祐子さんちの勇人(はやと)くん
前作「阪神淡路大震災」で、アクセス数がダントツに多かった「神様はいるのか?」「<番外編>息子の論理」に出てきた、悩める高校1年生「勇人」君のその後です。
「神が全知全能ならば…」
高校1年生の「勇人」は、悪魔の辞典のページをめくりながら呟いた。
「なんで、悪魔が存在するんや?」
勇人は「はーっ」とため息をついた。
「神って、そもそもなんなんや?」
勇人は両目をグリグリ指で押さえながら言った。
「勇人ー!」
ドアの外から、母、祐子の声がした。
「勇人は、そもそもどうやって生まれた?」
「神」と「勇人」が入れ替わっていることに気づかないまま、勇人は悩んでいる。
「勇人ってば!」
「勇人の存在意義は?」
「勇人っ!ドア開けるぞ!」
「ドアの存在意義…ん?」
勇人は目から手を離した。
「…俺なんで、ドアの存在意義なんて考えてんねや?」
勇人は首を傾げた。
……
「ママ」
勇人は、キッチンで晩御飯の支度をしている祐子に声を掛けた。
「ん?なんや?勇人」
「さっき、何を呼んどったん?」
「晩御飯カレーでええか?」
「ええけど、それだけ?」
「ん、そやけど。あんた寝とったんちゃうかったんや。」
勇人はため息をついた。
「おかげで、頭っからやり直しやないか。」
「???」
祐子が不思議そうに、勇人を見た。
「何もない。」
勇人は手を上げて言って、ダイニングテーブルについた。
「コーヒー飲む?」
祐子が野菜を切りながら言った。
「うん!」
「じゃあ、ママの分も作ってな。」
「…!…」
勇人はしてやられたと思いながら、立ち上がった。祐子がくすくすと笑いながら言った。
「また天使と悪魔か?」
「うん、まぁ…」
「飽きひんねぇ…」
「堂々巡りでらちあかんのや。」
「まぁ、ボケ防止でええんとちゃう?」
「俺は年寄りか!」
祐子がまたくすくすと笑った。
母、祐子は勇人が学校の勉強をほっちらかしで、神だの天使だの悪魔だのと悩んでいることに対して、理解があった。
「でどこまで、突き止めたん?」
「だから、堂々巡りなんやて。神様の存在意義すらわからん。」
「存在意義がないと、存在したらあかんの?」
「!?」
目を見張る勇人に、祐子がニヤリと笑った。
……
「お前、まだ「ママ」なんて言っとんか!」
翌日、勇人の部屋に遊びに来たクラスメートの「謙」がそう言って笑った。
「ええやないか。ママがそう呼べ言うんやから。」
勇人は、ゲームのコントローラーを操作しながら言った。
「ママに逆らえないお坊ちゃまー!」
謙がそう言って、げらげらと笑った。勇人は黙って、コントローラーを操作している。
……
「ママ」
勇人は、謙と勇人のためにお菓子を用意している祐子の傍に寄って、小声で呼び掛けた。祐子は「ごめん」と言った。
「ジュース、コーラなかったから、オレンジジュースでええかな?」
「それはええんやけど…なぁ、ママ」
「ん?なんや?」
祐子はジュースとお菓子を乗せた盆を、勇人に向けながら言った。
「友達が来てる時だけ「ママ」じゃない呼び方していい?」
「え?…あー…」
祐子がわかったように笑った。
「うん、ええよ。友達が来てる時だけな。」
「うん!」
勇人はほっとしたように、盆を持って部屋に入って行った。
……
祐子は、ダイニングテーブルで独りゆっくりコーヒーを飲みながら、勇人とあやめが幼いころを思い出していた。祐子は、勇人が5歳(姉のあやめは7歳)の時に、こう言ったのだ。
「ママがどんなにおばあちゃんになっても「ママ」って呼んでな。ママ、ずっと「ママ」って言われたいねん。」
その時、勇人もあやめも「わかった!」と笑顔で答えてくれた。
その事を、勇人もあやめも覚えてくれているようだ。高校3年生になるあやめも、友人から「まだママなんて呼んでるの?」と言われたそうだが、それでも変わらず、祐子の事を「ママ」と呼んでくれている。
(勇人、なんて呼ぶんやろなぁ…。「おかん」?「おばはん」?「くそばばあ」?)
祐子はそこまで考えて、吹き出した。
(ま、友達の前くらい、なんて呼ばれても返事したろか。)
祐子はそう思いながら、コーヒーを一口含んだ。
その時、勇人の部屋のドアが開いて、勇人が顔を出した。
「母上っ!!」
祐子は、ぶっとコーヒーを吹いてしまった。
……
土曜日-
勇人は、自転車に乗ってゲームショップに向かっていた。
その時、教会が前方に見えた。
「あんなとこに教会なんてあったんや。」
普通の家に十字架が掲げられているような、小さな教会だった。
「……」
勇人はふとブレーキを握り、自転車を止めた。
…いつもの疑問が頭をよぎった。
勇人は自転車を教会の前に置き、中へ入った。
小さな礼拝堂だった。
(なんか、ゲームの中にいるみたいや…)
勇人はそう思いながら、奥に進んだ。
すると、奥のドアが開き、十字架を首にかけた男性が現れた。
かなり年の入った、小さな男性だ。
「どうされました?」
その男性が柔和な笑顔を見せて、勇人に言った。勇人は、頭を下げてから尋ねた。
「ここは、旧教ですか?新教ですか?」
「新教ですよ。」
「じゃぁ、牧師さんですね。」
「ええ、そうです。キリスト様にご興味が?」
「いえ…。うちは敬虔な「曹洞宗」なので。」
勇人がそう言うと、小さな「牧師」が笑った。
「なるほど。その敬虔な「曹洞宗」のあなたがどうしました?」
「お聞きしたいことがあるんです。」
「ええ、どうぞ。」
牧師は、そばにあるベンチ状の椅子を手で差しながら言った。勇人は頭を下げて、その椅子に座った。
牧師も、そばの椅子に座った。
「神様はいるんですか?」
「ええ、いますとも。」
勇人の質問に、牧師は即答した。ここまでは、勇人も想定内だ。
「では、どうして大震災であんなに人が死んだんですか?」
「ああ、君は…」
牧師がそう驚いたように言って、また微笑んだ。
「君は、神が我々を天から見下ろしていると、思っているんだね?」
「!?…え…」
勇人は、想定外の牧師の言葉にとまどった。
「えっと…はい。」
「神は…天から私たちを見下ろしているわけではありません。」
「じゃぁ、どこに?」
牧師は微笑んで、人差し指を勇人の心臓の辺りに、そっと当てた。
「神はここにいます。」
勇人はその牧師の指を見て目を見開いた。そして自分でも、指を自分の胸に当てて聞き返した。
「ここ…?」
「そうです。」
「…???…そもそも、神ってなんなんですか?」
「「神」は…」
牧師は指を離し、勇人に柔和な笑みを見せて言った。
「「愛」です。」
……
勇人は自転車を全速力で走らせていた。ゲームショップには行かずに、家に向かって必死に自転車を漕いだ。
(神は「愛」や!…そうか!神は天にいるのではなく、自分の心の中にいる!)
やっと納得できる答えが出たと、勇人は思った。
……
「ママ!」
勇人は、リビングに飛び込んだ。祐子は「おかえり」と言いながら、リビングのソファーから体を起こした。寝っ転がってテレビを見ていたようだ。
「ママ!わかったんや!」
「何が?」
「神様が何か!」
「おおー…」
祐子はリモコンを取り、テレビを消しながら言った。
「神様はいるかどうかってこと?」
「そんなこととは、超越した答えや!」
「?…どういうこと?」
勇人は興奮気味に、祐子の隣に座って言った。
「「神」は「愛」や!俺たちの「ここ」に…」
勇人は自分の胸を指差した。
「「ここ」にいるんや!天にいるんやない!」
祐子は目を見開いていたが、やがてにっこりと笑った。
……
1週間後-
勇人は、自転車で教会に向かった。だが目を見張って、慌ててブレーキをかけた。
「!!」
掲げられていた十字架がなかった。だが家の形はそのままだ。
勇人は、教会の形をしたままの家の前に自転車を止めた。そして玄関に掛けられた看板を見て驚いた。
「…売家…?」
勇人は、しばらく呆然としていた。
……
勇人は、普通の少年に戻っていた。天使だとか悪魔だとかという話もしなくなった。
(それは、それで寂しいけどなぁ…)
祐子はそう思っていた。父親の守は「これで、また勉強してくれるようになるだろう。」とほっとしたようだ。
…しかし、そうはならなかった。勉強する様子は全くない。
「ママ、おはよう」
日曜日、勇人がくしゃくしゃの頭を手で梳きながら、リビングに入って来て言った。
祐子は、キッチンで洗い物をしながら「おそよう」と笑って答えながら言った。
「ブランチ食うか?」
「うん。」
勇人はダイニングテーブルについた。
「なぁ、ママ…」
「うん?」
祐子はマグカップを勇人の前に置いて「何?」と言った。勇人がテーブルに肘をつき、その手にあごを乗せたまま言った。
「…幸せってなんやろな?」
「!?」
祐子は固まってしまった。
……
勇人は「行ってきます!」と言って、玄関に走った。
「どこに行くん!?」
祐子が慌てて、靴の紐を結ぶ勇人の背中に駆け寄って言った。
「友達んち」
「そうか。お菓子かなんか持って行かんでええんか?」
「いらん。俺、買っていくから。」
「そうか。」
祐子は立ち上がった勇人を不安げに見た。…さっきの「幸せってなんやろな」という言葉が引っかかっていた。
「ママ」
勇人は背を向けたまま言った。
「何?」
「俺が1時間経っても帰ってこんかったら…」
「!?…」
祐子はまた固まった。
勇人は振り返り、カッコよく祐子を指差して言った。
「俺が楽しんでると思ってくれ。」
「……」
勇人は「じゃな」と2本の指で敬礼し、ドアを開いて出て行った。
祐子は、ドアが閉まってから「ガクッ」と体を傾けた。
(終)
……
勇人君、また新しいネタをお待ちしています(m_ _m) by 西条基樹