10. 奏者
「君は何者だい?」
美雪から聞いた二つの噂。突然聞こえてくる綺麗な音色。放課後に消える生徒。この二つが一つの出来事として繋がった僕は、その張本人であろう少女に問いかける。だが少女は僕に対して警戒心を強めていく。
あの音色が作用するとどうなるのかはわからないが、僕が平然と立っていることに驚きを隠せていないみたいだ。
一度能力を解除すると、僕を囲っていた黒い霧は消えさり、それを確認した少女は僕を警戒しつつも口を開いた。
「三年、浅間雫です。あなたこそ何者ですか?どうしてこの音色を聴いて平気なのですか?」
「僕は二年、逢沢奏。その物言い、やっぱりただの笛じゃないんだね」
あくまでも答える気のない僕をジッと見つめる雫は、やがて何か諦めたかのように俯く。
「……この笛は【魔笛】と呼ばれるものです。その音色は美しく、聴くもの全てを虜にする。でも、その虜となった者は魔笛に吸収され、糧とされる」
「魔笛を手に入れた経緯は聞かない。でも、それをわかってて使っているってことは、そういうことでいいんだね?」
ー【魔笛】。その存在は聞いたことがある。本来魔者になるはずだった負のエネルギーが形成途中に変異してしまった産物とされている。その音色の虜となった者は魔笛に吸収されエネルギーに変換、蓄積され、そうして蓄え続けたエネルギーはいずれ並みの術師の力を超えると言われている所謂禁術の一つだ。
実在するかどうかすら怪しい代物だったが、まさかこんなところでお目にかかることになるとは。
僕の問いに答えることなく、ただただ俯く雫。その沈黙は肯定とも受け取れるものだった。
「……ま、別にいいけどさ」
「え……」
屋上を後にしようとする僕に慌てた様子で声を掛ける雫。先程まで無表情を貫いていた雫は驚きと戸惑いに満ちた顔で僕に詰め寄る。
「どうして、何もしないのですか?あなたには不思議な力があります。私をどうにかすることもできるはずです。なのに何故……!」
「君がそれで何をしようが僕には関係ない。好きにするといいさ」
「っ……」
会った瞬間に僕は気付いていた。この子から僕と同じ匂いがする。過去に縛られる者の匂い。
だからこそ邪魔をする気も、干渉する気もない。
その言葉に呆気にとられて佇む雫を置いて、僕はその場を去った。
*
「きょ、今日こそ一緒に行こうよ奏君!」
いつも通りの授業を終えての放課後。昨日と同じ様に僕を誘うのは美雪だった。今日は行きつけの喫茶店に玲奈と行くらしく、それに僕も一緒に行かないかということ。
相変わらず不機嫌な様子で僕を見睨みつける玲奈を無視して少し考える。特に用事があるわけでもないし、断る理由もない。たまにはこういうのまいいかもしれないな。
「それじゃあ、一緒に行こうかな」
「!!ほ、本当に!?」
普段からは想像できないくらいにテンションが上がっている美雪に少々驚いてしまう。玲奈は見慣れているからなのかやれやれといった様子だ。
そうと決まれば!といった感じで先頭を進む美雪。少し遅れて玲奈、僕としてその後に続いていく。
行きつけの喫茶店は【凛音】というところで、アンティークな内装が学生に人気らしく、特に女子中高生の間では知らない人の方が少ないみたいだ。
中でも人気なのがケーキセットらしい。しっとりとしたガトーショコラと苦味というよりは酸味の強い珈琲が見事にマッチしているとのこと。
楽しそうに話している玲奈と美雪の後ろを歩いていると、いつの間にやら目的の喫茶店に着いていた。
扉を開くと古びた鈴の音が軽快に鳴り響く。中にはちらほらと制服姿の人達も見える。迷うことなく進んでいく玲奈達についていき、四人席に座る。
二人はケーキセットを頼み、僕は珈琲のみを頼む。ウエイトレスさんが注文を取り奥の方へ行くのを尻目に、玲奈が口を開く。
「…….で、昨日何してたのあんた」
「何してたのって、学校に残ってただけだけど」
そう答える僕に不服なのか未だにじとーっとした視線を向けられる。本当に僕のこと敵視しすぎじゃないかなこの子。
内心面倒だなーと思っていると美雪は突然思い出したかの様にしてぽんっ、と手を叩いた。
「そういえば最近ここら辺で変質者が出てるって噂があるんだよ!和服を着たおじさんらしいんだけど、なんでも学生に声をかけまくってるとかで!」
「……よくそんなこと知ってるよね美雪」
「最近知ったけどこう見えて意外に情報通なのよねぇ、この子」
「ふぅん……。何か実害でも出てるの?」
「ううん。なんか笛がどうのこうのって聞くだけで知らないってわかったらすぐどこか行くんだってさ」
「……笛、ね」
可能性としては考えていなかったわけではなかった。何も隠蔽せずに魔笛を使って力を蓄えていれば、いずれその膨大な力に誰かが気付くというのは当たり前のことだ。僕の異能を見て不思議な力、と表現していたことからこちらの世界のことを深くは知らないらしい。
だとすれば近いうち、彼女に行き着いたその不審者とやらは彼女から魔笛を奪い取ることだろう。その時、彼女が無事かどうかはわからない。
……他人の心配なんかしてる場合じゃないだろ、僕は。
「お待たせしました。こちらがケーキセットお二つと、珈琲でございます」
先程と同じウエイトレスさんが注文した品を持ってきた。熱いうちにと一口含み、下に馴染ませる。鼻腔に広がる珈琲の風味が心を落ち着かせる。
確かに、このお店が人気な理由もわかる味だ。
「まぁそんな変態に出会っても私がぶっ飛ばしてやるわよ」
「えぇ、危ないよ玲奈ちゃん!」
「いやいや、玲奈なら大丈夫でしょ。こんなだし」
「あんた馬鹿にしてるでしょ?」
「いやいやまさか僕が玲奈さんを馬鹿にするわけないじゃないですかー」
「あ、うん。わかった。ぶっ飛ばす」
「ちょっ、玲奈ちゃん落ち着いてー!!」
テーブル越しに僕の胸ぐらを笑顔で掴む玲奈だが目が笑っていない。それを特に気にせず珈琲を飲む僕と慌てて玲奈を止める美雪。中々にシュールな光景だ。
そんないつも通りの騒がしい日々を過ごし、暗くなる前に僕らは解散した。
ホテルに着く時には辺りは暗くなり、すっかりと夜になっていた。やはり夜は落ち着く。僕の能力の性質からか、夜や暗い場所はどこか居心地がいいのだ。
部屋に戻り、ベットに身を投げ出す。ふかふかのベッドが体の疲れを癒してくれる。
ぼーっと寝転がり頭に浮かぶのは件の笛。魔笛の所持者、雫。それを狙っているらしい和服の男。いずれその男だけではなく、対策室も力に気付き動き出すことだろう。
僕には関係ないと、干渉する気はないとそう言った。それでも気になってしまうのは、僕が彼女に自分と同じ匂いを感じたからだろうか。
『奏、あなたは優しいわ。私にこんなにも幸せをくれたのだもの。だから今度は奏が幸せになる番よ』
不意に、昔あの子に言われた言葉を思い出す。あの子は幸せだと言ってくれた。僕のおかげで。でも僕は……
「これも僕の性分なのかな」
自分に呆れながらも身を起こしながら呟く。
それに、よくよく考えれば僕にとって都合がいいことだ。
窓から外を眺める。淡く輝く月が照らすものは果たして……




