其の三・「賭け」
屋敷では賑やかに鳴り物が響き、酒肴のご馳走が用意され、一地方の代官には過ぎたような贅沢さだ。愉快な笑い声や合いの手が聞こえたり、音楽に合わせて踊る舞妓に見蕩れている事だろう。
しかし、そんな彼等は知らない。
今、正面玄関の大手門に、如何にも凶悪そうな悪人面をした偉丈夫が部下一人を引き連れ、仁王立ちし、その目の前を遮る様に小柄な下役人が立ちはだかり、侵入を防いでいる事を。
「お前は呼ばれていない。帰れ、イヅナ」
「帰れだなんて冷てぇな? 生憎、俺はこの屋敷に用がある」
「代官様は村の不良であるお前等、招待していない」
言うと、イヅナは苦笑した。
「けっ! 誰があの肥えた豚なんかに招かれて行くかよ! 俺はシホに用があるっ!」
「そうだっ! 黙って兄貴を通せっ!」
手下であるセンダが横から口を挟む。
この舎弟は手にイヅナの得物である蛇矛を持ち、更に弓矢一式を持っている。
何をするかは知らないが今は気にせず、カガはイヅナへ怒鳴った。
「あいつはやめておけと忠告した筈だっ! 破滅するぞっ!!!」
カガ・マンタは一歩も引かない友イヅナの心配をして、屋敷へ入れようとはしなかった。
すると突然、イヅナが声を張り上げた。
「代官様にお取次ぎ願いたい―――ッ!!!」
「イヅナ、でかい声出すなっ! 聞かれたら如何するっ!?」
* * *
「む? 今、大声がしなかったか?」
「気のせいでは?」
屋敷内では代官が上座に鎮座し、両手に愛妾を抱いて上機嫌でいた。
その脇の方で、今回の主役の一人であるシホは、何処か浮かない顔をしている。
その時、突如大手門の方から大声が聞こえたのだ。しかも、その声は更に大きくなり、此方にまで聞こえてくる。
瞬間、シホはハッと何かに気付いた様に顔を上げるが、対して代官は不機嫌顔になる。
「五月蝿いわい……。誰か、様子を見てまいれ!」
命じると側に居た護衛が直ぐ様玄関方面へ向かう。
* * *
「―――……来たようだな」
「……はぁ」
嬉しそうにするイヅナとは対照的に、カガは胃が痛くなる思いだった。
代官から派遣された護衛が姿を現すと、イヅナはカガを無理矢理押し退けた。護衛の側へ近付き跪く。
「先程の大声はお前だったか!」
「はっ! 如何にもっ!!」
屋敷内へも届くようにイヅナは声を張り上げ続けた。
様子を見に来た護衛は明らか不快な顔をした。イヅナの事をよく見知っていたからだ。
「今は宴会の最中ゆえ、騒ぎは他所でやって貰いたい」
護衛が鬱陶しそうに言うと、イヅナはほくそ笑んだ。正に悪党がこれから悪事を働くような、典型的な下卑た笑みだった。
護衛は寒気がした。
「俺もこの宴の席に出席したい!」
いきなり突拍子も無い事を言われ、護衛は苦笑した。そんな事出来る筈がない。
素っ気無く断られると、イヅナは立ち上がり護衛の肩を掴んだ。
「何をする!? 放せ!」
「俺は沢山の土産を持ってきた!!」
嘘を吐くならもっとマシなのを吐け、と思いカガは後ろで呆れた顔になる。イヅナには何一つ代官が貰って喜びそうな物など持っていなかったからだ。
勿論、それが偽りである事くらい、この護衛だって理解している。
しかし、抵抗するが、イヅナの握力は強く、護衛を放さない。
肩がその侭握りつぶされるのではと思うくらい、力一杯握ると、護衛は余りの痛さに悲痛な声を上げた。
「今回の席に是非とも代官様に献上したい! 急ぎ、お取次ぎを願いたいっ!!!」
「わ、分かったから、放せ!? 肩が壊れる……!!」
息を荒げ、急いで奥の方へ進み代官に事を報せた。
代官は最初は嫌そうな顔付きになった。それもそうだろう、イヅナは問題児であり、不良達と徒党を組んでよく自分の部下と乱闘騒ぎを起す。
しかしその時、護衛は代官の言った事に驚いた。
「面白い。此方へ通せ」
「良いのですか!?」
代官はにやりとする。
「構わん。今日は目出度い日だ。何か見世物でもやらせろ」
酒臭い息を吐き、上機嫌でいる。
暫くすると、一人の恐ろしい顔をした青年が広間へ通された。
その場に居合わせた他の村からの長老衆は、彼の姿を見て、引っ繰り返る程驚いた。よく村で悪さをする不良達の親玉が居るからだ。皆、イヅナが何をしでかすか内心ハラハラした。
「此度はおめでとう御座いますっ!!」
「確か、村の悪ガキ共の頭…イヅナ、だったか?」
「如何にもっ!!」
声が大きい。何時もより張り切っているみたいだった。
「沢山の土産とは何処にある?」
何処にも無い。在る訳が無い。それはイヅナが屋敷へ入りたいが為の虚言である。
しかし、この代官もその事理解していた。承知の上で彼を通したのだ。折角の宴会の席に、態々強引にやって来たのだ。
周りには村の重役達も居る。無茶苦茶な事はしないだろうと考えたし、酒の肴くらいにはなるだろうと僅かなりにも期待した。
代官の目の前で平伏する青年を、周囲の長老衆やカガ・マンタは内心冷や汗を流しながら見つめ、代官の左右に侍っている愛妾は可笑しそうに笑っていた。
一方、カガ達に比べ、更に落ち着かなかったのが今回の主役の一人シホである。
彼女は離れた席から彼を見守っていた。すると、イヅナが横目をチラリと彼女へ向ける。
互いに目が合うと、シホは少しドキリとした。
「此度の土産とは――――――舞に御座いますっ!」
「舞い、だと……?」
「如何にもっ!!」
代官は小首を傾げる。
「今から古今東西、何処へ行っても目にする事の出来ない、珍しい剣舞をお見せしましょう!!」
「控えよ、イヅナっ! 此処を何処と心得るっ!!!」
大声で怒鳴ったのはイヅナの村の長老格の一人だった。
田舎者の彼が剣舞など出来る筈が無い。失敗すれば村の恥に成るし、場の雰囲気を壊す事に成りかねないからだ。
しかし―――。
「よいよい。余興だ。その古今東西、何処へ行っても目にする事の出来ない剣舞とやらを見せてみろ」
代官は上機嫌で許した。普通の鳴り物や舞妓の踊りには少々飽きていた。下手糞でも田舎者の剣舞、というものに関心を示した。
片手に杯を持つと、隣の妾がすかさず酒を注ぐ。
それを一つ煽ると、代官は顎で指図した。
「舞え」
「その前に!」
突然、イヅナが手を前に突き出した。
「どうした? 出来ぬとは申さぬであろうな?」
「そうではありません。俺の剣舞は少々変わっておりまして、酒を飲まなければ上手く舞えないのです」
図々しくも酒の要求をする。
その図太さに代官は唾を飛ばしながら大笑いをした。
「良いだろう! 酒を飲ましてやれ!」
杯に注がれるが、そこで再びイヅナが口を開いた。
「こんな小さな杯では上手く酔えん。もっと大きな器は無いか?」
言うと、彼は左右を見渡す。そして、代官の後ろに飾られている大皿を見つけた。
青年はそれを指差し『あれで飲みたい』と要求した。
代官も、大皿で酒を飲む者は今迄見た事も無く、興味が沸き、酒を並々と注がせ、兵士二人掛かりで彼の前に運ばせた。
「忝い!」
威勢良く礼を述べ、頭を下げると、両手で大皿を持ち上げる。
量にすると凡そ三升は入っているだろう。
それを勢い良くグビグビと飲み始めた。
「―――ぷ、はぁ~~~! これは良い酒だっ!! あっはははは!!!」
上機嫌になり、残った酒をあっという間に飲み干した。
場にいた者達皆、唖然とした。対してイヅナは笑いが止まらず、周囲へ陽気に笑いかけた。
彼は酷い悪人面だが、動作は大袈裟で、仕草には愛嬌があり何処と無く子供っぽい。
その態度が周囲を和ました。すると、イヅナは徐に立ち上がる。
「それでは、これより剣舞を舞います……」
彼の足元はふらつき、目は据わっている。
それでも約束通り剣舞を舞う為、抜刀し、右手の刀を紹介した。
「この刀は、かのトウ州伝説の名工カグヅチが打ったと言われる最後の一振り!!」
何の事はない。只のボロ刀だ。刀身はやや曲がり、刃が欠けている。
しかし、一人が彼が大真面目に語る法螺話に噴出す。
代官も楽しそうに酒を飲む。
「俺の舞は、代々伝わる由緒正しい、三千年の歴史と伝統を誇る!!」
今度は笑い声が響いた。
代官や、その取り巻きだけではなく、長老衆まで釣られて笑みを零す。
「各々方! 今宵、俺の舞が見れる事を、御身の幸運と心得よ!!」
言い放つと、イヅナは突如飛び上がり、空中でくるりと一回転すると、低姿勢で着地する。
そして、彼の言う”三千年の歴史と伝統を誇る剣舞”が始まったのだ。
それを合図に、鳴り物が再び響き始める。
彼等は合いの手を入れたり、また鼓を叩いたりして拍子を取った。
(何だ、この出鱈目な舞は……)
席から見物していたカガ・マンタは、内心呆れた。
彼が思ったように、イヅナの剣舞は全くの出鱈目である。次にどう動くのか想像がつかない。下士のイヅナに、芸事を習う金等無い。
詰まり、彼が今踊っているのは完全な即興である。
(だが…面白い……。まるで蛇だな……)
鼓の拍子に合わせて、足でドン、ドン、と床を鳴らし、時に緩急を入れ、波のように辺りを漂いうねると、今度は嵐が来たかのように激しく回転し、飛び上がり、床を転げ、刀を宙へ投げては、クルリと回転して再び掴んだり、と彼の動きは面白い。
しかし、カガはハッと気付いた。
周囲の者達が彼の出鱈目な即興の剣舞に魅了され、食い入るように見ているのだ。
確かに、名人上手から見れば、全くの素人踊りであるが、どの型にもはまらず、自由に動き、身体を自在に動かし、持ち前の運動神経を生かした彼の舞は、先程言った様に古今東西何処へ言っても目にする事は出来ないだろう。
筋骨隆々とし、逞しく鍛え抜かれた彼の肉体は、とても魅惑的で、流す汗や時に見せる仕草が扇情的であり、代官の愛妾はすっかり虜にされていた。
上座に座るシホを見ると、頬を赤く染め、ボーっと凝視し、心奪われていたのだ。
「はぁッ!!!」
すると今度は持っている刀を勢い良く振り下ろした。突如鳴り響く鋭い風を切る音。その時起った剣風と、彼の放った気迫に鳥肌が立ち、ビリビリと振動する空気が伝わる。
そして、イヅナが舞いの最中に突如動きを止めた。皆息を呑み、見入った。
イヅナは眼光鋭くし、刀身の切っ先をゆっくりと上へ上げると、代官の喉元へ合わせた。
「そこまで!!」
いきなり叫んだのはカガ・マンタ。
皆、意識がふっと戻り、彼へ視線を向けた。
「いや、見事だイヅナ殿! 素晴らしい舞いだった!!」
カガは笑い、無理矢理誤魔化したが、内心冷や汗ものだった。
何故なら、先程イヅナが刀身を代官に向けたのは、明らか対抗する意思表明があったからだ。あの侭放っておいたら、隙を見て代官を暗殺しかねない。何をしでかすか分からない彼なら十分にありえた。
故に、わざと口を挟み、舞を中断させたのだ。
「イヅナ! 見事だったぞ!」
当の代官はその事に全く気付いていないらしく、両手を打って絶賛した。
長老衆も村の不良である彼に、こんな特技があったとは知らなかったと感心し、イヅナの意図に気付いていない。
ほっと胸を撫で下ろすカガ。しかし。
「お褒めに預かるは光栄。されど、未だ驚くのは早いです」
イヅナは再び代官が気を引く様な事を言った。
今度は何を言い出すのかと焦るマンタ当主。
「俺の一番の特技は弓です。どんなに遠くにある的でも射抜いてご覧に入れます」
「それは面白い! 早速やってみろ!」
カガ・マンタは仰天し、心臓が止まりそうな程内心慌てた。
弓を持たせたら、それこそ代官の命が危ない。イヅナが弓の達人なのは彼も良く知っている。
素人の舞とは違い、弓は笑い事にならない。途中で止めに入る事が出来ないし、イヅナに狙われたら、代官はあっという間に射殺されるだろう。
その時、イヅナが上機嫌の代官へ向き直った。
「御代官様。少し、賭けをしませぬか?」
「賭けだと?」
面白いといった顔付きで聞き返す代官に、悪人顔銀髪の青年が提案した。
「今回の余興にあるものを賭けて貰いたい。俺が的を射抜いたら、それを貰う」
「外したらどうする?」
代官の問いに、イヅナは躊躇せず自身の左胸に右親指を当てると、
「俺の命を差し出そう」
「ほう……」
顎鬚を撫で、何度か頷く代官。
「その代わり、俺が見事、的を射抜いたら―――」
今度は代官の後ろへ指を差し、声を張り上げた。
「此度、輿入れしたシホ様を頂きたいッ!!!」