1. 邂逅
都内某所。三十階にも及ぶビルの一室に僕、逢沢奏はいた。来客用のソファーに腰を下ろし、この部屋の奥にあるデスクにいる人物に顔を向ける。染めたであろう明るい茶髪を肩口で揃え、美人という言葉がふさわしい女性。警視庁特殊部魔者対策室の室長、赤羽美菜子。
今から丁度五十年ほど前に発足された、名の通り魔者の関わる事件において国家で最も権力のある部署の最高責任者だ。
そして今回、僕に依頼を申し出た張本人でもある。
「それにしても噂通りの実力のようね。まさかこの短時間で事を片付けるなんて」
「相手が雑魚だっただけですよ。……それで、今回の報酬の件ですが」
「ええ、わかってるわ。最初に提示した通りの金額を振り込んでおくわ」
二十万、か。まぁこのレベルでそれだけ貰えるなら十分だろう。
元々、魔者に対抗できる力を持つものなんてそう多くはない。今でこそその存在は知られているが、実際に僕達みたいなのは遥か昔からそれを生業としていた一族が主だ。ここ二十年くらいの間で急に出てきた、後天的に力が発現した異能力者なんて珍しいものだ。
……ま、僕も、その珍しいの内に入るわけだけどね。
用件が済んだ僕は帰ろうと扉の方へ向かう。ドアノブに手をかけた時、後ろから思い出したように赤羽さんが口を開く。
「そうそう。逢沢君、あなた日本に戻ってきたのって一週間前とか言ってたわね?」
「それがなにか?」
「いつまでいるのかと思って」
「最低でも一年以上は残るつもりですが」
その言葉に「それじゃあ……」と呟き、僕の目をしっかりと見据えて告げた。
「最近都内で人型の魔物が現れたのは知ってるかしら?」
―人型。一般的に多く存在する獣型や妖型とは違い、高い知性を持つ魔者の上位種とも言える存在。一個体の力は並の術師でも歯が立たないほど強力な力を持った者も多いため、基本的には部隊を組んで討伐するのが基本とされている。
出現自体が稀とも言える存在がこんなにも早く現れるとは……。やはり日本に戻ってきて正解だった。
このタイミングで僕にその話を持ち出してきたのは、つまりはそういうことなのだろう。
「いいですよ。依頼、引き受けましょう」
「察しが良くて助かるわ」
これから先必要になるのでと互いにプライベートの連絡先を交換した。報酬や情報共有の面でも後々楽に済ませられることだしね。
「詳しいことはまた後日」、と言い残して部屋を後にした。
*
不意に目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む光が、朝だということ知らせる。携帯で時間を確認すると七時五十分。こんなに早い時間に起きたのは久しぶりだ。もう一眠りしようかと思ったが久しぶりに早く起きたんだ。せっかくだしここら辺でも散歩するか。
いつものようにワイシャツとその上から黒のジャケットを羽織り、宿泊しているホテルから出る。最近ご無沙汰だった日の光が妙に心地良くて、少しばかり気分が良い。
五年ぶりの日本は、幾分か変わっていた。公園の遊具が新しいものになっていたり、お店がいくつか並んでいた場所がマンションになっていたり。そうして昔とは僅かに違う景色が五年という月日の長さを感じさせる。
―が。
「……こういうのはいつの時代も変わらないのかねぇ」
ちらほら学生が見える、おそらくは通学路であろう場所で二人組の女子高生が三人組の見るからに頭の悪そうな男に言い寄られている。
遠目から見ても女子高生二人は可愛らしい、俗に言う美少女というやつだ。一人はナンパ野郎共に敵意剥き出し、もう一人はその子の後ろに隠れて怯えている様子。
進行方向にいるため必然的に近付いていくことになる。すると次第にその声が聞こえてきた。
「学校なんてサボっちゃってさ!俺らと遊ぼうぜー!」
「だから嫌だっての!早く消えて!」
「いいねぇいいねぇ気が強くて!そういうの好きだぜ、俺」
そう言ってリーダー格っぽいのがその女子高生の顔にゆっくりと手を伸ばす。
三人組は下卑た笑みを浮かべ、どんどんと女子高生二人に近寄っていく。後ろに隠れた子は完全に泣く寸前だ。
……仕方がない、か。
「……え?」
伸ばされたその手が、彼女の顔に触れることはなかった。
「白昼堂々こんな往来の場で何やってんだか」
突然現れた僕に腕を掴まれ、この場に動揺が走る。が、すぐに状況を理解したのかイラついた口調で僕に食って掛かってきた。
「な、なんなんだよてめぇは!邪魔すんじゃねぇ!」
「いやいや。これはまずいってお兄さん達。一歩間違えれば犯罪だよ?」
まるで幼い子供を諭すかのような口調に、案の定不良三人組は沸点低いからかすぐに激怒する。腕を掴まれていたリーダー格っぽい男は僕の手を振り払い、僕に殴りかかってきた。こうなるのは目に見えていたが、後ろにいる女子高生からは「危ないっ!!」という僕の身を案じた声が聞こえる。まぁそうだろう。見ず知らずとはいえ、形的には自分達を助けようとして間に入ってくれたのだ。悪く言えば巻き込んでしまったわけで。
とは言えせっかく気分が良かった僕をここまで不快にさせたんだ。その分の憂さ晴らしくらい、いいよね?
「おぐっ!!?」
下から思いっきり僕に蹴り上げられたリーダー格っぽい男はそのまま勢いよく吹っ飛び地面に倒れた。白目を剥いてピクリともしない様子から、完全に気絶しているようだ。
「いやぁ、暴力は流石に駄目だよ。うん」
「いやいや、あんた思いっきり暴力だから今の」
何もなかったかのように呟く僕に強気女子高生がツッコんでくる。これは暴力じゃないよ。ただ彼に運がなかっただけで。
「た、躊躇いもなく思いっきり人の顎蹴り上げるとか……」
「こいつやばいって!!」
今の光景にビビってか、地面で伸びている男を背負って残りの二人は去っていった。
「酷いな。人を悪魔みたいに」
「そう思われてもおかしくない一撃だったわよ……。でもありがと。おかげで助かったわ」
そう言って強気女子高生は僕にお礼の言葉を述べる。君達を助けるというよりは僕の気分を害されたからっていう物凄く私的な理由なんだけど、それを言う必要もないし素直に受け取っておくべきか。
多少の誤解があるが彼女の言葉に「たいしたことないよ」と返すと、先程まで後ろに隠れていた子が僕の前に出てきた。
どうしたのかと不思議そうにその子の顔を覗き込むと、真っ赤な顔でお礼を言われた。かと思うとまた強気女子高生の背中に隠れる。一体何なのだろうか。
「ああ、ごめんなさい。この子、恥ずかしがり屋で」
僕の表情を読み取ってかすかさずフォローを入れてきた。これだけでも仲が良いことが伝わってくる。
それから一言二言交わして別れを告げる。長く話す理由もなければ、彼女達にも学校があるしね。そろそろホテルに戻ろうかと来た道を戻ろうとしたところで強気女子高生に呼び止められる。
どうしたのかという視線を向けると、何かを探るような表情で僕を見ていた。
「変なこと聞くけど、あなたとどこかで会ったことある?」
「いや、全く覚えがないけど」
「そう。……ごめんなさい変なこと聞いて」
「いいよ全然。学校、頑張ってね」
「うん。ありがと。それじゃあね」
その言葉を最後に、二人は学校へと向かっていった。
その姿が見えなくなるのを確認してから、ふと呟いた。
「会ったこと、ね……」
彼女にはないと言ったけど、よくよく考えてみると確かに見たことがあるような気がする。ただ日本を離れてからの五年が色々ありすぎたせいか、昔の記憶がだいぶ薄れてしまっている。
……忘れてしまいたいこともあるからかもしれないが。
これ以上考えても無駄だと結論付け、僕は来た道を引き返した。
もう出会うことはないだろうと思っていた彼女と会う時がそう遠くはないことを、僕は知る由もなかった。
そして頭の片隅に残った疑問が、解消されるということも。