫われた時にも救いだしてくれたこと、好きだと言ってくれたこと。

 ユキはシュウを心の底から信頼している。彼女の話を聞いて、私はそう確信することができた。シュウとは、ユキがそう思えるだけの存在なのだと。

「あなたは?」

「えっ?」

「光さんのこと、どうして好きになったの? 今度は私に教えてよ」

 照れ隠しなのか、ユキは少しいたずらっぽい笑みを浮かべて私にそう尋ねてきた。

「私は……」

 クッキーをオーブンレンジに入れて、私は思い返した。

「ずっと、私は生きているのか、疑問だった。あそこじゃ楽しいことなんてなかったし、嬉しいって感じることもなかったから。それに気付いて、どうして私はここにいるんだろう、ってずっと思ってた」

 何不自由のない生活だった。誰もが私を気にかけてくれる。だけど、それは私との間に大きな溝を作っているが故のものだ。相手にしてみれば、私は触れることすらおこがましい、天使や神のような存在だった。私が求めれば何でも用意してくれた。私が不満を言えば、改善してくれた。けれど、私の心はずっと満たされなかった。

 両親は私を見ていない。私の存在を認識してはいても、私を見る目に、親の愛情なんてものは感じなかった。私が何かをねだっても、両親は気にかけてくれない。自分の部下や、身の回りの世話を任せている者に指示をするだけで、両親自身が私に何かをしてくれたことはなかった。

 物心ついた時から、母の腕に抱かれたことも、父に微笑みかけられたことも、私の記憶にはない。

 居場所、というものが感じられなかった。ダスクやリゼと出会って、彼らの目線が、私の求めているものの一つだと気付いた。二人は私と対等な存在でいてくれた。けれど、たった二人だけでは窮屈さや満たされない心の空洞は、埋まらなかった。二人ともトップクラスの地位にいる人物だったから、多忙で気軽に会うこともできなかった。

 わがままは許されていても、私は籠の中に閉じ込められていた。

「そんな時にね、見つけたんだ、ヒカルを」

 最初は、そこまで気にはならなかった。父親が最も危険視している兄弟のうちの弟が覚醒したから、レジスタンスに情報を流しておこう。レジスタンスの戦力が強化されるだろう、その程度の認識だった。

 けれど、結果は違った。ヒカルはレジスタンスへの所属も、VANへの所属も、拒否した。

 有り得ない。そう思った。

 その選択肢は、最も辛い選択になるはずだ。両方から敵視される可能性もある。それに、父が彼を放ってはおかない。レジスタンスに所属すれば少なくとも、味方ができるという点で安全性が高まる。VANに対する打撃にもなる。それをしないということは、レジスタンスの仲間という庇護も受けられず、VANの攻撃にさらされるということだ。

 だから、気になった。気になって、仕方がなかった。何で、そんな選択が下せるのか。その強さは、どこからくるのか。

 気がつけば、ヒカルの動向をいつも気にかけていた。

「自分の心に素直に生きる……私も、そうあれたら、そうありたいって、思うようになってた」

 どんな目に合っても、ヒカルは生き方を変えようとはしなかった。自分が嫌だと思う道は、その困難さに関わらず選ばない。

 自分の居場所を守るために、そこにしがみつくために、それでも嫌なことは拒否して戦うヒカルに、いつの間にか惹かれていた。彼のように生きられたら、私も満たされるのだろうか。彼の隣なら、この心にある大きな空洞は埋まるのだろうか。

「ヒカルは手を差し伸べてくれた。私の手が届くところまで……」

 私の手を強引に取ろうとはしなかった。私が手を伸ばしたところへ、私の手が届く距離まで、ヒカルは手を差し伸べていた。自分の心が大事なのだと、私自身が籠を壊して飛び立つことが大事なのだと、教えてくれた。

 彼の生き方に憧れて、私もそうありたいと思った。彼は、そうあればいいと、そうなれると、背中を押してくれた。

「ヒカルは、『私』を見てくれる……」

 彼のことを話していると、心の奥が温かくなってくる気がした。

「……なんだか、私たち、似てるのかもしれないね」

 ユキが、小さく笑った。

「修ちゃんもね、『私』を見てくれたんだ」

 彼女は、自分を押し殺していた時期があったらしい。けれど、シュウはユキという存在そのものを見つめてくれる。それは、ヒカルが、私の存在そのものを見てくれたのと同じことなのかもしれない。

「そうなのかもしれないね……」

 そう答えて、私はユキを見る。

 私よりも小柄で、華奢で、可愛らしい少女だ。だけど、もしかしたら私よりも大きくて強い心を持っているのかもしれない。

 負けたくない。何となく、そう思っていた。私も、強くなりたい。

「ねぇ――」

 オーブンレンジを見つめていたユキへ、静かに声をかける。

 次の言葉を発するのに、たった一言だけなのに、とてつもなく勇気が必要だった。

「――私たち、友達に、なれるかな……?」

 小さく、か細くなっていく私の声を、自分でも感じていた。

 共に歩く仲間でいることを認めてもらえた。それだけでも十分だ。けれど、もしも、彼女と友達になれたら。ヒカルにとってのシュウのような存在に、彼女がなってくれたら。どれだけ素晴らしいことなのだろう。

 今まで、私がずっと求めていたものの一つ。

 友達。

 ユキと、友達になりたい。

「……違うよ」

 ユキは一度だけ首を横に振った。

 私はびくりと肩を振るわせて、息を呑む。

 違う。友達には、なれない。そういうことなのかと思いかけた次の瞬間、ユキは私に笑いかけて。

「一緒にクッキー焼いたんだもん。私たち、もう、友達だよ?」

 その言葉に、涙が溢れそうになった。

「ありがとう……」

 私はそう答えるのがやっとだった。

 涙がこぼれそうになるのと同時に、オーブンレンジが音を立てて、クッキーが焼き上がった。オーブンレンジを動かしていたのをすっかり忘れていたから、涙が引っ込んでしまうほど私は驚いていた。

 ユキもレンジの音に驚いたようで、私は彼女と顔を見合わせて笑い合った。

 そうして、焼き上がったばかりのクッキーを持って、私はヒカルとシュウのいる二階へと戻った。

 ヒカルとシュウはテレビゲームではなく、カードゲームをやっているようだった。

「できたよー」

 笑顔のユキの声に、二人が私の持つ皿を見る。

「どれどれ」

 ヒカルが一つを手にとって、齧る。

「ん、上手くできてるよ。美味しい」

 二口目は残りを丸ごと口に放り込んで、ヒカルは微笑んだ。

 その一言だけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。ほっとした安心感と、嬉しさが込み上げてくる。

「ほぉー、初めてにしちゃちゃんと焼けてるな。もっと失敗するかと思った」

「失礼だなお前」

 シュウも手に取り、感想を呟く。それにヒカルが突っ込む。

「お前だって、失敗したらどうするって聞いたら返事に詰まってたじゃんよ」

「私が教えたんだもん、ちゃんとできるよぉ」

 ヒカルに言い返すシュウに、ユキが頬を膨らませて文句を言う。

「でも、実際に作ったのはセっちゃん一人だよ。私は指示しかしてないから」

「……セっちゃん?」

 ユキのその一言に、私とヒカルの声が重なった。

「だって、セルファだから、セっちゃん……変、かな?」

 人差し指を突き合わせながら、ユキが小さく呟く。

 ニックネーム、ということだろうか。

 ヒカルはちらりと私を見る。

「……ニックネームなんて、つけてもらったことないから、ちょっと照れ臭いけど、私は、その……嬉しいかな」

 ぼそぼそと呟く。

 親しみを込めて、そう呼んでくれているのだとしたら、嬉しい。友達の証として、その愛称を付けたというのなら、嫌がる理由はない。くすぐったいような気持ちはあるが、不愉快ではなかった。

 ヒカルはなんとなく察したようで、私と目が合うと小さく笑みを浮かべた。

「そっか、良かった!」

 手を合わせて満面の笑みを浮かべるユキは、本当に可愛らしかった。シュウもそんなユキを見て穏やかな表情をしていた。

「ええと、それで、今度は何をしてたの?」

 私は気になっていたことを尋ねた。

「ああ、クリコレ、クリーチャーコレクションっていうカードゲームだよ。マイナーなんだけどね」

 ヒカルはそう言って、ルールを簡単に説明してくれた。

 向き合って一対一で行う対戦型カードゲームで、デックと呼ばれるカードの束は五十枚で構成されているらしい。手札は基本的に六枚で、対戦は横三マス、縦四マスの合計十二マスのフィールドで行われるようだ。対戦者の手前にある中央一マスが本陣と呼ばれるベース地形となり、そこから手札にあるクリーチャーカードを召喚して陣取りを行うものらしい。山札の一番上を伏せカードとして代理地形とするか、手札から専用の地形カードをフィールドに配置してクリーチャーを進軍させていき、最終的に相手の本陣を占領するか、山札がなくなった時点で占領している陣地の多い方が勝ちとなるルールだそうだ。

「……やってみる?」

「お、だったら有希もどうだ?」

 ヒカルの提案に私が答えるよりも早く、シュウが反応した。

「俺たちが横で教えてやるからさ」

 ヒカルとシュウに促されて、対戦用のシートの前にユキと向かい合わせになって座った。

「俺のは対抗、いわゆるカウンター攻撃に優れた構成になってる。光のは単体で高火力のユニットが多い力押しのパワー型の構成だ」

「だからお前のとは相性あんま良くねぇんだよなー」

 ヒカルが苦笑しながらカードをシャッフルする。

「ま、俺のが長いしな」

 シュウがにっと笑う。

 このカードゲームは元々シュウがハマっていたものらしい。ヒカルはシュウに誘われる形で始めたようだ。テレビゲームとは違って、カードゲームではシュウに分があるらしい。戦績は大体、ヒカルが三でシュウが七と、本当にテレビゲームでの対戦とは真逆の結果になっているようだ。

 手札が配られ、ヒカルと共にどんなカードがきているかを確認する。

 地形に設定されているリミット数値を超えるレベルのユニットは存在できない。本陣は十、代理地形は八だから、それを考えてユニットを配置しなければならない。リミットの多い地形を置く場所も戦略に関わってくる。

「どうすればいいかな?」

 ヒカルをちらりと見る。

「俺のデックはユニットレベルの高いものが多いから、展開用の布陣が揃わないと回しにくいんだ。その手札が来るまではちまちま出してくしかないな」

 基本的に、ユニットは本陣から出撃して行かなければならない。ユニットレベルが高ければ高いほど、地形の占有率も高く、手札を回すのが難しい。それを補うためのユニットや地形があるようだが、今の手札にはなかった。

 見れば、ヒカルの言う通り、レベルが六、八といったユニットしか手札にはなかった。一枚しか出せないならば、とレベル八のユニットを本陣に置いて、地形を一つ本陣の手前に置いてみた。配置したばかりのユニットは移動ができないという制約があるため、私のターンはそれで終わることとなった。手札を規定枚数まで補充して、相手のターンが始まる。

「げっ、いきなりバハムートかよ」

 シュウが頬を引きつらせて呻いた。

「強いの?」

「あれはやばいぞ、要注意だ」

 ユキの言葉に頷いて、シュウが彼女の手札を見る。

「まぁ、最初だし気楽に行こうぜ」

 そう言って、ヒカルは笑った。

 私はそれに頷いて、ユキのターンが終わると直ぐにバハムートを進軍させ、本陣に次の高レベルユニットを出撃させる。

「近付いてくるよ修ちゃん!」

 手札を見て呻るシュウに指示を請いながら、ユキは本陣のユニットのいくつかを一歩前に出す。

「あれは事故ってるな。チャンスだぞ」

 ヒカルが苦笑する。丁度良い手札がまってく回ってこないことを、事故る、と言うらしい。要は、手詰まり状態である可能性が高いということか。

 案の定、バハムートを前に進軍させて相手本陣の一歩手前へ移動させると、何の抵抗もなくあっさりと全滅させることができた。その地形に存在するすべてのユニットを倒すことができなければ、進軍は成功しない。戦闘フェイズが終了した時点で相手のユニットが残っていれば、進軍は失敗となり、進軍を試みたユニットは元いた場所へ戻らなければならないのだ。

「わわ、もう目の前に!」

「イチかバチか、手札全部捨てて補充だ!」

「う、うん!」

 ターン開始時の手札調整タイミングで、シュウは賭けに出た。

 が、再度引いた手札を見て、シュウは額を手でおさえた。あちゃー、と小さく呟くのが聞こえた。ユキはおろおろしていた。

 本陣にいくつもの低レベルユニットが召喚され、ユキの手札がなくなった。

「全部ユニットだったか……」

 ヒカルは察したらしい。

 ユキが手札を補充して自分のターンを終える。ユキが難しい表情をしながら手札を見つめていて、シュウは諦めたように小さく溜め息をついていた。

 私はバハムートを本陣へと進軍させる。ユキはユニットの能力で対抗しようとしたが、攻撃力が足らず、カウンターは失敗、バハムートがすべて薙ぎ払って進軍が成功してしまった。

「……えっと、勝っちゃった?」

 目をパチクリさせていると、隣でヒカルが笑い出した。

「えぇー! 早いよぉー!」

「出だしが悪いとこんなこともあるんだよ。特にあのデックは速攻もできるからなぁー」

 ユキが声をあげ、シュウはやれやれと溜め息をついている。

 決着が早過ぎたということもあって、お互いに再戦するのに異論はなかった。

 それから何度かユキと対戦しているうちにルールが飲み込めてきた。 

 紹介された通り、ヒカルのデックはユニットの平均レベルが高く、単体での戦闘能力の高いユニットが揃っていた。基本攻撃力や防御力が高いものや、それらはやや低いものの、高威力の特殊能力や多くのスペルカードが使用可能なものばかりだ。対するシュウのデックは、レベルの低い小粒ユニットが多めで、単体での戦闘能力はどれもそこまで高くはないものばかりだった。ただ、数が多いということはそれだけ多くの特殊能力やスペルが使えるということでもあり、ダメージを軽減するスペルや能力、攻撃力を強化するスペルや能力などを多用されると、少数のユニットで構成せざるを得ないヒカルのデックでは対処し切れない場面も多かった。時折混じっているクセの強いユニットとの連携も中々にイヤらしい。だが、逆に単体であればさほど脅威ではなく、態勢が整っていない陣地や攻めたい場所とは別の陣地に攻め入って、相手の手札の消耗を誘うといった戦略も見い出せた。

 テレビゲームよりは私もユキも、このカードゲームの方がいい対戦ができたように思う。それに、ちゃんとルールが分かって対戦できれば楽しかった。

 シュウのデックを借りて、ヒカルと対戦もした。さすがに持ち主だけあって、ヒカルは強かった。シュウのデックは組み合わせによって真価を発揮するタイプということもあって、今日初めて教わった私には扱うのが難しいデックだった。

 何かに熱中するという経験が私には今までなかったから、本当に楽しい一日だった。

 そう思いながら、私は布団の上に腰を下ろして窓から見える月を見上げていた。VANの自分の部屋で見ていた月とは、不思議と違って見える。

 少し無理を言ったが、私はヒカルの部屋に布団を敷いてもらって寝ることになっている。望んでここまできたとは言え、やはり一人は心細い。勝手も分からないし、いざという時にヒカルの側にいたいというのもあった。

「……何か、上機嫌だね?」

 夜、寝る前になって私の顔を見たヒカルはそう言った。

「そ、そうかな?」

 いつの間にか笑みを浮かべていたのだろうか。両手で頬に触れてみる。

「楽しかった?」

 ヒカルは、微笑んでいた。

「……うん」

 自然と、私も微笑を返していた。

 ここまできたことに不安はあった。だけど、たった一日だけでも、彼の傍にきて良かったと思えた。私の欲しかったものが、求めていたものが、ここにはある。

 今なら、分かる。ヒカルが失くしたくないもの、守りたいもの、欲しい未来が。

「私、頑張るよ」

 口には出さず、私はそう自分に言い聞かせた。

 大丈夫、きっと、頑張れる。そう思えたから。

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