其の二・「下級役人」
「それで、イヅナ。如何いう事か説明してくれるか?」
「知るか。村の奴等が勝手に俺を突き出したんだ」
目の前でムスっとしながら不機嫌でいるのは、ほんの三日前に賊の頭目を単身で討ち取り、村を救った英雄イヅナ。
しかし、今の彼は村の英雄には似つかわしくない場所に居る。牢屋である。
何でも突き出した村人の話によると、イヅナは山賊を一人で退治した後、仲間達と貰った賞金で酒を飲み、何と酔った勢いで乱闘騒ぎを起したのだという。最後は疲れ果て、眠りこけている間に一斉に捉えられたのだ。
悲しい事に彼は目が覚めると縄で縛られており、役人の前に突き出されたのだという。
「他の連中は?」
「知るかよ。逃げたんじゃねえか?」
薄暗い地下牢に閉じ込められているのはイヅナだけである。他の仲間達は居ない。
そんな彼に面会をしたのは、村の下級役人カガ。年はイヅナと同じ今年十八になる。家督を継ぎ、立派な村の役人の一人であり、この村の不良であるイヅナの数少ない友である。
彼はその年で既に立派な仕事を継いでいるのだから、イヅナよりも成功している人生といえる。おまけに家はイヅナよりも位の高い士族の家系だ。
イヅナは所謂足軽と同等の位であり姓がない。大してカガには立派な名字がある。
「いいから、早く俺を此処から出せ」
「それは人に頼む態度なのか?」
「お前なら出来るだろ? マンタ様よ?」
カガ・マンタ。
村役人である彼は涼しい目元に細く釣りあがった眉をしている。
彼は短く溜息を吐くと、踵を返し元来た道を進みだす。そして、イヅナと別れ際、
「もう暫く其処に居ろ。少しは己の言動を振り返り、反省する事だな」
「カガ! てめぇ、俺が此処から出たら殺してやるからな!!」
なんとも物騒な事言ってのけるイヅナ。
無論、それが冗談であるのはカガも分かっているのだが、冗談に聞こえない所が怖い。
彼が囚人部屋から出ようとすると、入れ替わりに食事を運ぶ係りが現れる。
「お食事です……」
小さめの声で呟き、食事を差し出す女性。
イヅナは受け取ると、腹が減っているのか一気に胃へ流し込んだ。こんな時でも食欲だけは衰えないのが自慢だ。因みにどんな場所であろうと、確り眠れるのも特技の一つである。
「カガ様とはお知り合いですか?」
しゃがみこみ、鉄格子の向こう側に居る自分を覗き込むように見ながら、彼女が訊ねてきた。
「あいつは俺の小さい頃からの腐れ縁だ。正直、死んでもいいと思ってる」
すると、聞いていた彼女はくすりと笑みを見せた。
「大切なお友達なんですから、そんな風に言ってはいけませんよ?」
「…………」
珍しくイヅナが黙る。じっと彼女を凝視し、黙った侭だ。
「どうしました?」
「いや、何でもない……」
食事を運び終えた彼女は、部屋を出ようと立ち上がった。
その時だ、イヅナが叫んだ。
「おい、あんた! 名前は何ていうんだ?」
「シホと申します。この屋敷に奉公する者です……」
振り向き笑顔で答え、その場を後にする彼女の後姿を、イヅナは喰い入るように見つめていた。
「お前は単純だな?」
「おわっ!? カガ、お前未だ居たのかよ!?」
「あの女は止めておけ」
友の言っている事が理解出来ず、疑問を呈する。
「あの女はこの村代官様に気に入られている。近々、迎えが来るだろう」
「あの肥えた豚に娶られるのか? 勿体ねえ……」
イヅナは猶も彼女の姿が脳裏から離れないのか、ボーっと妄想の中に居た。
華奢な身体であり、美人という類ではないが、とても愛くるしい童顔だ。長い青髪を横に束ね、人懐こい垂れ目は鮮やかな瑠璃色をしている。
イヅナは今迄沢山の女を見てきたが、彼女の存在だけが心の中に残った。
「お前が女好きなのは知っている。あいつは確かに気立ても良いし、大人しい奴だが、相手が悪い。お前に望みはねえ」
「シホ……。麗しい名だ」
全く人の話を聞いていない。
だがそれよりもカガは、この粗暴な友の口から『麗しい』という言葉を聞き、耳を疑う。そもそもそんな単語を知っていた事に驚いていた。
イヅナはカガと違い文盲である。下級士族でおまけに姓も禄に名乗れない身分の彼が、教育を受ける事等不可能である。一般的な教養が掛けている。しかしそれは彼だけではない。
この時代、確りと読み書きが出来るのは、カガのように役所仕事する人間か、商人、村の長老格、或いは上士くらいである。
カガの言った代官とは、この地域に君臨する余り評分かの良くない人物である。身分の低い者を見下す傾向があり、逆に位の高い者には媚び諂う。噂では賄賂等を要求し、出世を望んで年貢を年々引き上げているとも聞く。
自分の村にも役人の使いが何人か現れ、高札を出しては威張り散らしているのを、何回か目撃もしている。
「お前は特に駄目だ。代官様に嫌われてるだろ?」
「あの豚に気に入られたいなんざ、思った事がねえよ」
イヅナは過去に何度か代官の兵士達と乱闘を起してる。理由はその都度変わるが、イヅナからしてみれば、自分達を見下し威張り散らす兵士達が気に入らない、それだけである。
村の不良達は代官の事等恐れず、自分の好きなようにする彼を尊敬している。
尤も村の長老衆や壮年衆はイヅナの言動を好ましく思っておらず、何時か村に禍を齎すのでは、と危惧してる。
「兎も角、イヅナ。悪い事は言わない。諦めろ。お前にはああいったのより、何処かから村娘を貰って過ごすのがお似合いだ」
「俺が黙って畑仕事をすると思うか? 俺は天下を取るんだぞ!」
「お前の妄言は如何でもいい。今は大人しくしてろ。早く牢から出たいんだろ?」
* * *
「イヅナさん。お食事をお持ちしました」
「お。シホさん。何時もすまないな」
「いいえ。お仕事ですから」
牢屋生活一週間。
イヅナは環境に慣れるのが早いのか平然とし、シホが運んだ飯をかっ喰らいながら、世間話でもする。
シホも初めは変な人、という印象しかなかったが、この牢に繋がれている青年が他とは違う事を知り、面白いと思っている。
特に彼が何時も語る天下取りには夢中になる。まるで夢物語を聞かされているような感覚だった。
イヅナは天下を取ったら、絢爛豪華な屋敷に住み、妻を多く娶り、子を作り他家へ嫁がせ、国を強くする等を身振り手振りで語る。
イヅナの動作はとても大袈裟である。大きな体である彼は、長い両手を一杯に広げ『俺は何時か天下を取る!』と子供の様に楽しそうに語るのだ。
シホは何時もそこで笑ってしまう。
イヅナも彼女を楽しませてると思うと嬉しくなり、更に大言壮語を吐いては、時に呆れさせ驚かせたりもする。
イヅナはよく明るい話をするが、時に下品な話もした。『俺の筆下ろしは十二の時だった。元服前に、村の年増が相手してくれたんだ』と陽気に語った。
その時の心境とかを、思い返すように話す。それからイヅナは女好きになり、村の若い娘に手を出したり、他所の村へ言っては嫁探しを仲間達としたり、夜鷹(下級の娼婦の事)を買っては楽しんだりと喋るが、シホは顔を赤らめ動揺し、俯いてしまう。
彼女はそういった話題に、余り付いて行けない様子であった。
そして、過去の女を思い出し、上機嫌でいるイヅナをジーッと睨んだりする。
「イヅナさんがそんなにスケベだったなんて…軽蔑します」
「シホさん。男は皆、根はスケベだぜ? あの万年陰険野郎のカガだって、仕事中に女の事を考えてる」
「そんな事ありません! カガ様はその辺の殿方とは違います!」
「いいや。考えてるな。現にあいつは気が付くと女の腰ばかり見ている。あんたも狙われてるかも知れねえぜ?」
「そ、そんな事は……、ある、かも知れません……」
自身にも経験があるのだろうか、あながち嘘とも言い切れない。
イヅナはニヤニヤしながら、次の話題を続ける。彼と話すとあっという間に時が経つのだ。
「イヅナさんは何時も楽しそうですね……」
身分が低く、この屋敷の仕事以外する事のない彼女にとって、牢に入れられている青年は些か羨ましかった。長い時間の労働と、少ない賃金。休みは無く自由な時間は手に入らない。
しかし、それでも恵まれている方だ、とシホは考えている。
この世には路頭に迷っている乞食も多く、裕福層から没落し、一気に奴隷として売られる者とて少なくない。
それを幸福である、と語る彼女にイヅナは感心する。普段我侭で、傍若無人な彼には、シホのような生活は我慢なら無いだろう。
「シホさん。人生は一度しかないんだ。なら、楽しんだ者勝ちだろ?」
シホは俯いた。イヅナの言っている事は分かる。
最近は都の政治は腐敗し、悪政により下の者は苦しんでいる。散発的に起る一揆等は効力も薄く、直ぐに討伐されるか、軍勢の姿を見れば四散する。
ならば、宗教はどうかといえば此方も似たり寄ったりである。地域の神社勢力等は、座の株を買占め、商人達から税を徴収し、金を溜め込んで武器を買い僧兵を養う。その力を恐れた地域の小豪族達から寄進を受けたり、領地を貰ったり等している一種の独立性を持っているのだ。
彼等は本来あった戒律を破り、酒を飲み獣の肉を喰らい女を側に置く。しかも、此処最近は都の政にも口出ししてくるようになっているという事を、カガ・マンタから聞いた。
彼はこの村の役人ではあるが仕事の都合上、郡都サイソウ城まで上司と共に行く事がある。
サイソウ城下は人の往来が盛んで情報が集う。その時に噂話を耳にするのだという。
「シホさんは楽しくないのか? 親兄弟の事とか、将来の事とかよ?」
「私は……、そうですね。家族は居ません。昔、飢饉や災害で亡くなりました。一人残った所をカガ様に拾われました……」
彼女は自分がギ郡の西部で生まれたと語る。
食料の自給率は限りなく低く、皆貧しかった。親は食い扶持を減らす為、子を間引いたり、捨てたりする。
シホの家庭も裕福ではなく、路頭に迷っていた所を、マンタの一族に拾われたのだという。
「ほう。あの腐れ眉毛。中々良い事するじゃねえか」
「先の事は…未だ分かりません……」
其処で口を閉じるシホ。拾われてからは、マンタ家で働き、程なくしてこの屋敷に奉公に上がった。
辛い仕事だったが、それでも生きていく為に必死になって働いた。しかし、これからの事を思うと、暗い表情になる。
イヅナは気になり訊ねた。
「あの豚の所へ行って、あんたは幸せになれるのか?」
シホがこの屋敷の代官の目に止まり、娶られる事をイヅナは知っている。
少し驚いた顔になるが、それでも『代官様を豚と呼んでは首が飛びますよ?』と可愛く微笑み、忠告した。
イヅナがその顔を見て、どれだけ見蕩れたか言うまでもない。
「……幸せに成れるかどうかは分かりません。ですが、代官様は近々都へ行かれる、と聞きました。カガ様もその方が安泰―――」
「あの豚なんかより、俺のとこへ来い」
「だろうと……、え?」
彼女は目を丸くし、訊ね返した。何を言ったのか理解出来ず、また自分が何を聞いたのか信じられないでいた。
「俺の妻になれ」
「……本気ですか?」
「本気だ」
真剣に見つめてくるイヅナ。
対して彼女はくすりと笑みを見せる。
「イヅナさん。女が言われて見たい事を、そう簡単に言ってはいけませんよ?」
「冗談だと思っているのか? 俺は本当に―――」
「イヅナさん」
言葉を遮られ、イヅナは黙った。
「何時か本当に天下取りになったら、私を迎えに来て下さい……」
言うと彼女は静かに立ち上がり、早足でその場を後にする。
イヅナは何も言えず黙って後姿を見送るだけだった。
数日後、イヅナは釈放された。
彼の友であるカガ・マンタが、何とか詫びを入れ、また彼の力は今後も村の安全を守る為に必要だと説き、今後は悪さをさせないと話を取り付けたのだという。
* * *
イヅナが釈放されてから暫くして、代官屋敷では賑やかな宴が催された。代官には複数の妾が存在し、その中にまた新たに一人の妾が迎えられたのだ。
宴の席には地域の郷村から呼び寄せられた長老達や、役人達。彼等は上座に座り、女を両手に抱え上機嫌でいる代官の顔色を伺い、当たり障りの無い事を言っては、機嫌取りをする。
カガ・マンタもこの場に居合わせてる。彼は只黙って酒の入った杯を空け、同じく上座に座るシホを気に掛けていた。
この婚姻話を持ちかけてきたのは代官だった。この話をした時、シホは今迄世話になった恩を返す、と言って快く承諾した。嫌なら勧めはしないと言ったが、彼女は強くそれを拒んだ。優しい彼女の事だから、マンタ家の立場を慮ったのだろう。
下級役人が村代官の申し出を断れば、後々何をされるか分からない。それを気にして、シホは婚姻の話を受け入れたのだ。
しかし孤児の時に拾い、家族同然に育った彼女には幸せに成って貰いたかった。
カガ・マンタの思いは、親が子の幸せを願うそれに似ている。
確かにこの婚姻は、身寄りの無い彼女にとって良い話だろうと思っているが、何故か先程から胸の内がもやもやし、酒が不味い。
「マンタ様……」
「何だ?」
すると、自分の部下が一人耳元で何か囁く。
「先程から屋敷の前で不審な輩がうろついているのですが……」
「不審な輩……?」
眉間に皺を寄せるカガ。何故それを態々自分に報せに来るのか分からない。それならさっさと追い払えばいいし、それが彼等の仕事だ。
だが、次に部下が言った事は更に彼を困惑させる。
「その者。しきりにマンタ様に会わせろと騒いで聞かぬのです。屈強な衛兵が追い払おうとしても、逆にのされてしまいまして……」
一体どんな人物だろうか。
今この場に居るのは何とも気分が悪い彼は、少し苛立ちながらもその不審者を取り締まろうと思い、部下達数十人を連れ、屋敷の門へ向かった。
* * *
「……お前か」
「よ。盛り上がってるか?」
眼前に立ち、得意げに笑うのは友イヅナだった。
その時、カガ・マンタに不吉な予感が走る。この男を前にして、酷い悪寒を感じたのだ……。