夏の宿題
オレンジ色の夕日に染まる教室で、彼と二人きり。とくとくと、心臓の音が音階を踏むように大きくなっていく。
「え~と、え~と、ですね……」
後輩のたっての頼みにより、校内新聞への掲載が決まった彼のインタビュー。もっともらしく取材用のノートを片手にページをめくっているけれど、そのほとんどのメモは白紙だった。
というのも、みんな彼のせい。目の前に座るこの男の一言のせいで、脳内から全部吹っ飛んでしまったからだ。
「実は俺、宇宙人なんだよね」
ふう、と、ため息をついたあとに、どこか遠くを見つめるような眼差しで窓の外を見る彼。窓からは夏の風が入ってくる。
「え~と、ですね、佐伯くん。それ、あまり面白くないですよ」
と言いなしたものの、さっきから全身の産毛がぴりぴりと逆立つ感触がしてる。まるで目に見えない電波を受信してるみたいだ。
ふいに視線がこちらを向いた。
「ううん、マジ本当」
切ない瞳のままで彼が言った。
目が合った瞬間、ちくんと胸に針が刺さったような気がした。
ダメもとで彼に取材を申し込んだのは、ほんの三十分前のこと。
春先に転入してきた彼は、恵まれた頭脳と容姿をもって、たちまち我が校の憧れのプリンスになった武勇伝の持ち主だ。
わたしとは同学年だけどクラスが違っているので、遠くから垣間見るだけ。話をするのも今回がはじめてだった。
そんな相手に、突拍子もない告白をされるなんて思ってみなかった。いったい彼は、わたしに何を求めているのだろうか。
「宇宙人と言ったって、やることは地球と同じだよ。平凡に生活して、寿命が尽きたら死んでいく。俺は向こうでも学生なんだ。これでも、けっこう優秀なんだぜ」
説明によると彼は、地球から何百万光年も離れた、ずっと遠い銀河からやって来たらしい。侵略が目的でも、拉致が目的でもない。己の好奇心を満たすためだけに、はるばる越してきたと言うのだ。
――ひえ~。
こんな話、馬鹿げてる。本当に信じられない。
そう、本当に信じられないのだけど。
パッチリとした大きな目、卵型のフェイスライン、白く透き通るような薄い肌。近くで見る彼は美しく、まるでお人形のようだ。人工的に造られた顔だと説明されたら、間違いなく納得のいくレベルだと思う。
それに、わたしの知ってる宇宙人は、足がうねうねのタコ型か、ぽっかりと大きく穴が開いているような黒い目をしたやつ。
彼はどちらのタイプとも違っている。ということは、その美しい皮膚の下に真実の姿が隠されていたりして……。
びっくりして言葉を失っているわたしに、彼はニッと笑った。
「俺の正体は、もちろん秘密だよ。余計な混乱を招きたくないし、知らなくていいことだってあるからね」
と、片目を閉じてウインク。あまりにも様になっているので、どのように自分を見せたらいいのかがわかってる感じだった。
けれど、小馬鹿にされているようで、こっちは面白くない。
「校内新聞のインタビューなんだから、適当でいいですっ」
強い口調でそう言ったら、彼は首を傾げた。
「ふーん、なるほどー。君たちは嘘をついても平気な生態なんだね。俺たちの星は、親しい相手に対しては嘘をつけないっていうのになあ」
本当に不思議がっているらしく、彼の瞳が大きく開いた。
全くもって美しい形の瞳だ。本物の顔で作り物でないとしたら、宇宙のどこかにいるかもしれない神様にあっかんべーしてやりたいぐらいに。
「誤解しないで。わたしたちは親密度まったくのゼロ。親しくないよ。打ち明ける必要なんてありません。インタビューも適当でいいって言ってるでしょう」
風に流されそうな前髪を、あわてて押さえる。
「だって君は、俺のことを秘密にしてくれるんだよね? こうして話を聞いてくれているわけだし」
「ま、まあ、そうだけど。話したところで信じる人はいないでしょう?」
そんなのあたりまえだ。話したって精神崩壊者にみられるか、冗談として受け止められるだけ。自ら好んでリスクを背負う必要はない。
「ああ、そういえば、まだ肝心なことを言ってなかった!」
突然彼が、ぽんと手を叩いた。
「さっき言ったよね。俺たちの星の人間は嘘をつけないって」
「うん、確かに言ったけれど?」
「嘘をつけないからこそ、真実を言えないときは黙っておくんだ。君たち地球人が俺たちの存在を確信していないのは、そのせいでもある」
「それで? そちらの言いたいことが見えないのですが……」
「つまり、危険を冒して君に真実を明かしたのには、わけがあるんだよ。その、俺は君と親しい関係になりたいと思ってるんだ」
美しい顔に浮かぶ、はにかんだ微笑み。
「わ、わたし? 何故にわたしとっ」
心臓が飛び出しそうになった。さらに一段、鼓動の速度があがる。
こころなしか彼の声が低くなった。
「以前ネットで調べた文献にあったんだ。君たち地球人は相性のいい相手に会うと、互いに電波を発信し受信するんだってね。その器官を第六感と言うんだろう?」
「えっ、えっと。急に言われても……。うーん、たぶん」
続けて「電波のせいかどうかは、わからないけど」と言おうとしたら、「やっぱり」と彼の唇が動いて白い歯が見えた。
「さっき君に話しかけられた時、なぜだか俺にも同じ症状が起こったんだ。こんなこと生まれてはじめてだよ。もしかすると、地球の磁力や重力の影響なのかもしれない。だから俺としてはぜひ、異星人同士でも第六感が働くのか、ここの星特有の現象かどうか詳しく研究してみたいんだ。そのためには地球人のパートナーが必要なんだ。そのパートナーが――」
「わたしだって言うの? 冗談でしょう。そんなの信じられない。仮に本当のことだったとしても、どうしてわたしなんかと」
「君に会ったとたん、俺の体がチクチクしたからだよ。これが第六感というものなんだろう? だったら、俺と君は相性がいいってことだよ。協力してくれないか?」
「知りません、知りませんってば。わたしは感じていないもの。いい加減にしてください」
思わず両手を振って否定したけれど、彼は迫って来た。またしても説明を重ねようとする。
「いや、だけどね。確かに文献が……」
そのおかげで焦ったわたしは、余計な質問をしてしまった。
「その文献というものは何? いったいどんなものを読んだのよう。ガセをつかまされたんじゃないの?」
うーんと、二、三秒悩んだあとに彼は言った。
「『俺様王子×わたがし姫の甘い恋 あなたの唇で溶かされたくて』だったかなあ。全年齢向け恋愛小説と書いてあった。家に帰ればハッキリわかるけど」
――げ。
ぎくりとした。それは、ネット小説投稿サイトで密かに投稿した、わたしの小説タイトルそのものだったのだ。
冒頭のシーン、主人公の女の子が運命の相手の彼と出会ったとき、わたしはそういう場面を書いたことがある。主人公が彼を見てピピッと感じたところを。もしかすると彼こそが、わたしの運命の相手じゃないかと――。
「実に興味深い文献だった。面白かったから、研究発表の材料にするつもりなんだ」
そう言って彼は、うれしそうにうなずいた。
もう一度。とくん、と心臓が跳ねた。かーっと頬が熱くなる。
「勘違いをしないでくれます? わたしは第六感なんてちっとも働いていないから。残念ながら、佐伯くんの研究に協力できませんっ」
と言ってみたものの、宇宙レベルでわたしの小説を公表されたらムチャクチャ恥ずかしすぎる。
絶対彼を野放しにしておけない。ぴったりマークして、なんとか企てを阻止しなければ。そのためには何をするのが一番いいんだろう。
「そんなのより、インタビュー! 佐伯くんのことをそのまま書くわけにはいかないので、何か答えを考えて。質問の内容に沿って、ちゃんとそれらしく答えてください!」
後輩たちのことを思うと、手ぶらで取材を終わらせない。とりあえず脱線してしまった話の内容を軌道修正することにした。シャーペンを持ち直す。
彼の顔をあまり見なくて済むように、ノートに視線を下げた。ノートには「好きな女の子のタイプは?」とか、「趣味は何?」とか、後輩たちに頼まれた質問が書いてある。
このインタビュー記事を載せる校内新聞の発行は、夏休み明けだ。校正するには十分な時間が残っている。
だけど、だけど――。
「え、趣味? そうだなあ。地球に来る前は、暇さえあれば宇宙方程式を解いていたね。宇宙方程式、知らない? 大丈夫、数学は宇宙共通語だから。そんなに難しいことじゃないよ。簡潔に言うとさ、銀河内における文明社会の数を求める式なんだよ。それでさ、恒星が生成する平均速度が記号Rだとしたら、次は惑星系を持つ恒星の割合を求めてさ――」
彼の記事を載せるには、夏休みと同じくらいの時間がかかるかもしれない。
やっかいな夏の宿題を抱えてしまったなあ、と心の中でつぶやいた。
おわり
読んでくださってありがとうございました!