1話
ー東の大陸 黒皇帝国 首都イグニア
「本当にこんな所に皇帝様が住んでるのかなぁ」
紺藍色の髪の毛を三つ編みにした少女ーアオが、同じ色の瞳で眼鏡の奥から周囲を見渡す。
「住んでるから帝国なんだろ。ほら、遠くにお城も見えるし」
そう言って、ベルント・ルーズベルトは、確かに遠くに映る城を指した。
「でも思ったより迫力ないね。これ
なら薄灰国の方が好きかも」
「僕は苦手。基本、人で溢れてるし」
薄灰国はこの黒皇国の東に位置する王国で、二人はそこにあるグレージュ村の村民である。
黒皇国には古くから皇族が住んでおり、帝国と呼ばれ、ここ東の大陸の首都である。
どの都市も穏やかで、特別活気盛んな様子は見られない。
対して薄灰国は、王家が初代皇帝の代から皇族に仕え続けており、ここ東の大陸の中でも最も広く盛んな国だと言われている。
工業にも商業にも優れ、特に首都にある鍛冶屋には大陸中の者が集まるという。
人混みが苦手なベルントにとってはあまり好ましくない所である。
一見すれば、黒皇国に皇族が住んでるようには思えない。
しかしそれはアオの勝手なイメージでしかなく、実際、帝国は活気盛んであるという定義は存在しない。
「大体、黒皇国へ行きたいって言ったのは君だろ?文句言わないでよ」
「だって、帝国っていう位だからもっと素敵なお店とかたくさんあると思ったんだもん」
アオは唇を尖らせた。
間違いなく彼女は帝国というものを勘違いしているような気がする。
「そういえば皇帝様って、数百年間もお城に閉じこもってるんだよね」
「うん。ここの国の人でさえも、その姿をきちんと目にした者はいないんだって」
ついこの間、街をぶらついていた女性達から偶然耳に挟んだ話だ。
どうやら黒皇国の城へ出向いた際に一瞬だけ皇帝の姿を目撃したというある使用人が言いふらしたらしい。
その皇帝の大きな特徴は、黄色と青のオッドアイに、片頬に塗られた二つのダイヤのフェイスペイント。
それに気品のある顔立ちで、青年のような姿だったという。
城に閉じこもる理由は不明だが、そんな情報を言いふらした使用人の行く末はどうなるのだろうか。
そんな事を他人事のように考えながら、なんとなく聞いていた。
「何で閉じこもっちゃうのかなぁ。ボクには全然理解できないよ。だって外にはたくさん面白い事が待ってるのにさ。ベルもそう思わない?」
「思わない」
「えー…」
ベルントの返事に、アオは明らかに残念そうな顔をした。
それもそうだろう。
ずっと何もない小さな村で暮らしてきたためか、アオは村の外の世界に憧れている。
故に、保護者代わりとなって二人の面倒を見てくれている祖父(アオにとっては義祖父である)から外出許可が降りてからは、何度か薄灰国内巡りに付き合わされてきた。
村の外に興味があるのはベルントも同じであったが、アオ程ではなかった。
「もう帰ろう。ボクお腹空いてきちゃった」
三つ編みを揺らしながら、アオは踵を返して元来た道へと歩き始める。
「来たばかりなのに?」
まるで聞こえていないかのように、何も答えずアオはすたすたと歩いていく。
そんな彼女の背中を見つめベルントは嘆息し、後を追い始めた。
しかしその足は、ふと背後からかけられた声により制止される。
「あんた、ここの国の人?」
振り返ると、一人の青年が立っていた。
真っ黒、と言うには少し薄い黒髪を後ろで短く結っており、恐らく前髪であろう髪に顔の左側が輪郭まで隠されていて、見えている右目は透き通るような黄色をしていた。
年は、ベルントと同じ程だろうか。
「いや、違いますけど…」
「じゃあ、今から帰るのか?」
初対面の人間と会話するのに慣れていないベルントに対し、ぐいっと顔を近づけてくる青年。
襟の隙間から覗いたチョーカーに装飾されている水色の石が小さく揺れた。
「ベルー?どうしたのー?」
追いかけてこないのを不思議に思ったのか、その声に振り返ると、アオがこちらへ戻ってきていた。
「アオ」
ベルントが安堵の声でアオの名を呼ぶ。
「突然、この人に話しかけられちゃって…」
そう言って青年の方を見ると、先程より若干後ろへ退っている気がした。
「何か用ですかー?」と、アオが問いかけてみると、青年の肩が小さく跳ね、目を泳がせながら頷いた。
「ちょっと…頼みたい事があって」
「頼みたいこと?」
目はこちらから背けたまま、緊張した様子で青年は言った。
明らかにベルントに話しかけてきた時とは様子が違う。
人見知り、というよりは、女性が苦手なのだろうか。
ベルントは、横で首を傾げていたアオを横目で一瞥した。
「その、俺も連れていけ…じゃなくて、連れていって欲しいんだけど…」
チラリ、と青年はこちらを見る。
一瞬命令形だったのが気になったが、内容は至ってシンプルであった。
「一緒に行く位なら、構わないですけど…」
「本当か!?」
帰る先はただの村ですよ、と言いかけようとしたのを制するように、青年は歓喜の声をあげた。
行き先はどうでもいいのか、或いは薄灰国の住人だと確信しているのか…。
どちらにせよ、青年の目はキラキラと輝き、まるで黒皇国に来る前のアオを彷彿とさせた。
「ちょっとベル、この人なんか怪しくない?そんな簡単に同行させて大丈夫?」
アオが、眼鏡の奥で紺藍の目を細める。
その視線に、青年は後ずさりした。
「アオ、失礼だよ」
「だって、いきなり初対面の人間に一緒に連れてけなんて頼む?」
「アオならするかもね、道に迷ったときとかに」
その言葉に、アオは言葉を詰まらす。図星だったか。
「それに、僕には怪しい人のように思えないよ」
「…あんたって、ホントお人好し」
明らかに大きく、アオは呆れたようなため息を吐いた。
(ま、それがベルの良いところなんだけど)
ふふっ、と小さく笑うと、アオは青年の方に歩み寄り、
「国外逃亡者とかだったら許さないから」
と、人差し指を向けて言い放った。
「あんた達って、どこに住んでるんだ?」
首都イグニアを出、少し歩いたところで、己の先を歩くベルントとアオに青年は尋ねた。
「グレージュっていう、小さな村ですよ」
ベルントが答える。
「国境線よりも奥にあるから、僕達は薄灰国の住民なんです」
「それだと、イグニアからちょっと遠いじゃねぇか。一体何しに来たんだ?」
青年の言う通り、移動手段が徒歩のみであるベルント達には、村からイグニアまでの距離は決して近いとは言えなかった。
だが、幼い頃から特に便利な機械を用いる事無く、村での力仕事を手伝ってきたのだ。
二人ともー特にベルントはー体力には自信がある方であった。
「アオがどうしても行きたいって言ってたんで…まぁ、期待外れだったみたいですけど」
「アオ…?」
青年が、ベルントの隣を歩く少女に目を向ける。
しその視線に気づいたアオが振り返ると、ハッとしたように目を逸らした。
その態度に、アオは青年にバレない程度の小さな溜め息をつく。
「そう言えばまだ名前言ってませんでしたね。僕はベルント、ベルント・ルーズベルトです」
顔だけ青年を振り返り、ベルントが言う。
「ボクはアオ。ベルとは幼馴染みで、訳あって一緒に住まわせてもらってるんだ」
アオは体ごと青年を振り返り、顔を覗きこむように目線を無理矢理合わせると、青年は驚いたのか一瞬ビクッと体が跳ね、前髪を引っ張り壁にした。
「ベルントと、アオか…お、俺は…」
少し緊張した様子の声で青年はそこまで言うと、何故か立ち止まってしまった。
ベルントも体ごと青年を振り返り足を止めると、口を手で覆っていて、焦点の定まらない目線は宙をさまよっていた。
「…どうしたんですか?」
ベルントが声をかけると、青年はハッとしたように顔をあげる。
「えっ、あぁ…なんでもねぇ。俺はラルクだ」
ほら行くぞ、と言って今度は青年が先頭を切り歩き始める。
一度も、ベルントらの方を見ずに。
「…偽名だ」
ポツリ、とアオの呟く声が聞こえた。
やっぱり怪しいよ、とでも言いたげにベルントの目を見つめる。
でも、
「行こう、アオ」
まるで気づかないふりをして、ベルントはラルクと名乗る青年の後を追った。
アオは呆然とその背中を見つめる。
「あぁもう!このお人好し!!」
行き場の無い怒りをぶつけるように地を踏みしめながら、アオもまた彼らを追いかけた。
「…お」
もうすぐ薄灰国との国境に着くであろうところまで歩いてきた頃、ラルクは小さな声を発し立ち止まった。
「なんだ、こんな所にあったのか」
その場にしゃがみ込むラルク。
ベルントは中腰になり、目線を下に落とすと、そこには筒状の機械のような物が置いてあった。
高さはふくらはぎの中心まであり、いくつかのボタンと、液晶画面らしきものが組み込まれてあった。
「これは…?」
ベルントが問いかける。
「転移装置だよ」
「転移装置って…西の大陸に移動するための?」
「大陸外への移動は現在禁止されてるだろ。それにそういうのは帝国にしか置かれていない」
呆れたような口調。
そんな事も知らないのか、とでも言われている気分だった。
「これは大陸内を移動するためのもの。結構色んな場所に置かれてるんだぜ」
「へぇ…」
物珍しそうに、ベルントは転移装置と呼ばれた筒状のそれを見つめる。
「アオ、知ってた?」
「いや…話には聞いたことあったけど、見たのは初めてかな」
いつ、誰に聞いたんだ。
…という言葉は飲み込んだ。
きっと、自分の知らない時間の中で、もしかしたら自分も一緒に聞いたのかもしれないから。
否、知らないんじゃない。
覚えていないんだ。
「丁度グレージュ村の近辺にもあるみてぇだから、そこに飛ばすぞ」
ラルクはまるで慣れているかのように、液晶画面を指で叩いていく。
画面上に表示される下向きの矢印。
ラルクはそれに従うように、液晶画面の下に組み込まれていたボタンを押した。
すると、装置から溢れ出した白い光に視界を奪われーその次の瞬間。
「……ここは」
瞼の裏にまで及んでいた光の気配が消え、ベルントは2、3度瞬きをしながらゆっくりとその目を開くと、周りを見渡し呆然とした。
何が起こったのか分からない。
しかし、目の前に広がる景色は明らかについ先程までのものとは大きく変わっていた。
「ボクらが、黒皇国に来るまでに通った道だね」
「凄い…一瞬で…」
感嘆の声を漏らすベルントに、ラルクは肩をすくめる。
「あんた、本当に知らねぇんだな。薄灰国民だろ?あんな広い国になら幾つか設置されてる筈なんだが」
馬鹿にされているような気分だった。
薄灰国民だろと言われても、村から遠く離れているような都市には行ったことがない。
時間をかけなければたどり着けないような所へ来たのは今日が初めてだ。
少なくとも、今の僕にとっては。
「貴方には関係ないことだと思いますけど?」
怒りの混じったような声でアオが言った。
ベルントを庇うように立ち、紺藍の瞳でラルクをきつく睨みつけている。
「ちょっとボクらより知識があるからって、何様のつもり?もしかして馬鹿にしてる?」
敬語を忘れたアオの攻め寄るような迫力にたじろぐラルク。
目線を何とか逸らそうとするも、アオはしつこく追いかけていた。
「そういうつもりじゃ、なくてっ……」
「じゃあどういうつもり?」
更に、アオが詰め寄る。
目を逸らせないのか、もはや逸らすことを諦めたのか、ラルクはきつく睨みつけてくるアオの目をじっと見つめている。
怯えてる…いや、気のせいだろうか。
顔が青ざめ、呼吸が浅くなっているような気がする。
「そもそも、ボクたちの行き先を聞かず連れていけなんて言ったのはどうして?何が目的?」
「ちょっと、もうやめなよ」
明らかにラルクの様子がおかしい。
一見アオを見つめているように思えるその目は焦点が定まっていない。
色素の薄い肌には一筋の汗。
震える手は自身の胸を鷲掴み、呼吸がどんどん乱れていく。
「え、大丈夫……!?」
アオが手を伸ばそうとすると、それを避けるかのようにラルクはその場に崩れ落ちた。
うつむき、喉を掻きむしってあえいでいる。
過呼吸…いや、違う。分からない。
とにかく、発作を起こしているのは明らかであった。
「く…す、り……」
ラルクは震える手を襟元に入れて、何かを探しているようだった。
首に何かかけているのだろうか。
よく見るとちらちらと細い紐のようなものが見えた。
薬を常備しているのかもしれないと思い、ベルントはラルクを手伝うため近寄ろうとした。
その瞬間。
「ーっ!?」
突然激しく吹き荒れる風。
あまりの勢いに目を閉ざし、視界が奪われる。
しかしそれは一瞬だった。
風がやんだと思った瞬間、ベルントは首に何か冷たい感触を受けた。
「動くな」
耳元で低い声が聞こえ、後ろ手に掴まれる。
ゆっくり目を開くと、先程の冷たい感触の正体が見える。ダガーナイフだ。
「ひっ!?」
ベルントは思わず声をあげた。
「ベル!」
「動くんじゃねぇ!コイツがどうなってもいいのか」
アオは駆け寄ろうとするが、ベルントの首にダガーを当てている者の声に制止される。
ベルントよりも背が小さいためか顔はよく見えないが、声と腕の逞しさからして男だろう。
「テメェ…どこの刺客だか知らねえが、アルヴィス様を連れ去ってただで済むと思うなよ」
男はダガーをわざとベルントの目に映させ言った。
「ちょ、ちょっと待って!刺客?僕らはただの村人だし、アルヴィスなんて人、僕知らないよ!?」
「とぼけてんじゃねぇ!」
男は怒鳴り、ダガーとベルントの首との距離を更に縮めた。
突然の出来事にベルントは酷く混乱していた。
なんだ、一体何が起こってるんだ。
どうして僕の首にはナイフが当てられているんだ。
一方、アオは愕然として色を失い、今にも泣き出しそうだった。
「おい」また別の男の声が聞こえた。「やめろ、離してやれ」
声の主はラルクと名乗ったあの青年だった。
いつの間にかもうすっかり呼吸が整えられていた彼は、咎めるような視線を男に向けていた。
「そいつらはただの一般人だ」
「だけど…!」
「俺様の言う事が聞けねぇのか」
静かに怒鳴るその声には威圧が感じられ、アオの前でたじろいでいたあの姿はどこにも見当たらなかった。
男の手が緩み、首元からダガーが離されベルントの体が自由になる。
極度の緊張から抜け出せたことに安堵を得たためか、その場にへなへなと崩れ落ちてしまった。
「ベル!」
アオが叫び、駆け寄ってくる。
「大丈夫?どこも怪我してない?」
「うん、平気」
ベルントがそう答えると、アオは安堵のため息を吐いた。
まだ震える両足に鞭を打ち、立ち上がろうとすれば、アオが支えてくれる。
情けないな。僕の方がお兄さんで、男なのに。
惨めな自分を笑ったかのように、左手首に残る昔の痕がズキリと痛んだ気がした。
「あーあ、せっかく外の世界を拝んでたっていうのによ」
後ろの首をさすりながら、ラルクは大きな溜息を吐く。
「悪かったな」
「い、いや…。知り合い、ですか…?」
ラルクは男を一瞥した。
「知り合いも何も、こいつは俺の使用人だ」
そう言うとラルクは、髪を解き、顔の左半分を覆っていた髪をかきあげた。
あらわになった青色の瞳、頬にはダイヤ型のフェイスペイントが2つ。
どこかで見たことがある特徴。
いや、見たんじゃない。聞いたんだ。つい、この間。街で。
「アルヴィス・イグニース」
ラルクと名乗った筈の彼が呟いた。
「俺の本当の名前は、アルヴィス・イグニース。黒皇族三代目皇帝だ」
1-end