2. 鉛色
「はい、これが人型の魔者に関する情報の全てよ」
昨日同様対策室の一室で、僕は赤羽さんから受け取った書類に目を通す。
人型の魔者は他の魔者と違い、その中でもいくつか特化した力を持っている。圧倒的な攻撃力を持つ攻撃特化種。絶対的な防御力を誇る防御特化種。目で追えないほどの速度で動き回る敏捷特化種。現在確認されているのはこれらだが、何分人型の魔者の出現事例なんてほとんどない。これから先どんな奴が出てきてもおかしくはないのだ。
この資料を見る限りどの特化種かは判明していないようだ。単純に接触する回数が今に至るまで少ない結果だろう。ただ出現した場所には必ず大きな爪で抉られたような痕があることから、攻撃特化種ではないかと推測されている。
でもこれ、爪痕っていうよりは……
現場写真をじっくりと見る僕に対して、赤羽さんは何かわかったことがないかと尋ねてくる。
「推測では攻撃特化種ではないかと書かれてますけど、これどちらかと言うと僕達寄りですよね?」
僕の言葉にニヤリと笑い、期待通りだと言わんばかりに意気揚々と口を開く。
「流石ね逢沢君。そう。これは爪痕というよりは魔術。風の魔術と見て間違いないと思うわ。実際に風の魔術師に同じように傷跡をつけてもらったら見事に一致したし」
「それはつまり、新種が現れた。と解釈しても?」
僕の問いに赤羽さんは力強く頷く。
僕達はこうも容易く話してはいるが魔者の、それも人型の新種が現れたのは国どころか世界においても重要な事実である。となると尚更この仕事は外すにはいかない。僕を突き動かすどす黒い感情が心の奥底から噴水のように溢れ出す。
人型には知能がある。つまり会話が可能ということだ。だとすれば魔者という存在に関して何らかの情報を持っていても不思議ではない。
ここでの情報は全てだと聞くと、僕は足早に部屋を出る。
僕の異能力は闇に属する能力だ。他の術や力もそうだが、基本的に何らかの属性を付与するものは自然からの影響が強い。場合によっては強くも弱くもなるということだ。
そして僕の場合は夜にこそ、その力を最大限に発揮できる。つまり、動くとしたら夕方過ぎから明け方まで。もし日中に遭遇したら勝ち目はないから下手に動くことはできないし。
あらかたの行動方針を頭の中で纏め、早速情報収集のため能力を使い闇に身を投じる。辺りの暗さと相まって僕の姿はまるで夜に溶けるかのようにして消えた。
次に僕の姿が現れたのは高層ビルの屋上。普通の人間なら自力では到底登れないような場所に僕は立っていた。絶えることなく溢れている街の光に、無意識に息が漏れる。
「光、ね」
この光景に懐かしい記憶が頭を過ぎった。それはまだ、僕にこんな能力がなかった頃の……。
深い思考に嵌まりそうになり、軽く頭を振って意識を切り替える。
「やっぱり、生まれ育った場所だからか色々思い出してしまうな」
少し自嘲気味に笑い、一気に思考を切り替え能力を発動する。その瞬間、街に広がる底のない闇を伝い多くの情報が流れてくる。
街中の喧騒も、流れる風の音も、その全てを拾い上げる中、一つだけ異質を感じ取った。
ー魔者だ。
すぐさま先程と同じく闇にその身を投じ、次の瞬間には異質を感じ取った場所にいた。
そこにいたのは大きなカマキリ型の魔者。幸いにも人気がないことから被害はまだ出ていない、おそらくは出現したばかりなのだろう。
僕に気付いた魔者は獲物を見つけたと言わんばかりにその強靭な鎌を僕に向けて振り抜く。それに対し僕は軽く腕を振る。その瞬間、鎌は闇に飲まれ跡形もなく消え去り、魔者は悲鳴のような音を上げ仰け反った。
隙を見逃すわけもなく、闇の粒子を凝縮し一振りの大剣創り上げる。
その見た目に反して軽々と持ち上げる僕は大きく跳躍して思いっきり振り下ろす。避けることなく魔者の頭から地面までを綺麗に一刀両断。為す術なく息絶えた魔者は蒸発するかのように跡形もなく消えていった。
「流石にそう上手くは見つからない、か」
再び索敵を始めても何も引っかかることなかった。
今日はこれ以上は無駄だろうと結論付け、ホテルに戻ろうと闇に姿を消した。
*
依頼を受けてから早くも5日も時間が経った。その間、他の魔物の出現はあったものの肝心の人型に関しては全く情報が集まらなかった。
ここまで何も引っかからないということは相当用心深い魔者なのだろう。それに推測通り風の魔術が使えるのなら、僕が毎日索敵していることに気付いていてもおかしくはない。
流石に手が詰まってきたため、一度対策室へ出向くことにした。元々赤羽さんの方からも連絡が来ていたから丁度良いタイミングではある。
対策室に入ると赤羽さんともう一人。四、五十代くらいの男性がソファーに腰掛けていた。
男性は僕を見るや否や、何かを見定めるような視線を向けて口を開く。
「ふむ。君が噂に聞く【闇夜の復讐者】か。その名の通りといった感じだね」
世界各地で魔者を屠ってきた結果、いつの間にか付いていた僕の通り名だ。ただ復讐のために一切の慈悲もなくどこまでも深い闇を身に纏い魔者を葬る僕の姿が由来だと聞いている。
しかし、この人物は一体何者なのか。見た感じでは普通のおじさんにも見えなくはないが、その雰囲気は強者の風格を感じさせる。
僕の考えを察したのか、赤羽さんは僕を男性の隣へと促した。僕が腰をつけたのを確認すると、その口を開いた。
「紹介するわ。この方は片桐茂雄さん。対策室の副室長で私のサポートをしてもらっているの」
「どうも逢沢奏くん。君のことは色々と聞いているよ。有名だからねぇ君は」
「それはどうも。……で、早速本題に入りますが依然情報は集まらず、正直手詰まりですね」
「そう……。やはり中々の切れ者のようね」
「やっぱり俺の言った通り協力要請したほうが良いのでは?三ヶ月前の事件でも大きく貢献していただいたわけだし」
「そうですね。被害を最小限に抑えるためにも時間はかけられないですからね」
二人の間でどんどん話が進められていく中、その協力要請を出すために赤羽さんは一度席を外した。
残された僕達は特に話すこともなく、赤羽さんを待つ。
沈黙に耐えられなくなったのか片桐さんは珈琲を一口飲んでから僕に尋ねる。
「まさかこうして君に会えるとは思わなかったよ。特にギリシャでの【メデューサ討伐作戦】での活躍は俺達の間では知らぬ者はいないほどだからね」
「別に、そこまで凄い事した覚えはないです」
魔者の中でも出逢ったら最後、生きては帰れないと言われている接触禁止種としても指定されている魔者の最上級クラス、神話型。まず発現すること自体が人型と比べても何十年、何百年に一度あるかないかと言われるほどだ。二年前にギリシャで発現したメデューサと呼ばれる魔者は術者三百人以上で討伐に掛かって倒したのだが、最終的に残った人数は五十人にも満たない。悲惨な戦いだった。
片桐さんは僕の言葉に対して何かを言おうとしたようだったが、戻ってきた赤羽さんを見てその報告を聞くことにしたらしい。
携帯片手に笑みを浮かべた赤羽さんは、協力してもらえることになったと言い、席に着く。
「挨拶をしに直接向かうことになったので、その間のことはお願いします」
「ええ。任せておいてください」
「それじゃあ行きましょうか逢沢君」
「……僕も行くんですか?」
「顔合わせも兼ねてよ。同じ事件に当たるから連携を取れるようにという意味でも必要なのよ」
赤羽さんのその言葉に渋々ながらも納得した僕は、その後をついていく。
地下駐車場に辿り着き、赤羽さんの車に乗り目的地へと向かう。ふと、何処に向かっているのか。そもそも協力要請を出した相手とは誰なのかを聞いた。
後から思えば向かう前に聞いておけば良かったと思うほど、赤羽さんの言葉に僕は耳を疑った。
「日本でも屈指の名家。光の魔術の家系、来栖家よ」
「っ!?来栖家……」
その瞬間、僕の中で忘れたい過去の記憶が鮮明に呼び起こされる。
それでもいつかは向き合わなければならないことで、もしかしたら今がその時なのかもしれない。
先程までは晴れていた空は、今は鉛色に覆われている。まるでそれは僕の中で渦巻く感情を表しているかのようだった。